価値に貴賤あり



「いやー本当に助かっちゃいました~! 洗濯場に食事を持っていくのって力仕事ですから沙桐君が居ないともう大変で大変で!」

「大変なのは分かります。でも何だかな、一年前と比べると心なしかみんな楽しそうですね」

「そりゃ、だって……沙桐君。ちょ~と時間あります?」

 袖をわざと余らせて招き猫のように手招きする彩夏さんに近づくと、彼女は目を細めてクスクス笑いながら厨房の裏口へ。

「詠奈様に聞かれたらいけませんので~ここだけの話ですよ? 私と沙桐君の秘密です。貴方も知っての通りここには男の人が全然居ません。現在は私が知る限りコックと貴方だけです。コックはもう大分年を召してますけど、沙桐君はまだ全然若いじゃないですか! だからみんな嬉しいっていうか……沙桐君ってちょっとした変化にも気づいてくれるから充実感がある? みたいな? ぬふふ。貴方も隅に置けない人ですねえ。隅に置けないから詠奈様が買ったんでしょうけど!」

 余らせた袖を口に当てて悪戯っぽく笑う彩夏さんの言動にはいまいちついていけてない。俺を若いというけど厨房で下働きしてる子の中には中学生はおろか小学生も居るじゃないか。かくいう彩夏さんも詠奈に買われるまでは大学生だったらしい。コック以外全員が若い。

「ええ、ええ。知らぬが仏、言わぬが漢の花道ですと。あまり難しく考えないで、屋敷の皆は沙桐君が好きってだけですから! この間もランドリーの子からお手紙貰いましたよね?」

「あ、ああ。なんか凄く長い文章の感謝の手紙ですよね。貰いました。言いたい事はあんまり分かりませんけど、役に立ってるなら何よりです。それと今日のお弁当も美味しかったです。ご馳走様でした」

「まあまあ! お粗末様でした……毎回言ってくれるの、実は沙桐君だけだったり。まだ何の準備も出来てやしませんが、明日もたんと召し上がれ!」

 満面の笑みで喜んでみせる彩夏さんを横目に、いつもの癖で何となく時間が気になった。手伝っていたらもうこんな時間か。

 夕食の時間に遅刻は許されない。本来なら俺が詠奈に怒られているだろうが、今回は少しばかり事情が違う。無謀にも試し買いされてしまった支倉がこの屋敷に来たのだ。俺は裏手に居たから遭遇しなかったがランドリーと厨房とを往来していた時にアイツのはしゃぐ声が聞こえた。

「そうだ彩夏さん。夕食は出さないんですか?ワゴンが溜まってるのを見ましたけど」

 彩夏は気まずそうに首を傾げながら俺を厨房の中へ。一段落して雑談を愉しむ使用人をよそに廊下を見てタイミングを窺っている。

「……うーん。八束さんは何処ですかね……? あの人から指示がないと動かせないんですよねー。私の勘によると何やら先程来客があったようなので、詠奈様がその対応に追われているとか……?」

「あー」

 そうだ、厨房で働く彩夏さんには事情が伝わっていないのだ。同じハウスメイドに獅遠が漏らしている可能性はあっても職場が違うのに漏らす意味がない。


 ―――契約書にサインでもしてるのかな。


 支倉だって冗談とは思わないだろう。実際にお金も用意されるだろうし、自分は買われるのだという自覚がある筈。一般的なリテラシーに基づいて契約書はきちんと読んで欲しい。俺は母親を介したのでどうにもならなかったが、ちゃんと読まないと大惨事だ。


・私は生まれながらに保障されている人権の一切を王奉院詠奈へと譲渡します

・この契約は如何なる法律よりも優先されます

・この契約を破棄するには購入当初の金額もしくは詠奈の言い値の金額を払わないといけません



 読まなければいけない大事な部分は概ねこの辺り。


 ここに居る使用人は騙されたなんて事はなくて、全員契約書を確認したうえで詠奈に買われた人間だ。彩夏さんなんて如何にもエンジョイしているがそれなりの覚悟を持ってここに居る。お願いだから普段の授業を受けるみたいにちゃんと目を通して……それで異常さに気が付いたなら、サインを辞めた方が良い。

 今回は事情が特殊だ。支倉の方から購入を促した形だから、躊躇えば詠奈だって止まってくれる筈。



「うおおおおマジか! するする、こんな金くれるのかよ!」



 馬鹿みたいな大声が聞こえてきて、何だか嫌な予感もしてきた。



「なんだこういう事だったんだなー! じゃあ景夜も買われてたのか! そうだよな、アイツみたいなノロマで冴えない奴はよくよく考えたらお友達料金と言わずにこういう契約しなきゃ傍に居ないよなー!」



 言わせておけばという気にもならない。自分に取り柄がないのは良く分かっている。一応メイドさん達の手伝いを頻繁にしているから持久力くらいはあると思うけど。

「やな感じですねー。大声ではしたなくも沙桐君を馬鹿にするなんて」

「まあまあ。クラスメイトだから大目に見てくださいよ」

「クラスメイトでも何でも詠奈様に買われたからには同じ所有物ですよ沙桐君。しかし、早速で申し訳ないのですが私は彼が苦手になってしまいました。よよよよ……よよよよ……」


「私もそう思います!」

「景夜さんを馬鹿にするとか……」


 背後からは口々に支倉への悪印象を語る声も。初動を……間違えた様だ。




「アイツは何円なんだよ! 言えよ詠奈! 俺は買われてやったんだぞ? 十万円くらいか? 一万円? そのくらいだよなあははは!」



 ああ、これは。

 今の軽率な発言でハッキリした。契約書にちゃんと目を通していない。見たようで見ていないのだ。近頃の世の中、書いてある事さえ読み取れない人間が増えて文字をありのまま読める事が特殊能力と言われるような時代、支倉は正にその特殊能力を持たざる人間だった。


 一切の人権を渡すとはどういう事かをまるで分かっていない。

 それは天涯孤独の契約に等しいのだ。

 恐らくお友達料の派生か亜種とでも思っているのだろう。



 そうじゃなければ出てこない言葉だ。詠奈が安い買い物をする訳がない。きっと支倉に言わせればあの安値は俺の方から買ってくれと言った場合の話―――つまり支倉から見ると俺もまた同じように自らを売り込んだように思えたのだ。で、詠奈は俺に価値を感じなかったから安く買い叩いた。俺は詠奈が好きだから買い叩かれようと一緒に居られるならと頷いたと。そんなストーリーが脳内にあるに違いない。

「あー…………なんて事を」

 彩夏さんの隙間から廊下を覗いていると同席していた八束さんが慌てた様子で腰の無線機を取り出して階段の後ろで指示を出している。殆どタイムラグもなくメイド全員が反応して腰につけていた無線機を確認した。


『夕食をダイニングルームへ。客人は……いいえ、新しく詠奈様に所有される事となった支倉六弥は別室に移動してもらいます』


「―――はーい。皆さーん、運びますよー。あ、沙桐君はこのまま見なかった事にしてダイニングルームの方へ……今、クラスメイトが移動しましたから」

 そんな都合よく忘れられるか、と心の中でツッコミを入れつつ支倉と入れ違うようにダイニングルームへ。真っ白いクロスの轢かれた長机の先には家の主人こと詠奈が座っている。相変わらずの無愛想で初対面なら何を考えているかよくわからないが、一瞬だけ聞こえた歯軋りから、機嫌はあまり良くなさそうだという事が分かる。

「ああ。景夜。私の傍に座ってくれるかしら」

「……いつもは対面なのに珍しいな」



「対面には八束を座らせるわ。それと価値の高い子から椅子が足りるだけ。意見を聞きたくなったの。私が全部決めても良いけど、ほら。支倉君と一番関わるのは彼女達だろうし」



























 この屋敷には朝食室と夕食室があって、俺と詠奈はそれぞれの場所で二人きりの食事を楽しむのが日常だ。おかわりをしたくなったらメイドに頼むくらいで、マナーがどうとか、そういう事は特に言われない。 

 二つの部屋は俺と詠奈しか使う事はないのだが、たまに彼女が自分の部屋で食事をしたいという時がある。その時は夕食室―――ダイニングルームはメイド達が使う。何事にも例外はある。


 今回のこれは…………俺も知らない。


 ダイニングテーブルの上がバイキングさながらの様相を呈しているのは初めて見る。使用人にも拘らず食事が豪華なのはそれだけの価値があるからだ。詠奈に近い順から価値を言えば、



 俺 三億円→???円



 赤羽彩夏 八千万円→一億七〇〇〇万円



 幾葉獅遠 一千万円→一億三〇〇〇万円



 心音春ここねはる 三千万円→一億円



 仲慧友里ヱなかざとゆりえ 九九九九万円



 幾葉聖いくつばひじり 七〇〇万円→九三〇〇万円



 剱木八束 五千万円→二億九〇〇〇万円



 こうなる。


 仕事の種別に集められたという訳ではなく、言葉通り価値の高い人が入室してきた。最初にも言った通りこれは仕事というより詠奈の趣味だ。極力分担はしているが手が足りなくなるような事があれば垣根を超えて協力する。友里ヱさんだけは少し違うが、概ね全員ハウスメイドだと思ってくれてもいい。

「詠奈様。私達を景夜さんとのお食事の場に呼び出したのは……」

「ええ。今日から新しく支倉六弥君が住まう事になったわ。お試しで五千万円。私が見積もったのではなく向こうから提示してきたの。到底そんな価値があるとは思えなかったわ、契約書にサインをした時もそう。早速彼の見積もった価値に疑問が生じたのだけれど、意見を聞きたいわね。勿論事情を知らない子は何も言わなくていいわ。今はそれでいいの。ただ、他の子の話を聞いてあげてね」

「……なあ。その肝心の支倉は何処に行ったんだ?」

「獅遠」

「別室で食事を取っておられ…………取っています」

「そうね、貴方より価値が低いのならその対応で間違いないわ。本当は、初日くらいはメイド達と同じ物を与えようと思ったけど気が変わったの。地下室に保存してあったレトルトカレーを持って行かせたわ。結論から言うと早速彼の価値を下げさせてもらうわ。いきなりゼロというのもなんだから、二〇〇〇万で様子を見ましょうか。八束。二〇〇〇万の彼が出来る仕事は?」

「ございますが…………男は獣と言います。景夜さんは例外としても、皆に迷惑がかからないかが気掛かりです」

「貴方は潔癖症な家で育ったのね。言いたい事は分かるけど安心して? そんな真似をするようだったら地下室に送ってくれて構わないから」

「…………承知しました」

「―――話が逸れてしまったわね。じゃあ八束、貴方はどう思う? 私の今言った事も含めて彼の待遇はどうあるべき?」

「八〇万円が適切かと思われます。支倉六弥は騒々しく、景夜さんを蔑むような発言も確認いたしました。詠奈様に買われたこの身としては到底看過出来ない発言です」

「私もでーす! でも正直私は十万円でいいんじゃないかなって思いまーす! 理由は沙桐君を馬鹿にされてと~ってもむかついたからです!」

「私は……五〇万程だと思います。あまり気軽に価値を減損させるのも早計という可能性は……そんな事はないかもしれませんが……」

八束、彩夏、獅遠からは否定的な反応が帰って来た。意見を聞きたいと言いつつ詠奈を持ち上げるだけの会合になっている気がするのは内緒だ。でも俺をダシにしないでもらいたい。

「ええ。成程。良く分かったわ。支倉六弥君について知らない子は今の発言を覚えておいてね。関わる事になった時どんな風に思うのか。私の意見は変わらず二〇〇〇万円。彼についてはもう口に出すのも嫌だから仕事は八束に一任するわ。頑張ってね」

「承知しました。私めに全てを委ねて下さるのですね」

「ええ。優しさなんて要らないから厳しくお願いね。私の溜飲が下がるまで」


 ―――やっぱあの発言はまずかったよな。


 詠奈は自ら俺に三億の価値をつけて購入した。その彼女に対して俺の価値を安く見積もるのはある意味鑑識眼に対する侮辱だ。五千万円で喜ぶのに留めておけば良かったのに。詠奈だけならいざ知らず、メイドからの悪印象まで貰うなんてツイてない。

「いいわ。皆が私の景夜を大切にしている事がとてもよく伝わった。今日はここで食事を取って頂戴」

「お前まで俺をダシにするなよ!」

「景夜さん。貴方を出汁にするのは詠奈様が許さないと思いますよー?」





「そういう意味じゃなくて…………!」





 家族団欒。詠奈に買われるまでそんな暖かな風景とは無縁だったけど。


 





 今日ここに、それがある。

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