第11話 渦中にて邂逅

――ダンジョン20層、『霧の古城』にて。


「マルタさん、そっちに行きましたよ!」

「承知しました!」


 霧の深い岩山にある古城。枯れ果てた草木の揺れる中庭で、白い服を着たハーフエルフの少女が舞う。

 ‘‘殴り聖少女’’マルタ・ヨルダンは可憐な乙女であるが、繰り出される拳は岩をも砕く威力を持っていた。

 アルベルトの支援魔法を受けて威力の増した彼女の拳は眼前の小鬼の顎を砕く。一撃で壁まで吹き飛ばされた小鬼は、壁のシミとなって絶命した。


「うはは、マルタの拳はおっかないのじゃ〜」


 少しは離れたところで大蜘蛛を解体していた光月が、きゃらきゃらと無邪気に笑う。巨大な蜘蛛の死体の上に座って、引きちぎった蜘蛛の足をかじっていた。


 その頭上で火花が迸る。天井のクモの巣をハイデマリー焼き払ったのだ。黒曜の魔女はふわりと舞い降り、光月の傍らに着地する。


「美味いのか? それは」

「いや、まずいぞ。お前も食うてみるか?」

「遠慮しておく」


 勧められた蜘蛛の足はやんわりとお断りした。鬼の一族であるからか、光月は少々貪食だ。

 そんな自身の新しい仲間を見て、アルベルトは心の内で首を傾げていた。


(神聖魔法と物理攻撃に特化したマルタと、あらゆる攻撃魔法の使い手ハイデマリー、そして頑健で素早い鬼の光月……みんな優秀な冒険者だ。だけど――ちょっと、かかりが悪いな)


 アルベルトは不満に思っていた。

 彼の持つギフト《影より支配する者》による能力上昇が、思ったより小さいのだ。彼女たちは元々優秀だから問題にならなかったが、自分と組んでいた時のヴォルフラムと比べると、どうにも見劣りする気がする。


 連携だって、彼との方がスムーズだった。

 これは過ごした時間の長さのためだろう。他人に興味を持たないヴォルフラムだったが、アルベルトの事だけはよく気がついた。そういう所も便利だったのだが。彼はよい矛で、盾で、隠れ蓑だった。


「アルくん、これで依頼達成ですよ」

「はい。皆さんお疲れさまでした」


 にっこりと笑顔を作って労えば、少女たちのかんばせは容易く華やいだ。


「目は回収しておくよ」

「ええ、お願いします」


 ハイデマリーが素材袋を片手に、大蜘蛛の死体の山に近付く。大蜘蛛の目玉は薬の材料になるため、高く売れるのだ。


(無い物ねだりはよくないな。――彼と組むことは、きっともうないだろうし)

 



「うわっ」

「ハイデマリー、大丈夫か?」


 うんうん、と頷くアルベルトの後ろでハイデマリーが声を上げた。

 慌てて振り返る。まだ息のあった大蜘蛛の子どもに噛まれたらしい。毒を受けたのだろう、彼女の白い腿は青く変色している。


「毒消しは?」

「昨日切らしてしもうたのじゃ」


 アルベルトのパーティには回復魔法を使えるものがいない。なので回復や解毒は薬頼みなのだが、少し前に切らしてしまっていた。後少しだから、と先に進むことを決断したのはアルベルトだった。


「大事ない。すぐに地上に戻れば大丈夫さ」


 しょんぼりとする光月の頭をハイデマリーがぽんと撫でた。脂汗を滲ませながら口の端をつり上げて笑う。


「そうですね。急いで戻りましょう」


 大蜘蛛の毒は速効性こそないが、治療が遅れると命に関わる。

 アルベルトが肩を貸し、一行は地上に戻るため、もと来た道を引き返し始めた。


***


 砂漠の真ん中を人間が滑るように走っていた。


 走っていた、というのは語弊がある。その人、というのは地面に対して水平に浮かび、大きな背中に2人の人間を乗せていたからだ。上にのった人間――テオとヴォルフラムは日傘の下で直射日光を避けている。

 ヴォルフラムは自分の手の中にある日傘の存在が不思議でならなかった。もっと言うと尻の下にいる男こそが最もよくわからない生き物だ。キリがないのでそこには言及しないが。そう短くもない期間を冒険者として過ごしているが、こんな形で砂漠越えをするのは初めてだった。


「なんで日傘なんて持ってんの?」

「砂漠を歩く時は必要だろう! 私はこの通り絡繰の身体だからね。熱がこもるとオーバーヒートを起こすのさ!」


 ディーデリヒは武器の類いを一切持っていなかった。かわりに食料や、寝具や、水着などといったものを余分に持っている。これはできるだけ長く、快適にダンジョンで暮らすためのものらしい。一応言っておくが、ダンジョンはけして彼の別荘というわけではない。


 だがまあ、彼の背中の上は快適である。上に人を乗せていると興奮するのか、息が荒いのを気にしなければ、とても良い移動手段だ。

 おかげで砂漠地帯を進むのは容易かった。湿地帯と違って障害物のない砂漠は、ヴォルフラムの指す方へ真っ直ぐ進むだけでいいのだ。魔物に遭遇することもなく、順調に21層まで歩を進めていた。


「さあ、見えてきたよ」


 ディーデリヒの声で、テオは進行方向に目を凝らす。

 うっすらと砂漠の終わりが見えてきた。

 20層からは霧深い岩山になる。岩山の中央に古い城があることから、‘‘霧の古城’’と呼ばれるエリアだ。


「ここからは歩きでいいかい?」

「ええ、助かりました」

「……」


 ディーデリヒから降りたテオはヴォルフラムの袖を引いた。見上げてくる緑の瞳に諭されて、「アリガトウゴザイマシタ」と礼を言う。


「こちらこそありがとう!」

「何のお礼ですか」


 大袈裟な程に喜ぶ男に、テオは思わず半目になる。

 ディーデリヒは大真面目に尻に敷かれたことに対して礼を言っていた。テオはやっぱりこの男は教育に悪いなと思った。


 岩山を登るのはヴォルフラムに背負われたテオが《空中浮遊》を使う事で効率良く登った。ディーデリヒは足の裏に取り付けた熱風を吹き出す部品で、直立のまま空を飛んでいた。

 彼が言うには、腹部のホバー機能で飛ぶと低空飛行になるが、人を乗せる安定感がある。対して足の裏のジェット機能で飛ぶのは、高度が出るが人を乗せるとコントロールが利かなくなるのだという。どちらも長時間の使用は故障の原因になるらしい。


 たどり着いた古城は、灰色の外壁と黒い屋根が陰鬱な、細長いシルエットの城だ。崩れかけた門を潜ると、枯れた庭が出迎えてくれる。


「19層への階段は城の中だ」

「目印が大きくて助かりますね」

「通る道が決まってるせいで魔物を避けられねぇけどな」


 ヴォルフラムが言うや否や、枯れ木の後ろや瓦礫の影からわらわらと大きな蜘蛛のが湧いてきた。黒い毛がびっしりと身体を覆う、足の太い蜘蛛だ。頭には大きさの違う赤い目が9つついている。ギュイギュイと不快な鳴き声を放つそれらは、よほど腹が減っているのだろう、我先にと襲い掛かってきた。

「ハッハー! 軽い軽い!」


 ヴォルフラムは喜び勇んで戦いに飛び込んだ。

 砂漠地帯で休憩できたので、身体も軽いのだろう。地上に近付くにつれて、魔物も対処可能なレベルになっている。武器を地上に置いてきたために丸腰だが、素手でも問題ないようだ。

 長い手足を駆使して蜘蛛の頭を潰していく狼を、ディーデリヒと並んで眺める。


「貴方は戦わないので?」

「そんな可哀想なことはできないよ。私は魔物を愛しているが、殺したいわけではないからね。もちろん、冒険者が魔物を殺すのを嫌だと言ったりはしないよ。どちらも己の生活のためにシノギを削っている。自分が人から外れていることくらいは自覚しているさ」


 ディーデリヒは「キミの方はどうなんだい?」と聞き返した。


「彼の力になりたいと思ったりはしないのかい?」

「……僕のような一般人がでしゃばっても足手まといにしかならないと思いますがね」

「本当にそう思う?」

「事実ですので」

「……まあ、キミが安全な所にいれば、彼は安心するか」


 正面では爛々と目を輝かせたヴォルフラムが、背後から襲いかかってきた大蜘蛛を蹴り飛ばしているところだった。鞭のように振り回した足で地面を蹴り、空中へ逃れて別の大蜘蛛の追撃をかわす。宙返りの後、着地と同時にその頭を踏みぬいた。


「終わったぞ」

「お疲れ様です。目玉は回収してください」

「わーってるよ」


 怪我ひとつなく蜘蛛の群れを殺戮したヴォルフラムに袋を差し出す。これはディーデリヒに譲って貰ったものだ。入る限界まで赤い目玉を詰め込んでいく。


「これだけあれば、バイト代3週間分くらいにはなりますかね」

「本当に逞しいなお前」

「褒めても飴ちゃんくらいしか出ませんけど」

「別に褒めてはない」


 だが飴は貰うと出された手に、たまたまポケットに入っていたキャンディを乗せる。甘いもの好きの狼は喜んで頬張った。


「ちょっと数が少ないな」


 蜘蛛の死骸を数えていたディーデリヒが言う。


「20層は初心者でも足を伸ばせる階層ですから、他に誰か来ていたのでは?」

「それは確かだろうが……」


 ディーデリヒは城の方を見て訝しげに「それにしては人の気配がない」と呟く。その言葉を聞いて「フーン」となんとなしに鼻を引くつかせたヴォルフラムは「げ」と声を上げた。


「ドブウサギの匂いがする……」

「は? ドブ?」


 聞き返されて、ヴォルフラムは「なんでもねえ」と頭を振った。あの男の事なんて考えるだけで腹が立つ。絶対に会いたくない人間だった。


「まあ、一先ずは予定どおり地上を目指そう」

「そうですね」


 ディーデリヒの先導で、城の中へと足を踏み入れる。青い奇妙な柄のタイルが敷かれた玄関だ。


「ここってこんなんだったか?」


 そう首を傾げながらヴォルフラムが入ってきた瞬間、気がつけば3人は全く別の場所に立っていた。


「は?」


 声を上げたのはヴォルフラムだった。

 先程まで古ぼけた城の玄関にいた筈なのに、瞬く間に四方を岩壁に囲まれた洞穴に様変わりしていれば困惑もする。

 次いで覚えのある匂いを強く感じて、急激に気分が悪くなった。ぐるる、と喉が低く唸る。


「ヴォル?」


 洞穴にはアルベルト・バーデンがいた。

 彼の後ろには、パーティメンバーである少女たちが身を寄せ合っている。そのうちの1人は怪我をしているのだろうか、ぐったりと四肢を投げ出していた。


「なんでてめ〜がいんだよ! ドブウサギがよぅ!」


 予想していた事だが、いざ顔を見ると怒鳴らずにはいられなかった。アルベルトの方も怒鳴られるのはわかっていたのか、すぐに耳を塞ぐ。


「それはこっちの台詞だよ。後ろの方は、新しい仲間?」

「ちげ〜よクソボケ」

「ここにはどうやって来たの?」

「しらねぇばか」

「というか何で丸腰なの?」

「うるせ〜な! 質問ばっかしやがってよぅ!」


 ぎゃんぎゃんとヴォルフラムは吠えた。アルベルトは「よく吠えるなぁ」と微笑む。その余裕のある態度も気にくわなかった。


「ヴォルくんちょっと静かに」


 まるで子どもの癇癪だ。これでは会話にならないので、テオが割って入ることにする。「どうもおひさしぶりです」と挨拶をすれば、ぎこちない笑顔が返って来た。


「シュトライヒさん。……まだヴォルと一緒にいたんですね」

「ダンジョンに落ちた僕を助けに来てくれたんですよ」

「はあ? こいつが?」


 驚きの声をあげたのはヴォルフラムの怒鳴り声に反応して駆け寄ってきたマルタだ。疑いの眼差しを向けてくる。「なんか文句あんのかコラ」と威嚇しだしたヴォルフラムとにらみ合った。丁寧な彼女と粗暴な彼は一見正反対に思えるが、喧嘩っ早さだけはぴったり同速だ。


 テオは小さな体を間にねじ込むことでそれを制止する。


「あなた方はここで何を? ここは何処なんです?」


 テオの問いにアルベルトとマルタは顔を見合わせた。


「僕らは地上に戻る途中で此所にとばされたんです」

「此所が何処かはわからないわ」


 ちらりとアルベルトは後ろにいるハイデマリーに視線を送った。

 ハイデマリーは長い手足を投げ出して、地面に伏している。不安げな顔をした光月が、彼女の頭を膝に抱えていた。


「蜘蛛の毒を受けたんです」

「ハ、だっせぇ」


 鼻で笑ったヴォルフラムをマルタが睨む。再び喧嘩に発展しそうな空気になるが、彼がテオに尻尾を掴まれて悲鳴をあげたことにより鎮火した。


「何てことするんだお前」

「人の不幸を笑うからそういう目に遭うんですよ」


 恨めし気に見てくるヴォルフラムにぴしゃりと返す。ぐぬぬ、と悔し気に押し黙る彼を見て、マルタはテオを侮れない女性だと感心した。


「毒消しもないので地上に戻るしかなかったんですが、こんな所に飛ばされてしまって……」


 アルベルトが話を戻す。


「僕らも毒消しは持っていませんね」

「あいつは?」

 ヴォルフラムはディーデリヒの方を顎でしゃくった。彼は周囲を囲む岩壁をぺたぺたと触っては、何かを考え込んでいるようだ。


 こちらの話が聞こえていたのだろう、振り返った彼は「残念だけど、毒消しは私も持っていない」と首を横に振った。


「恐らく、これは人売りの仕掛けた罠だ」


 続けられた言葉に緊張が走る。


「あのタイルに対象物が通過すると発動するように転移魔法が仕掛けてあったんだろう。――人売りの狙いは獣憑きや妖精、人魚などが多い」

「ハーバーさんや僕に反応せず、ヴォルくんが入ってきてから発動したのはそういう訳ですか」


 テオはマルタと光月を見る。恐らく罠が反応したのは彼女らのうちのどちらかだろう。


「周囲の岩壁には隠匿魔法と結界が施されている。どちらも強力なものだ。転移魔法は遠くに運ぶのはかなり技術のいることだから、ここは20層のどこかだろうけど……出るのは難しそうだね」


 ディーデリヒは「魔法が得意な人はいるかい?」と尋ねる。テオとヴォルフラムは即座に首を横に振った。


「僕らの中ではハイデマリーが1番の使い手です。僕やマルタも魔法は使いますが、複雑な魔法の解除となると、彼女でないと……」

「やはり、助けがくるのを待つしかないのでしょうか」

「来ますかね、助けなんて」


 その可能性は限りなく低いと、テオは思っていた。

 行方不明者の事件を追っていたのは、ここで一緒に囚われているディーデリヒなのだから。彼が戻って来ないのを知ったギルド長が動いたとして、それは果たして何日後になることやら。ディーデリヒの様子を見ると、常日頃から長時間ダンジョンに潜っているようだし、期待はできそうにない。


 そのディーデリヒは壁の方を見て、何かを感じ取ったらしい。形の良い唇が来客を知らせる。


「――その前にお迎えが来たようだよ」


 ぐらぐらと地面が揺れ始める。

 地面が盛り上がり、地中から土くれで出来たアンバランスな巨体が3体現れる。魔法で作られた土人形――ゴーレムだ。


「何なんだよ! こいつらは!」

「獲物は弱らせた方が捕まえやすいだろ?」


 声を荒げるヴォルフラムにディーデリヒが優しい声で解説する。テオは「なるほど」と頷いた。


「獲物を回収する時間、ってことですか」

「そういうことだね」

「冗談じゃねぇ、捕まってたまるかよ!」


 ゴーレムに意思はない。ただ、主人の命令を遂行するだけの魔法生物だ。彼らは無機質な目を光らせ、閉じ込めた冒険者たちをいたぶるために動き始めた。

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