第18話 デートの裏側ー柊紅葉sideー

「あ~もうっ騙された! 前はこんな忙しくなかったじゃない! なにが簡単なバイトよクソ兄貴!?」


 昼の営業の終わり。

 喫茶ホーリーでは一人のウェイトレスがカウンターで愚痴っていた。

 金色に染まったウルフヘア。

 シックな給仕服に似つかわしくない派手な見た目だが、その女性はとても喫茶ホーリーに馴染んでいる。

 さすがは勝手知ったる実家といったところだろうか。

 幼い頃から店の手伝いをしていた貫禄がにじみ出ている。


 今日は週末の土曜日。

 いつもならば佐倉常春と柊桜空の二人がホールを駆け回っている。

 けれど本日の二人はデートだ。

 喫茶ホーリーの店主である柊夏樹は、高校生の妹の週末を潰し続けるほど鬼ではない。

 高校生カップルが週末バイト漬け。

 内心ではいい加減デートぐらいしろよ、と心配していた。


 当然、いつ二人が休んでもいいように代役の用意もあった。

 それがもう一人の妹である柊家の長女の柊紅葉である。

 想定外の忙しさに愚痴る紅葉の前に、コトンとアイスコーヒーの注がれたグラスが置かれる。

 横にはガムシロップが並々と注がれた銀容器。紅葉の好みにあわせてコーヒーフレッシュはない。


「ごめんね。うちの店大人気で」


「……美羽。そのドヤ顔がムカつく。台詞と表情があってないからね。うちの店とか言っちゃってさ」


「だって私とカジュ君の店だし」


 笑顔で惚気ける美羽に、言い返す気力すら削がれたのか、紅葉は無言で大量のガムシロップをアイスコーヒーに投入し始める。そしてストローで軽く二周混ぜただけで飲み始めた。

 味覚的には妹の桜空と同じく甘党。

 けれど桜空とは違って、甘ったるい恋愛話を好んでいない。

 正確には自分の兄と幼馴染の美羽の恋愛話が苦手なのだ。


 出会いから知っている。

 馴れ初めも知っている。

 相談されたし、協力させられたし、両方の背中を蹴り飛ばしたし、深夜に電話がかかってきて惚気話を聞かされたこともある。

 もうお腹いっぱいだ。

 全てを知っている二人のキューピッド役だったからこそ、もう心の底から関わりたくない。

 混ざり切っていないコーヒーとガムシロップ。

 苦みとコク。甘いシロップ。この層の違いが好きなのだが、なかなか理解されない飲み方だよね。

 などと適当なことを考えて一息つく。


「美羽がそう言い切るってことは、やっぱりお母さんたちは日本に帰ってこないんだ」


「おばさん達はこのまま海外で生活を始めるみたい」


「まったくあの人達はいつも自分勝手な」


「……あはは」


 いくら両親でも笑い話では済まされないことがある。

 今年の春に起こった両親出奔事件。

 兄の夏樹に店を譲り、世界一周旅行に出た話は柊家兄妹にとって青天の霹靂だった。

 大学生になって家を出ていた紅葉には影響は少なかった。

 けれど兄である夏樹が途方にくれていたのを知っている。

 色々と知っている立場だからわかることが多い。

 タイミングが最悪だったのだ。

 実は今年の春、夏樹は美羽にプロポーズする予定でいた。


 でも今に至ってもプロポーズは行われていない。

 結婚は生活の安定が最優先だ。

 いきなり店を継ぐことになった。

 急に店の準備に追われたのもあるし、将来への不安もある。

 先の見通しが立たない状態でのプロポーズを夏樹はためらってしまったのだ。 

 店のことがなければ今月に挙式が行われていたかもしれないのに。


 あの両親のことだ。

 夏樹のことを考えて店を譲った気でいる。

 結婚のために背中を押したつもりに違いない。

 けれど決意して踏み出そうとしたときに、思いっきり背中を押されたらどうなるか。

 転けないためにその場で踏ん張ってしまうのが人間だ。


 散々多忙を愚痴っていた紅葉だが、今日の忙しさに安堵もしていた。

 現在、喫茶ホーリーはプレオープン状態だ。

 この人気ならば正式にイタリアンバルにリニューアルしても問題はない。

 店を軌道に乗せる道筋がすでにできている。

 二人の結婚は秒読み段階といっていい。

 こうやって二人で店を切り盛りしている時点で、結婚は決定事項のはずだから。


「あの人達が帰ってこないなら、この店は全面改装?」


「改装するのは裏だけかな。スペースを確保して外から従業員を雇えるようにするぐらい」


「じゃあこの店の内装には手を加えないんだ」


「私もカジュ君もこの店のことが好きだからね。イタリアンバルにするしても、このクラシックな内装が悪いわけではないし」


 美羽が目を細めて、店内を眺める。

 柊家からすれば我が家の一部。

 美羽からすれば柊夏樹と出会った場所であり、最も長く同じ時を過ごしている場所である。

 思い出の場所をそのまま残す決断をしたのであれば、紅葉としても異論はない。

 内心、安堵しているぐらいだ。

 ただ一つ問題がないわけではない。


「桜空はどうするの? まだ高校生だけど、この家を出るんでしょ」


「別に桜空ちゃんはこのままうちで暮らしても」


「いいわけないからね。一人暮らし? まさか海外にいるお母さんたちのところに飛ばすわけにもいかないでしょ」


「まだなにも決まっていないかな。私は本当にかまわないんだよ。桜空ちゃんは本当の妹みたいなものだし」


「桜空が嫌がるわよ。私の方で引き取るのが一番いいんだろうけどね。……今はそれも嫌がられそう」


 結婚すれば夏樹と美羽がこの家で一緒に住み始める。

 新婚したての兄夫妻。

 同じ家に住みたい妹がいるだろうか。

 気まずくて絶対に家から出たがるはずだ。


「紅葉はまだ桜空ちゃんと喧嘩中だっけ。私は読ませてもらってないんだけど、桜空ちゃんが書いた小説を酷評したとか。どういう経緯か知らないけど、ちゃんと謝らないとダメだよ」


「桜空からそう聞いたの?」


「そうだけど。……その反応だと違うの?」


「私は別に小説自体は貶して……ないこともないけど不正確ね。小説自体はよく書けていたと思ったぐらいだし」


「そうなんだ。ではなにが原因だったなの?」


「気に食わなかったのよ」


 紅葉は背もたれに体重を預けて伸びをする。

 天井ではシーリングファンが回っていた。

 子供の頃はなぜ回っているのかわからなかった。今は調べたので知っている。

 店内全体の空気をかき混ぜるために回っているのだ。空気を同じ場所にとどまらせないために、ファンが同じ場所でくるくると回り続けている。


 桜空が恋愛観を拗らせた理由はわからなくもない。

 夏樹と美羽が原因だ。

 少し年の離れた幼馴染カップル。

 困難を乗り越えて仲良く寄り添っている二人の姿は、紅葉からしても理想的な恋人像だと思う。

 多感な思春期にもっとも身近にあった恋愛劇がこれだ。

 恋愛に変な理想を抱いてしまうのもわからなくはない。

 ……ないのだが。


「いくらなんでも顔も名前もわからない相手を一年以上想い続けて夢小説は拗らせすぎでしょ」


「夢小説?」


「わからないならいいの。ただ桜空の恋愛観は拗れまくっているという話」


「中学生のときに色々あったんだっけ? 学校でライブをしたらファンクラブができたとか。それで嫌な思いをして全校生徒の前で男子全員を振ったとか。桜空ちゃんモテ方も振り方も豪快だよね」


「あれ八つ当たりだけどね。あの子は別件で苛立っていただけだし」


「そうなの?」


「基本的に桜空は他人に無関心なのよ。ファンクラブが煩わしい程度では普通ならばあそこまで怒らないの。別の要因でイライラを溜め込んで爆発しちゃっただけ。完全に八つ当たり」


「桜空ちゃんが他人に無関心? 人懐っこいイメージだったけど」


「あの子は夏樹兄さんと美羽の関係に憧れを抱いているからね。憧れのお姉さんにはよく思われたいのよ。見栄っ張りなところがあるし」


「……見栄っ張り。また知らない桜空ちゃんの一面が。もしかして私は桜空ちゃんのことをよくわかっていない?」


 なぜか美羽が傷ついている。

 本当の姉よりも、憧れのお姉さんの方がいい役割だと思うのだが。

 知らなくていいことまで知ってしまうし、色々と上手く回るように調整しなければいけない。シーリングファンの役割だ。

 他の家ならば母親がその役割を担っているのかもしれない。


 柊家では紅葉の仕事だった。

 両親は子供の背中は押してくれるが放任主義。

 躓いたあとのケアはしても、怪我しないように子供を導くには向いていない。

 バランス調整をして家族の緩衝材となる役割は、いつも長女である紅葉がしていた。

 その結果として桜空と紅葉は喧嘩になったのだが。


「私も急ぎすぎたんだろうね。桜空が痛い目にあわないうちに矯正しよう。そう意気込んで喧嘩になったわけ。あの拗らせ方だと高校でもまともに恋愛もできないだろうし」


「あれ話してなかったっけ? 桜空ちゃん彼氏できたよ」


「本当に? まあ……あの子顔はいいし、その気になれたのならできるか」


「相手はハル君っていうんだけど」


「はる君ね……ハル!? えっ嘘!? マジでハルなの!?」


「そんなに驚くこと!?」


 声を荒らげる紅葉に、美羽が怪訝そうな表情を浮かべていた。

 彼氏ができた告げられたタイミングで驚くならばまだわかる。けれど名前に驚くのは理解できない。

 そこにカウンター奥からディナータイムの仕込みを終えた夏樹が出てきた。


「ハルがどうかしたのか?」


「ずいぶんと親しげにハルって呼ぶけど、二人は桜空の彼氏のハル君に会ったことあるの?」


「あるぞ。うちで働いているからな」


「今日は紅葉に頼んだけど、いつも土日は桜空ちゃんとハル君の二人に手伝いを頼んでいるのよ」


「ふーん。念のために聞くけど、髪がパステルカラーでいかにも芸術家肌みたいなタイプ? 変なところにピアスの穴開けたり」


「……なにそのパリピイメージ。そういうのとは真逆だよ。桜空ちゃんのクラスメートで、性格は真面目。落ち着きもあって、あと頭の回転は早いかも。よく周囲を見ていて、気配りができるタイプ」


「ずいぶんと高評価ね。美羽がそう言うなら、そのハル君とやらが桜空に無理やり言い寄った感じじゃないか」


「心配なのはわかるけどそれはないかな。見ている限りは桜空ちゃんの方が積極的で、ハル君が振り回されているかな」


「……桜空の方が積極的ね」


 紅葉がなにか考え込んでいる。

 その様子を観察していた夏樹が口を開いた。


「ハルになにかあるのか?」


「話を聞く限りそのハル君には問題なさそう。直接会っている兄さん達が認めているんでしょ」


「つまり問題は桜空の方か」


「……二人とも? なにか問題でも起きたの?」


 兄妹間の阿吽の呼吸か。

 交わした言葉が少ないのになぜか通じ合う兄妹に、美羽が困惑した表情を浮かべている。

 夏樹も紅葉の態度から漠然とした不安を感じ取っただけ。

 紅葉の懸念が理解できているわけではない。

 けれど長年の兄妹関係で理解できることもある。

 こういうときの紅葉の勘はだいたい当たる。


「ねえ兄さん。そのハル君と会わせてもらうことってできる? 少し確かめたいことがあるの。もちろん桜空には内緒で」


「バレて、また桜空と喧嘩になっても知らないぞ」


「大丈夫よ。ハル君は繊細で思慮深い性格みたいだし」


「来週の木曜日ならばこの店も休みだ。桜空も習い事だから家にいない」


「木曜日ってことはボイトレ教室ね。あの子まだ通い続けているんだ。じゃあその日にキャスティングしてもらえる?」


「わかった」


 あまりに早い兄妹の会話の展開に、黙って聞いていた美羽がたまらず声をあげる。


「おーい二人とも? 私を無視してなに悪巧みしているの?」


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 作者からの連絡。

 ダメな人はスルーしてください。読み飛ばし推奨です。

 重要なことは書いていないですし、私も読専の頃は飛ばしていました。


 転換点。

 ミッドポイントですね。

 ここから物語が動きます。

 ヒロインの桜空の裏事情は各話に推理可能なように散りばめてますので、すでに察している方もいるかもしれません。

 今更ですがこの物語のテーマは「疑似恋愛」「夢女子」だったりします。


 応援や評価★お待ちしてます。

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