無価値の沙汰も金次第

 放課後になれば各々が選んだ部活動の時間が待っている。放課後とは名ばかり、そして自由加入も名ばかりなその活動は人によって合う合わないがあるだろう。幾らその活動が好きでも人間関係が駄目なら辛いだけだろうし、逆に活動自体はそこまででも人間関係が良好なら頑張れる。

 詠奈に買われた俺には関係のない話だ。彼女が教室を出てから少しタイミングを遅らせて俺も帰ろうとすると、何やら男子が盛り上がっている様子。

「何を盛り上がってるんだ?」

「詠奈が誰を見てたのかって話だよ!」

「んあ?」

 早速要領を得ない。

 百聞は一見に如かずと携帯に問題の画像を送ってもらうと、卓球が終わって教室に戻るときの女子の列が撮影されている。遠目からでも彼女の特定は容易く、何せその長い髪を一本に縛っているのだ。あんな長いポニーテールは真似しようと思っても中々出来ない。そんな詠奈の視線が男子の方を向いている。

「でっか……しかも見ろよ、後ろの奴が腰掴んでる時のこれ。ほっそ……やべえ。興奮して来た。俺を見てたんじゃね! 活躍してたし!」

「いやいや俺だろ。活躍つってもこれを撮ったの授業終わった時だし」

「待て待て。誰がまず授業に携帯持ち込んで撮影してんだよ。どう考えてもこれはカメラに気づいてるだけだと思うんだけど」

「って事は俺か!? 告白をして人生バラ色になる時なのか!?」

 色んな意味で魔性を纏う詠奈に男子達は虜になっている。俺の声なんて届きやしない。でも体操服姿の詠奈が可愛いのは同意する。そう言えばプールも近いが、体育祭も近いか。去年はまあまあ見ていられなかったというか、彼女が居るのに詠奈が好きだった奴が相当数フラれた残酷な日でもあった。因みにまだ居る。妄想だけならいざ知らず、詠奈が本命などと言い出されたら彼女だって良い気分はしないだろう。

 何が救えないって、フラれてから復縁を迫っているという事だ。『どうかしてた』とか『本当に大切なのは君だけ』とか、『心は君の傍にある』とか。自分は捨てられない自信があったのだと思うが、プレイボーイを気取るならせめてすっぱり忘れておいた方が良いと思う。

「ていうかお前等部活。怒られるぞ」

「なあ景夜。お前さ、何でアイツとずっと仲良しな訳? お前ん家行ったら理由が分かったりする?」

「おー名案じゃん! 俺等親友だろ! 家に行っていいよな!」

「気軽に親友認定するなよ。お前等とはクラスメイト以上の関係じゃないぞ。うちはほら、厳しいからやめた方が良い……」

 多分学校に提出されている住所は架空かもしくは知らない誰かのモノだ。普通有り得ないと思うだろうが詠奈なら出来ると思う。その家に案内しても俺の家ではないし、本当の場所に連れて行ったら大問題だ。今は支倉が人権を売り渡した結果大変な目に遭っているからそれだけは避けたい。

「はー。そんなんだから彼女出来ねーんだわ」

「関係なさすぎるだろ」

「俺等はただ詠奈と友達になる方法を知りたいだけなのにな……教えてくれたら別にいいんだぞ? お前とかマジ、どうでもいいから」

「あ、でもお礼に一万円くらいなら払うぜ!」




「「「「「「ぎゃははははははは」」」」」」




 お金。

 謝礼のつもりなのだろうけど、俺の脳裏には買収の二文字が出てくる。『お金で買えない価値はない』、それが王奉院詠奈の価値観だ。丁度俺を買ってみせたように、彼らもまた俺を買おうとしているのか。五〇円だの一万円だのと、俺の存在価値などその程度か。



 ―――詠奈が傍に居るから付いてるだけなんだろうな。



 詠奈を悲しませるだろうから口には出さないけど、俺は自分に価値なんかないと思っている。ほんのちょっと親切に出来るだけの人間。下心とかそれ以前に、それをするのが当たり前だと教育されてきたからやっているだけ。殆ど条件反射に近い。母親の呪縛から逃れる事には成功しているけど、結局その教育はまだ染みついている。

「…………じゃあ、俺は帰るから」


 

「ていうかお前さ! 部活入れよー。成績だって補習受ける程じゃねえだろ」



 いや、俺には何も向いていない。ただ遊ぶだけならまだしも、部活動という体で取り組むのは厳しい。何より詠奈と過ごす時間を出来れば減らしたくない。『景夜君』の友達は彼女しか居ないのだから。

 昇降口までの道のりはいつになく寂しく思えた。部活動の為に横を通り過ぎる男女。その殆どは道の何処かで友達と合流して喋りながら歩いていく。この景色で以て己が不幸とは言わない。あんな場所に住まわせてもらっているし、好きな子がいつも傍に居てくれる。それがどれだけ恵まれているのかを自慢した方がむしろ正しいのかもしれない。



 じゃあ仮に詠奈が俺を買わなかった時、この生活は出来ていたのかという話だ。



 答えは一つ。出来ていない。金に目が眩むような母親だから、きっと学校の事など度外視でバイトを掛け持ちさせて税金のように納めさせられたと思う。そして俺はきっと従っていた。幼い頃からの躾けとはそういうものだから。

 俺が寂しいのは単なる我儘。割り切れない感情があるだけ。昇降口を超えて校門を通り過ぎようとすると、ポニーテールが揺らめいて目の前を通せんぼした。

「景夜君。一緒に帰りましょうか」

 詠奈だった。

「……………………え」

 声が、詰まる。

 彼女が先に帰るのは告白を受けたり話しかけられたりする事が面倒だからだ。それと飽くまで『景夜君』の友人として接しているから一緒に帰るとそれが崩れかねないから。そんな彼女がリスクを負って、待っている。

「なんで……」

「嫌かしら」

「あ、そうじゃなくて……」

「じゃあ行きましょうか。私が目立たない内に」

 手は飽くまで指を組まないで友人の形。掌を重ねるように繋がった手が引っ張られて坂道を下りていく。

「景夜君には悪いけど、鞄に盗聴器を仕込ませてもらったわ。朝、獅遠に頼んでね」

「…………」

「あんな奴らの言葉なんて気にしなくていいのよ。親しくもないんだから。君は私だけ見ていればいいの。私の事だけ考えていればいいの。君を三億以下で評価するなんて目が腐っているのね可哀そうに。そんな膿だらけの目でよく私が好いているかもなんて希望を抱けるものね」

「…………お前は本当に、俺に三億の価値があると思って買ったのか?」

「私は価値を見出す時に嘘なんて吐かないわ」

 黒塗りの車を見つけると、詠奈は先に俺を入れて後から押し込むように座る。扉がロックされてカーテンがかかると、彼女は上半身で俺を力一杯抱きしめて、顔を胸に埋めさせた。

「大好きよ景夜。何回でも言ってあげる。大好き。大好き。だーいすき。好きでもない人に胸なんか触らせないし、お風呂にも一緒に入らないわ。景夜は私が好き?」

「むぐ。ふぐ。ふー!」

「息が出来ないくらい好きなのね。―――車を発進させて」

 窒息しかけている内に手錠を掛けられる。ようやく解放されたかと思うと、詠奈は俺と位置を入れ替えて覆いかぶさるように唇を重ねた。

「不安なら身体に教えてあげるから、そんな泣きそうな顔しないで? 家に着くまでお互いの愛を深め合いましょう」

 ブラウスのボタンの下三つを開ける詠奈。手錠が掛かっていない方の手を操ると自らの腰を掴ませて、徐々に上へと滑らせる。そしてまた、唇を重ねた。

「家に着くまでに何回キス出来るかしら。ふふふ…………」



























「詠奈様。到着いたしました」

「ご苦労様。行きましょう景夜」

「ご、ごめん。俺ってば」

「……ケダモノ」

 ブラウスのボタンを五つ閉じると、詠奈は先に降りて俺を車から引っ張り出す。これでは順番が逆だと思ったが、所有物なので連れ回される方が正しいのかもしれない。噴水を通った所で、いつもは外掃除をしている獅遠の姿が見当たらない事に気が付いた。代わりに屋敷の方が騒がしい。二階を掃除しているメイドと目が合うと、彼女は俺に手を振ろうとして―――詠奈に向かって慌ててカーテシーをしていた。距離は正しいのだろうか。当の詠奈は鼻唄混じりに歩いていて気づいていない。

「今日は業務内容を変えたのか? ああいや、そりゃそうか。支倉が加わったんだもんな」

「足手まといが居るとかえって手間を掛けさせてしまうのは悩み物ね」

 屋敷の玄関を通ると、獅遠と八束さんが俺達を出迎えてくれた。



「「詠奈様、お帰りなさいませ」」



「八束。支倉六弥は?」

「彼は……」



「うぐ……ぐううううふううううう!」

  


 玄関ホールを横切る情けない泣き声とたった一日でぼろぼろになった制服姿は間違いなくその支倉だった。昨夜と今朝及び昼の覇気はメイド達によって徹底的に削がれたようだ。身も心もボロボロな身体を引きずって、涙と鼻水を垂れ流しながら背中に薪を抱え込んでいる。地下への鉄格子が開いているのでどうもそこを往来しているらしかった。

「支倉……大丈夫か?」

「…………てめええええええ景夜あああああああああ! 何でてめえはそこにいるんだよおおお!」

 俺の顔を見た瞬間、不発弾と化していた怒りが爆発したかのように支倉が飛びかかって来た。メイドに対する抵抗の意思はなくても俺に対しては別らしい。そうとは思っていなかったので身構えていない。

「駄目ですよー! 沙桐君に暴力振るっちゃ。っめです、めっ!」

 厨房の方から彩夏さんがワゴンで突っ込んでこなかったら薪で殴られていただろう。空っぽのワゴンとて鉄製だ。館内で交通事故に見舞われた支倉は床に薪をまき散らしたまま泣いている。

「いてえ……よお……いだい……な…………ううううう。俺……こんな……」

「薪を落とすなと言った筈ですが」

「大丈夫ですかー、沙桐君?」

 自分が轢いた男の事は気にも留めないで彩夏さんが俺の身体をまじまじと見つめてくる。指一本も触られていないから大丈夫と伝えると、「良かったですね~♪」と頭を撫でてくれた。崩れた笑顔で笑う彼女は心から安心している様で、凄く可愛いし癒される。

「鎖鞭の方は使わないでね。獅遠、準備の方は?」

「そこに散った薪を運べば完了いたします。……あの、残り一回ですし、コイツはこの様ですから私が引き継ぐべきでしょうか?」

「いいえ、支倉六弥にやらせるわ。獅遠は自室に戻って休んでもいいわよ。彩夏もコックを休憩に入れたら休んでいいわ。下準備は終わっているのでしょう」

「はーい!」

「八束は他の子に自室へ戻るよう指示して。貴方だけは後で私の部屋に来て頂戴」

 一通りの指示を終えると詠奈は俺を引っ張って自室までの階段を上り始めた。道中、聞こえない程度の囁きで俺に耳打ちをする。





「支倉六弥は逃げるのかどうか、私と賭けをしましょうか」

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