その価値を見紛う事勿れ
「はあ? 俺が呼んだのは詠奈なんだけど何でお前が来るんだよ」
「しょうがないだろパシられたんだから。じゃあ聞くけどお前、アイツから頼み事されたら断るのかよ」
「断らねえよ」
「そういう事だよ」
下心があるなら頼み事くらい聞くだろうという理屈は男子相手には取り敢えず出し得だ。惚れているならこの気持ちが分かるし、惚れていなくても大勢惚れているという事実は把握しているので理解出来ないなんて事はまず起きない。
完璧すぎて隙の無い理論に
「―――だからって何でお前なんだよ……お前はいいよな。一番仲良しじゃねえか。詠奈が買い取った屋上に立ち入れんのお前だけだぞ」
「…………あんまり喜ぶような事でもないと思うけどな……あはは」
男女が特別仲良しならそれは交際しているのではないかと邪推されるのが一般的な感覚だが、男子も女子も俺にそんな冷やかしはしてこない。理由は単純で、交際しているようには見えないからだ。無愛想な詠奈はともかく俺の方は交際しているならもっと浮かれているだろうと。
「それで、返事だけど、俺が来た時点で分かってるよな。丁重にお断りするって事だぞ」
「分かってるよ! あーあ、俺の何処が駄目なんだろうな! こんな運動神経良くてイケメンな奴は居ないぞ」
自分で言うなよ、と突っ込みたかったが男の俺から見ても支倉はかなり格好いいから何とも言えない。本当にかっこいい奴の謙遜はかえって嫌味みたいに受け取られかねないし、それなら素直に自覚していてくれた方がまだマシというもの。
これもまた事実だが、詠奈さえ狙わなければ支倉は結構モテる。彼が入学した時くらいから呼び出されて告白を受けている現場を何度か目撃した。それでも彼は何処かの御主人様みたいに断り続けて今に至る。詠奈を振り向かせたい一心で、それ以外の女の子は眼中になしと言った感じだ。彼がここまで自信を持っているのは積み重ねた告白の回数に裏打ちされているからだとも思う。
「用件は伝え終わったから俺は行くぞ。じゃあな」
「おい待てよ沙桐。お前幾ら積んだんだよ」
余計な話はするなと言われていたけれど、足が止まった。溜め息を吐いて振り返ると、支倉が十万円を片手に近づいてくる。
「え、何? 要らねえよ買収とかいいから」
「違う違う違う。ほら、詠奈ってよくお金を引き合いに出すだろ。去年の文化祭とか模擬店の準備全部やってもいいけど四〇万とかさ。お前あれだろ、お友達料金払って一緒に居るんだろ? 俺より運動も顔も駄目なお前がアイツと友達になるにはそれくらいしかない! 幾ら払った? 言えよ」
肩に手を回される。支倉は俺を親友とでも思っているのだろうか、ニコニコして金を見せびらかしてくる。十万円は大金だ。謝礼としてもらえるなら余程の金持ちでもないとまず喜ぶだろう。
「…………」
俺は…複雑な気分だ。
お札を見るとあの日を思い出す。アタッシュケースに三億円を詰め込んで訪ねて来た詠奈の姿と、その金に目が眩んでいた母親のあの顔。何の躊躇もなく契約書にサインをして、俺と引き換えに、まるで我が子を取り戻したようにアタッシュケースを抱いて―――
『行きましょう?』
俺は、詠奈に手を引かれて家を出たのだ。
「……待て。謝礼はいいよ。お金には困ってないから。その代わり教えて欲しい事があるんだけど……」
「おうおう。俺と詠奈をくっつける為に頑張ってくれるなら何でも答えてやるぞ!」
「お前はさ…………自分に値段をつけるとしたら幾らだと思う?」
「…………は?」
「詠奈の価値観少しは分かってるんだろ。自己PRって奴だよ。お前がどんなにすばらしい奴か俺が言ってくるから、取り敢えず自分の値段と何でそう思うかの理由をだな」
「おーそういう事かよ! なら早く言えって~。俺の値段か……」
自己PRは俺の嫌いな行為だ。自分の何処がどう素晴らしいのかと言われても思いつかない。支倉の発言は事実ばかりで、俺には誰かの興味を引くような特技や才能はないのだ。すばぬけて上手い訳でも、下手過ぎて目を疑われる訳でもない。杭が上にも下にも出ていないから何を語ろうにも語れない。
「うーん。いやあ悩むな~!」
「―――俺も何時間も突っ立ってるの嫌だから早めに頼む。ここ蚊が多くて嫌なんだよ」
全速力で校門を出て坂道を下りると、黒塗りの車が路肩に駐車されていた。後部座席にはカーテンが引かれており誰が乗っているかは物理的に遮られている。人目を確認してから乗り込むと、外国の本を読んでいた詠奈が膝の上で本を閉じてぽつりと呟いた。
「想定の二分半遅かったわ」
「わ、悪い」
扉は自動で閉まるしロックもかかる。後部座席からは手動でドアを開ける事が出来ないのでここは半分密室状態だ。
「何をしていたの? 無駄な話はするなと言った筈だけど」
「い、いやあそんな無駄な話は」
「景夜」
「あ、はい! 分かりました! 全部言います!」
『君』付けが無くなったので、友達としての関係は中断だ。この車内において詠奈は主人で俺は……ペット? 従者? 部下? よくわからないけど、とにかく彼女に買われたので言う事には従わないといけない。価値が下がっても困るし、俺を買ってくれた彼女に申し訳ない。
「最初は直ぐ帰るつもりだったんだけど、支倉は諦めきれないみたいで……幾らお金を払えば友達になれるのかって俺に聞いてきて……謝礼金に十万円を」
「受け取ったの?」
「えっ」
「十万円を受け取ったのかと聞いているの。どう? 目が眩んでしまった?」
「いや、いやいやあ! 俺は……詠奈が居れば十分だから」
それを聞いた詠奈は目をぴくっと動かすと、反対側の窓を向いてしまった。
「そう。それならいいの。続きをお願い」
「俺が友達料払ってお前と喋ってるって思われてるみたいなんだ。ば、馬鹿だよな、俺にそんな金ないのに。でもそれをずっと突っぱねてもしつこくつき纏ってきそうだから、俺が値段を聞いてきたんだよ。自分に価値をつけるなら幾らだって」
「私は三万円が妥当だと思ったわ」
「アイツは今の自分は五千万円とか言ってたよ」
「………………………」
「………………………」
気まずい沈黙が車内を支配する。話を聞いているだろう運転手もこの沈黙には耐えかねるような息遣いが聞こえた。
「…………そ、それでな。その理由なんだけど、将来サッカー選手になる才能の塊だからみたいな。だから将来的には億は固いから五千万っていう……俺には分からない算出方式なんだけど」
「あら、そう馬鹿にする話でもないわ。自分の将来の価値を見積もるのは素晴らしい事よ。だけど……五千万。私に五千万円で買って欲しいという事かしら」
「そ、そうは言われてないけど」
「…………車、発進させてくれる?」
主の一声と共に車は動き出し、帰路につく。後部座席から景色を見る事は禁じられているので車が何処を通ったら自宅に戻るのかは俺も把握していない。結構時間がかかる事だけは分かる。
「価値観の相違は往々にしてある事だけど、ここまでの差異はおかしいわね。私の知らない魅力が支倉君にはあるのかしら」
「……まさか、気が変わったのか?」
「五千万。買ってあげてもいいとは思ったわ。屋敷の空室を使用人に掃除させるのは心苦しいと思っていたの、本当よ? だからその一室を割り当ててもいい……かな。景夜は何もしなくていいわ、後で迎えを出すから」
「お、思ったより乗り気なんだな」
何だか少し、面白くない。
座席の端っこで縮こまっていると詠奈に呼ばれて、車に揺られながら膝枕をされる事になってしまった。拒否権はない。詠奈を見上げているが、胸で視界を遮られて顔が見えないのは不幸中の幸いだ。
「試用期間は彼に限った話でもないわ。買った使用人にもそういう時期はあったし、今も働いているなら私に欲しいと思わせたという事。五千万円の価値があるとはどうしても思えないけど、思い込みは良くないから」
―――俺は詠奈に呆れて欲しかったんだ。
仮にも一年を過ごしたので、知っている。試用期間は目をつけられた人物にとって最も慎重にならなければいけない時間だ。彼女は自分の所有物でないなら仮の価値に見合った態度を取るだけで済むが、所有物となればそうはいかない。
「試用期間。俺にもあったのか……?」
詠奈は俺の頭を撫でるように手を置いて、もう片方の手を心臓に。
「気になるのね。でも君には必要のない期間よ。ふふ、そんな不安にならないで頂戴。無価値だなんて思った事はないわ。大好きよ景夜。これからも私の傍に居てね…………永遠に」
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