第14話 休息の日
バトルに勝利し、無事に基地へと帰還した。絵画は適当に壁に立て掛けられていた。
「取り合えず、怪我の手当てをして寝ようか。医療ボックスで寝てね」
半ば強制的に追い出されるような形で治療室まで移動させられた。
「湿布ってありますか」
散々、蹴られ殴られ、傷を負ったが骨折はしていないとのことだった。丈夫な子だ。
「探すね」
「イリスはかすり傷だけですか?」
「いやぁ……実は二か所刺されたんだよね」
「だっ、大丈夫ですか?」
エクスは心配するなりすぐさま駆け寄ってきた。
「なぁに、ちょっとじんじんと痛むだけ。慣れっこだよ」
エクスを椅子に座らせて服を脱がせた。棚にはテプラで絆創膏、包帯、などと印刷されたシールが貼られていた。湿布と記された引き出しを開けて湿布のつかみ取りをした。
「痛いところを言うので貼ってもらえますか」
湿布を一枚手に取った。
「さあ、言うがよい」
「左の二の腕、右脇腹、背中のユニットがついていた部分です」
初めに、左の二の腕に叩き貼る。ハリとツヤのある二の腕は想像以上にいい音を出した。
「ほれ」
「いった!?……もう嫌いになりますからね」
つい魔が差したのだ。私は悪くない。手とか脳とかが悪い。私は悪くない。
「貼り終わったよ」
次は自分の傷の手当てをするために傷薬、ガーゼと包帯を引っ張り出す。
「背中は私が塗りましょうか?」
「だいじょぶ」
指先に傷薬をつけて患部に塗布をする。改めて自分の体を観察すると、前の世界での戦闘でついた切創や傷跡の縫い目が目立っていた。大きい物から小さいものまでその数は数えきれない。
ガーゼを傷口に当てて包帯を難なくスイスイと巻いていく。あっという間に手当てが終了した。
「医療ボックスの液体、すごく効きそうな色してますね」
色は鮮やかなエメラルドグリーン。液は速乾性で二分もあれば乾いてしまうらしい。仄かにラベンダーの香りがした。使用手順に沿って医療ボックスの中に入り、酸素マスクを着用する。
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
何も考えることなく目を瞑ると、泥のように眠ったのだった。
*
イリスは液体の中で目を覚ます。そして包帯を外して腹部を摩った。
「パチモンじゃないのか。治ってるし……」
十時間と経たぬうちに傷口は塞がり、傷跡が残っていた。エクスを起こさずにドックへと向かう。足を動かしている間にもイリスは考え事をしていた。嘉多奈がお金を必要としていた理由、お宝に目もくれない怪盗が存在すること。そんな疑問は、朝の働かない脳にかき消されていた。
「ああ、イリス。おはよう」
「ユニット、そんなに壊れてた?」
イリスから挨拶が返されることはなかった。
「修理はとっくに終わってる。新作考えてたんだけど、中々纏まらなくて」
ふとイリスの視線が壁に移る。不自然に壁を削った跡が刻まれていたからだ。
「お前……いや、私の剣使ったな?」
昨日と変わらぬ場所に立てかけられていた剣を抜くと、僅かに鉄粉が付着していた。
「……知らない」
ただ使用しただけでは恐竜の爪痕のようなものがつくはずがない。明らかにとっておきが使用されていた。
「下手したら大怪我どころじゃないけど……?」
「いや、違うんだ。違くないけど……好奇心で使ってみたくなったんだ。許してくれないかな?」
洋介自身に怪我をしていないことが不幸中の幸いだった。とっておきは、コントロールを失えば銃の反動のように腕に衝撃が伝わる。骨折の可能性もゼロではない。
「おはようございます……?死ななくて良かったですね」
エクスは壁面を凝視しながら言った。
「ああ、今日はもう学校に行くから朝ごはんはいいや。行ってきます」
「いってらっしゃい」
今回もバトルの評価を求めて聞き耳を立てることには変わりない。イリスは階段を駆け上がった。
*
二人は一昨日ぶりに校門を跨ぐ。
「あの二人誰だろう?顔綺麗だね!」
「昨日の怪盗バトル凄かったよなぁ!」
見知らぬ男子、女子生徒の嬉々とした声。
イリスは異彩を放っていた。始業三十分前と決して早くない時間に登校していたことから、同じく校門を跨いだ生徒たちの注目を多く集めている。もう少しというところで男子生徒の話が中断される。相当な痛手だった。
「突然だけど、プール掃除を手伝ってもらうよ」
肩を組まれ、背後から発せられた声の主に引きずられる形で強制連行。確認する術が見当たらなかった。
「この声は……ティアかな?同じ学校だったんだね」
白無地のワイシャツ、紺のスカートにタイというテンプレートな制服に、ポニーテール、そして俗に云う前髪テール。まさに旬の女子高校生スタイルで姿を現した。髪色は濃い青色でとても艶やかである。イリスとエクスに有無を言わさずデッキブラシを押し付けた。
「昨日はどうも。改めまして、ティアこと
「私は、イリスこと、
「エクスこと、
名前だけの自己紹介を終えた。
「二人とも出身どこなの?」
「それより、用件は何でしょうか」
雫は快晴を見上げて数秒、ゆっくりと口を開く。
「昨日、兎影ちゃんが言い当てた弱点だけど……」
二秒ほどの沈黙の後に「その通り!」と自白していた。当てたところで弱点は意味を成していなかったので、イリスは大技をで対処を行った。雫にその気があったら黒星がついていたかもしれない戦闘。
「違うんだね?」
「弱点というか、メリットというか……。その答えは自分たちで見つけてほしいな。きっと君たちを守ってくれる」
雫はイリスと目を合わせようとせず、一定の間隔でプールの底をブラシで擦っている。
「そうなんだ」
「うん。レオの入門を許したのもそれが理由」
擦る手を止め、ブラシを担ぐ。足元に撒かれた水、遠くで揺らめく陽炎、ジリジリと鳴く蝉。エクスの視界は早くも狭窄し始めていた。
「うっ……」
「夏に慣れてないな?」
「うるっさいですねぇ……日陰者でわるぅござんした」
何度拭い払えど、滲む汗に苛立ちが募っていった。
「道場に行こうか。あそこは風通しが良くて涼しいはずだから」
イリスは、ホースから絶え間なく流れ続ける水道水をエクスに遠慮なく、十分以上に飲ませたのだった。
「うえぇ……」
学校の離れで、樹木に囲まれた場所に道場はあった。昔、この学校の剣道部や柔道部は、多くの部員を抱える超人気の部活だった。今となっては柔道部は廃部、弓道部は五人、剣道部は雫一人の部活となってしまった。もはや、栄えていたころの面影はどこにもない。
「意外と騒いでも怒られない最高の場所だよ。私の第二の家と言っても過言ではないくらいにね」
見回りの先生もやってこない。声量を抑えない歌声も、夏の喧騒にかき消される。
「竹刀持っちゃった。ほれほれ、戦いたいんでしょ?」
「話が早くて助かるねぃ」
雫は数ある竹刀の中から適当に一本手に取った。イリスは避けきれる筈がないと、早々に諦めていた。
「さあ、どんとこい」
「神五天操流、
桐の葉が雫の体を覆うようにイリスの視界を遮る。目に映ったのは天井に付いたシミだった。
「あと十回食らえば見極められる気がする……!」
現段階では、守れど、技を受けることに成功しようと、結局は転がるか倒されてしまうかの二択。
「私の勝ちだね」
イリスは、何かヒントを得たら再戦しようと息巻いたのだった。
校内に授業終了を知らせるチャイムが流れる。楽しいと感じることができた時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。寂しいものだ。
「勝ち逃げしますか?」
「そうさせてもらおうかな」
清涼な風が入れ替わり吹き続けるなか雫は道場を後にした。
「エクスは竹刀振れないでしょ」
「振れはしますよ……軽すぎてしっくりとこないだけです」
道場の入り口から人影がこちらを覗いている。熱にやられた脳がその人物を認識するのに数秒。覗いていた人物は、藍本浅日学級委員長だった。
「舞月ちゃん、ちょっと時間いいかな?」
イリス、差し出された天然水を受けとった。
「それで……どうしたの?」
あさひに問いかける。初めて対面した際には明るく、有り余る元気を周囲に振りまきながら接していた。だが今回は、初対面時打って変わって神妙な面持ちに変化している。
「話は、夢についてなんだけど……夢についてどう思う?」
「どうって……人生における一つの目標かなぁ……」
あさひの表情はより重くなった。笑顔は戻らない。
「そっか、私の夢を応援してくれる?」
「うん。見守っとくよ、夢が叶うその日まで」
イリスは人に共感することが苦手だった。相手に同調や共感を求められても、傷つかないように遠回しに濁すことしかできない。
「なんかスッキリした気がする。ありがとうね」
哀愁を漂わせた背中を見送った。
「まだ若いんですから、悩みながら生きていけばいいと思いますけどね」
「残念だけど私たちには分からない。理解もできない」
理由は寿命だった。そして二人にとっては、夢は夢でなく目標であり、通過点に過ぎなかった。この世界の人々が高校生から夢を持ち、叶わずに三十歳になり、諦めるとする。その頃二人は夢という名の目標を一つ思い立ったくらいだ。「いつかあの海で泳ぐ」というのもやりたいことリストの一項目。
「小さい頃の夢って何だったんでしょうね。まったく思い出せません」
「今は大怪盗になることが夢でしょ?」
「それは目標です。夢じゃない」
夢という単語を連呼したおかげで、意味が曖昧になる。
「いつか夢を見つけよう。そして幸せも」
「はい!」
二人は大怪盗に成ったその先に待つ未来に想いを馳せた。
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