第4話 オモラシ

 教室に入ると、みゆき先生の指示のもと俺たち園児は五人一組でテーブルにつき、そして持参していた粘土と粘土板をテーブルの上に置く。


 俺が座るテーブルには、俺の正面にゆうとくんとたけるが、俺の左隣にはゆずちゃんが、そして俺の右隣には泣き虫の義男君が座っている。


 どうやらこれからお迎えが来るまでの時間は、粘土で遊ぶらしい。あともう少し隠し通せれば、無事俺の名誉と尊厳は守られる。絶対に隠し通してみせる!


 各自思い思いに粘土を練り、自分の作りたいものを作り始めた。今は漏らした事実をいかにして隠し通すかばかり考えて、粘土で何をつくるかまでは全く気が回らない。俺は席に着くと、あてもなくこねたり、ねじったりしながら、粘土をいじる。


 ここで一つ、ある問題が発生していた。それは椅子に座っているということだ。


 椅子に座ることで、パンツの中のアレが椅子と自分のお尻にサンドされてなんかものすごいことになっている感触がお尻を通して伝わってきている。このなんとも言えない感触を我慢するのは、なかなかに大変そうだ。


 それに臭いも気になる。さきほど、トンネルの中でのゆずちゃんの指摘によってわかったことだが、若干臭いが出てしまっているようだ。


 あの時は、密閉空間だったから臭っていただけかもしれないが、今パンツの中で圧迫されているX物質がどんな臭いを発するのかは未知数だ。警戒しておかないといけない。


 俺がそんなことを考えている間にも、他のみんなは黙々と作業を進めていた。


 左隣のゆずちゃんは、外国のお城のようなものをつくり、天辺にくしだんごのようなものをつけている。まさかゆずちゃん、将来はお城におだんご屋さんを開業するつもりなのだろうか。正直、俺のライフプランにお城でおだんごを売る予定はないんだけど……。っていか、ゆずちゃん、おだんご好きすぎじゃない!


 右隣のよしおくんは、真剣な表情で黙々と粘土を粘土板の上で転がし、粘土を丸く形成している。何か相当すごいものをつくるつもりなのかもしれない。 心なしか顔が青白いのは気のせいだろうか?


 俺の真正面に座るたけるは、何やら落ち着きなく、粘土をちぎってはくっつけ、ちぎってはくっつけとをずっと繰りかえしている。何やってるんだ?


 そして、俺から見て斜め左にいるゆうとくんは、ものすごく真剣な眼差しで何かをつくっていた。まず、粘土をひたすら転がしてどんどん細長くしていく。


 そしてある程度細長くなった粘土を、今度はズレがしょうじないようゆっくり慎重に渦状に巻いていく。仕上げに頂上部分をクリンと尖らせると、ゆうとくんは満足げに自作の粘土作品を見つめていた。


 すると、ゆうとくんの作品を見たみゆき先生が近づいてきて。


「わあー、ゆうとくん上手にできたねー。何をつくったの? ソフトクリーム?」


 ニコニコ笑顔で、興味深そうに尋ねる。


「ううん、ちがうよ」


 しかし、ゆうとくんは首をぶんぶんと横に振ってから、おっとしたとした調子で、


「うんこ」


 どこか誇らしげに答えたのだった。


「へ、へぇ~……よ、よくできてるねぇ」


 みゆき先生は何とも微妙そうな表情でどうにか褒める言葉を絞り出した。


 俺は、みゆき先生が微妙な表情を浮かべていることなど全く気づかず、褒められたことにより満足げになっているゆうとくんをじっと見つめていた。睨んでいるといってもいい。


 無論、それはみゆき先生に褒められているゆうとくんが羨ましいからとかそういうことではない。


——まさか、気づいているわけじゃないよな、俺が漏らしていることに⁉——


 考えてみれば、さっきジャングルジムで、ゆうとくんは顔を俺のお尻のすぐ近くまで寄せていた瞬間があった。トンネルの中でゆずちゃんに指摘されそうになったのだ。あの時、ゆうとくんが俺のお尻から漏れる出るうんち臭を嗅いでいたとしても不思議ではない。


 ひょっとして、俺のあまりのお尻の臭いにインスパイアされて、粘土でうんこをつくったんじゃないのか! いや、もはやそうとしか考えられない。


 これはバレるまで時間の問題かもしれない。


「せんせー、さっきからずっときになってたんだけど……」


 すると、ゆうとくんとみゆき先生のやり取りを聞いていたゆずちゃんが、不意に先生に話しかける。


「なんか、くさい」


 そして、ついに決定的な一言を、こともあろうにバラ組のみんなの前で言い放った。


 ゆずちゃんの言葉を受けて、一瞬教室内が凍りつく。


 無論、その言葉を聞いた直後、俺の体もギョッと固まった。それから冷たい汗がひたひたとから流れ出ている。気分はまさしく昨日お母さんみていたドラマに出てきた崖っぷちに追い込まれた犯人といっしょだ。


 もしこれから他のみんなが同調して犯人探しが始まってしまうようなことがあれば、俺が漏らしたことはすぐにバレてしまうに違いない。そうなったら最後、俺のイケ園児生活は、はおしまいだーーーー‼


 だが、それは一度お尻から漏れ出たうんこをもう一度お尻の中に戻すことが無理なように、一度放たれてしまったゆずちゃんの発言はもはや取消すことは不可能だ。ここはただじっと黙って、事の成り行きを見守るしか、今の俺にできることはない。


 俺は木だ。ただそこに突っ立っているだけの木、木、木。


 正面を見ると、いつものお調子者感は鳴りを潜め、たけるは怯えた様子でじっと顔を伏せたままの状態でいる。たけるも俺と同じで漏らしているのだ。この教室内において、たった今俺とたけるだけが同じ思いを共有している。それはもはや戦友と言ってもいい。


 さっき、密約をかわして、お互いが漏らしているということは内緒にしようということになっている。たけるが何かを言わない限りは、俺が漏らしていることは誰にも知られることはない。頼むから黙っていてくれよ、たける!


 でも待てよ。ここは俺もゆずちゃんに便乗して、においの被害者側に回るという作戦はどうだろう。たけるは密約をかわして油断しているに違いない。クラスのみんなをうまく誘導して、すべての疑いをたけるに向けさせることができれば、俺の名誉だけは守れる。


 たけるには申し訳ないが、俺の名誉のため、ここはおとりになってもらうしか……。


 いや、落ち着け、冷静になるんだ、俺。もしもたけるに誘導できたとして、たけるが黙っているとは思えない。死なばもろともで、自分の名誉を犠牲にしても俺を道連れにしてくる可能性が高い。


 それに万が一おとり作戦が成功したとして、その後自分も漏らしていたことがバレたら、他人を出しにした分、より大きな反動が来てしまう。


 潔く漏らしたことを認めれば、ただ恥ずかしいだけで済むが、人をおとりにした挙句にバレたら、それはもうただのクソ野郎だ(クソだけに)! 


 それらのことを考慮すると、この作戦はリスクが高すぎる!


 何より、いつもはいがみ合っていても、たけるは俺のクラスメイトであり、密約をかわし合った仲間だ。俺の尊敬する昼寝戦隊パジャマンジャーのパジャマレッドも言っていた。仲間は決して裏切らない、と。


 イケてる園児である俺もは決して仲間を裏切ったりはしない。


 ——すまん、たける。一瞬とは言え、お前を売ろうとした俺を許してくれ!——


 俺は申し訳ないという思いに駆られ、たけるを見つめた。


 すると、ずっと俯いていたたけるが顔を上げ、覚悟を決めたようなどこかスッキリとした眼差しで俺を見つめ返し、ゆっくりと頷く。


 仲間を裏切らないという俺の固い意志が伝わったと思ったのも束の間、おもむろに立ち上がったたけるは、


「たしかに、なんかくっせーよなー」


 思いっきりゆずちゃんの言葉に便乗していた。


——コイツ、裏切りやがったー‼——


 心の中で絶叫する俺に、たけるは底意地悪く勝利の笑みを浮かべていた。


 コイツはバカなのか⁉ そんなことして自分も漏らしていることがバレたら、一気に幻滅されるぞ。


 だがすでに賽は投げられた。もはやたけるが止まることはない。


「くっせー、くっせー、なんかここら辺がくせーよな」


 たけるは鼻を抑え、オーバーに臭がって見せる。その行動はさすがにはやりすぎでは‼


 どうやらたけるは完全に俺をおとりに仕立て上げるつもりのようだ。


 じゃあ、俺はどうする? このまま黙ってたけるのいように使われるのは我慢ならない。こうなったら、せめてたけるだけでも道連れにしてやるか。


 そう思って、たけるを貶める言葉を放とうとした時、


「う、う、うえ~ん」


 突然、俺の右隣から泣き声が聞こえてきた。


 クラスの全員が一斉に泣き声のした方を見る。みんなの視線の先には、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたよしおくんの姿あった。


「どうしたの? よしおくん」


 みゆき先生が慌ててよしおくんの側に行き、泣きじゃくるよしおくんをなんとか宥める。


「グスン、う、う、ぼくの、せいなの……」


「?」


 よしおくんは嗚咽交じりに、何かを訴えようとしているらしい。みんなはよしおくんが次に何を語るのか固唾を呑んで見守る。


「ぼく……、うんち、漏らしたの」


——なにっ⁉ お前なのか、よしおくん‼——


 衝撃だった。まさか俺やたけるだけでなく、よしおくんも漏らしていたとは……。確かに思い出してみると、カレーライスのお替りの列によしおくんも並んでいた覚えがある。


 よしおくんは普段から何かと泣くことの多い泣き虫くんだけど、もしかしたらそんな自分を少しでも男らしく見せようと、無理して大量のカレーを食べたのかもしれない。


 ごめんなさい、ごめんなさい、と泣きながら連呼するよしおくんを笑ったりバカにしたする者は誰もいなかった。お調子者のたけるでさえ、この時ばかりは同情の籠った瞳をよしおくんに向けていた。


 それはそうだ。もしもここでよしおくんが名乗り出なかったら、泣いていたのはたけるか俺だったかもしれない。


 よしおくんは、本人に自覚はなくとも、俺たちの代わりに犠牲になってくれたのだ。俺たちはよしおくんの告白に救われたのだ。笑えるはずがない。


「わかった、わかった。もう泣かなくても大丈夫よ」


 みゆき先生は優しく励ますと、よしおくんの手を取る。


 これからよしおくんはトイレに連行されていくのだろう。慰めてあげることも一緒に漏らしたことを名乗り出てあげることもできないが、せめて心の中では敬礼して見送ろうと思う。勇敢なる我が心の同士、よしおに敬礼! ザっ!


 とにもかくにも、これで俺が漏らしていることはバレずに済んだ。


 と完全に油断していたのも束の間、


 ガシッ、とみゆき先生は俺の腕を掴み、


「けいたくんも一緒に行くよ」


「……⁉」


 その瞬間、俺の頭は真っ白になった。


 一緒にいく、どこへ?


 ただ一つだけはっきりしているのは、どうやらみゆき先生は俺が漏らしていことに気が付いていたらしい、ということだ。


 訳が分からないまま、俺はみゆき先生に引き連れられ、半べそをかいたままのよしおくんと共に、トイレへと向かっていく。


 あまりにショッキングな出来事のだったため、意識は薄れ、記憶は曖昧模糊と化してしまった。しかし不思議なことに、教室を出る間際、俺とよしおくんを茫然と見つめるバラ組のみんなに紛れて、たけるが勝ち誇った笑みをこちらに向けていたことだけは鮮明に脳裏に焼き付いている。たける、許さん、お前だけは絶対に、許さん!


 トイレに連れて来られた俺は、そこでパンツの中のアレをすべて処理された。パンツの中は、実は何もなかったという奇跡がおきることもなく、普通にねっとりとした茶色の物があった。


 結局、漏らしたことはみんなにバレてしまったけど、パンツの中の不快感と、漏らしたことがバレないかとビクビクと心配する必要がなくなって、どこか清々しさすら覚えている自分がいる。


 残念なことに、俺の輝かしい園児ライフは今日をもって終わりを告げ、明日からはお漏らし園児としての惨めな暗黒生活が幕を開けるわけだが、もうすべてどうでもいい。


 一つ気がかりがあるとすれば、たけるの奴についてだ。アイツにだけは目にモノを見せてやらないといけない。教室に戻ったら、絶対にみんなの前でたけるが漏らしていることをバラしてやる。へへ! 道連れだ!


 園に常備されている予備の白のパンツを穿き、スッキリとした気分でトイレを出た瞬間、俺は目を見開いていた。


 なぜならトイレの前に大行列ができていたからだ。しかも列をなしているのは全員バラ組の男子。一体何が起こっているのか、と困惑したのも束の間、すぐにその理由はわかった。


 列の中に落ち込んだ様子のたけるの姿があったからだ。


 直近でたけるが落ち込むことと言えば、それは漏らしていたことがバレることだろう。そしてトイレの列に並んでいる時点で、ほぼ間違いなくバレたのだ。


 さらに、漏らしていたのは、俺やたける、よしおくんに限った話ではないようで、どうやら今日の給食でカレーライスの大食対決に参加していた男子全員が漏らしていたということらしい。


 列の中にはたける以外にも、ゆうとくんの姿もあった。たぶん、さっきゆうとくんが粘土でうんちをつくっていたのは、ジャングルジムで俺のお尻の臭いを嗅いだからではなく、自分も漏らしていることを暗に訴えるためだったのだ。


 男子の全員が全員、漏らしていたなんて、なんとも締まりのないオチ(オモラシだけに)だが、これで奇しくも俺のプライドは保たれた。何より、俺にはこんなにもたくさんの仲間がいたんだ‼


 余談だが、俺とよしおをおとりに仕立て散々臭いと騒ぎ立てた、たけるだけは、その後一週間、みんなから「うんこキング」というあだ名で呼ばれる羽目になったことは、ここに記しておく。

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オモラシ 都呂々 饂飩 @To-ro-roUdon

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