第3話 柊桜空の家族問題

 新刊の入荷作業は順調に進んでいた。

 柊さんの指示出しと段取りが的確だったのが大きい。

 入荷された本の七割が恋愛小説やラブコメのライトノベル。

 最近のもだけでなく、少し前に実写化やアニメ化された作品もあった。


 残り三割はボカロ関連の書籍だった。

 ノベライズ本も多いが、動画制作の本やボーカロイド楽曲の特集を組んだ雑誌など。

 柊さんの趣味だろうか。

 同じ趣味。ボカロ好きとしては興味をそそられる内容の本が多い。


 納品のチェックは過不足なく無事に終わった。

 次の作業のためにビニール紐を外した新刊をあいうえお順、シリーズの巻数順に机に並べる。

 僕がしているのは新品の本に高校名が記載されたハンコを押す作業だ。


 最後のページを開いて丸いハンコを押す。

 ページを閉じて、閉じた状態のページ束の正面と上部にペタンペタンと細長いハンコを押していく。

 種類は三つ。

 多少のズレは気にしなくていい。

 ただページ束に押すハンコは縦書きと横書きの違いがあるので、そこだけは注意が必要だ。


 柊さんはバーコードを発行している。

 リストに従って本と番号を紐づける。

 その番号からバーコードを生成し、ラベルプリンターでシールとして印刷するのだとか。

 僕がハンコを押し終えたら、裏表紙の下部にバーコードシールを貼る。


 そのうえから剥がれないよう透明な保護シールで覆って、この新刊達は図書室の本となる。

 そのあとは棚にしまうだけ。

 棚のスペースは司書教諭のお姉さんがすでに空けてくれている。

 今回はすべて新刊コーナーに置かれるので、ジャンル分類は気にしなくていい。


 作業工程は以上だ。

 納品チェックが終われば、二人で連携する必要はない。黙々と作業するだけでいい。

 それなのになぜか雑談に華が咲いていた。

 教室とは違い、柊さんがお喋りだったのもあるだろう。

 実は柊さんの視力は悪くないらしい。

 かけているのは度の入っていないブルーライトカット眼鏡だとか。


 そんな個人的な秘密が明かされるほどに話が弾む。

 いつの間にか僕の緊張と警戒は解けている。

 フレンドリーな柊さんに、遠慮がなくなっていたというべきか。

 だから踏み込んだ質問をしてしまったのだろう。

 そこに地雷が埋まっていたのに。


「それにしてもこんなに本を頼むなんて、柊さんは恋愛小説やボカロが好きなんだね。意外かも」


「……意外ですか?」


「もっと大人びたイメージだったから」


「つまり恋愛小説とボカロは子供っぽいと」


「そうは言ってな……いです」


 ただの雜談の流れ。

 この大量の本を見れば趣味嗜好を推測するのは可能だろう。

 特別な意図はない。

 それなのに柊さんが僕の顔を見ながら、アルカイックスマイルを浮かべている。

 瞳は決して笑っていない。

 これは絶対に怒っている。

 さっきまで機嫌がよさそうだったのに。なにがダメだったんだ。

 ふとこの作業発生の発端となる柊さんの言葉が僕の脳裏に蘇った。


『入学前にムカつくことがありまして。……ムシャクシャしてやりました』


 ストレス起因の大量発注。

 うん……この話題はダメだったんだね。

 今更そのことに気づいてももう遅い。

 女性の溜まりに溜まった鬱憤を不用意に刺激してしまったのだ。

 藪をつついて龍を出した。

 天変地異の始まりだ。


 こうなると男はイエスマンになるしかない。

 僕には妹がいる。

 経験から知っている。

 この嵐は耐えて過ぎ去るのを待つしかないのだ。


「それではどういうつもりで『意外』だったのでしょうか?」


「……それは僕が恋愛小説をあまり読んだことがないだけかも。ボカロは僕もよく聞くけど」


「なるほど。知らないから先入観で発言した。それならいい機会ですね。今からハル君のスマホに私が書いた自作の恋愛小説を送るので読んでください。帰宅してからでいいので」


「えっ……柊さんが書いた恋愛小説?」


「私が書いた処女作です。高校受験を終えて、入学までの休みに書きました。そして書き終えてテンションが上がっていたのでしょうね。意気揚々と帰省中の姉に読んでもらい、盛大にバカにされた作品です」


 まさかの柊さんの自作小説。

 明かされた姉妹喧嘩というストレス源。

 こんなの予想できるはずがない。

 スマホに通知がきて、早くもコミュにテキストファイルが送られてきている。

 もちろん柊さんからだ。

 まるで準備してあったかのような早さだった。

 でもその中身を確認する余裕が今の僕にはない。

 溜まっていた鬱憤をぶつける相手が欲しかったのだろう。

 柊さんから愚痴が溢れ出してきている。


「実はうちの両親の教育方針が特殊でしてね。自分達が勉強漬けで一流大学一流企業のエリートコースを強要されたからでしょうね。子供は夢を持て。とにかく挑戦しろという方針です」


「えーと……いいご両親だね」


「ええ。投資で資産を貯めて早々にファイア。社会からドロップアウトして、二人で夢だったクラシックな喫茶店を始めるくらいにはいいご両親です」


「き……喫茶店。夢を叶えるのは素敵だよね」


「何年も続けて飽きたらしいですけどね。だから末っ子の私の高校進学を機に、兄に店を譲って、自分たちは世界一周の旅に出ましたよ」


「…………飽きて船旅」


 不満の対象はお姉さんだけではなかったらしい。

 とても愉快なご両親みたいだ。どう返せばいいのか返答に困る。

 でも問題ない。

 どうせ正解の答えなど存在しないから。

 女性の愚痴に対する解は同意と相槌だ。

 それしか求められていない。

 僕の個人的な意見など必要とされていないのだ。

 下手に自分の考えなどという余計なものを口に出せば、今以上に柊さんの機嫌を損ねることになる。


 ただし沈黙も金ではない。

 ちゃんと話を聞いている姿勢を見せること大切だ。それによって拘束時間の長さが決まる。

 妹の秋葉の前で正座した日々。長男だから我慢できた。次男だったら喧嘩になっていたかもしれない。ちなみにうちは二人兄妹だ。

 あのつらい経験はこの日のためだった。

 そう言われても今の僕は信じることができる。


「両親の教育もあり、兄は調理師、姉はバンドで音楽活動と、早々に熱中できるものを見つけていました」


「そうなんだ」


「実はこの図書室には栄養学と料理のレシピ本、あとギターなど音楽関連書籍が充実しているんですよ。あの二人がリクエスト制度を活用していたので」


「へぇ」


「……もっとも兄は寂れた両親の喫茶店を流行らすために料理の修行をしていたので、突然店ごと譲られて途方に暮れていましたけどね」


「お兄さん……報われないね」


 遠くを見つめる柊さん。今年の春はとても大変だったようだ。

 ご両親が世界一周の旅に旅立った。

 お兄さんは突然店を譲られて途方に暮れる。

 柊さんは小説の執筆に挑戦した。

 けれどその処女作はお姉さんから酷評されたと。

 いや……激動すぎるだろ柊家。


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