第5話 2人の関係

 その日から三日三晩、ヴォルフラムは高熱に魘されることとなった。

 痛みと熱でシクシクとぐずりながら、胸のあたりをしきりに擦る様はなかなか同情を誘うもので、テオは柄にもなく頭を撫でたり、優しく寝かしつけたりなどしてしまった。


 それでも熱は下がらず、人語を解せなくなったあたりで流石に不味いかと慌てて医者を呼んだが、呼ばれた医者は冷静にプスリと注射を一本打って「傷が塞がるまでは安静にしてネ」などと言い残すだけであった。


(面倒なものを抱える事になってしまった)


 テオは後悔こそしたが、宣言してあった通り、途中で放り出すような真似はしなかった。メリエンヌには少しの間休ませて欲しいと告げ、酩酊した獣のようになった男を辛抱強く看病したのだ。


 その甲斐あってか、単純に薬がよく効いたのかはわからない。

 だがまあ4日目の朝を迎える頃にはけろりとした顔でパン粥を咀嚼できるくらいには回復したので、テオはようやく肩の力を抜くことができたのだった。


「これうめぇな」

「……それはどうも」


 少し前までは水も飲めない有り様であったので、食事をしている所を見ると、安堵に似た感情が湧く。


「随分とお早い回復で」

「俺ら『獣憑き』は丈夫なのが取り柄なんだよ」


 ふん、と得意気に鼻を鳴らすヴォルフラムに、「嫌味の通じない人でしたか」とテオは眉間を揉む。寝不足ぎみで頭が痛かった。


 空になった器をサイドテーブルに戻したヴォルフラムはきょろきょろと周囲を見渡して「ここお前の家か?」と今更ながら尋ねてくる。

 そういえば、彼がテオの家に来て4日目ではあるが、まともに意識が保てていなかったため、自己紹介すらしていなかった。


「ええ、僕はテオ。ここは7番街にある僕の家です」

「……変な匂いする家だな」


 見た目どおり獣じみた嗅覚を持つらしい男は、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。


「古い油みてーな、鼻の奥がツンてする匂いだ」

「僕は画家ですので。油絵具の匂いでしょう」

「画家ぁ?」


 怪訝そうな顔を隠しもしないヴォルフラムに、テオは部屋の奥を視線で指し示す。必要最低限の家具で整えられた部屋の中で、そこだけが異様な様相を示していた。

 額に入れられて壁にかけられた絵、床に立て置かれた絵、横積みにされた絵、絵、絵――……。

 テオは完成した絵の中でも気に入ったものは自室に飾るようにしていた。売れずに残ったものもアトリエから引き上げてきているので、それらは床に溢れるようにして積み重なっている。まるで、そこだけ絵画の城のような有様になっていた。そのすべてが人物画であったことも、空間の異様さに拍車をかけている。


「なんじゃありゃ」

「人物画ですよ。冒険者のね」

「冒険者の?」


 テオは頷く。


「僕は冒険者専門の人物画家なんです。……一番右の白い甲冑の男の人はズィーリオスで初めて冒険者ギルドを作った”冒険者ギルドの父”、アーブラハム・バルテム氏。イーゼルに立ててある大きな絵の女性はブリギッタ・ハーバー氏、あなたも良く使うゴンドラの製作に貢献した魔法使いの1人です。皆さん著名な冒険家ばかりですよ」

「詳しいな」

「冒険者一家の娘ですからね」


 特に自慢にもならないとばかりに目を伏せた。


 彼女は冒険者の両親の元に生まれ、冒険者を志した兄の背を追い、けれどけして冒険者になることはなかった女だ。

 冒険者になることを夢見た事はあったが、父が許さなかった。生まれつき持ったカルマのために。


 強さが商売道具といってもいい冒険者になるには、致命的な欠点とも呼べるカルマを生まれつき持っていた。テオが冒険者になることを良しとしなかった父を恨んだりはしない。話し合いをする間もなく、帰らぬ人となってしまったためだ。父の言いつけは遺言になってしまった。容易く破ることはできないものに。


 それでもテオは冒険者が好きだった。

 未知を人生の伴侶とし、危機からの脱出劇を寝物語とする、常に困難に立ち向かう者たち。自分は決して追い付けぬ両親たちと肩を並べうる者。

 その溢れんばかりの憧れを、紙にぶつけた結果だったのだ。画家という職業は。


「俺のもあったりすんの?」

「まさか」


 首を横に振る。


「貴方は良く言ってチンピラまがいでしょ」

「んだとコラ」


 ぐるる、と牙を剥くヴォルフラムに「ほら、すぐ怒る」と指摘すれば、拗ねたような顔でそっぽを向かれた。テオはうっすらと意地悪い微笑みを浮かべる。


「僕が描くのは勇猛果敢で困難に立ち向かう冒険者だけですよ。場末のチンピラじゃありませんし、己の実力もわからぬ愚昧な冒険者でもありません。まあ、今後、あなたがまっとうな冒険者になる事が万が一にでもあれば、僕の方から描かせてくださいと頼みに行くかもしれませんね」

「ぜってぇお断りだ」


 ハン、と鼻で笑われた。


「それにしても、ガキのうちから女連れ込んでる癖して、随分お上品な趣味してるじゃねーか」

「は?」

「ベッドも部屋も女の匂いすんぞ」

「あたり前でしょう。僕の部屋ですよ」

「それじゃお前が女みてーじゃねぇか」

「みたい、じゃなくて女ですので」

「!?」


 ぎょっとした顔でヴォルフラムはテオを見る。自分に対してちっとも物怖じしない態度や、喋り方、平たい胸などから勝手に小柄で線の細い少年だと思っていたのだ。

 たしかに言われて見れば、顔立ちや声は中性的だが頬は丸く、手指も細くて柔らかだ。


「それに、多分あなたよりは歳上です」

「嘘だろ!?」

「今年で23になりました」


 ヴォルフラムが指折り数える。「5つも年上……」と戦く彼に、「あなた、成人もしてなかったんですか」と今度はテオの方が驚いた。背の高いヴォルフラムは実年齢よりも大人びて見えた。


「今日から僕は仕事に行きますが、あまり動き回ったりしないでくださいよ。外に出るなんてもっての外ですからね」

「あー……」


 ゆらゆらと彼の視線が泳いだ。手が胸のあたりを掻く。これは何度も見られた癖のようだった。胸が痒いわけではない、何かを探すような仕草。


「何か、失くしたものでも?」

「…………いや」


 少しの沈黙のあと、ヴォルフラムは首を振った。僅かに伏せられた目と、薄くひきつった唇。何かを耐えるような性分ではなさそうな彼が、諦念を滲ませた下手くそな笑みを浮かべていた。


(隠し事の下手な子だな)


 テオは目を細めながら「そうですか」と頷いた。

 話す気がないのなら聞く気はなかった。

 多少気安く言葉を交わしても、お互いの事情に深く踏み込むような仲ではない。


***

 

 出勤して早々、テオは店長に飛び付かれた。ムスクの香りが服につくのが嫌で「セクハラですよ」と両手を突き出して押し返す。拒絶する猫のポーズだ。


「テオちゃん聞いたわよ〜!」


 しかし店長が身を引く様子はない。彼女も従業員に手のひらで押し返されるのに慣れているのだ。むちむちの二の腕が小枝のごとき身体を捕らえて離さない。

 諦めて「何をですか」と聞き返すと、彼女はとんでもないことを言い出した。


「ヴォルちゃんをしばき倒してお姫様だっこでお持ち帰りしたって本当なの!?」

「おもっ……」


 あんまりな噂に言葉を失った。尾ひれがつくのにも限度があるだろうに。

 ああもう、と呻きながら首を振る。


「僕のような一般人が、彼をどうこうできるわけないでしょう。……たしかに怪我をしているところを連れて帰りはしましたが」


 店を休んだ理由であるだけに嘘も吐きづらく、小声でつけたした言葉に店長は「イヤ〜ン肉食系!」と色めき立つ。じとりと睨み付ければ口をつぐんだ。しかし、顔はニコニコとしている。彼女はコイバナに飢えていた。


「そんな馬鹿げた噂話を流したのは一体誰です?」

「私にゃ」


 いつの間にかカウンター席にいたリーヌスがひらりと手を上げた。今日は珍しく開店直後に来店したらしい。


「いや〜酔いに任せてあることないこと記事にしたら思いの外広まってしまったのにゃ」

「テオちゃん、結構お客さんに人気あるから」


 おほほほ、にゃはは、と笑い合う2人を前に、苛立ちでこめかみが震える。


「なるほど、あなたでしたか。まったく仕方のないヒトですね。……ところで、極東の島国では猫の皮を使って作る楽器があるそうですね」

「なんで急にそんな恐ろしいことをいうのにゃ!?」

「なかなかの高級品のようで。人間大の素材ともなれば、一体いくらで売れるのでしょう?」


 淡々と言葉を重ねる友人を前に危機感を覚えたのだろうか、リーヌスは慌てて「わかったわかった! 私が悪かったにゃ」と平謝る。


「わかったなら、せいぜい火消しに励んでくださいね」

「……ジョークの通じん奴だにゃあっと」


 再度テオに睨まれて、「承りましたにゃ」と、リーヌスはすばやく両手を上げる。

 この小柄な友人が見た目の割に苛烈な性格をしているのはよく知っている所であった。降参は早い方がいい。


「あの、すみません」


 固まって話し込んでいるところに後ろから声がかかった。

 来客かと慌てて振りかえると、そこには癖毛の黒髪と、油断なく細められた大きな金糸雀色の瞳がある。


「テオ・シュトライヒさんですか?」


 疑問系であったが、確信のこもった声でアルベルト・バーデンはテオを呼んだ。後ろにいつもの取り巻きはいない。1人だった。


「少し、お話がしたいのですが」


 そう言うや、差し出されたのは銀貨1枚。個室を利用する際の特別料金だ。

 店長とリーヌスが「やだ修羅場!?」「モテモテだにゃあ」などど面白半分で見守る中、テオは努めて表情を変えずに銀貨を受け取り、珍客を奥の個室へ案内した。




「ヴォルが貴女の所にいるのは本当ですか?」


 個室に案内するや、彼は申し訳なさそうにそう切り出した。「ええ、まあ、それは事実ですけど」と頷くと、アルベルトはがばりと頭を下げた。


「申し訳ありません。この度は大変なご迷惑を」

「……あなたが謝る必要はないのではありませんか?」


 眉をひそめたテオに、アルベルトは「でも、僕らは幼馴染みなので」と頬を掻く。


「彼は昔からちょっと言葉が過ぎるというか、行動が荒っぽいので、きっとご迷惑をおかけしたと思います。もし、何か損害が出たようでしたら、僕が補填しますので……あっ、でも、ヴォルには内緒にしててくださいね。後で怒られちゃうので」


 そんな風に嘯きながら困り眉で薄く笑みを浮かべる青年は、いかにも善良そうに見える。嫌われながらも、同郷の幼馴染みを案ずる人の良い男に。実際にヴォルフラムの粗暴さに迷惑していた人間なら効いただろう。テオにとって彼は無力な病人でしかないのだが。


(なるほど、こうして味方を増やしてきた訳ですか)


 曖昧に頷く彼女の顔には、喜色も同情も浮かんでいない。ただ冷静に、アルベルト・バーデンという男を観察している。


「ヴォルは生活も苦しい状況ですし、金銭を請求されても払えませんから。……僕はちょうど冒険も軌道に乗ってきたところですので、ご心配には及びませんよ!」


 反応の薄い相手に焦れたのか、アルベルトは更に言葉を重ねた。その歪んだ微笑みが、テオには何だが不快に見える。


(朗らかな口調、心配するような素振り、下手に出る態度……そこに含まれる確かな嘲笑)


 テオは気づいた。

 彼は全力で馬鹿にしている最中なのだ。

 自分を捨て、落ちぶれた男を。彼を心配するふりをしている自分に気づかない、愚かな群衆をもすべて。


(なんだか面白くない)


 ヴォルフラムが騙されているという事に怒りを感じているわけではない。アルベルトの性格の悪さに義憤が生じているわけでもない。

 冒険者の世界は実力主義、より強く賢いものが生き残ると言うだけの事。

 ああけれど、しかし、だ。

 そこに嘲りが含まれると途端に不愉快になる。


(今までの私だったら適当に話を合わせて終わりにしていた筈。あのちょっとの闘病生活で、情でも移ってしまったのでしょうか?)


 引き結んだ唇に僅かな嫌悪が滲んだのを察知したのか、アルベルトが怪訝そうな顔で見つめてくる。


「特に迷惑などはしていませんよ」


 口を突いて出たのはそんな言葉だ。ほんの少しだけ言い返してやりたい気分になったのだ。


「確かに多少の出費はありましたが、あなたに負担させるほどのものではありません。彼も子どもではないのですし、自分で落とし前をつけると期待していますよ」


 ぴしゃりと言いきる。

 当事者であるテオ自身がこう言えば、彼にとりつく島などない。一寸ばかり顔色を無くした男は、貼り付けたような笑みを作って「それなら良いんですが」と一旦引き下がった。


「何かありましたらご相談くださいね?」

「ええ。――ああ、それなら」


 テオは思い出したように付け足した。


「ツァーベルさんの胸に付けてる……あれは一体どういった代物なんです? 見たことがないものだったので気になって」


 嘘は言っていない。見たことがないのは本当だ。

 思った通り、アルベルトは心当たりがあったらしい。テオの反応が芳しくなかった反動だろうか、ぺらぺらと水を得た魚のように話し出す。


「ああ、彼の持ってるペンダントはリラナイトで出来ているんですよ。僕たちの出身地の特産品ですが、あれほど大粒のものはかなりの値打ちものです。でも、どんなに生活が苦しくっても、ヴォルはあれを手放そうとはしないんです」

「随分大切にされているようで」

「そりゃそうですよ。だってあれは――……」

「……え」


 続いた言葉に思わず目を見開いた。



 

 店を去るアルベルトの背を横目に、テオはカウンター席を陣取ってウイスキーを舐めるリーヌスに近づいた。


「新聞屋さん」


 呼んだのは彼女の名前ではない。それは、友人ではなく、島の情報屋としてのリーヌスを呼ぶ時の呼称だ。


「――探して欲しいものがあるんですが」

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