第13話 HARUの諦めた夢

「今日は疲れた」


 自室のベッドに倒れ込む。

 山登りで身体も疲れているし、柊家の濃い面々と接して心も疲れている。

 ただ嫌な疲れではなくて、どこか充実した疲れだ。

 この感覚は久しぶりだった。

 思わずパソコンとキーボードを眺めるほどに。


「また僕がボカロ曲の制作を始める……か」


 いざ言葉にすると現実味を帯びてこない。

 中学二年のとき、僕はHARUという名義でネットにボカロ曲を投稿していた。

 ピアノを習っていた僕は作曲の基礎はできていた。音楽業界で活動を始めるならば早い方がいい。そう考えて必死にボカロ曲の勉強して、楽曲を制作していたのだ。


 あのときは作っているだけで楽しかった。パソコンの前で何度も寝落ちして、学校に遅刻したこともある。

 それぐらい熱中した夢が僕にはあったのだ。

 ……もう諦めたけど。


 いきなり始まった彼女の兄との圧迫面接。

 僕たちは付き合ってません。

 疑似恋愛の関係です。

 なんて本当のことを告げられるはずがない。

 けれどその場を乗り切るためだけに、好きとか愛しているとか、そういう言葉は口にしたくはなかった。

 だから桜空さんと一緒にいて、いかに楽しいか熱弁した。

 それは偽りのない想いだ。


 結果として、僕はカジュさんに認められた。

 帰り際には桜空さんが不機嫌になるぐらいに仲良くなれた。

 圧迫面接も途中から遊びが入り、何度も最初からやり直しを色々なバリエーションを試していたぐらいだ。

 今度の土曜日から僕は桜空さんと一緒に喫茶ホーリーで働くことになっている。

 ただカジュさんから課題も出されてしまった。


「ハル。お前に夢ややってみたいことはあるか?」


「えと……いえ」


「その迷い方はあるんだろ? 無理に聞き出すことはつもりはない。だから夢を否定はするな」


「……はい。あります」


 正確には『ありました』だったが、カジュさんの前で過去形にすることはためらわれた。

 もう諦めた夢なのに。


「柊家の教育方針で夢があるなら挑戦しろというのがあってな」


「それは桜空さんから聞きました」


「桜空から聞いたか。なら話が早い。桜空と付き合うならハルも夢を追いかけろ」


「付き合うなら夢を追いかけろですか?」


「同じ夢を見る必要はない。夢を持たない人間が、夢に挑戦している人間と交際すると劣等感を抱くらしい。……俺も付き合い始めの頃に美羽から言われたんだがな」


「美羽さんから?」


「だからあいつはバリスタを目指すことにしたんだとよ。桜空と付き合うなら、ハルも夢を追いかけたほうがうまくいくと思うぞ」


 カジュさんは純粋に僕と桜空さんの交際を応援してくれたのだと思う。

 桜空さんもカジュさんのことを怒ってはいたが、嫌っている感じはなかった。

 甘えているのだろう。

 妹思いのいいお兄さんだ。だから余計に疑似恋愛だと告白しにくい。騙しているようで心苦しい気持ちもある。

 それゆえにカジュさんの忠告に従いたいのだが。


「今さら夢を追いかける? ようやく諦めたのに」


 どうせ僕の作った曲なんて誰も求めていない。

 すでに消したチャンネルの登録者数も再生数も三桁だった。最後の一曲だけは四桁に届いたが、その再生数の半分以上が荒らし目的だっただろう。

 チャンネルを閉じる前のコメント欄はいつも荒れていた。再生数が上がって喜び、コメント欄を見て、気落ちする。

 そんな日々の繰り返し。


 桜空さんの自作小説が受けた酷評。

 その内容はかつての自分が受けた内容に酷似していた。

 恋愛したこともない中学生のラブソングは、ストレスのはけ口として格好のネタだったのだろう。

 中学二年の冬、荒らされ続けるコメント欄に僕の心がポキリと折れた。

 クリスマスを前にチャンネルも楽曲も全て消した。

 高校受験に備えるには時期が早かったが、冬期講習という言い訳は諦めるのにちょうどよかった。

 今も並べた言い訳ばかりを覚えている。

 もう一年半前の話だ。

 諦めた夢の火はくすぶりもせず、すでに消えている。

 消えているはずだ。

 今になって再開することなんてできない。

 別に作曲活動を再開しろと言われたわけではない。

 別の夢を見つけてしまえば――


 ――コンコンコン


 ノックの音に僕の思考は中断された。


「お兄ちゃん。今ちょっといい?」


「……柚希か。なんの用?」


 許可を出すと、いつものもこもこなパジャマ姿の柚希がドアを開けて入ってきた。

 柚希は生粋のもこもこ好きなので、夏でも冷感素材のもこもこパジャマを持っている。

 肩まである髪がまた少し濡れているのは、風呂上がりだからだろう。


 お風呂が空いたから早く入れの催促だろうか?

 いや、それだったらいつもはドア越しに声をかけられる。部屋に入ってくることないはずだ。

 バタンとドアが閉められる。

 柚希の瞳は爛々と輝いている。

 嫌な気しかしない。

 そして開口一番。


「お兄ちゃん! 彼女さんとはどこまで行ったの?」


「彼女!? お前なに言って」


「隠すな隠すな。今日デートだったんでしょ?」


「なにを根拠に言ってるんだよ! コミュでも変な勘ぐりしやがって」


 桜空さんとの疑似恋愛が始まって二日目だ。

 僕は誰にも言っていない。柚希が知るはずがない。

 この二日続いて帰りが遅くなっているが、それだけでいきなり彼女云々言い出すのは思考が飛躍しすぎている。

 柚希も中学二年生。

 年頃なのかもしれないが。


「ふーん誤魔化すつもりなんだ。ねえ知ってる? 私が通っているボイトレ教室って虹見台にあるんだよ? 坂の下の方だけど」


「なっ!?」


「その様子だと知らなかったんだね」


「でもボイトレのレッスンは木曜日で今日じゃないだろ。コミュ送ったときも家にいたみたいだし」


「別にレッスン日以外に寄ったっていいでしょ。スタジオに少し用事があって立ち寄ったの! そしたらお兄ちゃんが女性と仲良さそうに歩いているのを見たの! なにか文句ある!?」


 柚希の態度はどこか強引で不自然だったが、桜空さんと二人でいるところを見られてしまったのは事実みたいだ。

 疑似恋愛。

 桜空さんは恋人ではない。

 その違いを説明してもわかってはもらえないだろう。桜空さんも彼女とは自分で名乗っているし。


 彼女の兄の次は自分の妹から追求されるのか。

 げんなりする。

 でも見られてしまったからには、答えないほうが面倒なことになる。

 答えるまで毎日ネチネチ追求されてしまうのだろう。そうなることは長年の兄妹感覚でわかっている。

 兄妹関係は諦めが肝心だ。


「はぁ……彼女とは昨日から仲良くしてもらっているだけだよ」


「きゃあぁぁーーー! 彼女だって! 昨日から付き合い始めたんだ。それで?」


「ちょっと山に登っただけだよ」


「山? じゃあ虹見展望台を登ったんだ。低いけど大変だったでしょ。それでそれで? こんなに遅くなるまでなにやっていたの?」


「……バイトの面接」


「はへ?」


 柚希が首をコテンと傾げている。

 あまりの急展開に理解が追いついていないのだろう。

 このまま話を打ち切ってもいいのだが、納得できないと喚かれても困る。バイト先のことぐらいはちゃんと説明したほうがいいだろう。


「彼女の身内の店で一緒にバイトしようって話になって」


「身内……それってまさか『お嬢さんを俺にください!』『若造が! 娘をもらいたくば、この店で修行して継いでみせろ!』『わかりました!』的な!?」


「違う! なんで結婚前提なんだよ! あと親じゃなくて彼女のお兄さんの店な。デートとか諸々お金がかかるから、一緒にバイトしようという話になったんだよ」


「それでもいきなり身内に紹介されるとはやるね。でも、あの辺りって学生が働くような店あったっけ。下の方にコンビニはあったけど」


「喫茶店だよ」


 そう告げると柚希が考え込み始めた。

 柚希がボイストレーニング教室に通い始めたのは今年の春からだ。

 まだ二ヶ月経っていないが、あの辺りの地理には僕より詳しいのだろう。

 すぐに正解にたどり着いたようだ。


「喫茶店……ってまさかホーリー!? あのブルジョワな!」


「ブルジョワって。いや……あの値段帯は安くはないか」


 なにせコーヒーは一杯五百円からだ。

 もちろんブレンドコーヒー。豆によっては四桁は行く。品質を考えたらこれでもギリギリの価格設定らしい。

 あのナポリタンも単品では八百円。ランチセットデザートとコーヒー付きで千二百円する。

 柚希が習い事の終わりに寄るにはきつい値段だろう。それなのに柚希がすぐに思い至るぐらい有名な人気店ではあるらしい。


「いいなぁ。今人気なんだよ。四月にイタリアンバルとしてリニューアルされたばっかなんだって。うちのボイトレ教室は大人の部もあるから。お姉さん型の間で話題になっていて。ねぇねぇ! 身内割とかあるの?」


「来るつもりか?」


「お兄ちゃんが働いている時間帯は避けるよ?」


「本当に行ってみたいだけなんだな」


「うんうん」


「……今度聞いてみる。身内割がなくても給料から天引きしてもらうから」


「やった!」


 出会ったばかり。

 まだ働いてもいないが、店主があのカジュさんと美羽さんだ。

 たぶん歓迎してくれるだろう。

 話のネタにはされそうだが、僕が関知しないところで柚希が自発的に店に行くよりもマシだ。


「それにしても安心したよ」


「安心?」


「お兄ちゃんボカロ制作やめてから毎日死んでいたから」


「死んでいたって……あのな」


「それでボカロ制作はいつ再開するの?」


 急な問いかけに一瞬言葉が詰まる。

 まるでそうするのが当然と言わんばかりだ。


「……もう諦めたんだ。再開はしない」


「いやそんな言い訳が必要な時点で諦めれてないでしょ。未練たらたらだし。そういうのダサいよ?」


「ダサい!?」


「ダサくてカッコ悪い。せっかくできた彼女に嫌われても知らないから」


「別にボカロ制作しててもカッコよくはないだろ。人気があれば別だけど」


 人気がなければただの暗いインドア趣味。

 モテたいならば違うことを始めた方がいいはずだ。


「そうかもしれないけど、真剣に夢を追いかけて熱中している人はカッコいいよ。というかやらない理由探しして、必死に言い訳してなにもしない人はカッコ悪い」


「……仰るとおりで」


「そうだよ。そんなわけでお兄ちゃん頑張ってね。あとホーリーの件よろしく!」


 そう言い放って柚希は僕の部屋を出ていった。

 ……完全に言い負かされた。

 完膚なきまでに叩きのめされた形だ。

 怒りも湧いてこない。


「……俺カッコ悪いよな。ずっと再開しないための言い訳を探し続けて」


 チャンネルを閉じてから、僕の時間は停止した気がする。成長していないのだ。

 言い訳が必要な時点で未練はある。

 本当に興味を失ったのであれば、再開しようと思わない。言い訳もしない。やらない理由を探す必要がないから。

 全て柚希の言う通り。

 そしてこのままではカジュさんの言う通りにもなるだろう。


 劣等感を抱いて、桜空さんと向き合えなくなる

 僕がカッコ悪くて嫌われるのは、その通りだから仕方がない。

 けれど劣等感に押しつぶされて、いつか桜空さんを傷つけてしまうかもしれない。

 そんな人間にまで堕ちたくない。


「とりあえず勉強し直してみるか。今の流行も把握しないといけないし」


 本当に曲作りを再開するかはまた先延ばしだ。

 再開するにしても、勉強し直す必要がある。

 なにせボカロ界隈は流れが早い。

 曲の流行も機材やアプリの進化も目まぐるしい。流行りの曲を聞いているだけで把握できない世界だ。

 一年半も離れていたら取り残されているだろう。


「桜空さんが入荷した書籍の中にもあったよな。前は我流だったし、ちゃんと基礎から学ぶのもいいかも」


 パソコンの起動を待つ間に頭の中でやるべきことを思い浮かべていく。

 空回りし続けていた歯車が、一年半ぶりにカチリとハマった気がした。


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 作者からの連絡。

 ダメな人はスルーしてください。読み飛ばし推奨です。

 重要なことは書いていないですし、私も読専の頃は飛ばしていました。


 私事で申し訳ありません。

 カクヨムで連載していた完結済み長編。


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