00170322
異世界に来てから、どれだけの時間が経ったんだろう?
ふと、綿花から取れた綿を紡いで糸にしている時にそんなことを思う。
紡いでいるといっても、工場にあるような大型の機械で行っているわけじゃなあなくて、重りのついた棒を使った紡錘だ。
棒が回転する力を利用して、綿の繊維を撚って糸を作る。
原始的な方法だけれど、思ったより紡績は進んでいる。
糸や、これを使った織物をとにかく大量生産したいわけじゃあないから、これくらいでも十分。
いずれは、糸車を作ってみたいけれど。
ただ、どれだけ沢山の糸を作っても、それで布を作るのは俺だからね。
手織機……のようなものは何とか出来たけれど、そりゃあミシンとかそういうもので作るわけじゃあないもの。
材料が沢山あっても、布を作れないんじゃああまり意味がない。
それに、ある程度布を作って、服を拵えてからでも良いしね。
最初に来た人。
今は眠っているあの人の服はボロボロだった。
継ぎ接ぎで重ね着して、なんとか無事な歯切れ布を合わせた、服ともいえない代物。
こんな沼の広がる世界なんだ。
食うにも困るんだろう。
服なんて二の次になっているに違いなかった。
食と住は揃えたんだ。
この土地に来た人たちのために、服だって用意してあげたい。
ちなみに、俺が着ている服はこれ一着だ。
もう着たきり雀どころか皮膚と一体化しているレベルでずっと着ているけれど。
でも汚れたり、黄ばんだり、臭くなったりといった様子はない。
もちろん、泥がついたり土や粘土を触れば汚れるけれど。
水で洗えば、まるで新品みたいに綺麗になるんだ。
一体、何でできているんだろう。
……よくよく思い起こせば、この服は俺が最初から着ている服だ。
神様からの贈り物なのかもしれない。
決してくたびれずに、洗えば綺麗になる衣服。
この世界にはとてもピッタリな
聖剣なんかよりも、よほど価値があると思う。
さて、そうして糸を紡ぎながら、考える。
前世の記憶も、もうずいぶんとアヤフヤで、朧気で、色褪せていた。
好きだったゲームのキャラクターの名前も思い出せない。
ネット小説のストーリーも思い出せない。
テレビによく出ていたお笑い芸人の顔も名前も思い出せない。
友達の顔も名前も思い出せない。
両親の顔も、思い出せない。
まだ異世界に来る前に過ごしていた期間の方が長かった、と思うのに。
自分のことながら、薄情だなあ、と思ってしまった。
忘れてしまったことに、哀しみを覚えることすら、もうなかったから。
猶更に。
そんな感慨にふけりながら、俺はさて、と立ち上がる。
空を見れば、太陽が傾きそろそろ朱色を見せつつある。
夕刻と呼ぶにはまだ早い空模様を眺めながら、俺は作業小屋から外に出た。
いつ人間が来てもいいように、何件か建てたレンガ造りの家々。
無人の集落を俺は進んでいき、目的地へと向かう。
待ちきれなかったのか、子鹿が3匹やってきて、周囲を飛び跳ねる。
そして、俺のことを先導する様に歩き始めた。
俺は苦笑しながら、その後をついていく。
場所は、森の中。
俺のチート能力で植えた苗がつけた実を、いくつか選別して植えた場所。
ゆっくりとした速度で成長していっているそれは、か細いながらもしっかりと緑をつけた若木が出来ていた。
だから、厳密に言えば森ではないのかもしれない。
森にしてはまだ、木々が貧弱に過ぎるとは思うけれど。
それでも、チート能力ではなく、この世界で生まれた木々は育ち始めているんだから。
そんなことを思いながら、俺は周囲を見渡した。
そこには多くの動物たちが集まっていた。
これは、動物たちが自発的に集まったわけじゃあない。
俺が、皆に来るように呼びかけた結果。
ずっと動物たちと接して過ごしてきていた。
弱っている動物たちが弱っていれば、助けたり。
食事も満足に取れないのなら、付きっ切りで餌をあげたり。
彼らの住む巣を一緒に作ったり。
そういった甲斐があったんだろうか?
それとも、動物たちも俺が人間じゃあないって気が付いたんだろうか?
最初は、抵抗されたり警戒されると思っていた。
弱っている時は助けてもらうが、元気になればもう無用だと。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言わんばかりに、俺のことなんて敵視するものだと思っていた。
でも、そういうことは殆どなかった。
そればかりか、俺に恭順するようになっていた。
彼らに攻撃されるようなことはもちろん、威嚇されたことも、ない。
そうなればこちらも、色々と世話を焼く。
彼らが住みやすくなるように、ますます一緒に行動していた。
誰一人として不自由がないように、苗を植えて土地を整えてきたつもりだ。
前世でもきっと、俺以上に動物と接し続けてきた人間なんて居なかっただろう。
それに加えて、俺は
きっと何かしら、人間に無い能力が備わっている。
食事は少なくて済む。
夜になると勝手に眠ってしまう。
排泄しないし生理現象も殆ど起きない。
さらには、チート能力で苗を作ったり、病気にならないし、毒にも犯されない。
きっと、これは当然のことなんだろう。
俺は
『
だから、俺は動物たちの言葉が分かる。
『皆、揃った』
大柄で立派な角を持つ鹿が一声上げる。
彼は、俺が助けたあの子鹿だった。
いつの間に、こんなに立派になったんだろう?
この前までは、母鹿にべったりだったのに。
彼の角には何羽もの、様々な種類の鳥がとまり、彼らもまた俺に目を向ける。
その目は決して濁っておらず、俺のことを真摯に見つめている。
鹿の後ろには猪や兎、馬、山羊……。
この土地に住む様々な動物が皆、揃っていた。
それぞれ思い思いの姿勢。
人間なら首を垂れて跪く意味を持つ姿勢で、俺をじっと見ている。
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