第17話 罠

 ディーデリヒと別れたヴォルフラムは、9番街にある自宅に帰って来た。

 ヴォルフラムの借りている部屋は、9番街の隅の方にある借家の2階だ。1階に大家が住んでいるが、他に住人はない。人通りも遠い、静かな場所。大家の趣味だろう花の植えられたささやかな庭も気に入っていた。

 

「おらよ」

 1階の居間で編み物をしている大家に魔物の死骸が入った獲物袋を投げて渡せば、銀貨の入った袋が2倍の速度で投げて寄越される。受け止め損ねて額に直撃した。


「いって〜な! なにすんだクソババア!」

「こっちの台詞じゃクソガキ」

「ぎゃっ!?」

 

 追加で投げつけられた飴玉にヴォルフラムは悲鳴をあげる。老婆は「ケヒヒ」と奇妙な笑い声を漏らした。これは若い頃は冒険者をしていたらしい、80歳にもなる癖にやたらと元気だ。

 老婆は受け取った素材袋の中身を嘗めるように検分して「今日は大サソリの甲羅か、こっちはミノタウロスの角だね。上物だ」と満足そうに頷く。


 彼女は魔物の素材を冒険者から買い取って、他所へ売る仲介業者のようなことを副業にしていた。1番街の仲介業者と違うのは、定額制ということだろうか。交渉などが面倒なヴォルフラムは楽で良いと思っているが、何を持ってきても代金は家賃含めて1袋10銀貨。金銭に興味を示さないヴォルフラムは、老婆にとっても良い客だった。


「今日も来てるよ」

「……またかよ」


 老婆の言葉にヴォルフラムは大きなため息をつく。

 老婆が腰かけていたロッキングチェアの後ろから、ひょこりと茶色い小さな頭がのぞいた。最近ヴォルフラムのもとに通うようになった妖精の子ども、ロッタだ。


「ヴォルフラムー!」

 

 突撃してくる小さな子どもを、膝で優しく受け止める。片足にしがみついた身体を足を動かして揺すってやると、きゃあきゃあと甲高い声で喜んだ。

 

「お前、いつも来てんな。ダチとかいねぇのか」

「ヴォ、ヴォルフラムに言われたくないぞ!」

「図星かよ」

 

 呵々と笑えば、「むう」と、ロッタは気まずそうに眼を逸らした。

 

 彼女は普段、9番街の中央にある教会に身を寄せている。

 あそこは孤児院も兼ねているのでロッタが行き着くのは当然だ。十数人の子どもたちと、優しいシスターと共に生活している。

 ところが、ロッタは他の子どもと上手くいっていないようだった。種族が違うためだろうか、1番の新参者だからだろうか、とにかく彼らの輪に入れないと感じるのだ。子どもたちの間にはすでに関係性ができあがっていて、そこに割って入る事が出来ずに尻込みしている。近寄るとその場に緊張が走る。あの、空気が固まる瞬間が何より苦手だ。


「こんな時間まで出歩いてるんじゃねえ。さっさと帰れよ」

「え~! 折角待ってたのに、もう?」

「亜人種は特にあぶね~んだとよ。ディーデリヒが言ってたぜ」

「それはそれは。お前のような悪たれを気にかけてくれるなんて、その方は聖人様かい?」

「いや、ただの変態」

 

 ヴォルフラムの返答に老婆は微妙な顔をした。この妙に素直の青年の言葉を冗談なのか、本気なのかを、考えあぐねているという顔だ。

 残念な事にヴォルフラムは本気である。あれはおよそ聖なるものとは対極の位置にいる男だ。

 

「まあ、その方の言っていることは正しいよ。お前は『獣憑き』で人売りに狙われやすい。今はギルドやパーティに所属していない完全にフリーの冒険者だ。後ろ盾が全くないっていうのは、身の安全が保障されないということだからね」

 

 ギルドは冒険者にとって仕事を斡旋する場であるが、それだけが役目ではない。

 多くの冒険者は初回の入会料と月額の会員料を払ってギルドに所属する。ギルドは基本的に衣食住の提供と、職業の斡旋を行う。諍いが起きれば仲裁を行い、事件や事故に巻き込まれれば、同じギルドに所属する冒険者に対して、ギルドから依頼をして救援を行ったりもする。ギルドに所属するということは、それだけでひとつの組織を味方につけるくらいの影響力があるのだ。


「知るかよ」

 

 ハン、とギルド無所属の狼は鼻で笑った。

 

「組織とか仲間とか、そういうモンはもう後免だ。面倒くせぇし、必要ねぇ」

 

 ディーデリヒは害がないから気まぐれに一緒に潜ったりもするが、それだけだ。あれは同乗者のようなものであって仲間ではない。

 

「あの女の人は?」

 

 ロッタの言葉にヴォルフラムの顔は更に険しくなる。

 

「あいつは……そんなんじゃねえ。あん時は共通の目的があっただけだ。恩もあったし……」

 

 言い訳がましくもごもごと口を動かす狼に、妖精は「じゃあラブなの?」と尋ねる。狼が即座に「ちげえ!」と否定した。その顔はトマトのように真っ赤だった。


「なんだいお前、やけにピリピリしてると思ったら発情期かい」

「ちげ~よ! ババアさいてい! ば~か!ば~か!」


 あんまりな事を言う老婆の声から逃れるように、ロッタを抱えて走りだした。




 すっかり日の暮れた9番街に大通りをロッタはヴォルフラムと手を繋いで帰った。

 舗装もされていない土を踏み固めただけの道を、ロッタは俯きながら歩いた。これから孤児院に戻るかと思うと憂鬱だったのだ。


 その点、ヴォルフラムの傍は良い。

 彼は良くも悪くも他人に興味がない。敵に対しては容赦なく威嚇するが、害のない第三者や弱者に対しては驚くほど寛容だ。現にロッタが自宅に押し掛けても、嫌そうな顔をするが本気で怒ったりはしない。

 花から生まれる妖精は、生まれた花と美しい歌声をこよなく愛する習性がある。ロッタはライラックの花の妖精だった。彼の瞳はこの花にとてもよく似た色をしている。そして歌も上手い。ねだれば歌ってくれるところも気に入っていた。

 

「あんまり出歩くなよな」

 なのに、こんな悲しい事を言う。

「最近あぶね~んだよ、わかるだろ」

「しるかよぅ」

 

 ロッタはヴォルフラムの真似をして唇を尖らせた。これにはヴォルフラムも面食らう。

 が、ちゃんと言い聞かせねばなるまい。自分の仕事が増える。

 

「んな事言ったって、あぶねえもんはあぶね~んだよ」

「し、しらないもんね」

「とっ捕まって外国に売られたらどうすんだ。もう帰ってこれね~ぞ」

「それはヤダ!」


 ロッタは悲鳴じみた声をあげた。じわじわと金の目に水が溜まっていき、ぽろぽろと泣き出してしまう。

 その悲壮感漂う様に、何だか悪いことをしている気分になる。

 

「……そんときゃ迎えに行ってやるから」

「ほんと!?」


 現金なものだ。けろりと泣き止んだロッタは「お礼におまじないしてあげる」とヴォルフラムの手を取った。くるくるとロッタは小さな指で広い手の甲をなぞる。

 彼女のなぞった場所は薄い薄い紫に色づき、彼の手の甲に4枚の花弁を持つ花の模様が浮かび上がった。


「なんじゃこりゃ」

「……ヴォルフラムがお姉さんと仲良直りできますように!」


 ロッタはにっこりと笑って胸を張る。

 手の甲に描かれた紫の花を見やったヴォルフラムは、己にあんまりにも似合わない模様に悪態をついた。


「こんなんしやがって……手袋しなきゃなんね~だろが」


 けれど、不思議と不快ではない。

 むしろ、人懐こいロッタの存在は、ささくれだったヴォルフラムの心を癒してくれていた。飢えと貧困の蔓延る街で、彼女のように性根から明るくあり続ける存在は珍しい。孤児院の子ども達と相いれないのは、もしかしたらそういう所を異質に思われているのかもしれないと、ヴォルフラムは思っていた。


「天使様」

「あ?」


 仲良く歩く2人の前に、老婆が1人現れた。教会の近くで孫と2人で暮らしている老婆で、ヴォルフラムの押し売り治療を受けた事のある人間だ。反射で威嚇したヴォルフラムは、知己の老婆の姿を視止めると、その場で警戒を解く。


「ばばちゃんどうしたの?」

「孫が……怪我を」


 ロッタが尋ねると、老婆は肩を震わせてそれだけ言った。よほど酷い怪我なのだろうか、心配になったロッタはヴォルフラムの手を引っ張った。その大きな桃色の瞳に見つめられたヴォルフラムは「わかったよ」とため息をついた。




「……こんなモンだろ」


 老婆の家に赴いたヴォルフラムは、さっそく部屋の隅で横になっていた子どもの治療にとりかかった。怪我の具合はなかなか酷いものだったが、回復魔法をかけると数分で目に見える傷は癒えた。 

 ――魔法、だんだん早くなってるな。

 満足げに頷いてから、老婆の入れたお茶を一口飲む。あまり嗅がない、不思議な香りのするお茶だった。


「おいババア、あの傷、どうしたんだ」

「どうって?」


 首を傾げるロッタに、ヴォルフラムはう〜ぐるると唸る。


「ありゃ、人に殴られた傷だろ。ガキに手ぇ出すなんざ、何処のゴロツキだ。とっちめてやるから、どんな奴か教えな」

「ヴォルフラムは喧嘩したいだけなんだぞ」

「悪いかよ」

「そこは嘘でも子どものためって言えよう!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ青年と少女の向かいに座った老婆の顔色は依然として悪い。脂汗の滲む土色の額の下で、濁った眼がギョロギョロとせわしなく動いている。


「……? どうした、ば〜さ、ん?」


 ぐにゃり、とヴォルフラムの視界が歪んだ。ふらつく身体を支えようとしたが、両腕にすら力が入らず、その場に崩れ落ちる。


「ヴォルフラム!?」


 驚いたロッタが肩を揺するが、指先がわずかに動くばかりで、全身の力が抜けている。


「天使様、申し訳ありません……お許しください……お許しください……」


 老婆が涙を流しながら懇願する声が聞こえる。ヴォルフラムの鼻には、知らない人間の匂いが近づいてくるのがわかった。

 ざっと、背筋に冷たいものが流れる。

 ――ちくしょう、やられた!


「ばばちゃん、これは一体どういうことなんだぞ!」

「……いい、ロッタ。こっから逃げろ」

「えっ?」

「早くしろ! 走れ!!」


 ヴォルフラムの声に背を押されるようにしてテントを飛びだしたロッタは「必ず助けを呼んでくるんだぞ!」と叫んで、来た道を全速力で引き返していった。


 その小さな背中を見送りながら、ヴォルフラムは意識を失った。


***


 ――1番街、『ダンデ・ライオン』にて。

 客足の大人しい早朝に、もはや見慣れた金髪の上半身裸の男が店を訪れた。


「やあテオ嬢!」

「……あなたに名前呼びを許可した覚えはありませんが、まあ、いいです」


 ホウキを片手に店の前の掃除をしていたテオは、ディーデリヒの来訪に反射で顔をしかめた。彼は誰に対してもフレンドリーで、寛容で、距離を詰めるのが早い。


 モンスターフリークとして恐れられている彼は、今や『ダンデ・ライオン』の常連だ。金払いが良く、顔が良いので店長などにはありがたがられている。

 

 テオにとっては悩みの種の1つだ。

 なんせ、彼はスライムに補食されて喜び、大蛇に巻き付かれて陶酔し、灰色狼に噛みつかれて歓声をあげる変態だった。その偏執ぶりを目の当たりにしている身からすると、彼の来訪は手離しでは喜べない。


「昨日のヴォルフラムくんは23層まで行ったよ!」

「……そうですか」


 そしてもはや恒例となったこの報告である。

 ヴォルフラムと気まずくなったテオに対して、善意からだろうが「この前はこんな様子だった」「ここまで到達した」などと頼んでもいないのに報告してくるのだ。

 彼はヴォルフラムと良好な関係を築いているようで、楽しそうに話されると歯軋りを禁じ得ない。

 聴きたいけど聴きたくない。

 そんなテオの様子を見て、リーヌスなどは彼の報告を『ヴォルフラムマウント』と呼んでいる。


「今日は何にしますか?」


 諦めて尋ねると、ディーデリヒは「いや」と手で制した。


「少しばかり店長に用があってね」


 掃除にいそしむテオに手を振ると、カウンターでグラスを磨いている店主に近寄っていった。

 

「やあ、メリエンヌさん」

「あら~ディーデリヒちゃん! いらっしゃい」

「ヴォルフラムくん見かけなかったかい?」

「あの子がここに立ち寄る事はないでしょうけど……今日は見ていないわよ」


 メリエンヌの目が言外に「何かあったのか」と尋ねている。ディーデリヒは鷹揚な笑みを崩さぬまま、


「なに、約束の時間になっても現れないからね。あとで9番街にでも足を伸ばしてみるよ」

「ま、それはちょっと心配ね」

「ヴォルくんの話ですか」


 不安げに口元を抑えるメリエンヌの脇から、憮然とした表情のテオが顔の覗かせた。音もなく現れた赤毛の店員に、メリエンヌなどはぎょっとした顔をしたが、ディーデリヒは動じた様子もなく「地獄耳かな」と肩をすくめた。


「普段声の大きい男が声を潜めたら気になるでしょう。貴方が僕に聞かせたくない内容の話なんて察しがつきます」

「う~ん、これは迂闊だったな」


 じとりと睨み上げてくるマカライトグリーンの視線を躱すように顔を逸らしたディーデリヒは、ちょうどドアの向こうに来客があるのに気が付いた。


「やあ、リーヌス嬢! 朝から珍しいね!」

「リーヌス?」


 普段は夕刻ごろに顔を見せるリーヌスは、気まずそうな笑みを張り付けて手をあげた。その後ろには白いワンピースを着た栗毛の少女と、たっぷりとした白髪をひとつに結んだ老婆を従えている。


「あ、ロッタちゃん」


 テオはその少女に見覚えがあった。以前、ヴォルフラムに会いにいった時に出会った妖精の少女だ。


「お、おねえちゃん……」


 ロッタはテオを見るなり、くしゃりと顔を歪ませた。大きな桃色の瞳から、大粒の涙がこぼれる。ひっくひっくと喉をひきつらせながら、少女は訴えた。


「ヴォルフラムをたすけて」

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