第8話 だから彼は奈落へと跳んだ

「ちょっと! 離してください!」

「あ?」


 4人の男をすべて沈めたヴォルフラムの背中に悲鳴じみた声が届いた。

 振り返ると、いつの間にか後ろに回り込んでいたらしい桃色頭の大男が、テオの赤毛を掴んでいるのが見える。


「やめろ!」


 駆けだしたヴォルフラムの前で、ヨルクはテオの白い首元にナイフを突きつけた。切っ先が震える肌を僅かに傷つけ、たらりと赤い雫が零れる。


「てめぇ……」


 ヴォルフラムが足を止めるのを見て、男は悍ましくも笑みを深めた。


「いいか、動くなよ?」


 言いながら男は乱暴にテオを引きずっていく。痛みに呻きながらも、テオは髪を《透過》して抜け出そうとした。しかし、何度試しても男の指をすり抜けることができない。


(ギフトが発動しない。……まさか)


「あなた、《ギフト無効化》を……」

「よく知ってんな、お嬢ちゃん」


 《ギフト無効化》は読んで字のごとく、人のギフトを無効化する魔法だ。接触していなくてはならないという難点があり、ダンジョンの魔物には意味がないこともあって、冒険者からはあまり重要視されていない魔法だった。


 冒険者が冒険者を殺す事件が起きるまでは。

 陰湿な事件だった。パーティに恨みを持つ男が潜り込み、ダンジョン内にて接敵中に盾役のギフトを無効化。結果的にパーティメンバーの殆どがその男と心中することになった。


 それ以来、《ギフト無効化》は特別な事情がない限り、使用はもちろん修得することすら禁じられている。彼がそれを修得して、使っているということは、冒険者を相手にした後ろ暗い仕事をしているという証拠だった。


 ヨルクは成す術のないテオを奈落の淵まで引きずり、その真っ黒な穴の上に吊り下げた。彼が手を離せば奈落に落ちる。

 頭皮の痛みと足元の浮遊感に身体を強張らせながらも、テオは努めて落ち着こうと呼吸を繰り返す。しかし、浅く短い呼吸は、余計にテオを焦らせていた。


(大丈夫、大丈夫です。……今の私は《空中浮遊》が使える。彼が手を離して《ギフト無効化》の効果がなくなったら、すぐに浮いて地上に戻る……それだけのこと)


 そうは思ったものの、冷や汗が止まらなかった。

 ヨルクが手を離して、どのタイミングで魔法の効果は消えるのか。すぐ消えるのか、タイムラグがあるのか、確証はない。今は《鑑定眼》も使えない状態なのだ。《空中浮遊》で浮けるのはたったの5mばかり。それに対して落下速度は一体どの程度なのか。


(効果が消えなかったら……死ぬ)


 ぎゅ、と唇を引き結んだ。そうしないと泣き言を零してしまいそうだった。

 ヴォルフラムは間合いの外でこちらを――ヨルクを睨みつけている。


「離せよ。そいつは関係ねぇだろ」

「なくはないだろぉ? お前のモンを取り戻しに俺の所に来たくらいだ」

「あ? ……てめぇが盗ったんか」

「何も伝えてなかったのか。慎ましいお嬢ちゃんだな」

「……喧嘩しに、飛び出されても、迷惑でしたから」


 震える声で返しながら睨んでくるのを見て、ヨルクは「度胸もある」と口笛を吹いた。


「お前にゃ、もったいない女だなぁ――ヴォルフラム」

「正気か? カタギの女だぞ」


 地を這うかのような低い声を、ヨルクは「それこそ関係あるかよ」とせせら笑った。


「武器を捨てろ」

「……ヂッ」


 温度のない命令に盛大に舌を打つ。両手に持った短剣を鞘に納め、地面に放った。カランカランと金属音がむなしく響く。

 丸腰となったヴォルフラムの両腕を、起き上がることのできたヨルクの配下が抑えにかかった。無抵抗のまま膝をつかされた銀狼は歯を食いしばったまま、相対する男を睨みつけることしかできない。


「いい眺めだなぁ!」


 ヨルクがはしゃいだ声を出した。


 髪を掴んだまま釣られたテオは、揺らされて痛みに呻く。


「お前に折られた歯の落とし前をつけてもらわなきゃなぁ。首輪でも着けて町中引き回してやろうか? それともいっそ人売りに売ってしまうか……8番街に納品するって手もあるなぁ。見てくれは悪くねえからきっと高値がつく」

「……この外道」


 熱に浮かされたような声で語る男に、テオは吐き捨てた。

 ヨルクは聞き飽きたとばかりに薄く笑って「お前の男も同じさ」と言い返す。


「ダンジョン攻略に失敗した落伍者。馬鹿で、貧しくて、どうしようねぇ野郎だ。どこにも居場所なんてねえ、腕っぷししか取り柄がないのに、その強さすら誇れるほどのものじゃねえなんてな……遅かれ早かれ、ここまで堕ちてくる。薄汚れたドブ犬がよ」


 その言葉に腹の奥が煮えくりかえるのを感じた。

 明るい笑顔で夢を語るヴォルフラムの顔が瞼に浮かぶ。

 あの子の眼に比べて、この男の目のなんと虚ろで乾いたことか。


「……訂正してください」


 怒りに震える声でテオは仰いだ。


「ヴォルフラム・ツァーベルは夢を追う人です! けして……けして、あなたなどと同じではない!」


 声を張る。たとえ奈落に突き落とされても、これだけは言っておかねばならなかった。


「ドブ在中のうんこ野郎は貴方だけですよ。おあいにく様」


「この、クソ女ァ!」

「あっ!」


 激高した男の拳がテオの頬を打つ。

 衝撃と共に重い痛みが走る。口の中が切れたのか、血の味がした。

 きつく握りしめられた髪の毛が解放される。途端に襲いくる身の毛のよだつような浮遊感。

 奈落の上に吹き飛ばされた小さな体が、重力に従ってゆっくりと落ちていく。


(《空中浮遊》……ギフトを使って、地上に……)


 そう考えても体は思うように動かなかった。頭を揺らされたせいだった。靄がかかったように意識が遠くなっていく。


 意識を失う前、テオが見たのは青い空。


 ――そして、奈落に飛び込み、必死にこちらへ手を伸ばすヴォルフラムの姿だった。


「テオ!」


(……――名前を呼ばれるのは初めてですね)


 そんな場違いな事を考えながら意識を失った。


*** 


 ちょん……ぴちょん…… 


「う……」


 水の落ちる音を聞いて、テオは意識を浮上させた。

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、苔むした岩肌が目に入った。視線だけを揺らして確認すると、右手に薄く光の指す出口がある。


(洞窟……?)


 ゆっくりと体を起こす。体にかけられていた緑の上着が落ちた。この上着はヴォルフラムが着ていたものだ。


「起きたかよ」


 すぐ傍に居たらしい。

 岩壁にもたれかかって目を閉じていたらしい彼は、三角耳をぴくりと動かしてこちらを見た。もともと白かった顔色は更に白い。かなり消耗しているようだった。


「ツァーベルさん、ここは?」

「覚えてね~のか」


 ヴォルフラムは入口の方へ視線を向けた。


「ここはダンジョンだ」

「は……」


 テオは這うようにして入口に近づいた。

 眼前に広がるのは湿った地面と、大きな葉を持つ植物が生い茂った森だ。遠くこ壁に大穴が開いており、うっすらと光が差し込んでいた。あそこは恐らく奈落に繋がっている。


「多分、42層だ。地形に覚えがある」

「『未明の湿地帯』ですね」

「よく知ってんな」

「……兄から聞いていたので、情報だけは」


 テオの言葉に「そうかよ」と頷いて、ヴォルフラムは再び目を閉じた。


(そういえば、頬の痛みがありませんね)


 自分は殴られて奈落に落ちたのだった。その事を思い出したテオはそっと自分の頬に触れる。

 つるりとしている。

 腫れもなく、血の味もしない。頬だけでなく、体も健常そのものだった。

 テオは《鑑定眼》でヴォルフラムの状態を確認する。


(魔力切れをおこしかけてる……)


「ツァーベルさん、あなた……」

「別にお前のためじゃねえ」


 フン、と鼻を鳴らした。


「荷物抱えて上まで戻れるかよ」


 やはり、ヴォルフラムが回復魔法をかけてくれたようだ。彼の回復魔法はまだまだ未熟で、魔力の消費も激しいのだろう。魔力は消費しすぎると、身体に疲労が溜まる。枯渇こかつすると命に係わることのあるものだ。


「……それでも、ありがとうございます」


(僕を、追いかけて来てくれて)


 声には出さずにおいたが伝わったらしい。舌打ちをしてそっぽを向いたヴォルフラムの尻尾は照れ臭そうに揺れていた。



 

 正直なところ、ヴォルフラムは自分がどうして彼女を追いかけたのかわからなかった。

 ただ、彼女が精いっぱいの強がりでヨルクに立てついた時、強く胸の内を揺さぶられた心地がしたのは事実だった。


『彼は夢を追う人です』


 なんて、根拠のない言葉だろう。

 言うだけなら誰でもできる。

 けれど、今まで誰も、薄っぺらい口先でも、ヴォルフラムの夢を肯定することはなかったのだ。幼い頃から共にいたあの幼馴染でさえ!

 そして、ヴォルフラムの優秀な鼻が、テオの言葉が安い同調でも意趣返しなどでもなく、まぎれもない本心であるのだと教えてくれる。


(ああ……――死ぬ)


 彼女が死んでしまう。

 そう思った時には駆けだしていた。無遠慮に抑え込んでいる男の腕に噛みつき、肘で、拳で、男達の顎と鼻を砕き、正面で待ち構えるヨルクの顔面を踏み台にして跳んだ。


 ――奈落の底を目指して。




「――僕らはどうやって奈落から脱出したんです?」

「空中でお前を捕まえてすぐ、運良くクソ鳥の背中に落ちたからな。鳥どもの背中を伝ってなんとかダンジョン内に降りた」

「クソ鳥……極楽鳥のことですか」


 奈落を飛び回る極楽鳥は、鳥の身体に人間の上半身がついたハーピーの近縁種だ。人間大であるハーピーよりも数倍大型であり、肉食かつ獰猛ではあるが、知能はそこまで高くない。


「運が、良かったですね」

「本当にな」

「ところでツァーベルさん」

「なんだよ?」

「いえ、はじめて名前を呼ばれたなって思って」

「は!?」


 大きな声を出すヴォルフラムに「あなた、僕の名前覚えてたんですね」なんて言えば、「馬鹿にしてんのか!」と怒り出す。


「てめ〜の名前なんて呼んでね〜し! 『手を伸ばせ』って意味だったし!」


 がるるると喉を鳴らす彼の顔は真っ赤だ。微笑ましく思っていたら、伝わったのだろう。ぷん、とそっぽを向いてしまった。むくむくと悪戯心の湧いてしまったテオは、その無防備な背中をつつきに行く。


「ツァーベルさん、ツァーベルさん」

「…………」

「……ヴォルフラムくん」

「!」


 ヴォルフラムが勢いよく振り返った。


「駄目でしたか?」


 尋ねると、「だ、駄目じゃねぇ、けど」と唸るような声で返事が返ってくる。左右に泳ぐ視線が戸惑いを訴えているが、頬はうっすらと染まっていた。嫌というわけではないのだろう。


「これから一緒に地上を目指す仲間ですからね」


 テオが片手をさし出す。

 おそるおそる、その手を握り返したヴォルフラムが「ヴォルでいい」と小さく告げた。


「仲間は、そう呼ぶ」


 テオの無表情に喜色が散る。表情こそあまり動かなかったものの、ヴォルフラムはその目の輝きから、彼女が喜んでいるのだと判断した。


「改めてよろしくお願いします。ヴォルくん」

「おう」

「がう」


 重なって聞こえた別の生き物の声に、2人は「「ん?」」と揃って首を傾げた。


 洞窟の入口からにゅっと頭を覗かせたのは、巨大な猫科の動物だ。緑と白と黒の入り交じった縦縞模様、ギラギラとした大きな目、口許から覗く大きな牙――未明の湿地帯において食物連鎖の頂点に立つ魔物、マゴケトラだ。

 その体躯は人間のおよそ5倍。人間などひと呑みにできそうな口から涎をたらし、湿地帯の王者は2人を見下ろしていた。


 ――ダンジョン42層、未明の湿地帯に2人分の悲鳴が響いた。

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