第26話 幸福と記憶の欠片


 イリスは夢の中で永遠と、長く暗い廊下のような場所を歩いていた。一定の間隔で右の壁面に扉が現れることから察するに、同じ場所を繰り返し歩いているらしい。


 全て、扉の向こうに同じ光景が広がっているのか。その疑問は敢え無く散った。木目調の扉の向こうからは熱や冷気が絶え間なく生まれているのか扉下の隙間からそれらが微小に漏れ出している。


 そして別の扉の隙間からは、花、何かしらの本の頁、金、そして人か動物の血まで隙間から出ている。イリスは本の頁に隠れた本を発見し、やっとの思いで一冊の絵本を手にした。最後、本を拾い上げようとして完全に隙間から出きっていないことに気づかずに立ち上がる勢いで絵本の硬い表紙を少し折ってしまった。


 その絵本の題名タイトルは「終焉を詠う少女」だった。作者不明のこの本が数冊、世界に存在していることはイリスも知っていた。イリスが元に居た世界の現存する図書館にその題名タイトルの書物は所蔵されていなかった。


 その本に関しては焚書された、だとか、希少価値が高いという理由で裏社会で生きる者に幾度も売り飛ばされ、数日もしないうちに新たな売人の手に渡っているだとかいう噂が絶えなかった。


 終いには不幸の手紙の様に扱われ、内容が記された紙が不特定多数に散布された。紙に記された内容を読めば、本の内容と乖離しており、もはや原型を留めていないという事例も一件だけあったらしい。


 花が出ている扉を開けると、少し離れた場所に木造の家が一軒建てられていた。だがイリスは、入ってはいけない気がしてそっと扉を閉じた。熱が出ている扉の取っ手は焼き付いていて上にも下にも下がらない。仕方なく蹴破ると直ぐに熱風と共に、炎がイリスの身体に引火する。


 視界の端に少しだけ映ったものは扉の向こうにある同じ木造の家。イリスの身体と同じように炎が家を包んでいた。そのままイリスの全身はあっという間に焼き尽くされ、無理やり次の夢へと放り込まれたのだった。



              *



 イリスは医療ボックスの中で目を覚ました。エクスは念のために医療に入っていた。義手を付けた時、イリスはエクスに押し倒されていた。


「あなたを抑え込むことには苦労しましたよ」


「ああ、そう」


「冷たすぎませんか?私のこと嫌いになりましたか?」


「エクスのことは嫌い。いつも私の後ろをついてきて、私の名前を嬉々として呼んで、反吐が出る……!」


 本当は全て真逆。発言するたびに胸の内を深く抉られる。


「撤回してください。今ならまだ修復可能ですから」


 イリスの首に色白な両手の五指が絡む。イリスの脳は「これ以上嘘をつくな」と警告を発していた。


「撤回も何も本当のことだ……!!」


「いつまで強気でいられますかね。試してみましょうか」


 強く首が絞めつけられ、息が詰まる。


「そのままっ……殺せ……ばっ?」


 俯き、髪で隠れた顔。イリスの顔に温い水滴が連続で垂れた。


「私は貴方と喧嘩したいわけでもない……!これ以上私を遠ざけないでくださいっ!」


 首を絞めつける力が一気に抜けて、エクスはイリスの胸で泣いた。


「……ごめん」


 エクスの懐き様は、イリスがエクスを救出した日からずっと続いていたことだ。エクスは元々殺し屋で、イリスは義賊として暗躍していた。そしてある日、エクスの元に、義賊イリスの殺害の依頼舞い込んだ。


 依頼の達成報酬金が巨額だったことで依頼を受けたエクス。大方、調べがついたころにイリスの拠点を襲撃。殺害は失敗、敗走した。満身創痍で森林を彷徨っていたところを奴隷商人に捕らえられ、約二年以上幽閉されていた。


 拷問のようなことから始まり、碌に食べ物が与えられるわけもなく順当に衰弱していった。殺し屋としての牙を失ったエクスは脱走を諦め、従順に生きていた。


 そして二年以上が経過。ある夜、イリスは単独で奴隷商人の屋敷に乗り込んで、次々と奴隷を解放していった。一際大きな檻で頑丈な鎖に繋がれていたエクスを、イリスは殺し屋だと気が付いていながらも助け出した。


 エクスは娘の様に育てられ、イリスと共に義賊として活動。いつしか二人してアルカードに追われながらひっそりと暮らすこととなった。そこから激動の日々を過ごし、月日は流れ、現在に至る。


「一緒に花火大会行ってくれないと嫌です。許しません」


「……分かった」


 花火大会は今夜。和解が叶ったイリスは少しだけ目を腫らして口を結んだ。


「どこへ行くんですか?」


「夜までには戻るから」


 イリスは直感を頼りに自身の片割れ、レイを探しに町へ繰り出した。



               *



 イリスはショッピングモールに足を運ぶと、レイはダンスウェアに黒い帽子を被って近くのダンス教室から出てきた。イリスがレイに駆け寄ると一言「こっちくんな」と露骨に嫌な顔をしてみせた。てきとうな路地裏に入るとレイは壁に背中を預けて目を瞑った。


「どいつもこいつもお話が好きだねぇ……。アタシから話すことは何もないぞ。本物オリジナルさん」


 真夏の直射日光は相変わらず地獄を作り出していたが、日陰では涼風が吹き抜けていた。


「夢見てさ、私……夢の中で死んだんだ。一つ目の夢の時は変な場所で扉開けたら引火して、それで別の夢に飛ばされて……」


「あぁ、はいはい」


「二つ目の夢で、生きるのが辛くてトラックの前に飛び出した。生きる辛さから解放されたの。でも、ロボットになって生き返った。生きる苦しみもなくなった。なにも考えられなくなって、ただ無感情でロボットになった自分がそこに居るの。自分の内側には宇宙のように終わりない闇が広がっている。私には何もない、人間じゃなくなることがどれだけ辛いかよく分かった。死んだら終わり。心も肉体も感情も全てなくなるの」


 イリスは空を仰いだ。自分自身になら伝わるはずだ、と思い、心境を打ち明けた。イリスは死を恐れていた。失うものは少ないと考えていたが、ロボットになった夢を見たことで隠れていた大切が溢れかえった。


「私……死にたくないよっ。本当はもっと生きていたいっ!」


「分かりたくはない。けど多少は分かる、いや、分かってる。だがそれはお前自身の問題だ。お前自身が片をつけなきゃいけない問題なんだ。問題も、己の結末も、全て見届けろ。アタシも見届ける」


「欲を少し言えば前はすっごく充実してた。エクスの面倒見て、毎日ご飯作って、些細なことで言い合いになって、それで次の日には笑い話になってて。少し先の未来が見えていたらずっと幸せを守れていたのかな」


「さあな。そろそろ思い出せよ。アタシは全部知ってる。お前が夢で見たあの部屋も。まあお前も時期に知ることになるさ」


 レイはそれだけを言い残してダンス教室へと戻っていった。



              *



 祭りには老若男女問わず誰もが参加している。友人と参加する学生、感情が昂っている青年、楽しそうに笑う女性、ゲーム話に花を咲かせる少年たち。とても賑やかだ。


 現在時刻は十八時半。肝心な花火の開始時刻は十九時。イリスは一度基地に居るエクスに「十九時に会場で待ってる」と伝えて何日ぶりかの自宅へ赴いた。


 放置した数十丁の銃の回収とゲームプレイのためだった。イリスは数時間プレイした後、購入した家電とゲーム機を松井家に発送した。家電をなくしただけで、生活した痕跡を全て消し去ったような空虚な一室になってしまった。


 イリスは人目を気にしながら自販機に向かった。屋台に並んで飲み物を買うのは億劫だった。二百円を投入してお茶のボタンを押すが、一向に出てこない。


「なんで……でてこない」


 イリスはここで買うなと言われているような気がして俯いた。返ってこない二百円を諦めて別の自販機へと足を運ぶ。イリスはお茶のボタンを押して取り出し口に出たお茶を取り出した。二枚の十円玉の払い戻しと共に赤いランプが点灯する。十円玉の不足。とことん運のない日。


 さらに目の前を、肩を抱き合っているカップルが通過する。


「見せつけないでよ……うざいなぁ」


 温もりのない腕で自分の肩を抱く。イリスは自販機の横に座り込んだ。少し目立つのか子供たちが「あの人なにしてるんだろう?」と話しているのがわかる。


「辛気臭い顔をしているな。何か食べるか。イカ焼き、焼きそば、ケバブ……」


「……ごめん。エクスと待ち合わせしているんだ」


「まあ、花火だけでも」


 イリスは逃げようとした。


「逃がしませんよ、イリス様」


 シャーロットに腕を引かれ、動きが止まる。


「私の悩みはちっぽけだって言いたいんだ」


「今まで沢山傷つけられたんですから、お互い様でしょう」


「和解は明日でいいかな。昨日の今日じゃ絶対に無理だよ」


 憂鬱な気持ちのまま歩き出した。三十分はあっという間に過ぎ、人ごみの中、エクスを見つけることができないまま電灯が消灯。暗闇に目が慣れた頃、隣にはエクスがいた。


 花火が上がる。鮮やかな花が開き、轟音が鼓膜を震わせる。耳鳴りが起こり、今までの記憶が走馬灯のように駆け巡る。その情報量の多さに眩暈がしてイリスは膝をついた。焼ける家屋、家屋の周りに咲き誇る小さな花々。本の頁が溢れる部屋。本能の正体。


 イリスは全てを思い出した。

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