第6話 失せもの探し

 ズィーリオスの街はダンジョンの入口に1番近い街を1番街とし、全部で9番街まである。 


 1番街にはギルドが多く、宿舎も併設しているため冒険者が多い。1番街を挟む2番街や3番街は冒険者が利用するような店や、病院などが立ち並ぶ。街によって住んでいる特色があり、住民の様子もそれに左右されていた。


 6番街は中でも薄暗いところのある街だ。

 大通りには昼間から怪しい露店が立ち並び、娼館やクラブといった夜の店が多い。他国から逃げてきた訳アリの者や、ダンジョンに挑むことのなくなった冒険者くずれなどが、吹き溜まりのように集まってくる。 


 リーヌスの拠点もここにあるが、それは一重に情報の需要があるからだ。他人の秘密というのは、後ろ暗い人間の方がなにかと価値がわかるものなので。

 早々に仕事を切り上げたテオは、リーヌスを連れだって6番街を訪れていた。目の前には『666』と変わった名前の酒場が見える。明かりの灯った店内からは未だに人の声がしていた。


「あそこが件の店にゃ。毎日街のワルガキどもが賭け事に興じてるにゃ。本当にうるさくて叶わんのよ」

「そこに、リラナイトがあるんですね」

「あくまで噂にゃ。それに、本当にヴォルフラムの物かまではわからんかったよ」

「貴重なものらしいですので、可能性は高いでしょう。ちゃんと裏も取ります」

「……なんでそこまでするのにゃ? 偶然降って湧いただけの、ただの知り合いにゃのに」


 リーヌスは呆れたように言う。

 テオの依頼はリラナイトの捜索だった。

 ヴォルフラムが付けていたはずの物が無くなっており、物取りに遭ったものだと思われると、テオからは聴いていた。

 リーヌスからすれば、こんな事は当人同士でやりあうべきで、テオが手を出す理由はないように思える。何か特別な理由でもなければ。


「邪推しても何も出ませんよ。彼はただの拾い物です。知人以下の関係ですので」


 リーヌスの思惑に気づいたテオがばっさりと言いきる。


「ただ、放っておくと彼は探しもしないだろうという気がするだけです。そのくせ、不安になるとありもしない物を探すような仕草をするわけで。僕はそれを見るたびに、彼が盗られた物の大きさを勝手に想像して勝手に嫌な気分になるでしょう? ……なんか癪じゃないですか」

「ひねくれてるにゃあ」


 けれど、リーヌスはテオのそういうところが好きだった。

 彼女はけして正義感溢れる善人というわけではない。けれど、時折こうして他人のために行動する。自分のためだと言いはって。


「では僕は裏から回ってみます」

「私は店内にいるからにゃ。何かあったらこれで連絡するにゃよ」


 リーヌスはひょいと投げて寄越したものをテオは片手でキャッチする。小さな2匹のテントウムシを模した魔法道具だ。首元と耳に付ける事で、対の通信機を持った者と通話ができる。効果範囲が狭いという難点があるが、壁を隔てた内緒話にはちょうど良い道具だ。


 ゆったりとした足取りで店内に向かう猫耳を横目に、すばやく店の脇に身体を滑り込ませる。テオにとって隠密行動は容易いものだ。ゴミ箱や逃げ惑うネズミを音もなく避けて、大きな窓の下に身を屈めた。


 そっと中を盗み見ると、もう夜の12時を回るというのに、店内には大勢の客がいる。テーブルにカードを広げて賭け事に興じているようだった。そのなかでも1番目立つ集団に目を留める。ピンクに染めた髪をオールバックに固めた厳つい男がリーダー格だろうか、彼を筆頭に5人の男女がテーブルを囲んでいた。

 そのすぐ後ろのカウンター席にはリーヌスの姿もある。ちらりと寄越された視線と目が合った。


【彼がそうですか?】

【そうにゃ】


 小声で尋ねるとすぐに返事が返ってきた。


【その目立つ桃色頭のマッチョがヨルク。このあたりのワルガキどもの大将にゃ。ヴォルフラムがアルベルトと組んでた頃にちょっと揉めたらしいのにゃ】


 年齢不詳のリーヌスは‘‘ワルガキ’’という呼称を使うが、ヨルクたちはテオよりも随分と年上のように見える。リーヌスの実年齢が気になる所だが、女性にする質問ではないな、テオは首を振るにとどめた。


【子ども相手に大人げない】

【追い剥ぎは6番街の風物詩、子どもも大人も関係ないのにゃ】


 油断大敵にゃあ、とかわゆい声で笑われる。そんな物騒な風物詩は嫌だなと思った。


「それにしてもヨルクの兄貴、いいもん拾いましたねぇ」


 彼らの真後ろに座ったリーヌスの耳が、ヨルクの舎弟の声を拾った。ピタリと静かになったリーヌスに倣って、テオも男たちの動向を注視する。


「これかぁ?」


 ヨルクは首に下げたチェーンを引っ張った。チェーンの先でキラキラと光る石がちゃらりと揺れる。


「ちょっと前に寝てるヴォルフラムの野郎から掠め取ってやったのよ」

「売り飛ばさないんで?」

「いや、もう買い手はついてる」

「なら早く売っちまえばいいのに」


 怪訝そうな顔をする舎弟に向かって、ヨルクはにちゃりと笑みを浮かべる。彼の歯はすべてが銀歯で出来ていた。


「あの負け犬の顔を拝んでからにしようと思ってよ。――この歯の落とし前はつけてもらわにゃ」


 ヨルクの目はギラギラと復讐心に燃えていた。舎弟は冷や汗をかきながら「そうっすね!」と慌てて頷く。


【……歯、というのは?】

【ヴォルフラムと揉めた時、自前の歯を全部叩き折られてるのにゃ。私闘の怪我は2番街では直してもらえないから泣く泣く義歯にしたのにゃ】

【義歯でも大金がかかりそうですね】

【それでも回復魔法よりは安いにゃ】


 2番街にはギルドに所属している冒険者限定ではあるが、ダンジョンで受けた怪我ならどんな怪我も無償で治す病院がある。他の病院もあるにはあるが、魔法を使った再生となると物凄い大金がかかるのだ。


【あの子、その手の話題には事欠かなそうですもんね】

【6番街と言わず至る所で喧嘩騒ぎを起こしてるにゃ。純粋に喧嘩が好きなんじゃにゃあ?】

【はた迷惑な……】


 はあ、とテオはため息をついた。

 ヴォルフラムがリーヌスの誘いを蹴ってスラムに腰を据えたのは、これが原因なのかもしれない。喧嘩のし過ぎで方々から恨みを買っていて、落ち着いて住める場所がスラムくらいしかないのだ。


【計画は変えるつもりはにゃあ?】


 呆れているのが伝わったらしい。窺うようなリーヌスの声にテオは淡々と頷く。


【ええ。――手筈通りにお願いします】


 理由やきっかけはどうあれ、一度取り返すと決めたならそうするべきだ。


***


「マスター、ジンライムを」 


 リーヌスは空になったグラスを掲げて店主を呼んだ。厳ついが真面目な店主は、珍しく来店した上品な客ににこやかに応じる。細長いトールグラスに砕いた氷を入れ、ジンとライムの絞り汁を注ぐ。くるくると金のマドラーでかき混ぜながら、飾りのライムを取るために後ろの棚を振り返った。


(――影分身)


 その一瞬の隙にリーヌスは魔法で作り出した分身体と入れ替わる。にこにことジンライムを待つ自分を尻目に、するりと店の奥に忍び込んだ。


 店舗の光源はズィーリオスでは一般的に普及している雷電球を採用していた。これは雷属性の魔法を応用した魔法道具で、白い玉のような部品を蓄雷機と呼ばれる部品を繋げることによって発光させるものだ。2つの部品は黒いコードで繋がっている。

 腰に下げたナイフを引き抜き、


【いくにゃよ~……さん・にぃ・いち!】


 いきおいよく振り下ろした。


 バツン


 火花が散ったと思えば一気に暗闇が落ちる。いきなり暗くなった店内で、店主も、ヨルク達も何が起こったのかわからずに慌てふためいた。

 その中で唯一冷静に動くことができたのは、外で待機していたテオだけだった。《癒しの手》と入れ替えていた《透過》により、壁をすり抜けて店内へ侵入する。


「おい店主! さっさと明かりを付けろ!」


 驚きながらも店主へ罵声を浴びせているヨルクの胸にあるリラナイトをつかみチェーンを《透過》して首から抜き取った。すり抜けさせてしまえば、盗られた事には気づけないだろう。


「光よ!」


 突然、目の前に白い光の玉が現れた。手元を照らす程度の光球だが、不意に照らされたテオは、顔を覆って後退る。


「誰だ!?」


 テオの存在に気が付いた男たちがにわかに騒ぎ出した。


(舐めすぎましたか)


 テオは舌を打った。

 冒険者崩れとはいえ、元はダンジョンに挑んでいた者達である。魔法が使える者がいてもおかしくはない。照明魔法なんて暗いダンジョンを探索する上では必須と言ってもいい魔法だ。


「小僧! 何モンだてめぇ!」


 ヨルクが持っていたジョッキを投げつけた。咄嗟に顔を反らして避けたが、壁に当たって砕けたジョッキグラスの破片が跳ね返ってくる。頬のあたりに鋭い痛みが走った。


「逃げるぞよ!」


 混迷を極めたそこへ、発煙筒が投げ込まれた。それがリーヌスの手によるものだということはわかっていたので、煙幕に紛れながら《透過》を発動して壁を抜けて逃れる。追手がかかる前に店から離れると、すぐにリーヌスが追いかけてきた。


「大丈夫かにゃ?」


 白いハンカチで頬を拭われる。テオのまろい頬には痛々しい切り傷が2本走っていた。だらだらと滴る血を見るに、なかなかに深い傷らしい。


「これくらいかすり傷ですよ」

「駄目にゃ! 顔の傷にゃよ!? 女の子なのに……」

「僕は気にしないです」

「気にしろにゃ〜!」


 ぷんすかと怒るリーヌスを「まあまあ」と諫める。そういう淡白な反応も、リーヌスを憤慨させる一因だとは気づいていない。


「《癒しの手》を《透過》に入れ替えてしまったので、自力で回復はできませんし。次の入れ替えまでには12時間の時間経過が必要ですから」

「私も回復魔法は使えにゃいしにゃあ」


 病院での魔法による治療はとても高額だ。テオがそれを利用することは万に1つもない。


「《鑑定眼》では修得魔法の確認が出来ないとはいえ、照明魔法を持っている可能性を見逃しました。僕の油断が招いた結果です。教訓にしますよ」

「おみゃ〜は冒険者じゃなくて、ただの絵描きじゃないのかにゃ」


 リーヌスは「いったい何の教訓になるんだか」とため息をつく。


「それより、ほら。取り戻しましたよ」


 テオは手の中にあるペンダントを月に翳して見た。指先ほどの大きさのそれは、紫色の花を透明なクリスタルが包んでいるかのような宝石だ。月光を浴びて星のように輝くこの石が、自然に発生したものとはとても信じられなかった。


「これがリラナイト、綺麗だにゃ〜。初めて見た」

「本土のビオレットという山村でしか採れないものだそうで、王宮への献上品になったこともあるそうですよ。紫は王家の色ですから」

「……ヴォルフラムが持ってるのは何か違和感あるにゃ」

「まあ、そうですね」


 それも仕方ないだろう、とテオは思った。けれどそう思った理由を吹聴する気にはならず、「違和感といえば」と話題を変えることにした。


「あなた、『逃げるぞよ』って何なんです? いつもの可愛い子ぶった語尾はやはり狙ってやってるんですか?」

「ちっ、違うにゃ! この語尾を聞かれると私だってばれるかと思ったから……」


 顔を真っ赤にしてまとわりついてくる猫耳をからかいながらも、達成感を胸に家路を急いだ。


***


「遅かったじゃねーか」


 テオを出迎えたのは憮然とした声だった。

 声の主は相変わらずベッドの上の住人で、「退屈過ぎて死にそうだった」と何ともまあ可愛くない台詞を宣う。作り置きしていった食事はペロリと平らげてあったので、体調も悪くはなさそうだ。


「大人しくしていましたか?」

「しっ、してたぜ……」


 じとりと見れば、途端にしどろもどろになって目を反らして「別に探検とかしてねぇ」と言い訳のように自白をする。素直な男だ。


「自己申告ありがとうございます。物を壊さなきゃ別にいいですよ」


 ほっとした様子のヴォルフラムに、持っていたリラナイトを投げる。咄嗟に掴んだヴォルフラムは、手の中の石を見て大きく目を見開いた。


「お前、これ……」

「素直な子にはご褒美です」


 「僕はもう寝ます」と背を向けると、ベッドから降りてきたヴォルフラムに腕を掴まれた。振り向くと眉間に皺を寄せた男が、困惑したような、泣き出しそうな、不可解な表情で見下ろしてくる。


「取り返しに行ったのか」


 次いで、テオの頬にある大きな切り傷を見て唇を噛む。大きな銀の耳がへたりと伏せられた。


「別にあなたの為ではありません。ですので、この傷もあなたのせいではありません。僕は僕のために行動したし、僕の油断の結果がこの傷です。……まあ、結果的にあなたが助かったなら、お礼の一言くらいなら受け取らなくはありませんが」

「お前本当に口が減らねぇな!」


 がう、と吠えたヴォルフラムは、ちょっと考え込んでからテオの頬に触れた。掌に青みがかった白い光が灯り、テオの傷を優しく包む。痛みが引き、ぱっくりと割れた傷口がじわじわと塞がり始める。


「驚いた。貴方、回復魔法なんて使えたんですか」

「うるせえ、黙ってろ」


 ヴォルフラムは額に汗をかきながら「難しいんだよ、これ」と呻いた。


「それはそうでしょう。回復魔法ですよ」


 回復魔法は適正がないと修得すらできない上、実用までもっていくのには更に途方もない修練が必要なのだという。だから、回復魔法を駆使する魔法使いは少なく、魔法での治療は高額なのだ。


 どれくらいそうしていただろうか。時間にして10分くらいのことであったが、テオの傷が痕も遺さず消える頃には、ヴォルフラムはすっかり汗だくで息を乱していた。


「ありがとうございます。もうすっかり元通りです」

「おま……! くっそが!!」


 つるりとした頬に感激して素直に言えば、礼を言われた筈の男は顔を真っ赤しにして怒りだした。ブンブンと尻尾を振りながらぷんぷん怒った男は「もうねる!」とベッドに突撃して布団を被る。


(照れ隠しでしょうか?)


 などと薄く笑っていると、


「……お前は知らねぇかもしれねぇが」


 と布団の山から声が聞こえてきた。


「こいつは、母さんから貰ったモンなんだ」


 ぼそぼそと告げる声に「ご母堂は?」と尋ねると「ガキん時死んだ」と返ってくる。やはりな、とテオは目を伏せた。


「だから…………だから、あんがとよ」


 続いた言葉に目を見開いた。

 じわじわと胸に沸き上がってくるこの暖かな感情は何だろうか。音をたてずにベッドサイドに近寄り、傍にあったスツールに腰かける。ピクリと布団から覗く犬耳がこちらを向いた。匂いと気配でそこにいるのがわかるのだろう。


「……もう失くすんじゃありませんよ」


 布団の山が揺らいだ。きっとペンダントを握りしめているのだろう。

 彼は心細いとき、苦しい時、いつもそれを探していたから。


(認めなければ。――すっかり情が移ってしまったようです)


 テオはこの意地っ張りな獣のことを、存外気に入り始めていた。

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