淑女たる者、強欲であれ



「あ、あのう。俺はいつまで膝枕されていればいいんでしょうか……?」

「嫌かしら」

「嫌……じゃないけど。い、家でやってるのとは違うだろ! なんか……恥ずかしいんだよ」

「誰も見てないのに」

 さっきも言った通り後部座席にはカーテンが引かれており外から中を見る事は出来ない。ならば正面はというと運転席と後部座席の間にもカーテンが引かれているので正面からも見えない。ルームミラーが使えないのは致命的かと思いきや、外付けのカメラで後方はちゃんと確認出来ているので大丈夫だ。俺もこの車に乗るのは初めてじゃないからそれくらいは知っている。

「誰も見てなくても恥ずかしいもんは恥ずかしいんだよ! で、出来ればやめたい……」

「家に着くまではこのままよ。いいじゃない、誰も見ていないのだから。君は私のモノだけど、たまには手を噛んでくれてもいいのよ」

 そう言って詠奈は胸の下に手をやってわざとらしくゆっさゆっさと胸を揺らした。どんな想いでそんな事をしているかはその大きい胸に遮られて見えない。ごくりと唾を呑み込む音は聞こえなかったと思いたいが、胸の上からクスクスと嬉しそうな声が聞こえる。

「君がいつ手を噛んでくれるのか楽しみね」

「そ、そんな事しない。しませんっ」

「口ではそんな事言って、身体は正直みたいね。何年も一緒に居るから分かるわよ。ふふ……」


 好きな子に膝枕をしてもらっている。


 これは殆どの人間にとって夢みたいな状況だ。そしておよそモテない人間からすれば夢その物みたいなシチュエーションでもある。ハッキリ言って俺はモテない。相変わらず特別な趣味もないまま育ってしまったから同士として惹かれ合う偶然すら起きない。

 


 それでも詠奈だけは隣に居てくれる。



 だからいい。夢だなんだと言い出したら好きな子に買われた状況が夢だ。だがこれは現実。あれから両親が俺を返せと催促に来た事はないし、買われてからという物毎日を彼女と過ごしている。好きな子の顔をずっと傍で見ていられる。詠奈は可愛い。美しい。本当に幸せだ。

 


 ―――買われた事に文句はないんだよな。



 意外ではないだろう。買われてからというもの生活水準は激変したし、母親を怖がらなくていいから。

 会話も途切れて暫く二人で車に揺られていると、それは徐々に小さくなってやがて止まる。運転手の「到着しました」という声に反応して、詠奈が俺を座らせた。

「行きましょう、景夜」

 扉は運転手側のボタンで開閉される。開くと同時に俺が降りて、詠奈の手を取って彼女の下車をサポートする。委ねるような指の重なりは彼女の足が地に立つと同時に硬く握りしめられる。


 周囲を森に囲まれながらも、切り開かれた広大な土地に聳えるクラシックな洋館こそ、俺と詠奈が住む家だ。


 車はとっくに鉄門扉を超えて庭で停まっている。俺達は既に庭の中だ。楽をするならもう少し近づいても良いが、詠奈は俺を買った時からこの少し歩く時間を何より楽しみにしているとの事。玄関前の噴水には見慣れたエプロンドレスとポニーテール。学校ではお洒落の為にスカートを上げてミニスカにする女子も居たが、ここに住む女性の殆どは慎ましくもロングスカートなのでいつまでも見慣れない。

 厳密に職場というよりも買われた者の集まりなので、クラシカルなメイド服は完全に詠奈の趣味だ。

「―――! 詠奈様。お帰りなさいませ」

 メイドの一人、幾葉獅遠いくつばしおんは竹箒を持って掃除の最中であったが、主人を見るなり業務を中断して恭しくお辞儀をする。スカートの裾を摘む所が特徴的だが、これはカーテシーと呼ばれる挨拶だと詠奈が教えてくれた。

「ただいま、獅遠。突然当たり前の事を聞くようで悪いけど、空室の掃除は済んでいるかしら」

「はい。全ての部屋の掃除は、滞りなく完了いたしました。何かご用事が?」

「一人、買うかもしれないから部屋を与えようと思うの。向こうの提示は五千万だから……端の部屋でいいわ。皆の邪魔にならない場所をお願いね。決まったら八束に伝えて。私の方から後で事情を話すから」

「はい。承知しました」

 主人とメイドの絵に描いたようなやり取りを終えて屋敷の中へ。すれ違い際、獅遠は俺に向かって小さく挨拶をした。

 俺とメイドの立場は対等だ、同じ買われた者として当然の事だが、どうしても買った時の価値は違うし現在の価値も違う。この屋敷に住まう人間で最高の待遇を得ているのは考えるまでもなく俺であり、その俺が主人である詠奈に連れ回されている現状、俺に会話を割くと彼女の価値が下がりかねない。だから無視された。

 ここには何十人ものメイドが働いて―――もとい購入されたが、その殆ども対応は変わらない。詠奈に連れ回されている時の俺は爆弾で、触れてはならない存在だ。ほぼ確実に主人の機嫌を損ねると全員が知っている。

 屋敷の中に入ると、夕方に差し掛かろうという時間もあってかなりバタバタしている様子だ。玄関ホールに敷かれた絨毯やいかにも高そうなシャンデリアなど庶民には直視も叶わないような絢爛豪華な調度品が勢揃いだが、俺も驚いたのは最初だけだ。流石に一年も過ごすと慣れる。

「お帰りなさいませ、詠奈様」

 一人出迎えに来たのは詠奈の身辺の世話を担当する剱木八束つるぎやつか。身長一八〇を超える長身があるとロングドレスも一層映える。股下九〇センチに迫る足の長さは多くの女子が憧れるのではないだろうか。生憎とロングドレスなので、その脚線美を拝める日は多くない。地毛が金髪だから、その高身長も相まって目立つのが特徴的だ。

「ただいま、八束。突然だけどまた一人試しに買う事にしてみたから、迎えに行ってくれる? 景夜。彼は何部だったかしら」

「さ、サッカー部……だけど。部活が終わる時間はごめん。俺も知らない。七時までには終わると思うんだけど」

「気にしなくてもいいわ、待たせるから。八束、部活動の終了を確認次第彼をこの屋敷に連れてきてくれる? 部屋は獅遠に聞いてくれればいいから」

「…………差し出がましい事を申し上げますが、その方にそこまでする価値があるのでしょうか」

「それをこれから見定めるの。私の知らない価値があるかもしれないし余計な事は気にしなくていいの、待遇は一先ず五千万、変化があれば追って伝えるわ」

「かしこまりました」

「本当は、男性なんて景夜だけで十分なのだけど。貴方はどう思う?」

「……景夜さんは詠奈様のお世話をしていない時にはよく私共の仕事を手伝ってくださいますので。使用人一同、詠奈様のお考えには同意している物と存じます」

「ええ、そうよね。本当はそれが一番いいの。コックは仕方なかったけど……ふふ、いいわ。それじゃあ行って。私は景夜に罰を与えないといけないから」

 去り際にお辞儀をして、八束は早速屋敷を飛び出していった。立場は対等だけど主人の前では何となく敬わざるを得ない事には同情する。俺はそんな大した奴じゃないのに。

「―――って待て。罰? あれは膝枕なんじゃ?」

「違うけど。部屋に行きましょう」

 正面の大階段を上って、私室まで脇目も振らずに歩いていく。心なしか詠奈の歩きが早い。まるでこれから起きる事を楽しみにしているみたいだ。



 部屋の中は、お金持ちらしく煌びやかな装飾が施されている。


 

 壁紙から高級そう、と思ったのは詠奈の家が初めてだ。壁に取り付けられた燭台型の電気も初めて来た時は心が躍った。ベッドは俺を買った日に新調されて天蓋付きのダブルベッドになっている。誰と誰が寝るのかはわざわざ言うまでもないだろう。

「さて」

 棚の横に取り付けられたボタンを押すと、扉の鍵が閉まった。俺から手を離すと、彼女は奥の衣装棚に近づいて着替えを取り出した。あそこには当然のように俺の着替えも入っておりどっちを取り出したかというとどちらもだ。

「罰を与えなきゃね。景夜。一緒に着替えましょうか」

「…………は!? え、え! や、やだよ恥ずかしい! 何で俺がそんな事!」

「罰は罰よ。勘違いさせないように付け足しておくけど、一緒に着替えるというのはそれぞれ別に着替えるという意味じゃないわよ。お互いが交互に脱がせあって、それから着せ合うの。目を瞑るのは駄目」

「そ、そんな……恥ずかしいんだって! 罰なら他の受けるからそれは勘弁してくれよ……!」

「誰も見ていないのにどうして恥ずかしいの?」

「お前に見られてるだろ!」

「私も君に見られてる。お互い様だからいいじゃない。景夜」

「…………………」

「私の身体を触っていいのは君だけなの。お願い」



「わ…………分かったよ…………………………」



 詠奈が折れない事は重々承知している。諦めて衣装棚に近づくと、彼女は仕切りを動かして更に部屋を細分化した。正面には俺の意識が散漫しないように細かく身体を動かして胸を揺らす詠奈が立っている。両手を広げて、俺が制服に手をつけるのを待っているのだ。

「…………目を瞑るの駄目ってのは、取り消さ」

「駄目。私も君の身体を見たいから」


 

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