第2話 羊と狼と傍観者

 ダンジョン帰りの冒険者たちの喧騒を聴きながら、テオはワイングラスをくるくると回すようにして磨いていた。


 ガタガタと乱暴に席に座る客に「坊主!」と不躾に呼ばれる。

 伏せられたマカライトグリーンの瞳は、赤ら顔の中年を胡乱うろんに見つめ返したが、わざわざ訂正をすることはなかった。

 テオの身体は小柄で薄く、顔立ちは幼いが中性的だ。制服でもあるバーテン服に身を包んでしまうと、小柄な少年のように見えるようで、よく間違えられるのだ。それはもう訂正をするのも億劫になるほどに。

 男たちから淡々と注文を聞き取ると、奥にいる店主に口頭で伝える。返事が返ってくるのを確認すると、粛々しゅくしゅくとグラス磨きに戻るのだった。


 ここは、ズィーリオス島の一番街。

 ダンジョンの入口から最も近い場所にある大衆酒場『ダンデ・ライオン』。

 従業員として働いているテオは、バイトをしながらほそぼそと絵を描いている貧乏絵描きである。「どうしてこの島で絵描きに?」という問いは何度も浴びたが、彼女が明確な答えを語ったことはない。店主のメリエンヌだけが、沈痛な面持ちで首を振るばかりだ。


「よう、テオちゃん! 今日も仏頂面だねぇ」

「ポルディおじさまは今日も仕事せずにお酒ですか」

「手厳しいなぁ! ヨメと同じ事を言わないでくれよ!」


 どっかりとカウンターに腰かけた中年の冒険者は馴染みの客だ。ビールジョッキを片手に「がはは」と豪快に笑う。


 彼はポルディ。冒険者としては半ば引退しており、時たま思い出したようにダンジョンに潜るが、普段は昼間から酒を呷っては陽気にお喋りをしている。5番街に妻子と住んでいるらしいが、家にいると肩身が狭いらしい。


「そういえば、最近はヴォルフラムのトコが調子いいらしいな」

「ああ『青の方舟』の……」


 話題を変えようと紡がれた言葉にテオは小さく頷く。

 『青の方舟』は有力な大型ギルドの1つだ。この酒場のちょうど向かいに聳える巨大なホテルのような建物であるので、必然的に噂は良く聞く。ポルディもまた、『青の方舟』のギルドメンバーの1人だ。


「彼、目立ちますよね」

「ああいうのは悪目立ちって言うんだぜ」


 やれやれ、と年嵩としかさの冒険者は首を振った。


「短気だし、口は悪ぃし、おまけに『獣憑けものつき』。島のあちこちで喧嘩騒ぎを起こしては、ギルドマスターの顔を真っ赤にしてるよ。いくら冒険者が実力主義とはいえ、悪評がたつとやりづらいっていうのになぁ」


 ヴォルフラム・ツァーベルといえば、若手の中でも優秀なパーティーのリーダーをしている男だ。声が大きく、短気で粗暴そぼう。いつも取り巻きに囲まれている。冒険者というよりはチンピラのように思えて、テオはあまり良い印象を持っていない。


「あらぁ、ヴォルちゃんの話? 黙っていれば可愛い顔してるわよねえ」

 体をくねらせながら話に割り込んできた店主を、テオは「マスターは男の趣味悪いですよね」と淡々と押し返した。

「ま、おじさんからすれば『若いっていいわねぇ』って感じだけど……っと、なんだか騒がしいな?」


 店の前がにわかに騒がしくなってきた。どうやら人だかりができているらしい。その中心にたった今話題にあがった人物がいるようだった。




「お前、明日から来なくていいぞ」


 温度のない声で銀髪の青年が告げる。

 鈍く光る銀髪の間から生えた犬のような三角耳が目を引く、紫の瞳を持つ青年だった。長い毛を持つしっぽが不機嫌そうに揺れている。喧嘩に揉め事など、最近なにかと噂にあがることの多い青年、ヴォルフラム・ツァーベル。


 そんな彼と対峙するのは、黒いもじゃもじゃ頭の青年だ。

 猫背気味で手足がひょろりと長く、生白い肌色をしていた。前髪の間から覗く金糸雀色カナリアイエローの瞳が、おびえたように涙を滲ませている。

 この狼を前に震える羊めいた青年の名前を、多くの人は知らない。彼が昔からヴォルフラムのパーティに所属する魔法使いだという事はわかるのだが。

 それくらい、このアルベルト・バーデンという青年は目立たない人物だった。


「そ、そんなぁ……なんで急に」


 アルベルトが泣き出しそうな声を上げた。くしゃくしゃの癖毛が絡まる隙間から、潤んだ瞳が目の前の幼馴染みを見つめている。


「嘘だよね? 僕たち子ども頃からずっと一緒にやってきたじゃないか」

「そんだけ面倒見てやったんだから十分だろ。お前みたいなノロマ、これから先は邪魔になるだけだ」

「そ、そ、そりゃ、僕は支援魔法特化だから、攻撃手段はほぼないし、ま、ま、魔法使いは基本的に身体能力が低いから、仕方ないじゃないか……し、知ってるでしょ」


 真っ赤な顔が必死に言葉を紡ぐ。

 元々あがり症で人と接するのが苦手な質だった。それだから、いつだってヴォルフラムの後ろに隠れていたのだ。


 彼が追いすがるのも無理のない話だった。この島で冒険者が食べていくには、ダンジョンに挑むしかないのだから。


 島の各所にある冒険者ギルドは、冒険者に仕事を斡旋あっせんする場であるのだが、面積の大半がダンジョンの島では、ダンジョン関係の仕事しか入ってこない。8番街まで行けば闘技場でファイトマネーを稼ぐという方法もあるが、戦闘力のほぼないアルベルトにとって、その方法はあってないような選択肢だった。

 しかし、そのダンジョンも1人での攻略は極めて難しい。どうしたって1人の人間にできることなんて限りがあるし、食料や回収した素材を運ぶのには人手がいる。攻撃手段を持たない冒険者は、仲間の存在が必要不可欠だった。


 つまり、人見知りのアルベルトにとって、10年来の幼馴染に捨てられるのは、冒険者としての終わりを意味する。


「ね、ねえヴォル。お願いだよ。そんな事言わないで」


 細い手がヴォルフラムにすがった。顔をしかめたヴォルフラムは大きく舌打ちをして片手で顔を覆う。


「はぁ~~~~~っ」


 そんな風に大げさな溜息をついた。心底うんざりとしたそれに、アルベルトの肩が大きく跳ねる。その子羊のように震える少年を、突き飛ばして転がすヴォルフラムの動作に迷いはない。


「ずっと前から気持ち悪ィと思ってたんだよ。陰険野郎」


 突き放すように告げて踵を返した。

 取り巻き達が馬鹿にするように笑いながら彼の背を追うのを、アルベルトは茫然と見つめていた。

 彼らの姿が見えなくなっても、ずっと。

 



「がはは! 凄い見世物だったなぁ!」

「……この島では日常茶飯事ですが、酒のさかなにしては悪趣味です」

「そう言わないでくれよ。他人の喧嘩くらいしか楽しみがないんだ」


 すっかり酔いが回ったポルディに赤ら顔にテオはため息で返した。

 冒険者同士の諍いも、パーティ内のいざこざも珍しいことではない。珍しくはないが、率先して見物したいわけでもなかった。


「でも、これであのか弱い魔法使いは辞めちまうかもなぁ。可哀想に」

「……そうでしょうか?」


 気の毒そうに呟くポルディの言葉にテオは疑問で返す。

 そのかすかな声は、酔っ払いたちの喧騒に紛れて消える。そして彼女の瞳に魔法陣が浮かんでいる事に気づく者も、誰一人としていなかった。


***


 ――それから若い冒険者2人がどうなったか。


 アルベルトの方は最初の数週間こそは仕事にありつけず苦労をしていたようだったが、最近はハーフエルフの少女や、鬼人の娘、長身の魔女など、優秀な仲間を得たらしい。

 前のパーティでは目立たなかった彼だが、実は優秀な支援魔法を持っており、司令塔としての能力も高いことがわかり、攻撃特化なメンバーをうまく指揮する事で、新しい冒険者一派として頭角を現し始めていた。


 一方、ヴォルフラムはというと、結果的にパーティは離散したようだった。

 いったい何が起きたのか、彼らは詳しく語ろうとしなかったが、彼らは今まで50層までは楽々と潜れる能力があったのに、たった10層で全滅しかけたらしい。「急にモンスターが強くなった」とメンバーの1人が言っていたが、他の冒険者にとってはそんな事もなかったので、戯言だと相手にされなかった。そうこうしているうちにメンバー内の仲に亀裂が入り、恋愛沙汰が刀傷沙汰に発展したことも重なって、解散してしまったようだ。


 メンバーは散り散りになり、島を出た者もいる。

 そんな中、ヴォルフラムの姿だけはギルドやダンジョンで時折確認できた。いつも1人きりで、むっすりと眉間に皺を寄せている。現状に納得がいっていないことだけは見てわかった。


「てめぇ、何見てんだコラ」

「懲りないチンピラですね。絡み方に芸がないです」


 今日もギルドの前でアルベルトに絡んでは、彼の仲間の少女に手ひどくあしらわれていた。

 胸倉をつかまれてポイとひと投げ。綺麗な放物線を描いたヴォルフラムの身体は、店先に積んであった木箱の山に沈む。どんがらがっしゃん、という派手な音と同時に「ぎゃっ」と潰れた蛙のような悲鳴が聞こえた。そんな様子を見て、街の人間たちは「ああ、またか」と呆れた顔になる。


 小柄で可憐な少女が長躯ちょうくの男を片手で投げる様は、最初こそ拍手喝采を浴びたものだが、今や見慣れた光景だった。


「さあ立ちなさい。今日こそギタギタのメタメタにへこませて差し上げます」


 ファイティングポーズを取るこのハーフエルフの少女は、服装こそ回復術士のようだが、手に装備しているのは杖ではなく、いかつい格闘用のグローブだ。

 彼女は“殴り聖少女”として名を馳せるマルタ・ヨルダン。丁寧な口調とは裏腹に、かなり荒っぽい戦い方をする。


「彼もしつこいな」


 呆れたように肩をすくめるのは”黒曜の魔女”と呼ばれる魔法使い、ハイデマリー・フォレスト。

 すらりとした長躯と、艶やかなミッドナイトブルーの髪を持つ女性だ。その腕にじゃれつきながら「やっちまえマルタ~!」と元気な声援を送るのは、額に細い2本角を持つ黒髪の少女――光月こうげつだった。


「マルタさん、僕は気にしてないので」

「アルくんは優しすぎるのです」


 困ったように微笑むアルベルトが少女たちをいさめながら去る。「じゃあ、ヴォル。またね」なんていらない一言を残して。


「……チッ」


 その背中をヴォルフラムはひっくり返ったまま面白くなさそうに見送った。聞くたびに彼をイライラさせたアルベルトのどもり症は、いつの間にか治っていた。


 順調に成果を積み、次代の冒険者の顔になるとまで名をとどろかせているアルベルト。

 パーティを解散し、チンピラまがいにまで落ちぶれてしまったヴォルフラム。

 道を別った2人の冒険者の話は、1番街の酒場では定番の酒の肴だ。――主に教訓として。


 民衆は唐突に幼馴染に捨てられたアルベルトに対して同情的で、彼が困っていると助力を申し出た。

 捨てられた子羊のような雰囲気の青年は、最初こそ怯えた目を向けてくるが、慣れると普通に会話が成り立つ。そうすると、性根の善良さがわかるのだ。


 対してヴォルフラムの評判はもともと良くなかった。

 喧嘩っ早いうえ、言葉使いも荒く、態度や人相も悪い。彼のパーティに実力があったため、大目に見られていたが、その強さはアルベルトの支援によるものだったとわかったのだ。仕事のできない冒険者に人々は冷たい。


 群衆は口々に言った。


「ヴォルフラムは馬鹿なことをした」

「あんな優秀な魔法使いを追い出すなんて」

「人を見る目は養わないとな!」


 そんな嘲笑交じりの喧騒に眉をひそめたテオは「人を見る目、ねえ」とぼやいて磨き終わったグラスを置いた。


「どっちもどっちじゃないですかね」


 呆れたように呟いて、店の奥の個室に消えた。

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