第8話 ようこそ私の秘密の展望台に
「今日はとんだ辱めを受けました。恥辱です」
「恥辱って」
「まったく乙女の過去を詮索するなんて信じられません」
「ごめんなさい」
「そんなわけでハル君の恥ずかしい過去話を一つどうぞ」
「妹に土下座したことがある」
「……ハル君らしいですね」
放課後、僕らは図書室で時間を潰して、別々に学校を出た。
そして少し離れたコンビニで合流したところだ。
色恋沙汰の噂はすぐに広まる。
バレると面倒でしかない。一緒に学校を出るだけでも、念には念を入れて用心する必要があった。
あと時間の調整もかねている。
写真撮影は夕暮れ時だ。今日登る場所からの景色は夕焼けがとても美しいらしい。
今、歩いているのは山ではなく、虹見台と呼ばれる住宅街の坂道だ。
二車線の道路が走っており、それなりに車の流れもある。虹見台は山を切り開いて開発した住宅地だ。
近くに商店は見当たらない。
先ほど喫茶店の前を通り過ぎたが、クローズの看板がかけられていた。営業中だったならば休憩に寄ってみたかった。
水分補給のためだ。山登りの予定なのに飲み物を準備を忘れていたのだ。運が悪いことに自販機も見当たらない。
桜空さんの歩みに迷いはない。
お気に入りの場所との言葉通り、この辺りの地理に詳しいようだ。
家が近いのかもしれない。
「ハル君には妹さんがいらっしゃるのですね」
「一人ね。柚希っていうんだけど」
「柚希ちゃんですね。二つ下とか年が近くていいですね」
「あれ? 中二だって言ったっけ?」
「い……いえ。私は上に二人ですから妹や弟に憧れがあって。二つ下ぐらいかなと」
「ふーん。僕は色々と教えてくれる兄や姉に憧れるかな」
「人が本気で書いた小説をバカにする姉でもですか?」
「それは遠慮したいかも」
桜空さんの姉の紅葉さんも悪い人ではないはずだ。
今はこじれているが姉妹仲はいいみたいだし。
ただやはり自分の趣味を酷評してくる身内は遠慮したい。
歩きながら雑談する。
この二人だけの時間がなぜか心地よかった。
普段、僕は若い女の子と話すことなんて柚希以外ではほとんどない。
そのはずなのに桜空さんが相手だとリラックスして話すことができた。
似た者同士。相性がいい。馬が合う。共感できる。
色々と表現する言葉があるが不思議な感覚だ。
桜空さんもいつもより開放された印象を受けた。
学校にいるときよりも表情豊かだ。
今も機嫌が良さそうに鼻歌を歌っている。
さすがは元軽音部のボーカル。
澄んだ音色に思わず聞き入ってしまう。
鼻歌でもリズム感が心地いい。
この速いテンポをボカロ曲だろうか。
僕もメジャーなボカロ曲はほとんど聞いているはずだが、この曲は聞いたことがなかった。
どうやら聞き専としての桜空さんの音楽趣味は僕よりも深いようだ。
その鼻歌が桜空さんの足とともに止まる。
「さてここから山道に入りますよ」
「ここを登るの? 行き先は……虹見展望台まで三百メートルか」
「登ると言っても整備された山道を通るだけですけどね」
住宅街の坂道を登り切ると緑豊かな山肌に突き当たった。
開発されたのが、ここまでだったのだろう。道路は自然が残る頂上を迂回する形で続いている。
山道の入り口はその道路沿いに存在した。
案内板が入口に設置されており、一応ちゃんとした展望台のようだ。
山道には間隔の広い丸太の階段が整備されている。
踏み固められていて、雑草などは生えていない。登ることには苦労しなさそうだが、傾斜はそれなりにあった。
今が真昼であれば太陽が真上に来るので、山の自然を楽しめるロケーションだったかもしれない。
けれど現在は夕方の時間帯だ。太陽は西に流れてしまっていて、鬱蒼と生い茂る木々に太陽光が遮られてしまっている。
山奥に続く不気味な薄暗い細道だ。一人だったら絶対に登ろうとは思わない。
でも桜空さんは登る気満々だった。
いや登る気がありすぎた。
「もう写真撮影に最適な時間帯が迫っています。学校でゆっくりしすぎましたね。急ぎますよ」
「えっ!? ちょっと桜空さん!」
「ハル君も走って!」
颯爽と駆け出した桜空さんの顔は笑っていた。
今回といい、新刊入荷作業といい。桜空さんはかなり悪戯好きな一面があるようだ。
でも太陽の傾きを考慮すれば、時間に余裕がないのは事実だ。春の夕暮れは短い。
すでに夜が近づいている。
僕は二人分のカバンを背負い直し、桜空さんのあとを追う。
いつもなら絶対にしない全力疾走だが桜空さんの背中は遠ざかっていく。
でも男子の本気を見せなければいけない。
桜空さんの笑顔を裏切りたくないから。
……なんて気合だけで一気に駆け抜けられるほど、傾斜のある山道は甘くない。
「はぁはぁ……きっつい! でもあと少し」
せめてカバンが二つもなければ。
そう思うが手ぶらでも、この山道を駆け抜けるのは難しかっただろう。
どうやら桜空さんは成績優秀なだけでなく、運動も得意みたいだ。
すぐに背中が見えなくなり、木々のトンネルに囲われた山道を走っているのは僕一人になった。それでも足を緩めることはできない。
桜空さんから「走って」と言われた。
だから走る。
理由はそれだけでいい。
だらだら歩く姿を見られて失望されるのが嫌だ。
意地だけで僕は一度も足を止めることなく、最後まで駆け抜けた。
そしてトンネルを抜けた瞬間、僕の視界は茜色に包まれる。
目の前には夕焼けを背負う彼女。
くるりとスカートを翻して肩で満面の笑みで迎えてくれた。
「ようこそ私の秘密の展望台に」
肩で息をしている。息が整わない。なにも答えられない。
ただ綺麗だと思った。
南側にひらけた虹見展望台。
遮るものがなく眼下に広がる街並み。
距離の近い夕焼けの空。
そんな美しい光景が広がっているのに。
「どうかしましたか?」
「ううん。……なにもない」
僕は桜空さんから視線が外せなかった。
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