第4話 命拾いと知らない言語

  ***



 ――ヒュン!


「……?」

 死が迫るも、目をそれから離さずにいると、風切り音と共に鈍く光る何かが目の端に映る。

(あれは……)


 ――サクッ


(刃物?)

 認識したと同時に猪の目に短剣が刺さる。

「プギィイイ!?」

 痛々しい悲鳴を上げながら猪の突進は止まり、アマルティアは九死に一生を得ることに。

「やった! 当たった!」

「!?」

(声? 言葉? 知性が高い生き物っ。……って、関係ねぇか)

 猪の危機から助かったのも束の間。知性体の気配がして警戒心が高まる……が、今の自分だと知性があろうがなかろうがどんな生き物でも危険であり、また対処法が無い為に逆に肩の力が抜ける。

 それになにより、言葉の意味はわからないという問題はあれど。まだ声の主の姿を見ていない。判断するには材料が足らない。

 けれど、目にするのはほんの数秒後のことだろう。

(小さい足音が近づいてきてる。高い音。小さいのは軽いからか?)


 ――バッ!


「……あ?」

 森から勢いよく飛び出した者の姿を見て、思わず片眉を上げてしまう。

 現れたのが自分と体格の変わらない少年だったから。

(ありゃあ……只人アンスロポスか? でも)

「とぉあ!」

 アマルティアが少年の出現に呆けてる間に、当の少年は果敢にも猪に飛びかかる。

 そして。


 ――ガッ! ブグシュ!


「プギュイイイイ!」


 短剣を踏み、奥へ刺し込みながら左手で頭の毛を掴む。体を固定したらば次は残った右手を短剣があった場所へ突き入れて。

「よい……しょ!」

 短剣を掴み、軽くグリグリとかき回して眼球を抉り取る。取り出したらさらに短剣を奥へ入れて脳をかき回してやる。

「……っ! …………」

 目を取り出したまでが断末魔。脳まで刃が届いた瞬間にはすでに悲鳴すら上げられない。

「っと、とと。ふぅ。やった!」

 仕留めたことを確信した少年は飛び退き、血まみれのまま無垢な笑顔を浮かべている。

 そして、事切れていても未だ立ち尽くす猪の巨躯が徐々に徐々に揺れ始め。


  ――ぐら……ぐらぐら……


 やがて少年の方へ倒れ込む。

「あ――ほぶ!?」

「…………」

「んー……! んぼぉー……!」

 押しつぶされてもがく少年。そしてそれをただ眺めるだけのアマルティア。

 呆然。とは少し違うが、少々情報量が多いので整理中といったところ。

(ひとまずの危機は脱し、代わりに現地民? と邂逅。今はカプロスに押しつぶされちゃいるが、俺に牙を剥かないとも限らん)

 この場での暴力行為はないとしても、拉致からの強制労働などの可能性はある。彼女はそれを知っている。夜人ゼノ・ソーマは拉致はしないが、夜人ゼノ・ソーマがされることはあるから。もちろん拉致の犯人は只人アンスロポス。故、猪からの危険はなくなっても安心はできない。

 せめて言葉がわかりさえすれば対処法も考えられようが。

(はぁ……しゃあねぇ。そのあたりも全部運命として受け入れよう。で、そこから得るとすっか。あ〜めんどくせぇ。……けど、苦手じゃねぇなぁそっちは)

「ばはっ!? し、死ぬかと思ったぁ〜……」

 方針を決めたところで少年の頭だけが猪の下から出てくる。毛で返り血が伸ばされて薄くはなったものの全体的に真っ赤っか。

「それで、君は誰? 村の子じゃないよね?」

「…………」

「どっから来たの? 名前は?」

「…………」

「……? 聞いてる? それとも話せないの? あ、まだ怖かったりする?」

「…………」

「でも返事くらいしてほしいなぁ〜。ねぇ、なんか言ってよぉ〜」

「…………」

「……わかった。何も言いたくないならそれでいいよ。でも出るのは手伝ってほしいな」

「…………」

「それか大人呼んできてくれない? 一緒に来てるからさ。たぶん近くにいると思うから」

「…………」

「ねぇ〜え〜。黙ってないでどっちかおねが――」

「むり」

「へ?」

 辿々しいながら、アマルティア。

「むり。つかれた」

 そう言うとその場に座り込む。心なしか顔が紅潮していて息もほんの少し荒い。

(はぁ……やたら疲れるなやっぱ。が、とりあえず会話くらいならできるようになったかな。口は追いついちゃいないが)

 猪が来てからの一連と、看破カタストリィによって少年が口にした数種類の単語からの言語の解析でかなり疲労してしまったよう。

 元の体力の無さも相まってしばらくは動けない。

 が、そんなことは少年の知ったこっちゃねぇわけで。

「いや、いやいやいやいや。こ、困るよ!」

「しらにゅい」

「え、えぇ〜……」

 最早見ることすらやめて大の字になるアマルティアを見て途方に暮れる少年。

 偶然とはいえ、猪の脅威から救ったというのにこの仕打ち。

 まぁ、仮に彼女に助ける意志があったとして、非力が過ぎるというのにどうしたらいいのだろうか? なにもできないだろう。ザ・体力の無駄。無力。

 であれば何もしないほうがまだマシ。そう彼女は判断したわけだ。

 ……決して恩知らず故の無視とかではない。恩知らずではあるけれど。

 ようは彼女からしても彼のことなど知ったことではない。

 それに。

(人が来るってんなら待ってりゃ良いしな。貧弱な俺が無意味にあーだこーだすったもんだするよか待つ方が良い。こいつの様子からして同族には見られてるだろうし、悪いようにされない可能性も高いだろう)

「ぃっしょっと……はぁ〜……」

「え、ちょっと!? なにのんきに寝てんの!? 助けてよぉ!」

「くかーくかー」

「わざとらしいよそれぇ!?」

 故に休む。ただ時が過ぎるのを待つ。

 大の字に寝転びながら。猪に潰されて嘆く少年の声を聞きながら。



  ***



「お〜い! ライア〜! どこだぁ!? どこにいるぅ!!!」

「どこまで奥に行ってんだあのバカは!」

「あ、来た! おーい! こっちこっちぃ!」

「お、声が聞こえたな。行こう」

「無事みたいだ。良かった」

「すぅ〜……すぅ〜……――ん」

(おっと。本気で寝ちまってた)

 自分で思っているよりも疲労していたらしく、小一時間ほど寝入ってしまっていた。

「んしょ………………………………………………だはぁっ。あ〜……無理……」

(ちくしょうめ……。はぁ、多少みっともなくても仕方ねぇか)

 とりあえず体を起こそうとするも、腹筋がなさすぎてできず。腕を振って勢いをつけながら……寝返りを打ってから四つん這いになってから体を起こして内股気味に座る。

「あ、起きた? 今近くに父さんと何人か来てるみたいだから呼んできて」

「ふぁ〜……! ん〜……! はぁ……。ことわる」

「なんで!?」

「きてる。いかなくても」

「そりゃそうだけど……」

「ん〜……」

 まだ眠いのか、目を閉じて片眉を上げながら頭をかくアマルティア。

「はぁ……変な子がいたもんだなぁ〜……」

 小声で言ったつもりの少年だが、彼女の耳に入っている。特に気にする必要もないが、彼女としてはより言語を身につけるために聞き耳だけは立て続けるつもり。

(あ、だったらあっちのもちゃんと聞いといたほうが良いか)

 看破カタストリィを使って向かってきてる人間の位置を特定しつつ言語収集情報蓄積。少年――ライアを探しながら会話も挟んでいるようで、そのお陰でアマルティアの言葉の精度もどんどん上がっていく。

(そういやこれって耳にも影響するんだな。目だけかと思ったが)

 先程試した時は視界の範囲内の情報しか得られなかった。けれど今は視えていないところの情報が入ってきている。

 で、あるならば。

(目が良くなって、ほしい情報を得られるような神贈物タレントと思ってたんだが……。もっと別のモノかもしれない……か)

「くふ」

「……?」

 固定観念によって勘違いしていたかもしれない自分の能力。そこへ気づくと彼女は思わず笑みを零し、ライアが不思議そうな表情を浮かべる。

 知らないを知るのは楽しい。

 知っていたことが更新されるのも楽しい。

 新しいは、嫌いじゃない。

 もっと色々と試してどれだけ用途があるか調べたい。

 が、今はそれどころではなく。

(今は言語を習得を優先。それと場合によっては交渉……か。どんくらいできっかな? そもそも差し出せるモンがねぇし。となると命乞いが近いか? だとしても縁遠い)

 ニフタヴィアでは交渉も命乞いも経験していない。力で奪うか貢がれるだけ。

 彼女は決して頭は悪くない。むしろ看破カタストリィを抜きにしてもとてつもなく良い方だろう。

 しかし、経験してないことに対してどれほどできるかの予想はできない。

 見て聞いてをしてもやるとは話が違うから。

 むしろ、頭が良いからこそ見聞と経験の違いをしっかり認識してるが故に予想を立てないのかもしれない。

(まぁ、なるようになるか。ミスって死んでもそれまでのことってな。なにより、一度失った命だし。未経験を楽しもう)

 既に断たれていてもおかしくない命。そうでなくとも死の運命に対して恐怖しない。受け入れる。それが弱肉強食が常のニフタヴィアで育った夜人ゼノ・ソーマの基本思考。

 言い換えれば命に固執しない。それは生きる気力、活力が薄いとも取れるが、少なくとも今の彼女には目標がある。決着をつけるという目標が。

 だから、今は恐怖しないというのはメリットしかない。ただ恐怖するだけなのは判断を鈍らせる。行動を鈍らせる。それが命を救うこともあるが、今はいらないモノ。

「え〜っと? 声はこっちの方か――らぁあ!?」

「で、デカァ!?」

「いやぁ、こんな大物ここさいき――ってうぉおおおおいい!!? ライアお前大丈夫かぁ!?」

「アドニスさん! 早く引きずり出しましょう!」

「おう!」

 茂みの方から二人の男が現れ、ライアを押しつぶす巨大な猪を見て驚きの声を上げて、下敷きにされてるライアを見て再び驚く。

 男たちはライアに駆け寄り、アドニスと呼ばれた体格が大きくて無精髭を生やした男が猪を持ち上げて、その隙に持ち上げている男より一回りほど若い筋肉質ではあるが細めの青年がライアを救助。

「いやぁ助かったよエリックにぃちゃん」

「まったくお前は……また無茶したな? あ〜あ〜血がこんなに……」

 ライアを抱き上げるようにして救助した所為かエリックと呼ばれた青年も血まみれに。

「こりゃ洗濯が大変だな」

「あははは〜。ごっめぇん」

「ぜってぇ悪いと思ってねぇだろ……」

「汚れ気にしてたら狩りとかできなくない?」

「そりゃそうだけど、洗濯が面倒って思うのとはまた別だろうが」

「ふぅ……エリック。そう細かいこと言うな」

 持ち上げていた猪を下ろし、会話に加わるアドニス。しかし、顔は猪に向いたまま。

「こんだけの獲物が手に入ったならお釣りが来るってもんだろ。まぁ、ライアひとりで仕留めたからお前の手柄にはしてやれんが」

「そんなこたぁどうでもいいですよ! 手柄とか! それよりもこいつが勝手に走り回ってこんなデカブツに突っ込んだってのが問題でしょうよ!」

「いだだだだだ! にぃちゃん痛いって!」

「はっはっは! そのくらいにしてやれ。怪我してないようだしな。もし怪我してたらタダじゃ済まさなかったが、返り血だけならこんだけの獲物仕留めといて叱るわけにゃいかんよ」

「はぁ……まったく。次こそは気をつけろよ?」

「わかったよ」

「嘘つけ。じゃあなんで今回も突っ込んでんだよ」

「あだだだだだだだっ」

「…………」

(ふむふむ。大体わかってきたな)

 気づかれぬまま、三人の会話を静かに聞いていたアマルティアは頭に熱を溜めながらも言語の解析を大方終わらせていた。

 発音、発声に関しては口や喉の筋肉が問題なので正確にはできないが、単語や文法などは最早稚拙ではない。ネイティブの日常会話程度には習得できている。

 これならば会話を試みても良いレベルだろう。

 ……まず、ライアと猪のインパクトが強烈過ぎたのか。はたまたアマルティアが息を殺しすぎたのか気づいてもらうところからだが。

(さて、どう切り出すか)

 と、思っていると。

「それにしてもこれ……どうするか……。さすがに二人で持って帰れる大きさじゃないなぁ」

「人呼ばないとですね。処理したら俺ひとっ走りしてきますよ」

「ライアもエリックと一緒にな。先に帰って母さんに怒られてこい」

「あ、うん、わかった……でもその前に」

「うん?」

「あの子どうしよ?」

「「あの子?」」

「…………」

 ライアの指し示す方を見ると、そこには華奢な女の子が。

 ようやくアマルティアの存在に気づき、アマルティアとしても会話の取っ掛かりができた。

 この二人との会話で今後の身の振り方が決まる。

(はてさて、どうなるかな)

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