第10話 柊家のお兄さん〜第一回柊家圧迫面接〜
「うちの店のアルバイトに応募した理由は?」
「か、彼女とのデート資金や服代を稼ぐためです」
「……ハル。それを彼女の兄に直接言うとは度胸あるな」
「カジュさんが言わせているんですよね!? 何回目ですかこのやり取り! 他の回答も全部却下にされたし! この店の雰囲気が好きとか、カジュさんのまかない目当てとか!」
「今日始めてこの店に来た奴の世辞が信用できるか!」
「今日、この店に初めて来て思った本心ですよ!」
彼女の家に行ったらアルバイトの面接が始まった。
なにが起こったのか僕にもよくわかっていない。
ただ店長のカジュさん、桜空さんの兄である
具材は玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム。そしてゴロゴロ入った肉感ジューシーな大きめのミートボール。
太パスタはケチャップベースで炒めた玉ねぎ旨味が詰まった濃厚なソースと絡みあう。
香辛料のきいたミートボールは単品で食べても美味しいが、味変として少し潰してパスタと絡めて味のアクセントとなる。食べ方も楽しめる一品だ。
今では大人気すぎて、店員不足に悩まされているのも納得の美味しさだった。
虹見展望台から下山したあと、住宅街の坂道の途中にあった喫茶ホーリーを訪れていた。
ドアに吊るされている看板はやはりクローズのまま。
開くはずがない喫茶店のドア。
けれど桜空さんはなにも躊躇することなく開けた。
「ただいま」
――カランコロン
ドアベルの音が響く。
手招きされて慌てて僕も中に入った。
一歩足を踏み入れた瞬間、しっかりと冷房のきいた冷気と香ばしいコーヒーの香りに包まれる。
店内には予想していた以上に趣きある内装だった。
真っ黒な一枚張り木のカウンターとサイフォン。
黒いソファーに大理石のテーブル席。
インテリアとして置かれたピアノから自動演奏が聞こえてくる。クラシック音楽。ドビュッシーの月の光だ。
店の中と外では時の流れが異なる別世界。
そんな錯覚に陥るほどに店主のこだわりが細部まで感じられた。
僕が圧倒されて入口から動けないでいると、カウンターでグラスを磨いている女性が、微笑ましそうに僕を見ていることに気づく。
入店時にこういう反応をされることに慣れているのかもしれない。
「おかえりなさい」
シックなカフェコートを身を包み、大人な雰囲気を漂わせている美しい女性だ。
スタイルの良い細身。赤みを帯びた茶色い髪は前下がりのボブカットにキリッと整えられている。
挨拶から察するに、ここは桜空さんの家のはず。であればこの人がお姉さんの紅葉さんかもしれない。バンド活動や桜空さんの書いた小説を酷評。
イメージしていた人物像と全く異なるが。
「美羽さんただいま! 来てたんだ」
「桜空ちゃんが家に彼氏を連れてくるって聞いてね。来ちゃった」
「来ちゃいましたか」
「カジュは落ち着きがなさすぎたから奥に追いやったよ。入り口開けた途端に厳しい顔で出迎えて、彼氏さんを泣かしたら困るでしょ」
「ははは……いつもありがとうございます」
「それよりも私を彼氏さんに紹介してくれない? キョトンとしちゃっているから」
紅葉さんではなく、美羽さんというらしい。聞いたことのない名前だ。
ただ桜空さんの喜色に富んだ反応を見ていると、身内に近い人なのだろう。
美羽さんが僕を見ながら申し訳なさそうに苦笑いしている。
それだけでわかる。この人はいい人だ。美人すぎて気圧されてしまったが、どこか人を安心させる雰囲気がある。
桜空さんが慕うのもわかる。
「ハル君。カウンターにいるのは
「よろしくお願いします!」
「美羽さん。こちらがハル君。私の彼氏の佐倉常春君です」
「よろしくね」
美羽さんは磨いていたグラスを置いて、手をゆらゆら振った。見た目に反しておっとりした人なのかもしれない。
僕が会釈すると、美羽さんも会釈してくれた。
なんだか和む。
だが和んでいる暇はなかった。
コーヒーとは異なる芳しい香り。
カウンターの奥から背の高い細マッチョの男性が登場したからだ。
男性は両手に持っていた二つのお皿をカウンター越しに置く。
お皿に盛られているのは美味しそうなナポリタンだ。
低いとはいえ今日は山の頂上近くまで登ったのだ。
お腹は空いている。
僕の空腹を察したわけではないだろうが、男性はカウンター席に指した。
そして僕のことをじっと見てくる。
「食え。バイトの面接はそれからだ」
「は、はい! ……バイト?」
「なんだ桜空から聞いていないのか?」
おそらくこの人が桜空さんのお兄さんの夏樹さんだろう。
強面で無愛想。
美羽さんの言う通り、いきなり夏樹さんに出迎えられていたらビビったかもしれない。
バイトとは一体。
意味がわからず横に視線を向けると、桜空さんが怒っていた。
僕にではなく夏樹さんに。
「ちょっとカジュ兄! 私にも段取りがあるんだから勝手のことにしないで」
「勝手だと? こんな時間まで人を待たせやがって。初めて彼氏ができて浮かれているのか知らないが、あまり周りを振り回すな!」
「この店で休憩しながら話すつもりだったの。それを急に出てきて、料理まで用意して。私、頼んでないよね。ハル君が家で御飯食べられなくなったらどうするの!?」
「はあ!? 育ち盛りの男子高校生の胃袋舐めんなよ! ナポリタンぐらい夕飯前に決まっているだろ。なあ……えとハルだっけ?」
「あっ! 今ハル君の名前を勝手に呼んだ! まだカジュ兄には紹介していないのに! 出てくるタイミングといい、どうせカウンターで聞き耳立てていたんでしょ! そういうの本当にやめてよね。デリカシーがない」
「あん!?」
男性は桜空さんの兄である
普段はカジュと呼ばれているみたいだが。
唐突に始まった柊家の兄妹喧嘩に僕は唖然とするしかない。
桜空さんも家ではこんな感じなのかもしれない。
なんとなく我が家の妹の柚希を彷彿とさせる怒り方だ。兄と妹。兄妹というのはこういうものなのだろう。
同じ立場のカジュさんを応援したい気持ちが湧いてくる。
美羽さんは慣れているのか、淡々とアイスコーヒーをグラスに注ぎ、ナポリタンの横に置く。
そして一言。
「カジュ君ステイ」
決して大きな声量ではない。威圧的でもない。
それなのにカジュさんは黙り込み、桜空さんも動きを止めた。
この場で誰が一番強いのか。
柊家のヒエラルキーが如実にわかる光景だ。
「わかるよカジュ君。桜空ちゃんから急に『彼氏を作った。店に連れてくる』と言われて動揺しているんだよね。心配しているんだよね」
「お、おう!」
「わかるよ桜空ちゃん。口出しされたくないよね。自分たちのペースがあるからね」
「は、はい!」
美羽さんは落ち着いた口調でうんうんと頷いている。
怖くはない。
怖くないのだがなぜか逆らってはいけないの雰囲気が漂っている。
「でもね……私は思うんだ。ハル君の前で兄妹喧嘩するのはいいことなのかな? ハル君も驚いたよね?」
「は、はい! あ……いえ?」
「いえ?」
「驚きはしましたが、うちも妹がいるので。桜空さんも家ではこんな感じなんだと」
「ハル君も妹さんがいるんだ。だったらカジュ君の言い分もわかったり?」
「えーと……はい」
「むっ!?」
隣から圧を感じた。
たぶん桜空さんが僕を睨んでいるのだろう。
振り向かなくてもわかる。だから振り向かない。
そんな僕らを交互に見ながら美羽さんは笑みを深めた。
「なるほどね。ハル君はお兄ちゃんなんだ。そっかそっか。桜空ちゃんの彼氏はお兄ちゃんね」
「ちょっと美羽さん!」
「ふふ、これ以上は嫌われちゃうね。で、カジュ君は落ち着いた? もう安心したでしょ。カジュ君がいると桜空ちゃんが落ち着かないから奥に戻ってね。あとで呼ぶから」
「……おう」
美羽さんに促されてカジュさんが奥に戻ろうとする。
結局、カジュさんは追い出される形になってしまった。その背中がなぜか他人とは思えない。
「あの! ナポリタンありがとうございます」
「……ん」
ちらりと僕を見て、カジュさんは頷いた。
たぶん笑っていたので大丈夫だろう。
直接はほとんど話していないが、少しだけわかりあえた気がする。
そんな僕に対して桜空さんが面白くなさそうにしていること以外はなにも問題ない。
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