[Ⅲ] 結

大西おおにし 啓介けいすけにとってその15分は永遠のように長かった。


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一人でラブホテルに入り、歯を磨き体を洗って服を着替えた。


そうしている間に時計は20時45分を指し、予約の電話に応対してくれた店の受付の男から折り返し電話がかかって来る、「ミミカちゃん21時にホテル行くんでロビーから確認の内線かかったら通すように言ってください」


 はい。


 たぶんそう答えたはずだが記憶には何も残っていなかった。




 ドコドコドコドコと耳元で何かがうるさい。

 あこれ心臓の音だこれ。


 指先は麻薬中毒者かアル中かなにかか疑われるレベルでぷるぷると震えている。

 吐き気もすごい。


 瑛太にメッセージを打ち、送る直前に削除するという動きを何度も繰り返した。

 こんな時に頼れるのは悪友だが、こんな時に頼ってはいけないのも悪友だ。


 下手なことを口走ったが最後メッセージログを保存されて未来永劫こすられ続けるのは目に見えていた。

 

 股間の山岳キャンプは雄々しくテントを展開している。女体山脈の登頂を今か今かと雄々しく待ち構えているのだ。へー、こんなにデカくなるんだな俺の。



 内線が鳴った。


 とっさに受話器を取る、知らないババアの声がした。


 ――オツレサマヲナノルカタガコラレマシタガ、トオシテヨロシイデスカ?



「どうぞ、あいや連れなんで通してくだちいさい」



 噛んだ。受話器を下ろし、この張り詰めたテントをどうするかと見下ろした。

さすがにこのままで迎えるわけにはいかない、――撤収していた。



 スゥー。深呼吸。


 ドアがノックされる音。返事をする前にオートロックが遠隔で外れる音がした。

駆け足で入口まで向かう、転びそうになって壁に手を突いた。




「こんばんは~、ミミカで~す♡

 ……、え。

           啓介くん?」



 終わった。軽蔑される。最低!とか叫ばれてビンタされるんだ。最悪の想像が脳内を駆け回る、そうだ死のう。





「びっくりした~。

 へー、啓介くんってこういうの利用するんだ。

 そういうタイプじゃないと思ってたのに、意外~」



 アイヤアノ。

 裏返った誰の声だよ、みたいな声が出た、そもそも何を言おうとしたんだ。



 彼女の、ミミカの、加賀美かがみ 明佳あすかの、目が。

獲物を見つけた猫のように細くなる。


 ああ、この目を見たことが以前にもある。夕日に照らされた朱に染まる生徒会室、居残りで二人で書類を仕上げていたあの時、好きな子とかいるの?と尋ねられて思わず「いる」とだけ答えてしまったあの時の瞳。


 距離が詰まる、気づけば目の前に、頭半個分低い加賀美かがみ の顔があって、見上げて来る、捕食者の目、ぺろりと、舌が薄い唇を舐めるのが見えた。


 気づけば壁際に追い詰められていて、伸ばされた彼女の腕が逃げ場をふさぐ。


 斜め下から急接近した彼女の唇が、俺の唇をふさぐ。

ファーストキスはグレープフルーツ風味のグロスの味がした。


 舌が口腔に入って来る、犯される、と思った。口の中をたっぷり犯された。テントが再度展開され登山チームが雄々しく咆哮をあげた。

時間にして数秒、唇が離れ、だが彼女の顔は遠ざからなかった。

 

 ぐい、と襟首を掴まれて耳を甘噛みされる、少し出た。




「――いいよ。啓太ならプラス1万で、最後まで」


 耳の穴にそんな言葉がねじ込まれる。がくがくと面白いくらい膝が笑っていた。





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 余分なお金を持っていかなかった大西 啓介は最後まで致せなかった。


 いや、彼女との関係を金でどうにかしようと思いはしなかったのだと言い訳はできるが、正直に言うなら死ぬほど致したかったし、余分に1万持っていかなかった事を心の底から後悔した。

 別の男にも彼女は同じことを言うのだろうか? そんなはずはないと思った。


 信じたかった。



 手と口で幸せにしてもらった後、死にたくなった。

 もう死んでもいいと最中は思い、終わってからは本当に死にたくなった。

 また来ようと思うことでなんとか命を繋いだ。


 自己嫌悪とある種の暗い達成感が交互に襲い、情緒不安定になり、駅裏のいかがわしい界隈の外れのコンビニの駐車場の隅で、ドクターペッパーのペットボトルを抱えて座り込んでいた。


 そして、大西おおにし 啓介けいすけは見てしまった。

とっとと家に帰っていればそんなものを見る事などなかったのに。


 加賀美かがみ 明佳あすかがホストだかホストくずれみたいな、お洒落なスーツを着た男と腕を組んで歩いている姿を。


 決してイケメンというわけではないように思えた、ブサイクでもないが。2人は嫉妬するほどにいい笑顔で、彼女は啓介が一度も見た事がない表情で男に甘えていた。

 猫がするように頬をこすりつけて、縋るように男の腕に絡みついている。



 なにもかもがわかった、わかってしまった。

 彼女が夜の世界に身を置くのはあの男のためなのだと。



 啓介は泣いた。嗚咽を漏らし、それでも彼らの幸せを妨げぬように声を押し殺して泣いた。両手で自分の顔を押しつぶすようにしながら、嘔吐感が生じるレベルで。


 どのくらいそうしていただろう、そっと誰かが肩に手を置いた。


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げる、そこには悪友が立っていた。

風俗を利用した帰りなのか、びっくりするくらい澄んだ目で 瑛太えいたが口を開く。



「追加で1万払う価値あったろ?」




 その日人生ではじめて大西おおにし 啓介けいすけは他人の顔面をグーで殴った。

 


 







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