第7話 急襲

「こら、スプーンは握るものじゃありませんよ」

「うげ」


 ベッドサイドのスツールに居座る女から飛んできた指摘に、スープ皿を抱えていたヴォルフラムはあからさまに嫌そうな顔をした。テオはというと、そんな反応にも慣れたかのように眉間の皺をつついて、彼の手の中にあるスプーンを持ち直させる。


「やめろ、馴れ馴れしい」

「おや、ここが誰の家かお忘れで?」

「……クソ」

「お下品ですよ」


 せめてウンコと言いなさい。なんて的のずれた指摘をする女に「俺メシ食ってんだけど」とヴォルフラムは鼻白んだ。


 あの夜が明けてから、テオは口やかましくヴォルフラムに構うようになった。

 やれ「食べ方が汚い」だの「挨拶はちゃんと返しなさい」だの「最低限、清潔にはするように」だの、ヴォルフラムにとっては余計なお世話としか言いようがない。実際、ストレートにそう伝えたのだが、テオは構うのをやめなかった。

 テオだって、どうでもよい赤の他人であればここまで口煩くは言わない。だが、どうにもヴォルフラムのことを気に入ってしまった。その結果、口を出すことが増えて嫌がられている。彼女もまた、人間関係においては不器用な性格をしているようだった。


「綺麗に食べられたらいいものをあげましょうね」


 取り出したのは近くの菓子屋で売っている瓶詰のプリンだ。ヴォルフラムは戦いの話と食べ物で釣れば簡単に言う事をきく。ぱっと顔を輝かせた彼は、まごつきながらも直された持ち方のまま、シチューを完食してみせた。


「それにしても、あなたが回復魔法を使えるなんて知りませんでした」

「あんま使ったことねーからな」


 興味がなさそうに言う彼の目はプリンに釘付けだ。「どうぞ」と差し出すと、ぱっと目を輝かせて受けとる。甘いものが好きなのだろう。


「いままではどうしてたんですか?」

「前のパーティはちゃんとした回復術士がいたし、そいつのと違って俺のはなんか時間かかるしよ。あんま有用じゃね〜なって話になったんだよ。他人に任せるより俺が前行って敵殴った方が早いし」

「時間がかかるのは修練不足が原因でしょう。回復魔法は実用するまで時間が必要だと聞きますから」


「修練?」こてりと首が傾げられる。


「あれってギフトみてーなもんじゃねぇのか?」

「マジですかあなた。4年もダンジョンに潜っておいてそれは、素人と言われても反論できないですよ」

「ンだとコラ」


 歯を剥いて威嚇するヴォルフラムの手元に2個目のプリンが差し出された。好物を前にスプーンを止められる男ではない。しかたなく黙り込む。物を口に入れている時は喋らない、とテオにきつく言われていたのを思い出したからだ。


「ギフトやカルマは身体能力の一部のようなものですが……」


 一般的にそれらは成長することがない。

 肉体の盛衰に左右される事はあっても、ギフト自体が成長することはないというのが通説だ。


 ただ、魔法は違う。


「魔法は技術ですから。天錻の才が必要なものではありますが、磨けば剣術などと同じように威力や速さは向上する筈ですよ」


 それ故に、《鑑定眼》では魔力の大小は読み取れても、修得している魔法が読み取れない。魔法は身体能力ではなく、経験で身に付けた技術であるからだ。


「2番街なら回復術士の養成所がありますよ。そこで、回復魔法を学べば、病院勤務は確約されます」

「キョーミねぇ」


 ふい、とヴォルフラムはそっぽを向いた。


「だって、それじゃ強くなれねぇだろ」


 不服そうに口を尖らせる。


「回復術士が弱いかというと、そうではないと思いますが」


 回復術士は高い魔力と再生能力がウリだ。死亡率も低く、希少な人材であるため、どのパーティも回復術士だけは諸手をあげて歓迎する。

 きっとヴォルフラムも回復術士としてなら、他のパーティから勧誘を受けるだろう。《鑑定眼》で彼の能力値を見たテオだからわかる事だが、『獣憑き』由来の敏捷性と、高い魔力を有する彼は、回復術士としてなら間違いなく大成できる。


「俺は前に出て戦いて~んだよ。それは、俺のやりたいことじゃねえ」

「……まあ、やりたい事と生まれ持った才能が釣り合わないのは、よくある話ですね」


 女の声が沈んだような気がする。ちらりと横目で確認するが、彼女の表情は変わらない。表情筋が鉄でできているのかと思うほど、感情の読めない女だ。

 ヴォルフラムは鼻を鳴らした。


「オウ、俺ァ世界一強い男になりてぇ」

「……それは些か夢を見すぎな気がしますが」


 軽い言葉にテオは半目になったが、ヴォルフラムの表情はいたって真剣だった。彼は本気で「最強を目指している」などと嘯いている。


「んだよ、馬鹿にしてんのか」

「人の夢を嗤ったりはしませんよ。どんなに荒唐無稽だろうと、叶えればいいだけです」

「わかってんじゃね〜か」


 にっかりとヴォルフラムは歯を見せて笑った。真っ白な歯列の中でも一際大きな牙が目を引く。こうした何のてらいもない素直な笑顔は初めてみる。

 少々粗暴で口は悪いが、彼もまた夢を追う者なのだ。


(まぶしい)


 自然と小さな笑みが零れた。

 途端にヴォルフラムがぎょっとした顔になる。


「どうかしましたか?」

「……なんでもね~よ」


 不思議に思って尋ねても、ふるふると首を横に振るばかりだ。ただ、頬がうっすらと赤くなっていたので、熱がぶりかえしたのかと額に手を伸ばせば「触んじゃねぇ!」と拒否された。


(何か気に障る事をしましたかね……)


 少しだけ落胆していると、毛布の陰で彼の尻尾がゆらゆらと揺れているのを見つけた。意地っ張りな男だが、尻尾は素直だ。テオはほっこりしながら目の前の銀色を優しく撫でる。


「やめろや!」


 うが~っとがなりながら首を振る。無遠慮に撫でまわしに来る手を避けながら叫んだ。


「てめ~はどうなんだよ!」

「どう、とは?」

「冒険者でもね~くせに、こんな島にいる理由だよ。家族が冒険者つっても、画家なんていうカタギの職業は本土の方がやりやすいだろ」

「……それはそうですが」


 少しの間、沈黙が降りる。


「そうですね。強いて言うなら、兄の帰りを待っているのです」

「兄貴がいんのか?」

「ええ。5つ離れた兄です。冒険者であり、優秀な回復術士でもありました。……2年前にダンジョンの200層付近で行方不明になりましたが」

「にひゃ……」


 ヴォルフラムは言葉を失った。

 200層は現在潜れる最高深度の層だ。目の前の女の言葉が本当であるならば、彼女の兄は若くしてダンジョンの最前線を行く開拓者であったということだ。


「ギルドに捜索を依頼していますが、200層の探索というと非常に困難な上、法外な値段がかかります。僕は兄を探すためにお金を貯めている最中、ということです」

「……自分で探しに行こうとは思わね~のかよ」

「行けると思います?」


 テオは腕を曲げて二の腕を見せる。力こぶなどはできない。小枝のように細くて、どこもかしこも柔らかそうな腕だ。

 ヴォルフラムはゆるゆると首を横に振った。

 彼女の身体はどこからどう見ても、か弱い女性の身体だ。平均よりも小柄で薄いとすら感じる。この貧弱さでは魔物のひしめくダンジョンを潜ることなど出来ないだろう。


(でも、こいつからは弱い匂いがしね~んだよなぁ)


 不思議に思うヴォルフラムに、テオは「僕は出かけるところがあるので、お留守番しててくださいね」と声をかけた。

 

***


 5番街は特徴らしい特徴のない街だ。

 飲食店や、個人経営の店舗、庭付きの一般住宅が多い。これは島に居ついた冒険者が家族を呼んで家を建てたためだ。隠居した冒険者や、その家族たちが穏やかに暮らしている。


「さ、これも持ってくださいな」

「……怪我人に荷物持ちさせんのかよ」

「『留守番はもう嫌だ!』とごねたのはあなたの方でしょう? それにシチューを3回おかわりしてプリンを2つも食べた人間を怪我人と呼びたくないです」


 パン屋にやってきたテオはついてきたヴォルフラムにバケットの入った紙袋を差し出す。すでに果物の入った箱を持っていたので、その上にぽんと乗せた。


「このまま6番街のリーヌスのところに行きますよ。前のお礼をしなければ」

「そのリーヌスって野郎とは……どういう関係なんだよ」


 もごもごと聞きづらそうに尋ねられた事には「只の友人です」と端的に答える。


「リーヌスも女性ですよ。名前だけだと間違えられやすいですが」


 リーヌスは本土で多い男性名だ。彼女が名乗っているのが本名ではないことは、テオも勘づいている。


「というか、あなたは会ったことあると思いますけど」


 リーヌスからの証言では、彼女はギルドを脱退したヴォルフラムに声をかけている。

 しかし、ヴォルフラムはすっかり忘れているようで、「猫耳の」と補足したことでやっと合点がいったように「ああ、あの胡散臭い『獣憑き』か」と頷いた。


「胡散臭くて少々お金にがめついですが、気さくな良い人ですよ」

「フーン」

「急に興味をなくしますね……まあ、いいです」


 もともと他人に興味を持つタイプではないのだろう。すっかり興味を失ったヴォルフラムは、今は屋台の串焼きに目を奪われている。見かねたテオが屋台の親父さんに「2つください」というと、嬉しそうに尻尾を振った。


 屋台の傍にあるベンチに座って串焼きを頬張る。肉厚な鶏肉が、甘辛いタレに漬け込まれていて美味しい。

 ヴォルフラムにも隣に座るように促したが、首を横に振られた。近くの街灯に背中を預けて立ち食いしている。

 彼の視線は少し先にあるダンジョンの大穴に向けられていた。

 奈落と呼ばれるどこまでも深い穴。

 ズィーリオスの町は殆どがダンジョンの上にあるようなものだ。どの町からも奈落を介して降りればダンジョンに飛び込むことができる。奈落には極楽鳥という魔物が出るので、安全に降りるなら1番街の入口か、ゴンドラを使うしかないのだが。


(この目には覚えがある)


 ちょうど父や兄も同じ目をしていた。冒険に焦がれる夢追い人の目だ。


「また潜るんですか?」

「たりめーだ」

「まあ、怪我が治ったらお好きにどうぞ。……今度は地道にやることをお勧めしますよ」

「あ?」

「そしたらすぐに結果が出ます」

「なんでてめ~にそんな事がわかんだよ」

「見ればわかりますよ」


 根拠のない言葉に見えるが、テオにはちゃんとそう断言するだけの理由がある。


(アルベルトのギフトと自身のカルマによって滞っていたレベルの上昇。能力値の上昇率は次のレベル上昇までの戦闘経験の数に比例すると研究者は謳っていました。戦闘経験の数なら前衛職だった彼はかなりの数をこなしています……地道に経験値を積めば、レベルの上昇を契機に、彼は凄まじい速度で成長する筈)


 思案するテオを横目に、ヴォルフラムは「なんだよそれ」と呆れたような声を上げた。しかし、その口元にはうっすらと喜色が浮かんでいる。何のふたごころもなく肯定されるのは実に久しぶりのことだった。


「見つけたぞ、小僧!」


 そこへ投げかけられたのは、苛立ちを多分に含んだ怒号だった。

 素早く警戒態勢に入ったヴォルフラムの前に現れたのは、ピンクに染めた髪を借り上げた大柄の男――6番街に住んでいる筈のゴロツキ、ヨルクだった。


「あ? 誰だてめ~?」


 過去に歯を全て叩き折るなどの激しい喧嘩をしておいて、相手の事をすっかり記憶から追い出していたらしいヴォルフラムにテオは額を押さえた。


「前に貴方が歯を叩き折った人ですよ」

「そんなん星の数ほどいるわ」

「……貴方って人は」


 はあ、とため息をついたテオを指さして「用があんのはお前だよ!」とヨルクは叫ぶ。


「俺からあの石を掠め取ったのはお前だろーが! 忘れたとは言わせねェぞ!」

「ああ、それならあるべきところに戻しましたよ。あと小僧じゃありません」

「何だ? お前、女か」


 ヨルクはヴォルフラムの方を見た。にんまりと嫌らしい笑みを浮かべる。不揃いな銀歯がちらりと見えた。


「オイオイ、ヴォルフラム。お前、女の世話になってんのかよ。堕ちたモンだなぁ」

「あ?」


 ギロリとヴォルフラムの目つきが変わった。武器に手をかけて前に出ようとする彼の腕を、テオは咄嗟に掴んだ。


「駄目ですよ。傷が開いたらどうするんです」

「もう殆ど治ってンだろ。舐められたまま引き下がれるか」

「だからあなたはチンピラだってんですよ」


 ぎゅ、と掴んだ腕に絡みつく。絶対に戦わせないという意思を全身で示すと、ヴォルフラムは腕にまとわりつく柔らかな感触に「ち、ちけぇよ」と狼狽えた。


「いちゃついてんじゃねぇぞ!」


 ヨルクの怒鳴り声が響く。その背後から、わらわらと彼の仲間らしき男たちが姿を現した。どう見てもガラの悪そうな連中に囲まれた2人を、露店の主人や町の人々が恐々と窺っているのが見える。

 後ろは奈落。逃げ道などはない。


「あいつらどうにかしないと帰れねぇだろ」

「あっ、こら!」


 テオを振り切ったヴォルフラムが走り出す。同時に、ヨルクの仲間たちも、武器を抜いて襲い掛かってきた。数は4人。そのどれもが鉄パイプなどの鈍器を手に持っている。


「この馬鹿野郎ー!」


 敬語の崩れたテオの罵声を背に浴びながら、ヴォルフラムは高揚していた。

 なんせ、怪我をしてから殆ど寝たきりの状態だった。体を動かすのは実に1週間ぶりだ。全身は鉛のように重く、怪我は未だに痛む。


 ――だが、それを忘れるくらい、闘いが恋しかった。


 襲い掛かる鉄の棒を上体を捻って避ける。同時に抜いた短剣で相手の脚を斬りつけた。悲鳴をあげた男は足を庇って蹲る。


「ははっ」


 勢いはそのままに両手を地面について跳び、後続の男の顔に両足を叩きこんだ。後ろにひっくり返った男を躱すため、残りの2人は慌てて後退する。

 その隙をヴォルフラムは見逃さない。四足の獣のような体勢から弾丸のように飛び出し、両手で2人の男の首を捕まえる。


「くたばれや!」


 そのまま体重を乗せて彼らの頭を地面に叩きつけた。ガツンと大きな音がして、頭を揺らされた男たちが白目を剥いた。


「……すごい」


 彼の闘いぶりを見ていたテオは、素直な感嘆を零した。

 《鑑定眼》を用いて敵の情報を読み取るとその凄さがより鮮明になる。だって、相手の男たちはレベルだけで言うなら、むしろヴォルフラムより少し上であるくらいなのだ。けれど、ヴォルフラムは彼らなどは歯牙にもかけていない。それがどういうことか。


(闘いにおけるセンス、経験値……そう、技術が違う)


 レベルに現れない戦闘力――戦闘における技術が段違いなのだ。2本の短剣と長い手足を武器に、上下左右と軽やかに動き回る彼は、まるで踊っているかのように見えるほど洗練されている。


(あの子が着実に成長を遂げたら、一体どこまで強くなるんだろう)


 テオは胸が躍るのを隠しきれなかった。ぎゅっと小さな拳を握って、戦うヴォルフラムを見つめる。

 その上に大きな影が落ちた。

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