第20話 柊家のお姉さん〜第二回柊家圧迫面接②〜

 奏でられた旋律には聞き覚えがあった。


 店内に設置されていて普段は自動演奏機能でクラシック音楽を流す電子ピアノ。

 その電子ピアノを紅葉さんが演奏している。

 服装の影響もあるのだろう。

 伸びた背筋に滑らかな指の動き。

 まるでピアノの発表会のステージを彷彿とさせる。


 けれど奏でられているのはボカロ曲だ。

 すでに閉ざされたチャンネルの楽曲。

 マイナーすぎてネット上に転載されていた可能性も少ない。

 楽譜も公開していない。

 だから暗譜できる人間なんていないはずだった。

 作曲者である僕以外は。


 これは僕が初めてネットに公開した曲だ。

 最初の一曲目。再生数は一番少なかった。

 あの頃は作るのが楽しくて、ただ旋律の美しさだけを求めていた。

 視聴のされやすさなんて考えもしていない。

 けれどそんな第一曲目が個人的には一番好きなわけで。


 ――パチパチパチパチ。


 僕が呆然としている間に演奏は終わっていた。

 紅葉さんが自分で拍手をしている。

 演奏した自分に対してではない。

 おそらく僕に向かっての拍手なのだろう。


「驚いているってことはやっばりハル君は『ハル』だよね。私はこの曲好きだよ。少し悔しくはあるけどね」


「悔しい? いえ……それよりもどうしてその曲を知っているんですか?」


「妹が好きだからだけど?」


「桜空さんが?」


 僕の問い返しに紅葉さんがなぜか天を仰いだ。


「まさかの反応。……これはもしかしたら失敗したかも。また桜空を怒らせちゃう」


「どうして桜空さんが怒るのですか?」


「ちょっとハル君のリアクションが想定と違ったのよ。私は桜空がハル君に迷惑をかけていないかを確認したかっただけだったから。ボカロ活動の再開を強要されていないか、とか」


「いえ……そんなことはなかったですけど」


「みたいね。その反応だと桜空は自分が『ハル』のファンということすら話してない。あってる?」


「えと……はい」


 先日のデートのときに『ずっと願っていたんです。誰かさんの夢を応援することを』とは言われた。

 僕の夢を応援している。

 桜空さんが『ハル』としての僕を知っていたのであれば、腑に落ちる発言だ。


「……本当に失敗だったわ。まさかあの子が『ハル』のファンであることすらを打ち明けず、交際をスタートさせていたなんて。ミーハー気質な桜空のことだからハル君を見つけて、変なテンションで猪突猛進にグイグイ行ったとばかり」


「桜空さんがミーハーで猪突猛進?」


 僕が首を傾げると紅葉さんが額を押さえた。


「あの子……ハル君の前では相当猫被って――」


「桜空さんがどうかしましたか?」


「オホン! なんでもない。気にしないで」


 紅葉さんがなんと言ったのかは聞き取れなかった。

 ただやはりというべきか家族から見る桜空さんと、外から見る桜空さんでは印象が異なるようだ。

 誰しも家族にしか見せない顔があるのだろう。


 

 僕にもあるだろうし、家の外で家族に違和感を覚えたこともある。

 妹の柚希がそうだ。

 家の中ではダラダラしているが、外では大人っぽく振る舞っている。

 一年しか同じ中学校に通っていなかったが、物静かなで丁寧語の柚希に身内独特の気持ち悪さを感じたものだ。

 僕が知っている桜空さんには少し強引なところはあったけど、ミーハーや猪突猛進なイメージはなかった。どちらかといえば思慮深いと思っていたのだが。


「まあいいわ。このままハル君をもやもやさせて、桜空との関係がギクシャクしたら困るし。説明するから聞いてくれる?」


「え、えーと……はい」


 紅葉さんがテーブル席に戻ってきた。

 そしてアイスコーヒーを一口含み、大きなため息をつく。


「さて、どこから話そうかしら。……まあ最初からよね。んと、桜空は元々引っ込み思案で大人しい性格でね。中学生になっても部活動に入らず、帰宅部だったのよ。昔は私の後ろにちょこちょこついてきて可愛かったのよ」


「桜空さんが引っ込み思案? それに軽音部だったはずじゃあ」


「そう軽音部! 中学二年の夏、桜空は急に音楽活動を始めたのよね。最初は私への憧れかな? とか自惚れたんだけど、それがどうも違ってね」


「桜空さんはお姉さんの影響だって言ってましたけど」


「それは嘘よ。そうだったら私は嬉しかったけど。きっかけは君なの。『ハル』との出会いがあの子を前向きに変えたの」


 信じられない言葉に驚きの声も出なかった。

 僕は確かに『ハル』だった。

 けれど紅葉さんから語られる『ハル』は自分以外の誰かのようにしか思えない。


「桜空が中学二年生の夏のことよ。見たことがないほど興奮した様子で『お姉ちゃん練習したら私でもこの曲を演奏できるかな? 私と同い年の人が作ったの』と言ってきたの」


「……中学二年生で桜空さんと同い年」


「まあ君のことね。紹介されたのは素人作りとわかる拙い動画。あのときは公開されたばかりで再生数も二桁だったかな。さっき私が弾いた曲よ」


「本当に初期の頃ですね」


 そんなときから『ハル』は桜空さんに応援されていたのか。

 一曲目は動画の発注の仕方もわからなかった。

 だから雰囲気だけ演出しようと、意味深に塗りつぶした棒人間のアニメーションを自作したのだ。

 当然、再生数は伸びなかったけど。


「うちの両親はかなり放任主義だし、口うるさくはない。でも『挑戦』することを歓迎する教育方針なのよ。桜空も劣等感というか焦りのようなものを抱えていてね。だから、ついに桜空がやりたいことを見つけたって喜んだし、応援もした。ネットで公開されている『ハル』の楽曲を耳コピして楽譜に書き下ろしたりしてね」


「だから紅葉さんはあの曲を弾けたんですね」


「そこからは桜空は前向きに行動し始めた。ボイストレーニング教室に通い、友達に声をかけて軽音部を立ち上げる。そして文化祭でライブして、人気者になった」


 中学時代軽音部だったことは聞いていたけど、桜空さんが創部したのか。

 杉本は柊桜空アイドル伝説などと茶化していたが、持ち上げるのも当然かもしれない。

 引っ込み思案で大人しいかった子の変貌と快進撃。

 しかもステージに上がり、バンドのボーカルとして確かな歌声を披露すれば、人気も出るだろう。


「でも桜空の挑戦もそこまでだったのよね。挑戦の仕方を間違えたというか」


「挑戦の仕方を間違えた?」


「誰のために歌うのかという問題よ。桜空は誰かに自分の歌を聞いてほしいわけじゃない。届けたい相手はたった一人だけだった。ただ応援になればいいと思ってバンドを始めたのよ。まだ出会ってもない君だけのためにね」


「…………」


 なにも言えずに黙り込んだ。

 当時の『ハル』が聞けば喜んだだろう。自分の曲を見ず知らずの誰かに演奏してもらえるのだ。

 嬉しいに決まっている。

 けれど当時の僕はそれどころではなかった。

 少し聞いてもらえるようになり、チャンネルが荒らされ始めたから。


「桜空は自分にファンができることに戸惑っていた。当たり前よね。本人には自分が人気者になるつもりがない。それなのに注目され始めたんだから」


「……意図しない注目は戸惑いますよね」


 僕の漏らした言葉に紅葉さんが苦笑いする。

 現役でバンド活動している紅葉さんも色々とあるのだろう。

 僕は乗り越えられず、荒らし行為に心を折られてしまった。


「そして桜空が周囲の変化に戸惑っているうちに『ハル』はチャンネルを閉ざしてしまった。桜空からするとバンドをする意味も失ったわけ。けれど周囲は勝手に盛り上がったままだった」


「だから全校男子を一斉に振ったと」


「本当にあの娘は極端過ぎて笑えるわよね」


 言葉とは裏腹に紅葉さんは笑っていない。

 姉として桜空さんをそばで見ていたのだ。

 あまり笑える状況ではなかったのだろう。


 心を折られて夢を諦めた僕。

 いきなり応援する相手を失った桜空さん。

 二年前はお互い相手のことをなにも知らなかった。

 接点がない赤の他人だったから。

 もしも当時に僕らが出会えていたら『ハル』はチャンネルを閉ざしただろうか。

 ふと……そんなどうしようもない想像をしてしまった。

 


 

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