第14話 その後の彼ら

 白いキャンパスの前で、テオはひっそりとため息をついた。

 一階のアトリエ備え付けてあるイーゼルに立てられた大きなキャンパス。その前に腰かけた年若い女画家は、筆をとっては置いて、油壺を開けては閉めてを繰り返していた。


 奈落に落ちた日から2週間。ダンジョンから帰還して1週間と少しが経った。

 投げられた石によって額を割られ、肩に矢を食らったテオは、気疲れもあり3日ほど意識を失っていた。ヴォルフラムの回復魔法のおかげもあり、後遺症もなく意識を取り戻した。

 気がつけば自宅のベッドで寝ており、『ダンデ・ライオン』の店主メリエンヌと、友人のリーヌスが側で見守っていてくれていた。情報通の彼女にどうなったのかと尋ねれば、予め調べてあったのだろう、事細かに事の顛末を語ってくれた。


 まず、テオを奈落に落としたヨルクについてだが、彼は殺人未遂で治安維持部隊に捕縛された。数々の余罪が暴かれ、本土に送られたのち投獄されるようだ。島には2度と来られないように措置を取ると、領主に約束させたとリーヌスは胸を叩いた。

 

 次にアルベルトのパーティだが、2番街の病院に1日だけ入院した後、何事もなかったかのように復帰したらしい。持ち前の人当たりのよさを持って、周囲に事情を説明した結果、また彼らの名声が広まることになったらしい。


 ディーデリヒは4番街に帰ったらしい。彼は実家で暮らしており、そこでしばらくは療養していたようだが、今は復帰しているらしい。浅層でスライムと戯れている姿が、新米冒険者に目撃されており、半ば妖怪のように思われているようだった。


「ヴォルくんは、どうしていますか? ウチに帰って来ていないようですが……」

「あー……ヴォルフラムはにゃあ」


 リーヌスは少し言いづらそうに視線を泳がせた。


「――あいつは、少しの間だけディーデリヒの家で療養していたようだにゃ。今は復帰してダンジョンにも潜ってるにゃ」

「そうですか。じゃあ、暫くしたら帰ってきますかね」

「いや」

 

 リーヌスは首を横に振った。

 

「あいつはスラムに帰ったにゃ」


 その言葉を聞いた時の衝撃は、それはもう凄まじいものだった。ガン、と頭を殴られたように、一瞬頭の中が真っ白になったのだ。ヴォルフラムはこの家に帰ってくるものだと、なんの根拠もなく思っていた。もともと、ここは彼の家でもなんでもないのに。


 テオは筆を取って、まっさらなキャンパスに何かを描こうとして、やはり描けずに項垂れた。

 ヴォルフラム・ツァーベルを描きたかった。

 場末のチンピラだと思っていた彼は、今やテオの中では立派な冒険者だ。命の恩人であり、共にダンジョンを駆けた仲間である――幼稚だが、なんともまあ、きらきらしい野望を掲げる夢追い人。

 

 ――けれど、描けない。


 何故だろう、彼が焦がれ憧れた冒険者ではなく、背中を預けた仲間であったからか。それとも、無人となったベッドに、妙な寂しさを感じるからか。

 いいや、少し違う。描く、という意思よりも気になることがあるからだ。

 奈落に落ちて2週間。帰って来てから1週間と少し経つ。

 あれ以来、ヴォルフラムはテオの前に姿を見せなくなっていた。


***


「だ〜れがお前なんかと組むかドブウサギ!」

 スラムにある集合住宅の一室から怒鳴り声が鳴り響いた。すぐ下に住む年老いた大家などは、迷惑そうに顔をしかめたが、気にせず洗濯を続けた。あのチンピラめいた冒険者ときたら、ようやく帰って来たかと思えば、ここ最近は毎日あの調子だ。

 

 ここは9番街――スラムにあるヴォルフラムの借りている一室だ。

 寝に帰るだけの部屋なので、必要最低限のものしか置いていない。そんながらんどうの空間があるだけの部屋に、珍しくも来客があった。アルベルト――彼の幼馴染みだ。

 パラパラと天井から落ちてくる埃を不快そうに手で払ってから、アルベルトは目の前の幼馴染みに柔らかく微笑んで見せた。

 

「ヴォルにも悪い話じゃないでしょう? 最近はマルタさん達とも仲良くしているようだし」

「てめ〜が居るだけでクソになんだよ」

「クソだなんて、下品だなあ」

「うんこ野郎」

「やめて汚い」

 

 その笑顔が殊更不愉快で、ヴォルフラムはギリリと歯を鳴らす。

 アルベルトはヴォルフラムをパーティに誘いに来たのだ。但し、前衛職ではなく、回復術士として。

 この言い分が何よりヴォルフラムを腹立たせた。彼はヴォルフラムが強さに固執していることを知っている筈なのに、よくもまあそんな事が言えたものだ。

 そもそもアルベルトは、ヴォルフラムが回復魔法の素養を持つことを知っている数少ない人間の1人だった。それを今更求めるのは少々不自然な話だ。今回の件で回復術士がいることの重要さが身に染みたなんて主張は、はなから信用していない。

 あの事件以降、ヴォルフラムには同じような誘いをかけられる事が増えた。中には養成所の学費を肩代わりするからと、なんとも的はずれな条件を出してきた者もいる。

 それら全てにヴォルフラムは舌を出して「否」を突きつけてきた。


「俺は強くなりて〜んだよ」


 回復魔法が有用なことは解っている。最近は特に使う機会が多かった。ないよりはあった方が絶対に良いものだ。

 でも、それでもヴォルフラムは強さが欲しい。

 ――だって、強さがあれば、母は死なずにすんだはずだから。

 脳裏に浮かぶのは病床の母の顔だった。若くて美しかった母、賢くて、強くて、息子のことを心の底から大事にしていた彼女は、ヴォルフラムの弱さのために死んだ。少なくとも、ヴォルフラムはそう思っている。

 

「……まあ、他のパーティに入る気がないならいいや」


 黙りこんでしまった釣れない態度の幼馴染に、アルベルトは肩をすくめて見せた。

 アルベルトがヴォルフラムを自分のパーティに誘ったのは、彼が回復術士として他のパーティで厚遇されるのが面白くないからだ。この粗野な幼馴染がちやほやされて、成功するところなんて見たくもない。ならば、自分のもとで使おうかと考えたが、要らぬ心配であったようだ。ヴォルフラムは誰とも組むつもりがないらしい。


「そういえば、シュトライヒさん目を覚ましたって?」

「……」

「わ、その顔やめてよ。ちょっと小耳に挟んだだけだって。……心配しなくても会いに行ったりしないよ」


 アルベルトの弁明に、歯をむき出して威嚇していたヴォルフラムは「ならいい」とそっぽを向く。これ以上会話が見込めないと諦めたアルベルトは「じゃあ気が変わったら教えてね」と言い残して去っていった。

 ばたん、と閉じるドアに「誰が組むかよ」ベッと舌を出す。


 銀の耳をぴくぴくと動かし、あの男の足音がちゃんと遠ざかっていくのを確認してから、ヴォルフラムは着替え始めた。あまり衣服の類は持っていない。ダンジョンに潜る時は決まって白いシャツにベージュの裾の広いパンツを履き、緑の毛糸で出来た上着を羽織る。――これはあの自称一般人の家で貸し出され、そのまま譲られた衣装だ。もともと誰のものであったのかは予想がつく。行方不明になっているという彼女の兄のものなのだろう。


(元気にしてんのかな)


 らしくない事を考えながら、ヴォルフラムは無表情の赤毛の女を思い浮かべた。どうしてなのかはわからなかったが、彼女の事を考えると気分が上がる。ぽわぽわと暖かな不思議な気分だ。

 けれど、会いに行こうとは思わなかった。ディーデリヒと、テオの友人を名乗る猫耳の女から、問題なく目を覚ましたと聞いていた。今はもとの職場に復帰して、元気働いているということも。

 ならば、いいだろう。

 無事ならば、それでいい。

 

 短剣を腰に差して外へ出ると、洗濯物をしていた大家が「今日もダンジョンかい?」と声をかけてきた。この老婆も若い頃は冒険者をしていたらしく、とんでもなく肝が据わっている。そうでなければ、そこかしこで恨みを買っているヴォルフラムを住まわせるなんてできないだろう。

 ヴォルフラムは老婆の背に、小さな生き物が隠れているのに気が付いた。


「そいつは?」

「ヒョエ」


 視線を向けられて肩を跳ねさせたのは、1人の少女だった。歳の頃は6歳から8歳程度、小柄な体を薄汚れた白いワンピ―スに包んでいる。柔らかそうな栗色の髪と、不思議な桃色の瞳をしており、小奇麗な顔立ちをしている。その背には透明な翅が片方だけ生えていた。

 

「妖精か? 珍しいな」

「人売りに狙われて住処を追われたんだろう。片翅じゃあ故郷にも帰してやれん」

「ふ~ん」

 

 妖精がどんな生き物なのか、そのあたりの事情はヴォルフラムの知るところではなかったし、興味もなかった。行くところがなくてスラムに行き着いたのだろう事だけはわかる。視線を下げると、むき出しになった白い素足の足首が赤黒く変色しているのに気が付いた。


「教会の孤児さ。最近来たばかりの子でね。周りになじめずこんなところまで逃げてきたのさ」

「やられっぱなしで逃げて来たんかよ、ダッセ」


 嗤うと、子どもはむっとした顔をした。ビビりのチビの癖に度胸はあるな、と感心しながら「こいつどうすんだよ」と老婆に尋ねる。


「教会に連れてっておくれ。この足じゃあ自分で帰れんだろ」

「ハア? 嫌だよ。面倒くせえ」


 ヴォルフラムはがしがしと頭を掻いた。

 この後にはディーデリヒと約束がある。療養している間、世話になった縁もあり、彼とは度々ダンジョンに潜る仲になった。短い付き合いでもわかることだが、彼は待たされると喜んでしまう。待ち合わせ場所が衆目のある場所なので、それはちょっと、いやかなり、避けたいことであった。


「……おいチビ、足出せ」

「チビじゃない、ロッタだぞ!」

「どっちでもいいわ」


 じたばたと抗議する子どもの動かない足を捕まえたヴォルフラムは、気だるげにしながらも腫れた足首に手をかざす。白い光が傷口を包んで、みるみるうちに腫れが引いて行く。その様子を、ロッタと老婆は目を見開いて見ていた。


「驚いた……回復魔法なんてガラじゃない魔法を使うんだね」

「ここ最近さんざん言われてもう耳タコだっつの」


 揶揄うように言う老婆にべーっと舌を出す。その様子をぽかんと大口を開けて見ていた子どもが、顔を真っ赤にして叫んだ。


「天使さまだ!」

「は?」


 林檎みたいな顔をした子どもを前に、ヴォルフラムは驚いて固まらざるを得なかった。18年生きてきて、母親以外に自分をそんな風に形容した人間なんていない。口も悪ければ態度もでかい、およそ可愛げだとか清楚なんてものとは無縁に生きてきた自覚がある。

 ところが、何を思ったのか子どもは「天使さまだぁ! 天使さまに治してもらっちゃった!」と大はしゃぎしながら部屋中を駆け回った。そうして門の手前で折り目正しく一礼すると、


「天使さま、ありがとーございました!」


 と元気よく叫んで飛び出していった。あんまりに大きな声で言うものだから、近所に住む老人たちが「なんだなんだ?」とこちらを覗き込んでくるのがいたたまれない。どんなに目を凝らしても、そこには妖怪じみた見目の老婆と、目つきの悪い青年しかいないので。


「こんな口の悪い天使がいるもんかね。シスターもどんな教育をしているんだか」


 老婆は呆れたように言いながら傍らの青年を見上げた。


「……天使殿、私は腰が痛いんだがねぇ」

「唾でもつけとけクソババア」


 口の悪い天使はイーッと歯を見せて、老婆の反撃から逃れるように駆けだした。

 走りながらわずかに口角をあげる。

 天使だなんだのと言われるのはこっぱずかしい事この上ないが、感謝されるのは悪い気がしなかった。

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