第17話 初デートのファッション講座③
「……ねえ今日は服を買うんじゃなかったっけ?」
「てへ」
桜空さんははにかんだ。可愛い。
手には果肉がはみ出すほど山盛りメロンクレープを持っている。
ミルクの味はしっかりしているのにくどくないクリームと、旬の甘い果物が溢れんばかりに乗せられている。
さすがはクレープ専門店。崩れやすいため食べにくくはあるが、満足感とインパクトは十分だ。
ちなみに僕はビワのクレープを選んでいる。
物珍しくて頼んだがなかなか美味しい。果肉だけではビワの味が、クリームに負けてしまうのだろう。
果肉だけではなくビワのジャムがアクセントとなり、ビワの味がしっかりと感じられる一品に仕上がっていた。
時刻はもう午後の二時。
ついさっきまでアパレルショップを回っていたら、いつの間にかこの時間だった。
食事のピークを過ぎたから、フードコートで座って食べれているわけだが、さすがに長かった。
女性は買い物好きである。
その原則は桜空さんにも当てはまるみたいだ。
ショッピングモールに着いてからが大変だった。
色々な店を巡った。
男物も女物も見たし、散々に試着もさせられた。合間に挟まれるファッション講座や色の組み合わせなどの話は大変参考になったと断言はできる。
それなのにまだ服を一着も買っていない。
今日は服を買うためにきたのに。
僕の疲労感を理解してくれる人はいるだろうか。
「ハル君ビワも一口ください。メロンも一口あげますから」
「いいよ。えーと」
「あーん」
「……承知しましたお姫様」
桜空さんが広げた小さな口にビワのクレープを運ぶ。
ちゃんと果肉とジャムとクリームがバランスよく食べられる一番いいところを選んでいる。
パクリと一口食べると、桜空さんが目を見開いてうんうんと頷いている。
気に入っていただけたようだ。
「ちゃんとビワの素朴な味を残してるのに、甘くて美味しい!」
「だよね。ビワってあまり食べないけど、こんなに美味しいんだね」
「普通に食べるよりも好きかも。ではハル君も一口どうぞ。あーん」
「……あーん」
気恥ずかしい。けれど抗わない。
僕らがしているのは疑似恋愛。
理想的なデートを演じきる必要があるのだ。
そう心に言い聞かせて平静を保つ。
外で食べさせあいをするのは初めてだが、バイト中だとすでに何回か経験している。
先週もまかないのジェラートを味が違うからと、シェアして食べたばかりだ。
開けた口に広がるメロンの香りとジューシーさ。
メロンの果肉が口いっぱいに広がっていく。
ビワも美味しかったが、メロンのクレープの方が素材そのものを食べている感じが強かった。
「美味しい」
「だよねだよね! この店評判良かったから一度来てみたかったの」
「桜空さんのおかげだね。僕だと昼をクレープで済ませる発想は出てこなかっただろうし」
「やっぱり男の子には昼食にクレープは少ないかな? 結構歩き回ったし」
「ううん今日の疲労は肉体よりも精神だから。甘いものの方が嬉しいかも」
「色々と連れ回したからね。でも食べ終わったらもう一周します!」
「……もう一周」
「まだ服を買っていませんから」
「…………だよね」
僕の隣の席を見ると、本日の収穫物が置かれている。
靴の入った箱と袋に入った帽子が二個。
なにも買っていないわけではないのだが、明らかに少ない。
「これでも計画的に買っているんですよ。オシャレはまず靴から」
「それは聞いたことがある」
「そんなわけで今回は色々と合わせやすい黒の本革を購入しました」
「……まさかいきなり諭吉が飛ぶとは」
「本当は二足買いたかったんですよ? ライトブラウン系で。でもさすがに服でバイト代を使い切るわけにはいかないので。いっぱいデートしたいですし」
「靴にそこまでお金をかけるんだ」
「かけますね。靴は服よりもわかりやすいですからね。使用しているとくたびれやすいし、くすみやすい。だからよく見られるんです」
「オシャレに厳しい人は最初に靴を見るっていうね」
「……女性だと靴だけでなく、カバンも見られます」
「女性は大変だね」
桜空さんはマウントに興味あるタイプには見えない。
けれど見られ方はやはり気にするらしい。
テーブルの下を見る。すると言っている意味がわかった。
今日の桜空さんは黒の編みサンダルと白のソックスで綺麗に見えるが、僕は登校するときに履いているいつものくたびれた白いスニーカーだ。
ひと目見て釣り合いが取れていないのがわかる。
靴の重要性がよくわかった。
……僕が靴を綺麗にしても、桜空さんと釣り合いが取れると思えないが。
「あと帽子やアクセサリーなどの小物は比較的安く買えるし、色味を加えることができますからね。便利なんです。お揃いのアイテムにしやすいですし」
「なるほどね。……お揃いのアイテム」
僕がつけている桜の花びらのヘアピンも桜空さんとお揃いになるのだろう。
種類は様々だが桜空さんは常に桜の花びらのアクセサリーをつけている。
最初は特別な意味があるとはわからなかった。
バイト中に僕の前髪を上げるためにくれただけ。
そう思い込んでいたのだが、一ヶ月近くバイトしていれば周囲の視線から気づくこともある。
喫茶ホーリーは女性客が多い。
お揃いのアイテムなどには敏感だ。
常連客から僕たちが自然と恋人扱いされているのがわかった。
鈍い僕と違って桜空さんは意図して、僕に桜の花びらのヘアピンをつけたのだろう。
全ては疑似恋愛のためだろうか。
実は特別な意図はなく、偶然とお揃いになっている可能性もある。
答えは確認していないのでわからない。
「そういえば桜空さんは最近書いているの?」
「書く?」
「ほら小説。小説家を目指しているんだよね」
「……実は今書いていないんですよね」
「そうなの?」
あっさりとした否定に思わず聞き返す。
夢に向かって突き進む。
僕は桜空さんに対して勝手にそんなイメージを抱いていた。
「今は違うことに夢中なので」
「違うこと? もう違う夢を見つけたんだ」
「見つけたというか、ずっと願っていたんです。誰かさんの夢を応援することを。もちろん自分のための努力もしていますよ。習い事も欠かしてませんし」
にっこりと笑って桜空さんが僕を見つめてくる。
目の前で言われて「誰かさんとは誰?」などと確認するほど僕もバカではない。
自惚れでなければ相手は僕だ。
茶化す感じではない。
真剣に僕の夢を応援してくれているみたいだ。
ただ僕は桜空さんに自分の夢を教えていない。
ボカロの作曲をしていたことを知っているのは僕の家族だけだ。
それに両親はボカロに興味がない。気にかけてくれていたのは妹の柚希ぐらいだろう。
桜空さんはボカロ好きだ。
作曲のことを教えても応援してくれるはず。それは疑っていない。でも教えることができなかった。
どうして桜空さんに僕の夢が知られているんだろう?
「さてクレープもなくなりましたし。今度こそハル君の服を買いに行きましょうか」
「……そうだね」
答えに窮する僕を見て、桜空さんがクレープを包み紙を折った。
誤魔化したのか、誤魔化してくれたのか。
ただ不満は残った。
桜空さんに対してではない。
絶対に応援してくれる桜空さんにさえ、夢を語ることができない僕自身が情けなかったのだ。
たぶんトラウマになっているのだと思う。
集団でチャンネルを荒らされて、自分の知らないところで好き勝手バカにされ続けた日々。
僕はまだ誰かに夢を告げる勇気を持っていない。
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