第15話 ささやかで確かな拒絶

 1番街にある『ダンデ・ライオン』は冒険者に人気の大衆酒場だ。

 料理も美味ければ酒も美味い。冒険者向きの大衆酒場というだけあって、一皿の量は多く、その割に値段もお財布に優しい。

 それでもって店員は聞き上手だ。冒険者達の愚痴や自慢話を嫌な顔ひとつせず聴いてくれる。個性的だが気のいい店主と、小動物めいた赤毛の店員に会うためだけに、通っている者たちもいる。


 そんな『ダンデ・ライオン』は今、異様な空気に包まれていた。


 看板娘のテオがカウンター席でグラスを磨きながら、どんよりと暗い顔を晒しているのだ。しばしば店長のメリエンヌに窘められて、スンといつもの無表情に戻るのだが、ふと冒険者を見かけてはあっという間に暗い表情に戻ってしまう。結局、店長は「あらあらまあまあ」と困ったように笑って放っておくことにしたようだ。


「あの駄犬……」


 どんよりとした女の唇からこぼれるのは怨嗟の声だ。

 急に1人きりになった寂しさはとうに消え失せ、残ったのは何も告げずにいなくなった青年に対する怒りのみだ。


「テオちゃんを巻き込んじゃったのを気にしているのよ」

 店長がなだめるように口を挟んだが、

「アレがそんなタマですか!」

 そう言って取り合わなかった。

 

 実のところを言うと、そんなタマである。

 テオが眠っている時、ヴォルフラムは1度彼女のもとを訪れている。メリエンヌは、その時にヴォルフラムがもうテオに会うつもりがないことを聞いていた。彼は会いたくない理由を「知られたくないから」と表現したが、メリエンヌにはなんの事なのかわからなかった。確かであるのは、ヴォルフラムはけしてテオを疎んでいるわけではなく、むしろ強く気にかけている様子であったという事だけだ。


「荒れてるにゃあ」

「なんだ、リーヌスですか」

「なんだとはなんにゃ!」


 「折角あのワンちゃんの事を教えてやろうと思ったのににゃ」と小声で文句を言うリーヌスに「どうぞ」とカウンター席を勧める。掌返しが早い。


「最近のヴォルフラムはもっぱら10層から20層の間で活動してるにゃ。無茶なことはあんまりしなくなったにゃ、怪我もしとらんみたいにゃよ」

「それは良かった。また怪我人に逆戻りなんてされたら助けた甲斐がないというものです」

「魔物の死体を剥いで売ってるみたいにゃ。稼ぎとしては悪くないんじゃにゃ~か?」

「稼いでいるなら食事の心配はしなくて良さそうですね」

「どこから目線で心配してるのにゃ?」


 淡々とリーヌスの話に相槌を打つテオに、リーヌスは呆れた顔をした。

 テオは善良で親切な女だが、少々ひねくれものでもあるので、わかりやすく他人に肩入れをしない。そんな彼女が、こんなにもあからさまに贔屓している。よほど、彼と過ごした時間が楽しかったのだろうとリーヌスは結論付けた。

 

「そういえば、パーティに勧誘されているのをよく見るにゃ」

「ああ」

 

 テオは目を伏せる。

 あの一見以降、ヴォルフラムが回復魔法を使えることは、冒険者たちの間で噂になっていた。

 彼はギルドも脱退し、スラムに居を据えている。一見落ち目の冒険者に見えるだろう。どうにか安く雇おうとする輩が現れるのは不思議な事ではなかった。

 ヴォルフラムが回復術士になりたいわけではないと知っているテオからすれば、見当違いも甚だしく、なんとも不愉快な話だ。


「まあ、ヴォルフラムは全部断ってるみたいだけどにゃ」

「そうでしょう、そうでしょう!」


 テオは珍しく大きな声を出した。

 得意げな彼女の表情に「なんで自慢げなのにゃ」と情報提供者は困惑しする。守銭奴のリーヌスからすれば、回復術士という高給取りの職を蹴るヴォルフラムの思考は理解できないものである。その行動を喜ぶテオの事も理解が及ばず困惑する。テオは本来、お金の誘惑に弱い方なので自分と同じように考えていると思ったのだが。


「彼の向上心は実に好いよ!」


 そこへ明朗とした声が割って入った。

 長い金髪を揺らした凛々しい顔立ちの美丈夫は、テオの「うわ」という声を歯牙にもかけずに明るい笑顔を浮かべた。リーヌスはこの上半身裸の男が巷で噂になっている変質者――もとい冒険者、”モンスターフリーク”の異名で呼ばれるようになったディーデリヒ・ハーバーだと気が付いて、素早く席を空けた。


「ありがとう! 隣、失礼する」

「最新気鋭の実力派冒険者と話せる機会なんて滅多にないからにゃ」

「……余計なことを」


 テオは恨めし気にリーヌスを見たが、彼女は聞こえないふりをして、ディーデリヒに酒を勧める。テオが心の底ではこの男を嫌っていないということはわかっていた。


「なら、ミルクを貰えるかい?」

「あなた、絡繰のくせに飲食なんてできるんですか?」

「しなくても問題はないよ。味覚は使わないと衰えるから、摂れる時に摂るようにしているけどね」

「そういえばコーヒー飲んでましたね」


 にこにことカウンター席に両肘をつく大男の前に冷えたグラスに注いだミルクを置く。男は一口飲んでから「特に白いものが好きだよ」などとほざくので、テオは「聞いてません」と一蹴した。


「あなた、何しに来たんですか?」

「なに、ヴォルフラムくんの話をしていただろう?」

「ヴォルフラムくん?」

 

 いつの間にか名前で呼んでいる。

 テオの眉間の皺を見てリーヌスなどは「おお怖い」と両手を上げた。ディーデリヒなどは相変わらずニコニコとしている。

 

「彼とはよくダンジョンで一緒になるんだ。今日も、先ほどまで共に潜っていたのさ」

「へえ」

 

 テオの声が低くなった。


「彼は少し人見知りで頑なだけど、慣れれば思いのほかするりと受け入れてくれるって事がわかったよ」

 

 テオの機嫌が急降下しているのに気づいていないのか、あえて放っているのかディーデリヒは神経を逆なでするようなことばかり言う。

 しまいには「私と彼は身体の相性がいいんだ」なんて物言いをしたものだから、テオは手近なところにある酒瓶で殴り掛からなくてはならなくなった。この‘’身体‘’とは戦闘スタイルの暗喩である。

 もちろん、客に酒瓶で襲い掛かったテオは店長にこっぴどく怒られた。相手がディーデリヒであったので、しぶしぶ言った謝罪に返ってきたのは、心からの謝意だったのだが。メリエンヌは「ここはそういうお店じゃないのよね」と困った顔をしていた。

 

「まあ、彼が元気でやっているならいいんです。別になんで僕には会いに来ないんだなんて考えてないですし、寂しいとかは思ってないです。一言もなく消えるなんて礼儀知らずと思わなくはないですがね。いえ、顔が見たいとかではなく」

「誰もそんなことは聞いてないにゃ」

「会いに行けばいいじゃないか」

 

 さも当然のようにディーデリヒは言う。


「彼は変わらずスラムに住んでいるよ。9番街じゃ結構な有名人だから、人に訊けばすぐにわかるさ」

「もう金がないわけじゃあるみゃ~に、まだスラムに住んでるなんて物好きだにゃ」

「古巣らしいし、気楽なんだろう」

「なんだスラム出身かにゃ。親近感湧くにゃあ」

 

 ヴォルフラムが本土の貧民街に居た事は知っている。ダンジョンでの旅で彼の言葉の節々から、薄々そうではないかと思っていたのだ。

 ディーデリヒは「そういえば」と思い出したように付け足した。

 

「最近、女の子と仲良くなったって聞いたよ」

「おんなのこ……」

 

 テオは無表情のまま、眉間の皺だけを深くした。




「別に気になるとかそういうわけでは……」


 言い聞かせるようにぼやきながらも、テオは9番街――スラムにやって来ていた。

 これは店長のメリエンヌが「知り合いに届け物してちょうだい」と気を利かせた結果でもある。黒のバーテン服に身を包んだまま、バスケットに入ったパンを携えて、9番街を歩く。


 9番街は思ったよりも整備されていた。

 土色の壁をした四角い家が立ち並ぶ。それらの殆どは崩れかけており、大通りには白い布で立てたテントが連なっていた。どのテントもぴったりと入口は閉じられている。

 テオは周囲を見渡して、意外と綺麗だなと思った。ごみや人がそこかしこに転がっているのを想像していたが、そんなことはない。ごみが落ちているといっても、他の町と変わらないくらいであるし、ガラの悪い人間が闊歩していたりもしない。むしろ通りには人影がない。閑散としている。


(閑散としている……というよりは、余所者を警戒しているのですね)


 家の中や路地の奥からは人の気配がする。テオからは姿が見えないが、こちらの様子を窺っているようだった。ゴロツキばかりの6番街と違って、力のない女子どもや老人も多いのだろう。隠れるのは自衛のためだ。いくつもの視線に居心地の悪さを感じながら、テオは店長に言われ住所を目指して歩く。


「このあたりの筈ですが……」


 メモを見ながら彷徨っていると、歌声が聞こえてきて足を止めた。

 シュトレンで広く歌われる子守歌を彩るのは、年若い男の人の声だ。優しくて、のびやかで、高い音を出す時に少し掠れる。

 上手だ、とテオは思った。――そして、同時に聞いた事があるとも。

 

 声がするのは二階建ての借家だった。借家の庭で銀髪の青年が、小さな子どもを抱えてゆらゆらと揺らしている。かさついた薄い唇が、テオの良く知るメロディを奏でていた。

 

「ヴォルくん」

「!」

 

 声をかけるとヴォルフラムは飛び上がった。歌が中断されてしまったのが勿体ないなと、テオはぼんやりと思った。


「お、おおおおおおま、お前、何で」

「隠し子ですか?」

「ちげえよ!」

 

 ぎゃん、とヴォルフラムは吠えた。

 

「スラムのガキだよ。ちょっと前に面倒を見てやったら懐かれた」

 

 忌々しそうに舌打ちして「面倒だ」と吐き捨てるが、その尻尾はごきげんに揺れているので満更でもないらしい。どうやら、ディーデリヒの言う”仲の良い女の子”とはこの子どもの事だったようだ。


(次に会った時は殴ろう……店の裏とかで)


 そんな物騒な事を考えながら、テオは「変わりないようで良かったです」とほほ笑んだ。その笑みを見て彼も安堵したように、わずかに頬を緩める。

 ヴォルフラムの腕の中にいた子どもをのぞき込むと、ぱっちりとした桃色の眼で見上げてくる茶髪の少女は「誰だ?」と首を傾げる。


「テオといいます」

「そうか! オイラはロッタ!」

 

 ロッタと名乗った少女はぴこぴこと片方しかない翅を動かした。透明な蝶の翅によく似たそれは、妖精族の証だ。しかし片翅は罪人の証でもある。妖精の住む花の谷には、罪を犯した妖精の翅をちぎり、追放するという翅裂きの刑というものがあるのだ。


(こんな幼い子が……?)


 テオの視線に気が付いたのか、ロッタはもじもじと恥ずかしそうにしながら「……昔、人間に追いかけられた時、千切れたんだぞ」と翅を隠そうとする。

 妖精は人売りの恰好の獲物であった。素直でだましやすい彼らを捕まえる際、人売りは真っ先に翅を傷つけるのだという。飛べなくなるという事と、なにより故郷に逃げ帰る事ができなくなるからだ。


「片翅は谷に入れないんだぞ」

「……それは、大変でしたね」

 

 テオはそっとロッタの頭を撫でる。

 幼い妖精は嬉しそうにその手を甘受した。

 

「でも、ヴォルフラムに会えたからいいんだ。オイラはヴォルフラムの歌とが特に好きだ!」

「ええ、綺麗な歌声でした」

 

 そして、瞳も。

 戦っている時の彼は、少年のように目をきらきらさせている。目標に向かって邁進する彼はまぶしかった。


「お、ラブか?」

 

 ませた妖精がニヤリと笑う。

 

「そうかもしれません」

 

 表情を変えずに頷く女に、妖精は「ひゃ~っ」と両手を頬にあてた。


「チッスはしたのか?」

「まだしてませんよ」

「何て会話してんだてめ~ら!」

 

 笑いあう小さな妖精と小さな女に、たまらずヴォルフラムは怒鳴った。自分が目の前にいるのに、何て会話をするんだと、真っ赤な顔でテオを睨みつける。

 

「ヴォルくん……」

「何だその顔、いつもからかいやがって、今日という今日は……」

「――いえ、尻尾が」

「アッ!?」

 

 ヴォルフラムの尻尾は歓喜の渦を描くかのごとく、ぐるんぐるんと旋回していた。真っ赤な彼の顔がさらに真っ赤になる。

 

「このクソ尻尾~~~!!」

 

 がっしとフサフサの尻尾を両手で掴み、引っこ抜きにかかったので、テオとロッタは慌てて止めに入ることになった。余程恥ずかしかったらしい。

 これだから嫌なんだ、とわめくヴォルフラムを何とか宥めすかして借家の前の階段に座らせる。ロッタに大家宛てのバスケットの配達を依頼して、自分もすぐ隣に腰かけた。

 

少しの間、2人の間に沈黙が落ちる。気まずい静寂だ。

 

「何で何も言わずにいなくなったんです?」

 

 胃のあたりが重くなるような静寂をそっと捲ったのはテオだった。

 

「……」

 

 ヴォルフラムは答えなかった。

 彼は素直じゃないが、ちゃんとお礼の言える子だ。挨拶だってちゃんとできるし、見た目によらず義理堅い所もあるのだと知った。

 他よりも懐かれていた自信もある。それだというのに、彼がなにも告げずに去り、テオの元を訪ねなかった理由とは。

 簡単だ。会いたくなかったからだ。直接会うとまずい理由がテオにはあるのだ。

 

(彼が知っていて、警戒する僕の能力――《鑑定眼》ですか)

 

 テオの深い緑の瞳に魔法陣が浮かぶ。

 そして読み取った情報に愕然とした。

 

「あなた、これは……」


 ヴォルフラムの《付き従うもの》はあろうことかテオを主人に設定していた。

 彼女をそこに据えても利点なんてないというのに。だって、テオは冒険者ではないのだから。一緒にダンジョンへ潜ってやることはできない。それどころか、譲渡した経験値はドブに捨てられるようなものだ。テオはレベルがいくら上がっても、決して強くはなれないのだから。

 

「俺は別に、お前に従いたいわけじゃねえ」

 

 テオの様子でヴォルフラムは知られたことに気が付いた。泣きそうな低い声が鼓膜を舐める。

 

「お前が主人だから、守ったわけでもねえ」

 

 ヴォルフラムは膝を抱えた。

 

「お前は気が付くから、近づきたくなかった」

 

 スン、と鼻を啜る音がする。


「誰かの下僕にならないと、まともに戦えねえ奴だと、思われたくなかった」


 テオを2人で冒険した一件、ヴォルフラムは道中だんだんと自分の調子が良くなっていくのを感じていた。

 地上に向かって行く旅路では、会敵する魔物はだんだんと弱くなっていくというのもあるし、アルベルトのいない状態で戦闘経験を積めたという事もある。けれど最も大きな要因は、《付き従うもの》がテオを主人に設定したからだと、ヴォルフラムは考えていた。


 それだけなら、まあいい。

 どうせ直前まではアルベルトを主人としていたのだ。誰でも、あのよくわからない絡繰男ですら、ドブウサギよりかは何倍もマシだ。

 ヴォルフラムにとって問題なのは、彼自身がそれを喜んでしまった事だった。

 この事を知ったら一緒に冒険しようと言ってくれるかもしれない。幸い、彼女にはダンジョンの最下層を目指す強い動機がある。

 わずかでもそんな期待をしてしまった。

 彼女を巻き込んだのは己の行いのためで、そのせいであんな大怪我を負わせたのに。

 そんな自分に吐き気がした。


「何も、言わないまま、いなくなって悪かった」

 

 ヴォルフラムは立ち上がって、「もう帰ってくれ」とテオの手を引いた。


「……僕は変わらず、ダンデ・ライオンにいます」

 掴まれた手を逆に引っ張ると、彼の深く沈んだ紫の瞳と目が合った。

「また、会いに来てくれますか」

「……もう、会わねえ」

「どうしてですか」


 呻くような青年の声に、テオは思わず大きな声を出す。人と会話している時にこんな大きな声を出すのは初めてだった。


「お前が! ……お前が、カタギの人間だからだ」


 反射で怒鳴り返しそうになったヴォルフラムは、テオの肩が大きく跳ねるのを見て、声を抑えて言い直した。


「冒険者じゃねえ、自衛できるわけでもねえ、そんな女の傍に俺みたいな奴がいてもロクな事にゃなんねえんだよ。今回の事でわかっただろ~が。……別に一緒に居なくちゃいけねえこともねえだろ。お前は絵描き、俺は冒険者、もともと生きる場所も、目指す所も違うんだぜ。仲良くする必要なんてね~よ。そもそも仲良しこよしなんてガラでもねえ」

「それは、そうですが……」

 

 テオは言い淀んだ。

 そう、自分は依然として一般人であり、彼と共にダンジョンに赴く仲間というわけではない。会おうと思わなければ、すれ違う事さえ本来はない人間なのだ。それでも「会いたいから」という一念をもってテオはここに来た。けれど、彼が「会いたくない」と思っている時、どうしたら良いのかテオにはわからなかった。

 

「助けてくれたことには感謝してるぜ。本当に。でも、もうここには来るな。俺も、会いには行かねえ」

 

 そう言い捨ててヴォルフラムは借家の中に入ってしまう。

 入れ違いで戻ってきたロッタからバスケットを受け取ると、テオはふらふらと来た道を引き返した。その背中が見えなくなるまで手を振っていたロッタは、借家の入口に隠れるように座り込んだヴォルフラムに寄り添うと、弟をあやすように「よしよし」と頭を撫でた。

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