第3話 昭和14年前後の教育制度

 入りからバッサリ申し上げますと、戦前の教育制度について、一概に全ての時期を理解する必要はありません。


 明治期以降の教育課程の変遷を、全部空で言えるのは研究者くらいでしょうし、正直、読みたい時代の所だけ、しかも大まかに理解出来れば私は良いと思っています。

 無論、学歴を叙述トリックとかに使う場合は、綿密な考証が必要でしょうが、ここでは筆者の超管見に基づき、戦前昭和の教育課程の感覚について見ていきます。


 さて、作品の登場人物が絡む教育課程の時期は、明治四十年から昭和十四年までの間です。この頃は勿論、旧制の教育課程だったわけですが、いまいちピンとこない方も多いと思います(私もその一人ですが)。


 超乱暴に、かつ非常なる偏見を前提に言えば――、次の通りのようなニュアンスで等式が成り立つかも知れません。繰り返しますが、がっつり筆者の偏見ですので、純学問的に突っ込まず、生暖かい眼で見てください。


 昭和十四年 現在の感覚


 小学校   小学校

 高等小学校 中学校前期

 中学校   有名地方進学高校、有名私立高校

 高等学校   旧帝大、有名私大(進学保証付きの大学教養課程)

 大学   旧帝大、有名私大の大学院 或いは海外有名大学

 ホント適当で恐縮ですが、これは競争率ではなく、肌感覚で分類したような物ですので、あしからず。


 さて、この相応関係ですが、一番大きな注意点として「学校の絶対数が違う」点があります。

 例えば、現在の日本には大学が790もありますが、戦前の昭和七年くらいまでは、40程度しかありません(私学含む)。

 旧帝国大学以外にも、昔から私立学校、専門学校があり、それらが大学令の施行(大正八年)に伴い、大学認可に向けて様々なハードルをクリアしながら徐々に増えていきした。


 それでも、これほど数も異なれば、必然競争率が違ってきますし、進学に必要な資本の有無もボトルネックになります。なので、「現在」の所に条件を付加することで、現在の感覚に近くするように努力した結果が、上の相応関係なのです。


 小学校はスルーしますが、旧制中学校卒業は地方県内では数カ所しかない上に、進学率は十人に一人程度(時期によって変動あり)でしたので、本来的には頭の良い人+資金のある人という認識でした。

 中学校進学率は、都市部(5倍)と農村部(10倍)で倍近く異なることもあるため、設定に入れ込む場合は、地味に注意しなければなりません。


 さらに高等学校は「希望がなければ帝国大学に無試験で進学出来る」という、今からすればちょっと驚く教育課程でしたので、高等学校―大学の比率はずっと一定でした。ですので、高等学校は、当時の社会においても相当のエリートいう認識で宜しいと思います。


 また、大学予科という、各大学が設置する予備教育段階もあり、これも進路を限定してしまうとはいえ、旧制高等と同様の立ち位置と認識して良いと思います。


 ところで、戦前の小津安二郎映画に『大学は出たけれど』があります。これは大学卒業後に定職に就かない主人公のお話でしたが、この当時は今以上に「大学生」は社会的エリートでしたので、映画当時に世界を吹きすさんだ世界恐慌と、それに伴う「就職率30%」という事態は、とんでもない悲哀に満ちた状況設定だった訳ですね。


 『科学的考察の及ばぬ秘密ノ誘惑』本文では、主人公の新井が、地方中等学校卒、甲斐が高等女学校卒となっていますが、高等女学校は男子の中等学校に相当しますので、本来的には十二分にエリートです。


 ――あぁ、大前提を書き忘れていました。

 そもそも「男女別学」です。


 中等教育以上は共学じゃありません。男女は別々の学び舎です。教育内容も大きく異なります。現在と一番違う視点かも知れませんね。


 高等女学校は、中等教育程度~高等普通教育の内容から実業補習系まで、学校やカリキュラムによって差が大きいものでした。ただ、設置主体が市町村も可能になった(大正九年)ため、純粋に設置数は増加傾向にありました。

 肝心の教育内容ですが、全体として実業、家政(要は家庭を支える技芸)が大勢を占め、良妻賢母主義まっさかり、花嫁修業の意味合いもあり、なんなら在学中にお嫁に行くことがあった訳です。


 まさしく『時代的制約』です。

 高女出身で高等教育への進学を果たしたのは本当に極僅かだった訳です。


 彼ら一人一人の生活には立ち入れませんが、集団として見た時に、中等学校や高女は、今より同族意識、学校ナショナリズムは強いものだったでしょう。頭が良くて、お金があると周りから認識され、寄宿舎制度もありますので、後の高等学校や大学よりも、生徒間の強い結びつきがあったとされます。


 女学生の『エス』の関係も、中学生の大暴れ『ストーム』も、このような限定環境下で揺籃された若い文化と思います。

 戦後には、現行の6・3・3・4制に移行し、義務教育年限の延長(戦前までは青年学校の一部を除き、小学校までが義務教育)、男女共学、学校数の増加、経済活動の活発化に伴い、学校生活の形も変わっていきます。

 ただ、若人の爆発的エネルギーは、形を変えて色々な所で噴出していく訳ですが、それはまた別のお話。


 ――と、今回はここまで。

 登場キャラクターの年齢、活動時期から逆算して、教育課程と文化を見ていく必要があるため、余計に頭を使う所ですね。地方差なんて入れたら、それこそ多種多様になるでしょうし。

 まぁ勉強ということで、頑張ります。


参考文献

 山住正巳『日本教育小史』岩波書店、1987年。

 菊池城司「誰が中等学校に進学したか:近代日本に置ける中等教育機会・再考」大阪大学教育学年報、1997年。

 渡辺一弘「昭和初期の旧制中学校生の進路選択に関する研究」別府大学短期大学紀要、2015年。

 弥生美術館・内田静枝『女学生手帳 大正昭和乙女らいふ』河出書房新社、2005年。

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きまぐれ時代背景解説(『科学的考察の及ばぬ秘密ノ誘惑』) 月見里清流 @yamanashiseiryu

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