引き分け

@misaki21

第1話 引き分け

 殺してやりたいほどの憎悪というものは実在する。

 あいつを殺すと決めたのは、数年も前のこと。結婚当時、いい関係は最初だけだと皆にいわれたが、正直、信じてはいなかった。他人事だと思っていた。

 何が直接の原因なのかは既に解らないが、修復不可能だということは解る。離婚という冷静な選択は、溢れる憎悪で既になく、だからこそ必死の思いでこの毒薬を入手したのだ。貯金の大半をつぎ込んでしまったが、後悔など微塵もない。

 顔も見たくない、ではなく、殺したいのだ。存在そのものに嫌悪感を抱くのだ。

 計画は簡単。毒薬を食べ物に混ぜて飲ませ、死体を車で森に運び、埋める。後は警察に行方不明だと通報すればいい。

 あいつも私も生命保険に入っているから、保険金目当ての殺害だと疑われるかもしれない。アリバイ工作が必要だろうか? いや、保険金の受け取りは死亡が確認されてからの筈だから、死体が発見されなければ、保険金目当てという動機は成り立たないから大丈夫だろう。あの森の奥の地中深くなら、まず見付からない。

 おまけに、世間体はおしどり夫婦で、揉め事の類には一切縁がなく、傍目には動機などないように見える。

 ……実行は、今日だ。


「おかえりなさい。あら? それは?」

「ああ、お土産。取引先から頂いた菓子だよ。美味しいんだとさ」

「ふぅん。ご飯、すぐに食べる?」

「頼むよ。……あ、しまった。君、明日出かけるっていってたっけ?」

「ええ、同窓会」

「車、ガレージにそのまま入れちゃったよ。今のうちに君のと入れ替えておくから、キー貸して」

「あなた、久しぶりの休暇なのに、私一人だけ楽しんで、何だか悪いわね」

「いいよ。久しぶりの同窓会なんだろ? こっちはのんびりしてるから」


「……どう?」

「うん、これ、本当に美味しいわ」

「えーっと、へぇ、これって京都の有名な菓子屋じゃなかったっけ?」

「ん? あ、知ってる。前にテレビで観たことあるわ」

「こんな安ビールのつまみにするのは勿体なかったかな?」

「ふふ、そうかもね。お茶にする?」

「ははは、まさか。さてと……」

「あら、もう寝るの? お休みの前なのに?」

「今日、仕事が忙しかったんだ。お先に」

「おやすみなさい」


 ……。

 ……何だか頭がくらくらする。手がしびれてきた。吐き気も……一体何が?

 足に力が入らず、もがいているうちに床が迫ってきた。フローリングに額を打ちつけ、血が広がったが、頭痛の方が激しい。息が苦しい。胸が熱い。水を飲まなければ。喉をかきむしるが、熱いのは内側だ。視界が狭くなってきた。嘔吐、吐しゃ物が狭い視界を埋める。全身が痙攣し、床を何度も跳ねた。

 何が、いや、誰が? ……あいつ? ……もう……駄目だ……誰か……。


「――聞き込みは?」

「はい。夫婦仲は問題なかったようです。住宅ローン以外に金銭面のトラブルもありません。仕事も順調ですし、直接の動機は相変わらず見当たりませんね。」

「そうか。全く、俺にはさっぱり解らんね。心中にこんな馬鹿高い薬、使うか?」

「最後の贅沢って奴じゃないですか?」

「ふん。贅沢の割には、見事な死に様じゃないか。お前も見ただろ? 今正に殺されるってな形相。夫婦でにらみ合ってる仏なんて、俺は始めて見たぞ」


 ――おわり

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