ヒトに真珠の価値もなく
「気持ちよかったわね」
「……やっぱり恥ずかしい…………」
「何て言いながら、息を荒くして釘付けだったのは誰だったかしら」
夕食が終われば程なく入浴の時間だ。この屋敷の地下には大浴場があり、基本的に一番最初に入るのは俺と詠奈だ。一々説明しなくても分かると思うが当然のように混浴となる。出来るだけ視線を外そうとしてもまず着替える時から一緒に居るから男としてどうしても視線は吸い寄せられるし、互いに一糸まとわぬ姿になれば猶更どうにもならない。お風呂に入っている時の詠奈はスキンシップに積極的だ。男としては隠し切れない反応をまじまじと見て、時に恍惚とした反応を見せる彼女を前に俺は恥ずかしさでいつも死にそうだ。もっとずっと小さければ隠せるのに、と何度思った事か。大きさが恨めしいとか。我ながら変な話。
例外はある。詠奈がパーティをしようと言い出した日と年末年始だ。その日だけは順番などなく、ランドリーに居るメイドも含めて全員が大浴場を使う。勿論その中に俺を入れて。もっと空気のように扱ってくれれば良いのに彼女達は例外なく俺に視線を向けて詠奈と同じような反応をするので直ぐに身動き一つ取れなくなる。
この場合、恥ずかしいというより痛い。男なら分かるだろう。
人に価値を見出すにおいて外見もまた重要な要素だ。人は見た目だけじゃないのは支倉を見れば分かると思うが、内面だけを重要視すればいいという話でもない。全身唾だらけの薄汚れた人間が清潔感を説いても説得力がないように、外見はとても重要な要素だ。詠奈が買った女子はどれも美女の類に入る。その美女の集団が一糸纏わぬ姿で見渡す限り居て、しかも俺を見ているのだ。目を瞑る事を詠奈が許してくれないからどうしても反応する。不可抗力だ(しかも普通に話しかけてくる。顔を赤らめながら)
しかもそういう日は詠奈を中心にメイド達が俺の身体を丁寧に洗ってくれるから仮に目を塞いでもその部分は防げない。皆が皆喜んでやる辺り詠奈に毒され過ぎだとは思う。
「一年前と比べると髪を乾かすのも上手くなったわね。景夜とのお風呂、楽しいわ。許される事ならずっと入っていたいくらい。お互いの身体が溶け合うまでずっと」
「怖い事言うなよ」
「冗談よ。でも洗いっこする時はもっと激しくしてくれてもいいのよ。私を触るとき、いつもぎこちないから」
「やめろ、これ以上思い出せないでくれ! えっと……そう眠れなくなるから! お、お前は女の子だから分かんないかもしれないけど、その。痛くて……眠るどころじゃないから」
「そこまで私を想ってくれているのね。嬉しいわ。興奮が収まらないなら少し屋敷を歩いてくる? 私は就寝準備を整えてくるから、十五分程したら戻ってきてね」
そう言って、小指を突き出す詠奈。彼女の大好きな約束の形。買われたからというもの俺は寝る前に毎日これをしているし、これをすると詠奈は凄く安心してくれて眠りが深くなる。気のせいかもしれないが指を結んでいる時の彼女はいつもより幼く見える。
「そ、そうしてくる……いつも有難う、詠奈」
「…………行ってらっしゃい、寂しいのは嫌いだから、必ず戻ってきてね」
詠奈の部屋を出て玄関ホールまで下りてきた。周りのバタバタした音もなく静かなのは大浴場にメイド達が移動しているからだろう。平然と混浴が行われる辺り俺が入っても問題ないのだろうけど、極めて強固な理性がそれを許さない。人として駄目な気がする。
「おや、景夜君。詠奈様と一緒じゃないなんて珍しい」
「八束さん」
厨房は流石に明日の準備で騒がしいからそちらを避ける様に、当てもなく歩いていたらいつものメイド服ではなくスーツを着た八束さんと鉢合わせた。その価値は良く分からないけど素材は如何にも高級そうだと分かる。触ってみると滑らかだ。珍しい服装が気になって触っていると、彼女が耳を赤くして俺の事を見下ろしている事に気づかなかった。
「あ、すみません。八束さんはまだ何か仕事が?」
「まあ、そんな感じです。少し家を空けますから用があっても呼ばないで欲しいです。詠奈様からの大事なご命令ですから」
「ずっと俺と一緒に居た筈だけどいつ指示なんて……」
「御夕食の皿の裏に書き置きがあったんですよ。所で……ここで遭遇したのも何かの縁です。支倉六弥がクラスメイトと言うのは本当ですか?」
「嘘を吐く意味がないですよ。クラスメイトじゃないと詠奈とも接点ないだろうし。その……俺もこの家のルールには慣れてきました。今更アイツの今後についてどうもこうもないです。ただ実際の所アイツについてどう思ってるんですか? やっぱり気に喰わない?」
「はい」
即答だった。詠奈に同調しているだけだと思っていたから想像以上の回答の速さに面食らう。八束は俺の手を取って軽く膝を曲げると視線を合わせて微笑んだ。
「環境は人を歪めます。そして後天的に変えるのも難しいです。彼がここでの生活に耐えられるとは思っていませんし、耐えられても困ります。景夜君を馬鹿にした。景夜君を買ったお嬢様の眼を馬鹿にした。それだけで理由は十分です」
「…………俺をダシにした訳じゃなかったんですね」
「詠奈様を絆した方に私達が懐柔されないとでも? もっと自信を持ってください景夜君。支倉六弥の戯言など気にしないで、貴方は自分が想ってるよりずっと素敵な男性です」
「あはは……そう言われると照れますね。嬉しいです。最後にちょっと……話したいんで、支倉の部屋を教えてくれませんか? ここって部屋が多いから分からなくって」
詠奈に聞くのが手っ取り早いが、彼女は夕食の場で口に出すのも嫌だと言ったから聞きにくくなってしまった。この屋敷は四階建てで、詠奈の部屋は三階。八束さんを筆頭に価値の高い使用人は二階に部屋を置いている。残りは一階を恐らく適当に。
だから二階は除外出来ても流石に虱潰しは効率が悪い。支倉は今日突然呼び出されて碌に屋敷も案内されずに部屋に閉じ込められたと思うが、本当に想像の三倍くらい広いのだ。敷地内にはランドリーの他に別館もあるし、地下は幾つか施設を置いているもののまだ全然使いきれていない。普通に歩いたら絶対に迷う。サンルームから庭先をみたら絶句しただろう。
「何をするつもりですか?」
「…………クラスメイトのよしみで、話すだけ話したいなって」
「成程、時間の無駄ですね。しかしどうしてもというならお教えします」
八束さんに連れられて移動しているが、部屋の歩き方がおかしい。まず物置から古い鍵を取って、突き当たりを曲がった所にある隠し扉を通る。先に鉄格子があるのでそれを古い鍵で開けて、少し階段を下りた所に部屋が並んでいる。
殆どが空室だと思うが、支倉の居る部屋の扉にはナイフが突き刺さっていたので一発で分かった。
「これは失礼。誰かの悪戯ですね。こちらです」
「隠し部屋の先にも空室がある理由は?」
「どれだけ物を買っても置く場所が無ければ窮屈だからだと思います。それでは私はこれで」
ナイフを回収して八束さんは階段を上がっていく。こんな場所に案内された支倉の心境や如何に。扉を叩くと、昼見たばかりの顔が姿を現した。
「あ、景夜じゃん! ありがとなー、俺にここ紹介してくれてよ!」
「しれっと名前で呼ぶなよ。そんな仲良くないだろ」
「何言ってんだよー同じ買われた者同士だろ~? マイフレンド、マイブラザー! はっはっはは!」
二千万円の待遇らしく、シンプルな部屋だ。机とベッドと電気スタンドがあってそれ以外は何もない。部屋も狭いから誰かを連れ込んだとしても一人が限界だろう。彼に提供された食事は既に片付けられたのだろうか、流石に綺麗だ。
「お前を探そうとしたけど道に迷っちゃってよ。メイドさんに案内してもらっちったへへへ! 何処の部屋なんだお前? 見せろよ~」
「やめた方が良いと思うけど……」
「分かってる! しょぼすぎて見せられないんだろ? ぎゃははははは!」
支倉は嫌味なくらい舞い上がっており俺の話に聞く耳を持たない。ハイテンションの原因は何となく分かる。机の下に置かれているアタッシュケースだろう。五千万円も手に入れて詠奈とも友達になったとか、その辺りの認識をしているのだ。他に考えられる原因はメイドが全員美人だからとか。理由は何でもいいが、状況の深刻さを把握していない事が何よりの問題だ。
「いやーまさかお金払ってまで俺の事が欲しいなんて思わなかったな―! これあれか? 逆玉ってあれだよな! 明日学校行ったら自慢しちゃうか~! 何なら恋人って言っちゃってもいいかもなッ」
「おい、良く聞いてくれ。悪い事は言わないから今すぐ逃げろ。お金も置いてった方が良い。そうしたら見逃されるかもしれないから」
「はあ? 何でそんな事しなきゃいけないんだよ。お前あれだろ、奪うつもりだろ! 幾らで買われたんだよ、そんな金を盗まなきゃいけない程かよ!」
「そうじゃなくて……ちゃんと契約書読んだのかよ! お前は何も分かってない。家に帰った方がいいって。マジで」
「やだよ。もう好きな人の所泊まるって言ってきたし。お前あれか? 僕の方が先に好きだったのに後から来るなんてずるいってか! 女女しいんだよ馬鹿! 五〇円!」
必死に訴えたつもりが逆効果だったようだ。支倉には俺が鬱陶しく映ったみたいで突き飛ばされたかと思うと、首を抑え込んで壁に押し付けた。
「ぐっ…………」
「法律守らなくていいんだろ? ちゃんと読んだぜ俺は。だからお前をこんな風にしてやってもいいんだ。この場で殴っても……へへ」
―――斜め読み野郎が!
あれはそういう意味じゃないのに。
無抵抗で苦しむ顔がお気に召したのだろう、内に眠るサディズムは誰にでもある要素だ。支倉は俺から手を離すと自室に戻って、見下す様に吐き捨てる。
「俺より価値の低い奴が口答えすんな雑魚が。まあお前は惨めな生活してるだろうからこの辺で許してやる。もうくんじゃねえぞ」
扉が完全に閉じて鍵がかかってから立ち上がる。舞い上がった人間には何を言い聞かせても無駄だった。殴られなかったのは不幸中の幸いとして部屋に戻ろう。詠奈が寂しがってる。
「遅いわ」
「悪い悪い。ちょっと……トイレに行ってた」
部屋では天蓋付きのベッドに座る詠奈が目をしょぼしょぼさせながら俺を待っていた。カーテンは殆ど閉め切られており、一方向だけが開いている。俺を入れる為だけに開いている隙間だ。
「思い残す事がないならそろそろ眠りましょうか。明日もきっと幸せな一日よ。だって今日も幸せだったから」
詠奈に手を引かれてベッドの中へ。俺がカーテンを閉めると詠奈は遠隔で部屋の電気を消して布団の中に俺を誘った。
「本当に二人きりね。こうして君を見ながら眠れるなんて幸せ……ねえ、誰も見ていないのだからもっと近づいてくれる? お互いの熱が伝わるまで、もっと」
「詠奈…………その。今日は色々あったかもしれないけど。俺も幸せだったよ。寝る前だとなんか恥ずかしくないから言うな。大好きだよ詠奈。お前の傍に居られて幸せだ」
「………………ふふ。お風呂に入ってる時は獣の視線なのに、ここではまるで紳士ね。私も大好き。私の景夜を馬鹿にする奴は許さないわ。メイドの子達もやる気に満ちてたのが分かったかしら。みんなそう思ってるの」
「…………そんな気に入らない奴の事なんか考えるなよ。いつも通りさ。俺もお前の事しか考えないから、お前も俺の事だけ考えて眠ろう」
「そうね。それもそう。私ったららしくないわ。隣に好きな人が居るのに、下らない事を考えるなんて」
胸の間で指を組んで、おやすみの口づけを交わす。
「おやすみ、詠奈」
「おやすみなさい、景夜」
支倉の事なんてもう、どうでもよくなっていた。
この幸せに比べれば、取るに足らぬ些事だ。
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