第3話 初めての木漏れ日は目に染みる

  ***



「ん……ぅぅ……」

 木々を抜ける爽やかな風。

 葉の揺れる音も相まって風情豊かな森の中。

 木漏れ日はの目蓋を照らし、目を覚ましてと促している。

「ん〜……んぉ〜……」

 は何度も寝返りを撃って小さな小さな日差しから逃げようとするが、木漏れ日はの顔全体を照らしていて逃してはくれない。

「ん〜……! まぶしっ!? どわっ!」

 根負けしたのは

 勢いをつけて体を起こ……そうとしたものの、力が足りなくて起きれず。横に転がって一旦うつ伏せになってから手をついて起き上がった。

「あ〜……んだよ……ったくぅ〜」

 長く、少しウェーブかかった黒髪に手を入れて頭をかきつつ。寝ぼけ眼で周りを見渡してみる。

「……あん?」

(なんだ……? ここ?)

 の目に映るのは草葉の緑。生き生きとした木の幹。なによりも、外なのに明るいというのが少女の頭に疑問符を増殖させていく。

 そう。は木陰にいるのに、明るいと感じている。

(火……じゃなくて陽。これは……植物……草? こんなに……。ならここは――)

 自然豊かな周囲の環境は、寝ぼけていたの頭を覚醒を始め。回転は速まる。

「ニフタヴィアじゃ……無ぇ……」

 日夜問わず暗雲覆う常夜の国ニフタヴィア。

 国土のほとんどが荒野で。水はあれど、食用植物はほとんど育たない廃れた国ニフタヴィア。

 はその国をよく知っている。

 故に、今いる場所は違うと彼女のちしきは言う。

「どこだよここ」

 独り言は風音に紛れ消えていき。

「どこだってんだよここは!!?」

 怒声は誰にも届かない。

「はぁ……疲れた……」

(と、とりあえず状況確認)

 無意味なことをやめ、とりあえず看破カタストリィで周囲の観察を始める。

「ん? ん〜?」

 看破カタストリィによって、すぐに気づいた。

 いや、正確には看破カタストリィについて気づかざるを得なかったと言えよう。

(いつもより……視えないな)

 かつては国土全域をも視界に入れていたのに、今や看破カタストリィを使っていないときと視界の範囲は変わっていない。ただ、見たモノに対して少し細かい情報を得られるだけになってしまっている。

「まぁ〜じぃ〜?」

 それでも便利とはいえ数メートル先までしか視えないとなると、全盛を知る身としては落ち込まざるを得ないだろう。

 ガックリと肩と頭を落として、しっかり落胆。

「はぁ〜……――ん?」

 視界が下に向き、己の体が端に映ってまた違和感。

 すぐに座り直して両の手を自らの胸へとやると。

「な、ない!」

 豊かに実った果実は波に削られた断崖絶壁へと変貌を遂げていて。胸を触った勢いのまま全身くまなく触りまくるとさらに気づいていく。

「ない! ない! ある……けどない! 一番重要なモンは影も形も無ぇ!」

 角も、腹や足の肉も、着ていた服もなく。膨大にあった命力プネウマしぼかすが如く。看破カタストリィで自分の体を俯瞰して見てみるとその姿はまるで。

「ボロい布服キトン体に巻いた貧相なガキの只人アンスロポス……」

 は口をあんぐりと開けて呆然とする。

 何故なら。

「あ、あんの黒鎧やろう……」

 何故ならそのは。

「いくらなんでもやり過ぎだろうがっ!!! これからどうしろってんだくそったれガモト!!!」

 何故ならその只人へと成り果てた少女は、かつてアマルティア・トリアエプタという最強の女王せいぶつだったのだから。

「あーあーわかってるさ! 敗けた奴はどうなったって文句は言えねぇさ!」

 けれど怒っているのは、所謂いわゆる死体蹴りや辱めという文化がニフタヴィアにないから。

 勝ったら殺すか従わせるかの二択だから。

「こりゃあ俺のワガママだろうよ! だ、が、な!」

 だからこそ、余計に道理や筋がわかっていても譲れぬ感情モノはあって。

「待ってろよ黒鎧こんにゃろう! いつかまたテメェとまみえた時ゃあ――」

 しかし、今この絶望的は状況にありながらも。

「生殺しにしたツケは返してもらうかんなぁぁぁあああああ!!!」

 前向きなのは、良き事と言えぬだろうか。

 この先、様々な困難が待ち受けようとも。それら全てあと黒鎧マーヴリ・パノプリアの所為にして。復讐ふくしゅうかてに彼女は歩みを止めぬだろう。

「ん、は……っ」

(やべ。デケェ声出しすぎて余計疲れた。喉乾いた。頭クラクラする。やんべぇ〜……) 

 ……歩みを止めぬだろう。



  ***



(とりあえず、水を探すか……)

 ひとしきり感情を発散した後は、この場をどう生き残るかが問題になってくる。

 生きる……ということに関してまず必要なのは水。生物に必須で、さらには大声によって加速した口渇感をなんとかするところから始めることに。

(ちきしょう……水の探し方なんざ知らねぇぞ……)

 喉が渇けば法術で水を出せば良いだけだったので探す必要性がなかった。

 が、今は命力プネウマが異常に少ない。いざというときの為に温存して置きたいのが人情。故に、今は使わない。

 それに。

(看破カタストリィ命力プネウマを使わねぇのは助かる。さて、水は探れるか?)

 辺りを見回し、手探りで水の情報を得ようとする。

「んん〜……ぱはぁ!」

 しかし、漠然と視界に入るモノ全ての情報を頭に入れても負荷がかかり疲れるだけ。であれば絞るべき。

(つってもどう絞るか……)

 わからない。わからないので。

(絞り込んでからかたっぱし……しかねぇか……)

 音、正確には空気の震えによる情報を入れてみたり。目の端にでも水滴が映ったりしていないか凝らしてみたり。地面を見て湧き水が出そうか見てみたり。そこでようやく植物が内包している水分量を割り出してみたり。また空気へ戻り空気中の水分量を調べてみたり。

(ん〜? こりゃあ……)

 で、そんなこんなをしていると。一方を指し示すように水分量がわずかな差ながら徐々に増えているのがわかった。

 ここで立てる仮説は。

(池があるんじゃねぇかな。そっから水吸って……とか)

 ニヤリと口角を上げて期待感を膨らませるが、もし向かっても仮説が間違っていて何もなければ体力の無駄になる。でも、他に当てもない。このままジッとしていても衰弱を待つのみ。

(なら、選択肢なんてねぇな)

「どっこいせっと……っとっとっと」

 考える時間が増えても体力が消耗するだけ。アマルティアはフラつきながら立ち上がり、水を求めて歩みだす。

 そして、五分後。

「はぁ……! はぁ……! ん、ぶぁはぁ……!」

(な、なんだこの体……っ。やたら疲れる……!)

 元々運動神経は良い方ではないが、夜人ゼノ・ソーマという種族が故に肉体はある程度の強さを保証されていたようなもの。それが今は只人アンスロポスの見た目で、命力プネウマも大幅に削られているとあれば。

(く、くそぅ……命力プネウマが削れて体力まで落ちるとかってあるか? それともマジで見た目だけでなく全部只人アンスロポスになってる? 洒落になってねぇぞおいっ)

 それだけが原因ではないような気もするけれど、アマルティアにとってそこは重要ではなく。現状の問題が大事。今、虚弱が過ぎることが大切。

(汗もだらっだらだしよぉ……水に辿り着く前に干からびっちめぇんじゃねぇかこれぇ?)

 ぜぇはぁ言いながら、汗と鼻水とよだれをだらだら垂れ流しながら、それでも水を求めて歩みを進める。

 果たして、彼女はその鈍足で水場までたどり着けるのだろうか。



  ***



「はぁ……はぁ……んっく……はぁ……――あ?」

 満身創痍になりながら小一時間ほどよたよた歩き、ふと顔を上げて見ると。

「は、はは……」

 ようやく。

「み、水だぁ……」

 ようやく目当ての物が見つかった。

「へ、へへへ。へへへへへへ」

 だが、もう体力の限界。急いても走ることは叶わず、よたよた歩くばかり。しかし焦る必要はない。何故ならもう目の前に池があるのだから。

「み、水ぅ……」

 森の中にある大きな池。広さ三百五十平方メートルくらいだろうか。これならアマルティアがいくら飲んでもなくなることはないだろう。

「はぁ……はぁ……んくっ」

(焦るな。まずは飲めるか調べねぇと)

 早く飲みたい気持ちを抑えつつ。まず水を調べ、そして自分の身体も調べる。

 川や池の水というのは菌や寄生虫がいる場合がある。かつてならばいざ知らず。脆弱な今だと致命的になりかねない。故、慎重に事をせねばならない。

(大丈夫……そうだな……。よぉし……っ)

「はぶ! はぶぶぶぶぶぶ!」

 安全確認ができたところで、勢いよく顔を池につけて水を飲む。

「ぱっはぁ! うんめぇえええええ! うおっとっと……あだっ」

 勢いよく顔を上げるとそのまま後ろにのけぞり、そのまま後ろへ倒れてしまう。

「うおまぶしっ!」

 さらに仰向けに転がったところで日差しが目に入り眼球にダメージ。水ひとつで大分忙しないこと。

 ゴロゴロと転がり、日陰を見つけると横に向いたまま動きを止める。

「…………………………すぅ〜はぁ〜。づがれだぁ〜」

 脆弱な体に鞭を打ち、フラフラしながら歩き続けて、たどり着いたら無駄に体力の使う水の飲み方をして、勢い余ってのこれ。そりゃあ疲れるというもの。

「すぅ……ふぅ……すぅ……ふぅ……ん……あぁ〜……」

 だからこそ大事なこの一時ひととき。ようやく一息つけるとボーッとしながらしばらく寝転がったままだらだら体力の回復を図る。


 ――パキ……


「んぁ?」

 すると、遠くから枝の折れる音が聞こえてくる。


 ――パキ……パキキ…………パキ……


(なんだ、この音。割れる音? 枝? 徐々に近づいて――)

「マッズい………………よっ! …………おいしょっと。……ふう」

 バッと体を起こそうと……しても無理だったので一旦四つん這いになってから内股気味に座り直す。

(生き物……獣……なのは間違いない。少なくとも踏みゃあ枝を折れるくらい体重があるな。音の太さからして体高は俺くらいあるかぁ? 大したデカさじゃないとはいえ、今のスッカスカの命力プネウマを使うわけにもいかねぇし、どうにかやり過ごしてぇところだわな)

 立ち上が……るのも億劫なので四つん這いになって音から遠ざかりながら茂みの方へ行き身を隠す。

 そして数分待っていると。


 ――ドスン……ドスン……


「ふごご」

(あ〜やっぱり……獣か。にしてもカプロスたぁ珍し……って、ニフタヴィアじゃねぇし。そういうこともあるか)

 現れたるは体高一・五メートルほどの猪。

 アマルティアの予想では自身くらいの体高と考えていたが、ある意味正しく。とほぼ同じ高さ。

 珍しいと表現したのはニフタヴィアでは家畜化されている為、野生では見れない。サイズに関しても飼料に割ける食物も少ないので今目の前にしてしているモノとは比べ物にならないほど小さい故の感想。

「ふご。ふすぅ〜……」

 猪は池に近寄りゆっくり水を飲み始める。今のところ、アマルティアに気づく様子はない。

 が、彼女の顔は安心というよりも不満げで。

(くっそぅ……肉付き良さそうな体しやがってぇ〜……。いつもなら一発で丸焼きにでもしてやるとこだが今は……)

 命力プネウマを温存したい。

 特に明確な根拠という根拠はないけれど、彼女の直感が『今は使わない方がいい』と判断しているから。

 だから今は茂みで身を隠し、やり過ごすのが望ましい。

(ハッ。俺がこんなコソコソとするハメになるたぁ人生わかんねぇもんだな)

 今の自分を鑑みて、思わず苦笑が漏れる。

 唯一神アノンが選んだニフタヴィア最強の生物たるアマルティアが今はたかだか獣一匹から身を隠してやり過ごそうだなんて、ついさっきまでからは考えられないこと。

 けれど、どうしてか。彼女は情けなさも悔しさも感じていない。

(まぁでも。悪くねぇ。嫌いじゃねぇよ。必要な工夫や手間をするのは嫌いじゃない。肉体労働は御免被るが)

 いつしか不要となった生存の為に必要な苦労。それがなくてはある意味で生は謳歌できない。

 手間取れないというのは悲しいことだ。それはとても退屈なことだ。生き甲斐がない。

 楽に生きれるほうが良いというのは苦労人の言。彼女のように苦労を失った者にとっては今この小賢しい事を行っているという状況は中々どうして。

(今、ちょっと楽しいかも。必要とはいえただ歩くだけなのは嫌だけど。こうして強敵……かもしれないのがいなくなるまで隠れてるってのがこう……な)

 言語化は少しだけ難しいけれど。確かなのはこの状況が楽しいということ。

 今重要なのはそれと、あとひとつ。

(これで腹が満たされたらもちっと素直に楽しめるんだけどよ――)


 ――ぐるるるるっ。ぎゅるるぅっ


「……!?」

 ただ腹が空いてるからか、はたまた空腹時に水を飲んだが故に腹の空気が動いてしまったからか。理由はわからないが、とりあえず、アマルティアの腹が鳴ったことは確か。

(クッソガモト! やってくれたなぁ!? このガキみてぇな体がよ!)

 謂わば生理現象。仕方ないこと。それは彼女自身もわかってはいるが、わかっていても悪態はつきたい。せめて心の内だけでも。

 ここで口に出さないのはまだ気づかれていない可能性もあるから。

 ゆっくり茂みから様子を伺うと。

「ふすふす……フスー!」

 キョロキョロ周りを見回して警戒してはいるものの、幸運にもアマルティアに気づいた様子はない。

(よし。あっちは気づいて――)

 安堵したのも束の間。少し強めの風が吹きつける。

 別にそれで風上にいて、匂いがいってしまっただとかではなく。ただ木の陰になっているその場所の木漏れ日の位置がズレてしまって。光が目を照らしてしまい。

「まぶっ!? いっだ!?」

 陽の光に慣れていないアマルティアは反射的に逃れようと大きく動いてしまって。後ろに倒れて後頭部が木にぶつかってしまう。

(や、やば……これはさすがに気づかれ……)

「フゴ! フスフスッ! ピギィィイ!」

「たよなぁ!?」

 音に驚いたのもあり、猪は勢いよくアマルティアの方へ突っ込んでいく。

「チッ! 仕方ねぇな――……!!?」

 イメージしたのは眉間を貫く雷。木の陰から手と頭だけだした姿勢のまま指先を向け。その指先から迸り、眉間を貫く一筋の閃き。

「な、んで……?」

 けれど。残念ながらそれが具現も具象もされることはなく。

 ただ猪を示しただけで。なんの意味もなく。

「プギィィィィィイ!」

「どわぁ!? ぁだっ!?」


 ――バキキキッ! ミシン!


 木なんてお構いなしに薙ぎ倒してしまう。

「ってぇ〜……」

 辛うじて直撃はしなかったが、足が少しだけ当たってしまい盛大に転がってしまった。

 不幸中の幸いながら避けるために跳んだ際にぶつかったので怪我は大したことはない。軽度の打撲程度。

 それよりも。

(危なかった……。マジで今のは死ぬかと思った……)

 そんなことよりも。

(足いってぇ……! 頭も痛ぇし。背中も痛ぇ……)

 そんなことよりも。

(あぁ……まぁいいや。どうでもいい。痛ぇつってもこんくらいなら気にしなくて良い。問題なのは――法術マギアが使えなくなったことだ)

 さすがのアマルティアもこれには参ったと言わざるを得ない。

 使わない方がいいという己の直感は半分間違っていた。

 使わないのではなく、使えなかったのだから。

 そもそもの選択肢として、温存なんて存在しなかったのだから。

 彼女は現状。隠れる以外のやり過ごし方はなかったのだから。

(さて、これ……)

「フゴ。フゴフゴ! フスゥー!」

(どうする?)

 息を荒げる両者。

 片や血気盛んに、片や冷や汗をかきながら。

「……!」

(どうにもこうにも……どうしようもねぇよ!)

 不意をつかれた先の戦いでは覚悟を決める暇などなく。

 故、アマルティアは今この瞬間に初めて。死を身近に感じることになった。

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