お金で買えない価値はない

「…………」


「ご苦労様。どうしたの、そんなに縮こまってしまって。身ぐるみ剥がされかけた女の子みたい」

「恥ずかしいって……言ったのに……!」

 服の上から自分を抱きしめて俺はベッドに座っていた。罰ゲームというよりご褒美だろうという声は聞こえない。聞こえないったら聞こえない。恥ずかしいのは事実だ。全身を舐め回されるように見られて身体が熱かった。燃えるようになんて生ぬるい、いっそ溶けていたまである。

「……これは内緒にして欲しいのだけど、恥ずかしがってる時の景夜が一番可愛いわ」

「………………勘弁してくれって」

 買われてしまった俺にプライベートを守る権利などない。制服から藍色のカジュアルドレスに着替えた詠奈は愛想こそ変わり映えないながら上機嫌そうに隣に座ると、手を握って首を傾げながら話しかけてくる。

「罰はこれくらいにして、二人きりの時間を過ごしましょう?」

「なあ。本当に支倉を買うのか? 考え直した方がいいと思うんだけど」

「そこまで言うからには、理由があるのかしら。支倉君に何か重大な欠陥があるとか」

「そういうんじゃないんだけど…………『価値ノート』見せてくれ」

「…………ええ」

 ベッド横の引き出しから彼女が取り出した豪華な装丁の本は通称『価値ノート』。俺が勝手にそう呼んでいるだけだが、ここには現在屋敷に住んでいる全ての人間もとい所有物の価値が記されている。閲覧出来るのは主人の詠奈と俺だけだ。唯一俺は自分の価値を閲覧出来ないと言ったが、理由は非常に単純。引き出しの奥に鍵付き別冊で記されているからだ。

「誰の価値が知りたいの?」

「誰のって訳じゃなくてさ」

 例えば獅遠の当時の価値は一千万円。多少変動はありながらも現在の価値は一億三〇〇〇万。八束は当時の価値が五〇〇〇万円で現在は二億九〇〇〇万。獅遠はハウスメイドとしては上澄みに入って八束は分類としてはレディーズメイドとハウスキーパーの兼任だろうか。とにかく他の人間に比べれば上級の人間だ。

 じゃあ二人より価値が低い人間を見てみよう。屋敷の離れにある洗濯場で働く侍女はどうだ。歴史上は向こうで寝泊まりも食事もさせるが、詠奈は自分の目が届かない事を嫌って就寝だけは屋敷で行わせる。そんな彼女達の中で一番価値が低いのは……灰楽神樂はいらくかぐらという人だ。購入当時の価値は二〇〇万円。現在の価値が九〇〇万円。

 なんだかんだこの屋敷で一年暮らしてきた俺に言わせると、ここで働いている人は自らの価値を下げないように必死だ。その上で詠奈の与える待遇には満足している。如何にも下働きみたいな空気で名前を挙げたがそんな人でも二〇〇万円で買われたのだ。所有物には違いないが彼女達の自由まで束縛している訳じゃない。自分の価値に応じた範囲でなら買い物だって出来る。神樂なら年間で九〇〇万円を超えないなら無制限に消費してもオーケーという意味だ。

「支倉を五千万なんて、アイツはそんな価値のある存在じゃないぞ。八束さんを買った時の価値と同じってそんな話がある訳ない。お前だって分かってるんじゃないのか?」

「そうね。八束は私が欲しいと思って買いに行ったけど、支倉君は違うわね。さっきもその八束に言ったけれど、それを見定める為に呼んだの。価値があるかどうかはそれで直ぐに分かるわ」

 詠奈は手を離すと、俺の前に足を伸ばして指をくいくいっと動かした。

「揉んでくれる?」

「はいはい」

 八束は身辺の世話を任されている使用人と言ったが、基本的にその業務の殆どは俺に回されている。滑らかで柔らかな足裏を掴んで指圧をかけてやると、「ん……」と声が漏れる。

「仕事はどうするんだよ。俺もそうだけど、お前が買った人って何かしら仕事を振られてるよな。一番安くて一〇〇万円だったか? アイツにも仕事を振るのかよ」

「その子については自分から提示した額が一〇〇万円だったから尊重してあげただけなのだけど。支倉君にも出来る仕事……」

「それに俺と違って家族に了承を得た訳じゃないだろ。文句を言いに来られたらどうするんだ?」


「文句?」


 足裏を一通り終えたら徐々にマッサージの場所を上に上げていく。ふくらはぎは詠奈が一番気持ちよさそうな声を上げるから好きな場所だ。

「私に文句を言うなんてお門違いよ。元々は向こうから提示した価値なのだから。取り戻したいなら私から買い戻せばいいだけ。直後なら五千万ぴったりで手を打ちましょう。んぅ…………景夜の手……気持ちいい…………」

 艶めかしい声に反応してしまうのは、もうしょうがないと割り切っている。俺は普通の男の子で、王奉院詠奈はそんな俺にとって大好きな女の子だ。好きな子に言われたらそりゃ……興奮するのは、当たり前というか。

「犯罪って事で取り締まられるんじゃないのか?」

「景夜。法律は国が作るのだから、国ぐるみの犯罪は適用外に決まっているでしょ。それに私は価値に相応のお金を支払っている。だから何をしても咎められないわ、俗に特権階級とも言うわね」

「…………」

 詠奈は、少し怖くなる時がある。

 勿論普段はちょっと我儘なくらいの女の子だけど。

「仕事については八束に考えさせようかしら。まさか五千万が自分の価値だと言った人が何も出来ないなんて事はないだろうし」

「何も出来ないと思うけど……俺みたいに愛玩道具になるしかないんじゃないかな」

 サッカー選手が欲しいという事であれば現役の選手かチームを買った方が良いだろうし、支倉を買っても得をするような事はないと思う。お金を無駄にしているとしか思えないのが庶民感覚で、まるで気にしないのがお金持ちなのだろうか。その無尽蔵の資金は一体何処から……。

「有難う。マッサージはもういいわ」

「あ、はい」

 彼女は伸ばした足をぺたん座りに切り替えてまた手を繋いできた。今度は片手と言わず両手。互いの指の間に指を入れて、手と手が愛し合うように絡みつく。詠奈の唇が耳元に近づいて囁いた。

「景夜を愛玩道具として買った覚えはないわ。私は君を好きな人として買ったの」

「す、好きな人……?」

「ええ。いつもありがとう、景夜。君が傍に居てくれるから、君が話しかけてくれるから、君が私を異性として見てくれるから、君が護ってくれるから、私はいつも幸せよ。愛してる。大好きよ、私の景夜」

「え、あ、あ、は」

 突然浴びせかけられたラブコールに今度は別の意味で恥ずかしくなってくる。口と喉が震えて上手く声を出せずに居ると、詠奈の顔が真正面に戻って来た。

「キスさせて?」

「あ、や、え、あ、あ、は」

 身体が操られているかのように痙攣している。顔がかくかくと不自然に上下に動いて、求めている。俺の意思じゃない。俺は恥ずかしがっているから拒否したいのに、身体が詠奈を求めている。唇が近づいてきて―――重なった。

 れろ。ちゅ。れろ。

 およそ学生同士の恋愛には見合わない濃厚な舌触り。躊躇いなく入れられた舌を身体が受けいれてしまう。男性として生理的な興奮を、その熱を、その固さを詠奈は身体で受け止めて、むしろ促すように豊満な胸を身体に沈み込ませていく。


 ―――ああなんて、恥ずかしい。


 私室でしか行われない、二人の秘密。

 顔を上げた時、詠奈は耳まで顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに顔を背けた。

「…………恥ずかしくて、頭がどうかなってしまいそう。私はなんてはしたない女性なのかしら」

「だ、大丈夫だよ。俺はそういうお前も、好きだから」

 自己嫌悪に陥りかけた彼女を慰めるように言葉を掛けると、彼女は視線を俺に戻して―――口元の端を吊り上げるように微笑んだ。その笑い方は、昔から変わらない。世界で一番大好きな……笑顔。

「ほんと? 嬉しいわ。そんな風に言ってくれるのは君だけよ。ふふ。ふふふふふ」


 




















 


 普通の高校生に仕事なんか割り振るなよという話はごもっともだが、買った時点で詠奈の物だ。何をさせようと彼女の勝手。全ては御主人様の仰せのままに。

 クラスメイトのよしみで支倉には詠奈が事情を説明するようだ。一時的に俺は彼女の傍から解放され、自由時間を得た。向こうからは何も言われていないが、話がややこしくなりそうなので車が戻ってき次第隠れようと思う。

「景夜さん。ちょっといい?」

「ん…………獅遠」

 階段を下りた所で明らかに俺を待ち伏せていたのは噴水前を掃除していた獅遠だ。手に持った掃除機を見るに改めて掃除をさせられているのかもしれない。

「どうした?」

「一人買うって誰なの? 詠奈様が買うなんて久しぶりでしょ。それも五千万円って……」

「あーそれか。うちのクラスメイト……なんだよな。事情は全部説明するとややこしくなるからざっくり言うんだけど、告白してフラれても諦めきれずに自分をアピールしたからワンチャンス生まれたって感じだよ」

「え、そんなの買うの?」

「俺もやめた方が良いって言ったんだけど……」


 買ってみれば分かるの一点張りはお互いに良く分かっている。


 だけど詠奈は止められない事も知っている。二人のため息が重なったのは偶然の事で、それが妙に面白くて気が抜けたようにお互い笑ってしまった。

「まあ、しょうがないかー。本人が悪いよね。詠奈様にそんな事言う方に問題がある。うんうん」

「言わせたの俺だけど……」

「え?」

「違う! そんなつもりじゃなかったんだ。ただ八束さんを買った時の金額と同じって部分に呆れて欲しかったんだよ。まさかこんな事になるなんて……今更どうにもならないから諦めるよ。アイツが上手く立ち回ってくれる事を祈る。暇になったから何か手伝いたいけど、困ってる人って居たか?」





「はいはーい! 私が困ってますよー沙桐君!」





 会話に割り込むようにやってきてついでに俺の手を掴んだのは使用人の一人である赤羽彩夏あかばねあやか。屋敷に一際良く通る声が特徴的で、分類としてはキッチンメイドに入るのだろうか。主に厨房に入り浸っており、コックと共に毎日食事を提供してくれる有難い存在だ。お弁当を作るのは彼女の役目だから、今日屋上で食べていたあれは彩夏特製弁当なのだ。

「厨房はいつも困ってるでしょ彩夏さん。急遽俺が必要になるみたいな事はむしろないと思うんですけど」

「いえいえ、そんな事はないですよ。キッチンの子達も沙桐君が来るのを楽しみにしてるんですから! だって貴方が来てくれたら仕事が早く終わって休めますからね!」

「……獅遠は大丈夫か?」

 なんとなく揺れたポニーテールに視線を追いやられる。彼女はこくりと頷いて、俺の背中を押した。

「私はもう終わるから大丈夫だよ。厨房行ってきたら?」

「そっか。じゃあ行きますよ」

「良かった~♪ 善は急げ、悪は滅びろ! これより沙桐君を連行しまーす!」

 詠奈の傍に居て、居られない時はメイドさんのお手伝いをして。それなりに忙しい事もあるけどこの一日が好きだ。ここに住む人間には一切の不満がない。価値の範囲にあればその不満は解消されるからだ。

 支倉も適応出来ればいいだろうけど、そう上手くいくかどうか。価値が少なく見積もられたら待遇は悪化する。それだけで済むならいいけど…………。





















 支倉が屋敷に到着したのは、丁度夕食の時間だった。

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