遠くにいる者はこの音を聞け!

朝戸 路補

第1話 生きるべきか、死ぬべきか

 その少女の面影がまだ残っている女性は悩んでいた。


 高校を出て一人暮らしを始めたが、その日常は思い描いていた甘いものではなく毎日の日々が砂を噛むようにひどく味気ないものであった。


 そして何時からかこの無味で焦燥感だけが高まる生活から何か変化を与えてくれる物事を期待するようになっていた。


「私はまだ若い部類に入るだろうが学生という人生での準備期間は終わりそうになっている…。私にはまだまだ世間に出て戦う自信なんてこれっぽっちも無いのに…。」


 そんな事を想いながら自宅がある集合住宅に向かう帰路の最後の曲がり道を過ぎると自宅の玄関ドアの付近に何やら大きなものが落ちていた。


 女性が訝しみながら自宅に近づくと何やら自分の人生に事件が起こるのを予感した。


「!!。」

 なんと男性らしき人が倒れていた。


 女性が倒れていた男性を見つけて突然の事にしばらく呆然としてると、男から微かに呼吸する音が聞こえて胸とおぼしき所も呼吸に合わせて規則正しく動いていた。


「良かった…。死んでなかった…。」


 女性は死体の第一発見者なんて物騒な者にならずに済んで少し安堵した後、意を決して男を起こす事に決めた。



「ちょっ、ちょっと!!。おじさん大丈夫??。

 おじさん、休んでるとこ悪いんだけど人の家の前でぶっ倒れてもらっちゃ困るんですけど!!。ウチの玄関のドア、外開きなんだから入れないでしょ!?。」


 大学生とおぼしき娘に乱暴だが多少手加減した感じで足を使って揺すり起こされて

 その男は目を覚ました。


 目覚めた男は見かけは初老の域に達するかくらいの年齢に見えたが、背格好は中肉中背で身なりは浮浪者のそれでなく小ぎれいでファストファッションの物でも無さそうだった。




「す、すまない…。」


 起き出した男は事情がよく分からないという感じだったが静かに起き出して、服の埃を払いながら手荒だが起こした女性にまずは謝意の言葉をかけた。


 しかし起こした女性はその初老の男を見て、正確には目と目を合わせてギョっとせざるを得なかった。とても理知的だがすさまじく目力がするどく加えて緑色に光っている感じを受けたのだ。


 でも、その強烈な眼差しの印象もほんの一瞬の間だけだった。

 男はひどく体力を消耗してるらしく次の瞬間には恐ろしささえ感じたその眼光も弱々しさを感じた。


「しょーがないな……。おじさんは…。ちょっとの間だけどウチで休んでく?。」


 そう促されて男はコクリと頷いて応えた。


「でも変な真似したらソッコー追い出して警察呼ぶからね!!」




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 買ってきた物で簡単だが手料理を作り、食事を摂りながら話を聞くと男は


昼面ひるもいでる


 という自身の名前しか覚えていないらしく男の引き取り先としての家族なり友人なりの事も聞いても思い出せないらしい。

 持ち物も着ている衣類以外は画面ロックが開けられない残り電池が半分以下でメーカー不明の謎の黒いスマホを持ってるだけだった。


 ただ、男は何かに急かされているの追われているのか、しきりに外の様子を警戒していた。


 少女は内心で

「まいったな……。このおじさん、ちょっとかっこいいけどやっぱし警察呼んで任せたほうがいいのかなぁ……。」

 と思い始めてた。


 そう思いながら食事を済ましテーブルの上を片して、黒いスマホの画面ロックを外そうとスマホと格闘してた昼面の顔を不意に一瞥してまたも少女はギョっとせざるを得なかった。


 どう見ても男の顔が一回り、いやそれ以上若返っていて初老に近かった男の面影は今はなく少女と大して歳の差がない青年の面立ちになっていたのだ。


「昼面さん??。おじさんに何が起きたの??。あなた本当に何者なの!?」


 少女が思わず心の声を口から漏らした時、静かだった少女の住まいに何かの着信を知らせるスマホのバイブ音が響いた。どうやら謎のままの昼面の黒いスマホから響いたものらしい。


 

 テーブル上の昼面の黒いスマホは相変わらずロックをはずせない様だったがスマホの簡易通知の表示には何かのアプリの通知で簡潔明瞭に次の不穏なメッセージが届いてた。



『今すぐそこから逃げろ!』



「なに!!??。このメッセージ!?。」

「このタイミングで誰よ!?。こんなもの送りつけてくる奴って!!。頭に来るわ!!。」


 

 少女が謎のスマホのメッセージを見つけて激昂した様子で悪態の言葉を言いながら昼面の謎の黒いスマホに触ろうとしようとした途端、少女のワンルームマンションに何者かが突如ドアをブチ壊して乱入してきた。



 部屋に乱入してきた謎の人物……いや、人の姿を模したその人外の物はマネキン人形の様に艶やかな白い皮膚の上半身裸体の筋骨たくましい男性に見えたが頭は何故かスーパーやファストフード店で提供されるような紙袋で覆われていた。

 しかしその右手に素人目で二人を容易に惨殺できそうな巨大で奇妙で鋭利なナタのように大きい『ナイフ』と思しき凶悪な得物が握られていた。



 乱入してきた怪人はどうやら目が見えてないのか、周囲の臭いを嗅ぐ行為をして耳障りな嗄れたドスの効いた低い声でこう言った。



「ヒルモ……ゴゴ二イルナァァ!!。ゴロス!!ゴロスゥゥ!!」



 しかし、こんな恐ろしい怪人に名指しされて殺害宣言されたにも関わらず当の昼面は少し面倒臭そうに顔をしかめたがどういう訳か恐怖は全然感じて無いようだった。


「やれやれ……、やはりここも嗅ぎつけられてしまったか……。」


 そう言うと昼面は最初見つけた時の覚束無い様子は微塵も感じることのない俊敏さで武器を持った怪人を何処にこんなちからがあったのか軽々と屋外に蹴り飛ばした。


「お嬢ちゃん、すまない…。私に会ったせいで家がこんな事になって……。」

「今はまだ出来ないけど私に『音楽のちから』が戻ったら何か埋め合わせをしようと思う…。ごめん。」


 突然の展開で恐ろしくなって部屋の片隅に縮こまってる女性を見つけて昼面は謝意を込めて深々と頭を下げたかと思うと屋外の怪人を睨みつけて尋常ならざる早さで外に飛び出た。



 外に飛び出た昼面は月明かりのなか精悍な風貌の青年のようになってた。

 その表情はすべて事情が分かっているらしくすっかり日が暮れて暗くなった周りを見渡してこう叫んだ。


「おい!!、『サウザンナイブス』の一匹のこいつが現れて、尚且つさっきのメッセージでご丁寧に注意してくれたって事はお前らもここに居るんだろ!?。」


「『ブラックガジェット』を奪いとってくる役目は私だが、パスワードを変える作業は私の役目じゃなかったよな?。」


「居るのは分かってるぞ!お前らも出てきて少しは手伝え!!。」



 そう昼面が虚空の夜空に怒鳴ると建物の暗がりから対象的な男の二人組が現れた。



 一人は筋骨の逞しく奇怪な紙袋の怪人と素手でも戦えそうな長身の厳めしい顔の大男。


 もう一人は短髪だが物腰や風貌が柔らかく一瞬女性かと見紛う痩身中背の美しい男。



「すみません…、と一応謝りますが僕らはまだ貴方を『昼面 出』と確認したわけではありません。」


 美麗な男が高らかに歌うように昼面に言い渡した。


「そうだな…。あの『倭家わいえ』のテリトリーから奴の大事にしてる物を奪い去って逃げてくるなんて芸当いくら無敵の昼面様でもちょっと俄には信じられんからなぁ?。ガハハッ。」


 屈強そうな大男が麗しい男の言葉に合わせるように続ける。


 そう問答してる内に『サウザンナイブス』の一匹と呼ばれた怪人が道路の反対側の壁まで蹴り飛ばされていたがむくりと起き出してきた。



「ヒルモゴロズゥ!!、ソトバトデンキモイルノカ??、

 ワイエザマニアダナズモノハミナゴロズゥゥーーー!!。」



 すっかり復調したかに思われる怪人はさっきのお返しとばかりにバカでかいナタのような凶悪なナイフを昼面に向けて叩き潰れろと言わんばかりの勢いで振り下ろしてきたが、これも昼面は涼しい顔で踊るように身をかわして、今度は強烈な膝蹴りで暗がりから現れた二人組のほうに飛ばしてきた。


 が、それを大男が和やかな笑みをたたえながら豪快な右フックで昼面のほうにぶっ飛ばした。



「ガジェットを取り戻したのにロックのせいかまだ『音楽』が思い出せなくてそいつを倒せないんだ!。」

「『音楽』のちからじゃないと『倭家』のちからや念出物には決定的な対抗手段にならないのを当然お前たちも分かってるだろ!?。』


「『倭家』のちからを怖れて今の私を警戒するのも分からなくもないが一つ、このガジェットのロックを外すパスワードのヒントをくれないか!!」



 怪人と対峙しながら、まるで友達との飲み会の罰ゲームに応じてる学生が軽口をたたくような余裕を感じさせる問答を二人組の男たちとしながら一つ提案を昼面がすると二人組の男たちは肩をすくめて相談しだした。



「ガハハッ、どうする?。昼面さんのこんな肉弾戦だけで戦ってる姿なんて滅多に見られないけど本当にまだ『音楽』が使えんらしいぞ!?。」



「機嫌を損なわれて後で何かされるのも面倒だし、ヒントのひとつくらい出しますかねぇ?。それじゃ??」


 痩せた艶やかな男は和やかに頷くと昼面にこう言い放った。


「それじゃ最大で最後のヒントを一つ教えましょう!!。

 パスはあなたの好きな歌劇のセリフの一節ですよ!!。

 これで分からなければあなたはそこまでの人間だったとこちらも諦めます!!。」 



 それを聞いて怪人と適当に戦っていた昼面は片手をあたまに添えて苦笑いせずにはいられなかった。


「なんだ、『それ』だったのか!?。」

「ありがとう!、お前らはやっぱり最高だよ!。最初に気がつかなかった私がどうかしてたよ!。」



 昼面はそう言うが早いか慣れた手つきで片手で『ブラックガジェット』と呼んでた黒いスマホに



『To be,or not to be』 



 ハムレットのウィリアム王子の有名なセリフの原文を打ち込んだ。


 その瞬間、昼面は黄緑色のレイヤーの光とも炎とも言えるような業火に包まれ焼かれたかに見えたが何故か昼面は驚きも熱そうな素振りも見せずに満ち足りた表情をその顔にたたえていた。


 一瞬だが確かに緑の大火に包まれた昼面は完全に生まれ変わったかのような活力と生気に満ちあふれていた。


「二人ともありがとう。ようやく己自身を取り戻せたようだ。」


 そう呟くと昼面は全てが解決したかの様に晴々とした屈託のない笑顔を見せた。

 その顔は青少年の誰もが一度は見せる輝ける若人の美しさが溢れていた。



「ガハハッ!!昼面さん、ちからが復活したならそのうろちょろしている『倭家』の手先をきれいに消し去ってくれよ!。」


「まぁ、本来の昼面さんのちからなら物足りないただただタフな面倒臭い相手だろうけど以前の感じを取り戻す練習相手にはちょうどいいでしょ?。」


 二人組の男たちもひさびさに良い見物がこれから見られそうとなんとなく期待と興奮が抑えられないようだった。



「そうだな……、今ちょうど新しい『音楽ムジカ』のヴィジョンが湧き出してきたから少し試させてもらおうか!?。」



 何か危険な雰囲気を感じ始めたのか怪人は慌てだしたかの様に猛烈な凶悪な大ナイフの連続攻撃を昼面にたたみかけているが面白いくらい昼面にはまったく当たらず全て空を斬る音だけがしていた。


 どうやら今のこの怪人と昼面の戦闘能力の差はとてつもない開きがあるようで、怪人の顔は紙袋で見えなかったがもし見えてたら泣き顔に近い悲壮な顔が拝めたかもしれない。



「ではいこうか!!。快気祝いの私のブランニューソングを!!!」


 少し怪人から距離を取ると昼面は器用にブラックガジェットを斜めに傾けた手の平の中で高速に回転させたかと思うと始めそれは緑の電光を不規則に放つ弦を持った楽器のような形をとりはじめ、最終的には巨大な緑の稲光で周りを照らすギターと呼ぶには少々デカい不思議な光輝く楽器の様な物体が顕現した。


 昼面が手慣れた手さばき指さばきを使い、光輝く楽器のような物体の弦と思しき部位をかき鳴らすと周囲の空気とその場の人間の肉体を震わせ、魂が吹きとびそうな巨大なビート音が轟き始めた。


『エリアの向こうからカンブリア期まで 天上にはマルスさらに上にはアテーナイ!

 彼女は求める 光が象る生命のかたちを!!。』


『さて世の森羅万象に聞こう!。我の行く先を阻むこの哀れなものが

 「生きるべきか、死ぬべきか」 を!!』


 そう、昼面が巨大な光輝く楽器を轟かせながら魔法の呪文のような不思議な「歌」を歌いながら右手の人差し指で怪人を指さし始めると先ほどまであれほど暴れ廻っていた怪人がピタリと動きを止めてブルブルと震えだし始めた。


『To be,to be or not to be!. To be,to be or not to be!』

『To be,to be or not to be!. To be,to be or not to be!』


 歌い続ける昼面の目から強力な緑色の光が迸り始める。一際声高く歌い叫ぶと怪人は苦悶そうな今際のうめき声を漏らしながら大きな風船が破裂するかのように極限まで膨張したかと思ったらほのかに金色の輝きを出しながら急激に小さく収縮しだした。


 そして、先ほどまで奇妙な怪人だった物は普通のスマホよりかは多少は大きそうな金色の固そうな物体に変わってしまった!!。



「おいおいおい!!、この人マジかよ!?。」


 屈強そうな大男がそういうと怪人だった金色の小さな塊に駆け寄ってその塊を鑑定するように見定め始めた。


「こいつは……。もしかして不格好ではあるけど金塊になってるんじゃないのか??」

「ガハハッ!!。『卒塔婆そとば』、見ろよ!?。昼面さんがこいつを金塊に変えちまう『音楽ムジカ』を編み出しちまったぞ!!。こいつは驚いたわ!!。」


 大男は喜びと興奮を入り交えさせた感じでかつて怪人だった金のインゴットを「卒塔婆」と呼んだ麗しい男に手渡した。


 しかし対象的にそれを受け取りながらも卒塔婆と呼ばれた男はあまり喜んでないようだった。


「喜ぶのは早い!『殿木でんき』、残念ながらあのすさまじい『ムジカ』は無闇に多用はできないみたいですよ……。」


 屈強そうな大男「殿木」から金塊をうけとった麗しい男「卒塔婆」は大きく嘆息して昼面の方に一瞥した。


「そうだな…。倭家からこいつらをたくさん差し向けさせてそれを倒して荒稼ぎ……とはちょっといかないようだ……。」


 肩で息をしながら言葉を吐いた昼面は先ほどと比べると明らかに大きくちからを消耗していて、またも壮年の紳士の容姿に変わっていた。


 どうやら彼らの言う『ムジカ』のちからは大きく生命エネルギーを使うらしく、使った場合消耗して肉体年齢、風貌までも影響されて変わるらしい。


「返せ、これは別にお前らの為でも自分の為にでもやったことじゃない…。」



 そう言って殿木から金塊を取り戻して昼面は玄関ドアがもぎ取れてる少女の家の玄関の方に向かって歩み出した。



 あちこち壊れてしまった借家の集合住宅の一角で恐怖に震えていた女性に昼面は努めて穏やかに感謝を込めて次の様に語りかけた。


「お嬢ちゃん、君には本当に感謝と申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになってる。」


「君が暖かい手料理を食べさせてくれたおかげでさっき見たと思う「怖そうな怪人」を無事始末することが出来た…。」


「この手にある金塊は元はさっきの怪人だが今は限りなく純度の高い金に完全に変質した。おそらく然るべき処で買い叩かれずに売却すればこの壊れた部屋の修理と引っ越す際の資金にはなると思う。」



「我々がいるとまたさっきと同じやつらが来るかもしれないから早く立ち去るよ!。本当にありがとう!!。」



 そう感謝の言葉を述べて昼面が立ち去ろうとした時に女性はか細いがしっかりした口調で尋ねてきた。



「……待って!。」

「…昼面さ、いやあなた達は一体何者なの??」



 そう聞かれて昼面は少し当惑したような表情をしたが、すぐに和やかな微笑みを浮かべてこう言った。



「そうだね……。私達の事は『音楽使い』とでも思っていいよ。」

「そういえば、お嬢ちゃんお名前は??。」



「わ…私は『近賀きんがやわら』、お嬢ちゃんじゃないわ!。」



そう昼面に名乗った彼女の目には夜空の北辰が力強く輝いていた。


 


第一章 完

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