第5話 一致する恋愛観

「『私のことは好きにならないでください』……か」


 新刊の入荷作業は強制下校時間までには完了して、すでに帰宅の途についている。

 もう二度と司書教諭のお姉さんを怒らせないようにしよう。

 そんなことを桜空さんと二人で誓うことになったが無事に終わった。


 今は自室のベッドに寝転がって、桜空さんの書いた小説を読み終えた。

 宣言された柊桜空さんの疑似恋愛計画。

 どうもただの思いつきではなさそうだ。


『私のことは好きにならないでください』


 僕が桜空さんから言われたわけではない。

 これは桜空さんが書いた小説のセリフだ。

 病魔に冒されて余命幾ばくもない少女が、売れないストリートミュージシャンの青年を買う物語。

 少女の両親はすでにいない。

 ただ莫大な遺産を残していた。婚約したあとに少女が死ねば、その全てを青年が相続することになる。

 そんな契約婚姻を二人は交わす。


 余命。病気。手術。金銭契約による一線を引いた関係性。

 少女は生きることを諦めていて、ただ青年の歌だけを愛していた。

 青年は売れるためにも、活動し続けるためにもお金は必要。

 そんな現実に負けて少女の話に飛びつく。


 次第に二人は本当に恋をしていく。

 けれど心が近づけば近づくほど、二人の想いはすれ違っていく。

 少女は死を受け入れている。

 最初から青年からの見返りを求めていない。

 むしろ好きにならないで。

 一方的な愛情という毒が青年の心をかき乱す。


 最後は青年が生きてほしいという願いの歌を贈り、少女は手術を受ける決意をする。

 でも手術の結果は書かれていない。

 いわゆる余命モノと呼ばれる物語の系統だろう。


 正直な感想を言えば酷評通りだ。

 リアリティは薄い。

 病気の描写に乏しいからだろう。迫りつつある死の恐怖が感じられなかった。

 ただ少女の死の運命が前提にある。

 そんな設定を感じるのだ。


 それに金銭を得ても、青年がミュージシャンとしての大成が約束されてわけではない。

 資金を活動を支えることにはなるだろう。

 けれど少女が生きていなければ、青年の未来は暗く閉ざされてしまう気がする。


 ただそれでも僕には面白かった。

 話がシリアスになりすぎない。抽象的だが詩的な表現が多く、テンポ感が心地よい。

 浮世離れした二人の恋愛模様が僕には眩しかったし、どこか幻想的にも見えた。

 作品のテーマもしっかりしている。


 ボーカロイド曲のノベライズ本に近いのかもしれない。

 桜空さんは自分で言っていた通りボカロ好きだ。

 世界観重視。

 イメージの中の世界を文章に落としこんだ。

 伝えたいことが先行していて、恋愛小説ではなくボーカロイド曲のラブソングを思わせる作品。

 僕の好みだったのはそのためだろう。


「だから僕は桜空さんとは相性がいいと思ったのかな」


 これが桜空さんの恋愛観ならば、僕と桜空さんは似ている。

 僕も似たような考えを抱いたことがある。

 作中のヒロインの少女のように見返りを求めない献身的な愛が素晴らしい、と。

 自分の幸せも相手の幸せも考えていない。

 一方的で暴力的で傲慢な愛。

 フィクションだから美しく鮮烈に響くだけ。

 けれど純粋で歪な憧れを抱いてしまうのだ。

 

 恋愛に憧れはある。

 でもフィクションで十分だ。

 理想が高すぎて拗らせているだけ。

 そんなふうに笑われそうだが、理想と現実の区別はついている。

 現実は見ているから避けているのだ。


 自分一人ならばどうにでもなる。

 ヒロインの少女のように独りよがりな献身でもいいのだ。

 勝手に楽しんで、苦労して、泣いて、笑って、責任を取る。どんな結果でも気楽でいられる。

 けれど現実の恋愛は相手がいるから成立する。


 同じ時間を過ごす。

 相手の時間を束縛する。

 他者を想い、他者のための献身は尊い。

 でもリアクションが返って来なければ、不満は蓄積されていく。

 いずれ爆発する。

 相手に見返りを求めるとはそういうことだ。

 互いに与えあい、妥協しあい、想い合わなければ成立しない。

 恋愛は重たくて面倒だ。


 その不自由さが人間関係だ。

 そう言われてしまえば反論のしようもない。でも恋愛が人間関係の中で、特別に重たいことを否定する人はいないだろう。

 憧れていても真剣に向き合うのは面倒。

 経験したい。けれど軽くがいい。

 だから疑似恋愛でよかった。

 だから僕が相手だった。


「……僕が相手ならば本当の意味で恋愛に発展しそうにないか」


 僕が疑似恋愛の相手に選ばれた理由も納得できた。

 異性に消極的だったから。

 きっかけは図書委員コミュ。

 高校生になってすぐに、僕は桜空さんと二人だけでやり取りできる秘密の連絡手段を手に入れていたのだ。

 それなのに今日まで一度も活用しなかった。

 桜空さんは悪用されたら即ブロックするつもりだったらしい。

 けれどなにも通知が来ない。

 これはもしかして嫌われているのではないか。


 そんな疑念を抱いて、たまに僕のことを観察していたらしい。

 そこに甘酸っぱさはない。

 実験用モルモットを観察するがごとくだ。

 そしてある結論を導き出した。


『佐倉常春はヘタレである!』


 桜空さんから図書準備室で経緯を説明された。

 特に今日みたいにクラス中が恋愛話に支配されているときが顕著なのだとか。

 自分は対象外として意識から外している。

 興味がないわけではない。

 僕は自分に自信がなく、恋愛と向き合おうとしないだけのヘタレ。


「だからといって疑似恋愛の相手に選ぶか?」


 桜空さんの説明を聞いてもそこだけは疑問だった。

 リスクが大きい。

 僕と桜空さんは高校で知り合った同級生。

 話すことも稀なクラスメートだ。

 疑似恋愛の相手に指名するのであれば、もう少し知っている相手を選ぶべきだろう。

 桜空さんから異性として好かれているかもしれない。

 僕がそんなありえない勘違いを抱いてしまったら、どうするつもりだったのだろうか。


 僕にとって桜空さんは眩しい存在だ。

 ご両親の教育の賜物だろう。バンドを組んでのライブ。それが合わなければ次は小説の執筆。

 次々新たなことに挑戦していく。


 一度の躓きで夢を諦めてしまった僕には、桜空さんが眩しくて仕方がない。

 今日の放課後までただのクラスメートだったのに、今は憧れを抱いている。

 ちらりとパソコンに繋がれたキーボードを見た。

 現在は使われていない僕の夢の残骸だ。


「……僕を自分に自信がないヘタレって言うなら。もう少し人間的に魅力ある人を恋人役に選ぶべきだろ」


 青春を体験してみたい。

 恋人を作ってお姉さんを見返したい

 恋愛を経験して糧にしたい。


 でも本気の恋愛は重いので遠慮したい。


 好きな相手もいない。

 真剣に想われると相手に悪い。

 だからといって遊びの軽い恋愛には憧れがない。

 自分のことを恋愛対象として見ていないが、恋愛に憧れていて、本気で疑似恋愛に付き合ってくれる相手を探す。

 この思考の流れは理解できるのだが。


 本日の新刊入荷作業も、僕が恋人役として適役かどうかのテストだったらしい。

 図書準備室で女性と二人きりになって、おかしな態度を取らないか。

 無理やり手伝わされた作業を真面目にするか。

 単純に話していて楽しいか。

 そして諸々相性をテストしてみて合格だったらしい。


『ハル君ならば大丈夫。変に異性慣れしている。予想以上に話しやすい。面倒臭さがない。なにより私と相性がいい』


 異性慣れしていたのは僕に妹の柚希がいるからだ。

 二人きりになったときの柊さんは妹気質というのだろうか。どこか妹の柚希に似ていた。

 だから緊張しなかった。

 二人兄妹の長男の僕と、三人兄妹の末っ子の桜空さん。

 妙に噛み合ってしまったのだ。

 そのせいで僕も途中から、クラスメートの女子相手とは思えないほどリラックスしていた。

 本当に相性はいいのだろう。

 でもやはり腑に落ちない。


「考えるまでもなく僕にデメリットがない。……でもなさすぎるんだよな」


 桜空さんには別の思惑がある。

 そんなふうに僕が疑心暗鬼に陥っているだけかもしれない。

 ただ桜空さんは目を奪われるような美少女だ。

 本当に彼氏が欲しいのならば相手は選び放題だっただろう。本当に彼氏が欲しいわけではないから疑似恋愛だが。

 僕だって恋愛に興味はある。

 桜空さんの言う通り、最初から相手にされるはずがないと諦めているだけだ。

 桜空さんと僕では釣り合いが取れていない。


 桜空さんからすれば、僕は都合がいい疑似恋愛の相手かもしれない。

 僕からすれば、桜空さんは理想の相手だ。

 騙されていることを疑うほど、僕には都合がいい。

 ただこの疑念には重大な欠点がある。

 僕に騙すほどの価値がない……ヘタレだし。


「まあ……なるようにしかならないか。明日になったら桜空さんの気が変わって、全てがなかったことになるかもしれないし」


 それもあり得る未来だ。

 だからこれ以上は考えても仕方がない。

 こういうときは思い悩むのは止めて、日常に戻るにかぎる。

 僕は思考を切り替えるために、スマホをタップした。

 そしてゲームアプリを起動させようとしたのだが。


 ――ブーブーブーブー


 スマホのバイブレーションが震えた。

 コミュの通知アリと表示されている。

 反応があったのは図書委員コミュ。いや図書委員コミュから名前が変わった別のコミュからだ。


「コミュ名が『恋人』に変わっている。まあいいけ……ど!?」


 恋人コミュを開いた瞬間、頭が真っ白になった。

 大混乱だ。

 あまりの衝撃にスマホを落としそうになる。

 魅入られている余裕もない。

 脳内が疑問でいっぱいになり思考がまとまらない。

 僕が固まっている間にもう一通画像が投稿された。

 今度はコメント付きだ。


『メガネばーじょんお気に入りパジャマ』


「じゃないんだよ! なにを送ってきてるの!?」


 桜空さんから送られてきたのは二枚の自撮り写真。

 露出は多くないが生活感が過多。

 髪が湿っていて完全にお風呂上がりのパジャマ姿だった。


 湿った黒髪。火照った顔。お気に入りらしいパジャマは光沢があるシルクタッチのサテン生地。色は桜色だった。

 斜め上から撮影されているが、顔のアップではない。

 パジャマをアピールしたいのか腰から上がわかるバストアップの構図だ。

 細い腰に隆起した胸などスタイルの良さが見えてしまっている。

 混乱から抜け出せない。

 視線も外せない。

 好みを言えばメガネばーじょんの方が好きだった。


 ――ブーブーブーブー


 僕がバカなことを考えているうちにまたもやスマホが震えた。

 今度は通話だ。

 操作ミスしないように慎重に応答する。


『今回は未読スルーされてなくてよかった。ハル君、今通話大丈夫ですか?』


「桜空さんなにやってるの!? もっと自分を大切にして!」


『いや承認欲求を満たすためにいかがわしい写真をネットに投稿する自撮り女子じゃあるまいし』


「パジャマ姿はその一歩手前の危うさがあるからね!」


『そこまで? 露出もないのに』


「生活感が生々しい」


『……そこまで面白い反応されると、ボタンを開けて胸元をはだけさせた写真を送りつけたくなってきた』


「承認欲求を満たすためにいかがわしい写真をネットに投稿する自撮り女子か!」


 僕が叫ぶと桜空さんが電話の向こうで笑い転げた。

 どうもツボにはいったみたいだ。

 こっちは笑いごとじゃないのに。

 本当になにがしたいんだか。


『あー面白い。ハル君は焦ると本当にカジュ兄みたいだね』


「……桜空さんのお兄さんの苦労がわかったよ」


『ハルお兄ちゃん』


「もう切っていい?」


『リアルに妹さんがいるからハル君にはきかないか。一部に大人気らしいけど』


「からかうなら本当にもう切っていいかな? 画像も削除しておくように」


『待って待って怒らないで! ちゃんと話したいことがあるから』


「話したいこと?」


 教室とはキャラが完全に違いすぎるが、桜空さんのことを信用している。

 変なことはするけど無意味なことはしない。

 そういう人だと信じている。

 ……さっきのお兄ちゃん呼びは本当に無意味なことだと思うが。


『私が送った自撮り写真をスマホの待ち受けに設定するように』


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