第7話 柊桜空の中学時代

 朝の教室。


 寝不足な僕は机に突っ伏していた。

 教室では桜空さんに話しかけたりしない。

 これは図書準備室での話し合いで決まっていたことだ。

 クラスメートにバレても面倒なだけだし、関係性を隠す方針になっている。

 僕らのしていることは疑似恋愛であって、本当の恋愛ではない。

 この違いを説明しても理解されるとは思えない。


 顔を横に向けて、窓際の席に座っている桜空さんの様子をそっとうかがう。

 いつも通り女友達と話すその姿は、昨日まで僕が知っていた柊さんだった。

 話している相手は一緒にいるところをよく見るクラスメートの岸野さんだ。

 ともに美少女と呼べるがタイプが違う。

 岸野さんは背が高くモデル体型。髪も短く男子よりも女子に人気があった。


 桜空さんと岸野さんは絵になる二人だ。

 親密さと身長差が相まって、二人だけの世界を形成していることが多い。

 男子が話しかけづらい理由もそこにあるのだろう。

 少なくとも教室での桜空さんからは、悪戯好きな子供のような一面があるようには見えない。


「なるほど。ハルは岸野と柊……昨日の様子から柊にお熱か」


「うわっ! 杉本!?」


「ちす。おはよう」


「お……おはよう」


「それにしてもミステリアス朴念仁のハルが他人に、しかも女子に関心を持つとはな。朝から驚いた」


「なんだよその呼び方。ぼんやり窓の方を見ていたら目に入っただけだよ。あの二人絵になるなと思って」


 桜空さんを観察していたのは事実だ。

 必死になって誤魔化しても逆効果だろう。

 だから否定も嘘も言わない。肯定して話題をそらすだけだ。


「昔からあの二人は仲がいいからな。岸野の背が伸びて、騎士役が様になっているし。今の方が吹雪姫と騎士様の呼ばれ方がしっくり来るな」


「吹雪姫に騎士様?」


「あの二人は中学時代のあだ名」


 杉本はカバンを置いて隣の席に座った。

 岸野さんが騎士様。

 吹雪姫は桜空さんだろう。

 杉本は顔の広い気配り屋だ。空気が読めて変な悪ノリをしない。人付き合いが苦手な僕の数少ない友達といっていい。

 人格は信用できるし、言葉に嘘やからかいがあるとは思わない。

 岸野さんが騎士様と呼ばれるのはわからなくはない。

 しかし桜空さんが吹雪姫と呼ばれる理由がわからない。

 あんなに気さくで朗らかなのに。


「杉本は柊さんと同じ中学出身だよな?」


「同中出身って柊から聞いたのか?」


「そうだよ」


「……正確には小学校も一緒だ。柊と岸野の二人とはな。何度か同じクラスだったこともある」


「…………そっか」


 それは俗にいう幼馴染ではなかろうか。

 桜空さんは中学校が一緒なだけという口ぶりだった。

 なんとなくだが桜空さんは素で忘れている可能性が高い。

 同じことを思い至って、杉本も微妙な表情を浮かべたのだろう。

 僕が言えることではないが、桜空さんも興味がないことにはかなり無関心な気がする。

 とりあえず話を戻そう。


「それにしても吹雪姫と騎士様か。変わったあだ名だね。柊さんは中学時代は軽音部だったって話だし、バンド活動と関係あるの? バンド名とか?」


「……まさかバンドのことも柊から聞いたのか?」


 杉本が驚いた様子で聞き返してきた。

 桜空さんが自分から軽音部のことを話したのが意外らしい。


「そうだけど……なにかあったの?」


「あったといえばあったな。他人の過去を勝手には話す趣味はないんだけど、まあハルならいいか。柊から直接聞いているらしいし」


「陰口の類なら別に言わなくていいぞ」


「そういうのじゃない。どちらかと言えば武勇伝の類だな。ちなみにバンド名は関係ない」


「武勇伝?」


「柊桜空アイドル伝説」


「なにそれ……柊さんはバンドではなくアイドルだった?」


 軽音部にアイドルに武勇伝。

 桜空さんの中学時代は掘れば掘るほど謎に満ちている。

 ただ想像してみたら意外とありかもしれない。

 アイドル衣装を身にまとった桜空さんが、ステージ上で歌い踊り、笑顔を振りまく。

 教室での柊桜空とはギャップがあるが、昨日の桜空さんならアイドルもできそうだ。


「待った。アイドル伝説は取り消す。柊に聞かれると、俺相手に吹雪姫が再臨しそうだ。岸野の奴を怒らせるのも怖い」


「吹雪姫の再臨。そこまで恐れるってことは、まさか柊さんは同じ中学出身者から怖がられてるのか?」


「少なくとも男子からは畏怖される存在だな」


「男子から畏怖?」


 これまた桜空さんのイメージ程遠い言葉が出てきた。

 桜空さんは中学時代から波乱万丈な人生を送っていたようだ。

 柊家の騒乱といい、トラブル体質なのかもしれない。


「柊桜空はモテすぎたんだよ。普段大人しそうなのに岸野と一緒に仲間集めてガールズバンド組んで、文化祭で颯爽とライブしてさ。ボーカルで歌う姿があまりにも格好良くて、本当に歌唱力も高かったからな。一部の男子が勝手にファンクラブ結成するぐらいモテた」


「……ファンクラブ結成」


「なかなかに本格的だったぞ。絶対にプロになれる。歌い手としてネットに投稿しよう。我が中学の歌姫だ。とか勝手にアイドル扱いして盛り上がっていた連中が現れるほどにな。……柊本人の意志を無視。完全に悪ノリだな」


「それはダメだ」


 桜空さんのリアクションが容易に想像できる。

 喜ぶはずがない。

 僕と桜空さんでは雲泥の差があるが、内面は似ている。

 僕たちは内向的に閉じている。

 だからわかってしまう。


 自分のことは自分で決めたい。

 責任は全て自分で取りたい。

 あまり他人を巻き込みたくない。

 そして他人からなにか強要されることへの拒絶感が強い。

 ファンを名乗り、勝手に自分をアイドルに祭り上げる連中を好意的に見るはずがない。

 抱く感情は嫌悪だろう。

 昨日、桜空さんは言っていた。


『でも私は一度ライブして満足しちゃったんですよね。歌、楽器演奏、ライブ。バンド活動は嫌いではない。けれど人前で演奏することに特別な感激はなかった。これは姉の夢であって私の夢ではないと悟ったんです。私には合わなかった』


 何気ない口調だったが、かなり嫌な思いをしていたらしい。

 合わないと判断したのも納得だった。

 歌いだけならばカラオケで十分。

 アイドルに祭り上げられて、他者に聞かせるためのライブに嫌気がさしたのだろう。


「しかもそいつらの悪ノリがさらに悪化してな。柊に告白するのが男子の間で流行ったんだよ。もちろん振られる前提な。柊に告って振られることが男の勲章みたいな。中には本気の奴もいたかもしれないけど」


「それで柊さんはどうしたの?」


「文化祭から二ヶ月後、我慢の限界を迎えた。二学期の終わりの十二月、突然のバンド解散宣言をして言い放ったんだよ」


『私を持ち上げるな。恋愛感情を持つな。気持ち悪い』


「集まった男子全員がまとめて振られたわけだ。それでついたあだ名が吹雪姫。桜吹雪から桜が消えたんだったかな」


「……武勇伝すぎる」


「だろ? 男子からは畏怖。女子には大ウケだったけどな。そのあと柊を守るように、岸野が男子を威嚇しまくっていたから騎士様ってわけ」


「なるほどね」


 たぶん桜空さんは解散宣言のあと、盛大に後悔したのだろう。

 男子につきまとわれることが嫌だった。

 変な連中のせいでバンド活動を楽しめなくなったことに苛立った。

 けれど武勇伝まで作る気はなかったはずだ。


 変に目立つことが嫌いなはずだし。

 それを察した岸野さんが桜空さんを守りつつ、浮かないように調整するようになった。

 二人の姿が絵になるのは、話しかけられないようにするための意図的な結界かもしれない。


 なんとなくだけど桜空さんがあの恋愛観を持つに至った理由がわかった。

 他人の好意が煩わしい。

 迷惑だった。

 気持ちの押しつけ合いになるぐらいなら疑似恋愛でいい。


 僕とは違った理由で桜空さんも青春を諦めた。

 恋愛感情を持たない吹雪姫。

 好きな人がいないのは事実だろう。

 ただそれよりも他者からの好意を抱かれ、変な幻想を持たれることに忌避感があるのかもしれない。


 その日の昼休みに恋人コミュに通知があった。

 桜空さんからの詰問だ。


『ハル君。朝、杉本君となにを話していたんですか?』


『吹雪姫についてちょっとね』


『呆れた。ずいぶん正直に言うんですね』


『桜空さんには嘘をつきたくないからね』


『無断で彼女の過去を探っておいてですか?』


『ごめんね。桜空さんに興味があったから』


 カンッとスマホを落とす音が聞こえた。

 教室の端にいた桜空さんだ。

 僕の方を睨んでいる。少しだけ顔が赤い。口パクで「バーカ」と呟いた。


『ハル君の過去も暴いてやる』


『暴いてもなにも出てこないけど』


『…………もしかして本当にそう思ってますか?』


『そうだけど? 桜空さんみたいに探ったら武勇伝が出てくる方が珍しいからね』


『はぁ……ならば嘘でもいいので昔の武勇伝を語ってください』


『そんなほいほい武勇伝出てこないから』


『では私と一緒に未来で武勇伝を作りましょう』


『未来の僕に無茶振りしないで』


『ハル君ならばできそうな気がしますけど、今は引いてあげます。でも勝手に私の過去を探った罰は受けてもらいますよ。放課後の山歩きはハル君が私のカバンを持ってくださいね』


『それは喜んで』

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