甲子園
口羽龍
甲子園
大島正幸(おおしままさゆき)は岡山市に住む48歳の会社員だ。すでに結婚して、2人の子供をもうけたが、上の子供は家を出て、東京で暮らしている。少し寂しいが、子供の成長に期待している。
そんな正幸は高校時代は野球部に入っていて、控えながら夏の甲子園に出場した事がある。だが、出番はなく、甲子園を去ってしまった。それ以後、全く甲子園に行っていなかったという。
あれから30年、しばらく行っていなかったが、ようやく行く気になれた。母校の試合が盆休みと重なるので、行ってみようと思ったようだ。
正幸は阪神電車に乗っている。あれから30年、阪神電車は色々変わった。山陽電車との直通運転で直通特急が走るようになり、2008年に難波まで延び、近鉄電車と相互乗り入れをするようになった。それによって、難波から尼崎を通って三宮まで近鉄電車が乗り入れるようになった。だけど、甲子園に向かう人々の風景はあまり変わっていないようだ。
「間もなく、甲子園、甲子園です。お出口は、左側です。扉にご注意ください」
正幸は甲子園駅に降り立った。それとともに、多くの乗客が降り立った。彼らのほとんどは、高校野球を見ようとする人々ばかりだ。阪神タイガースの本拠地でもある甲子園球場は、春から秋にかけてはプロ野球の試合でにぎわうが、この時期は別の意味で賑わっている。それもあまり変わっていないな。
「やっと着いたな」
正幸は甲子園球場までの道のりを歩いている。甲子園駅は駅舎が変わった。甲子園球場の銀傘が改修された。だけど、甲子園球場の側壁は全く変わっていない。蔦も、見た目も。それを見るたびに、甲子園に来たんだ。ここが高校野球の聖地なんだと感じる。
「この試合だったな」
正幸は本日の予定を見た。今日は2試合目だ。たった今、1試合目が終わった所だが、まだ時間がある。
「あっ、どうも。OBの大島正幸さんですね」
後ろから誰かが声をかけた。2つ下の後輩の菅原(すがわら)だ。菅原も盆休みのようで、母校の応援に来たようだ。
「はい」
「こちらへどうぞ」
正幸は母校の関係者が座るアルプススタンドに向かった。30年ぶりの甲子園球場。とてもワクワクしている。
アルプススタンドに向かう間、2人はこれまでの話をしていた。卒業式から全く会っていなかった。
「いやいや、30年ぶりですよ。その間に、かなり歳を取りましたね」
「はい。子供ができて、そのうちの一番上の子が独立したんです」
「そうなんですか」
久しぶりに会うと、なぜか笑みがこぼれる。どうしてだろう。共に過ごした青春が素晴らしいからだろうか? 久々に会えるのが、嬉しいからだろうか?
「はい。東京で生活しているそうで」
「それはそれは」
菅原は驚いた。まさか、正幸の子供が東京で暮らしているとは。きっと、東京で頑張っているんだろうな。そう思うと、ほほえましくなる。
「甲子園はあんまり変わってませんね」
「そしてこの焼きそばも」
正幸は焼きそばのにおいで右を向いた。そこには甲子園焼きそばが見える。尼崎で作られているワンダフルソースを使った焼きそばで、ファンが多い。
2人は焼きそばを買って、アルプススタンドにやって来た。甲子園の電光掲示板の外観はあの頃と変わっていない。だが、電光掲示板がLEDになったぐらいだ。
「わー、これが甲子園だな。懐かしい」
「あの時と電光掲示板とか全く変わってないっすね。表示がフルカラーLEDになったぐらいで」
と、1塁ベンチと3塁ベンチから選手がホームベースにやって来た。いよいよ試合開始だ。
「あっ、そろそろ試合開始だ!」
「始まった!」
礼の後に、相手校の選手たちが守備に入った。どうやら先攻のようだ。
「頑張れー!」
試合は投手戦で、なかなか点が入らない。だけど、それが母校の守り勝つ野球だ。全く気にしていない。いつか点を取ってくれるだろう。
中盤の5回になって、母校が1点を取った。30年前は全く点が入れられずに甲子園を去ったのに、今回は違う。甲子園に来たからには、やっぱり勝たないとな。
「よしよし! まずは先制!」
正幸は喜んだ。このまま逃げ切って、母校の校歌を聞きたいな。
「今年は頑張ってるなー。これは勝てるかもしれんぞ」
「楽しみですね!」
菅原も楽しみにしている。初戦敗退して去った30年前と違って、今回は勝ってくれそうだ。今度こそ甲子園の歴史に1ページを作れそうだ。楽しみだな。
試合は8回を終わった。ここまで1-0で、母校が勝っている。いよいよ甲子園の初勝利まで、あと少しだ。2人はワクワクしてきた。
「よしよし! よく頑張った!」
正幸はメガホンを叩いて興奮している。勝って母校の校歌を聞きたいな。
「あと1回ですね!」
「ああ。甲子園初勝利、楽しみだな」
そして、試合はいよいよ9回裏に入った。ここを抑えれば勝てる。そして母校の校歌が歌える。
だが、9回裏に入って、エースの調子が悪くなった。徐々に球が荒れてきて、フォアボールやヒットが出てしまった。
「うーん、ヤバいな。大丈夫だろうか」
「うわっ、3塁にランナーが・・・」
2人は緊張しながら、その様子を見ていた。どうにか抑えてくれ。今こそ守りの野球を見せてくれ。
「何とか逃げ切ってくれ!」
だが、その願いも届かず、同点タイムリーを打たれてしまった。2人はその様子を呆然と見ている。
「えっえっえっ・・・、同点に追いつかれた!」
「しかもサヨナラのランナーが得点圏に」
2人は焦っている。このままサヨナラになりそうで怖い。何とか抑えて、延長に持ち込んでくれ。
「何とか抑えて反撃して!」
だが、バッターの放ったボールはセンターとライトの間に抜けた。その瞬間、ピッチャーは崩れ落ちた。誰の目にも、サヨナラになるとわかった。
「あっ・・・」
「そ、そんな・・・」
サヨナラのランナーがホームに生還した。相手のチームは喜び、母校のチームはその場に崩れた。その中には、泣いている人もいる。よほど悔しいんだろう。
「逆転サヨナラなんて・・・」
両方のチームは整列し、礼をした。そして、試合の終わりを告げるサイレンが鳴った。そして、母校の夏は終わった。勝てると思ったのに。あと少しで勝てたのに。本当に悔しい結果だ。
「みんな泣いてる・・・」
「悔しいんだろうな。あと少しで勝てたのに」
いつの間にか、アルプススタンドにいる生徒も泣いている。悔しい気持ちは、野球部員だけではなく、生徒も一緒なんだ。
「そうだね」
「これが甲子園の魔物かな?」
正幸はその時感じた。やはり甲子園には魔物がいる。何が起こるかわからない。試合は終わるまでわからないとは、こういう事だろうか?
「そうかもしれないな」
「さて、帰ろう」
2人は甲子園球場を後にした。勝てなくて残念だけど、久しぶりに甲子園球場にこれただけで嬉しい。また行きたいな。
甲子園球場を出たところで菅原と別れて、正幸は甲子園駅に向かった。正幸同様に、甲子園駅に向かう人が多い。今さっきの試合を見た人々だろうか?
「大島か」
誰かに声をかけられ、正幸は振り向いた。そこには森田がいる。その監督は、正幸が3年生の頃の主将で、今では母校の監督になっている。
「森田くん?」
正幸は驚いた。ここで再会するとは。久しぶりに会えて嬉しいな。
「ちょっと飲みにいかないか?」
「いいですよ」
全く計画していなかったが、梅田の地下街で飲む事になった。まさか、かつての同僚である森田と飲む事になるとは。でも、これもまたいい事だ。卒業してからの日々を語り合いたいな。
その夜、2人は梅田駅の地下にある串カツ屋『松葉』で飲む事になった。この店の串カツは揚げ置きで、そこから自由に好みの串を取る。また注文すれば、好みの串を注文する事もできる。
2人はあと少しで勝てた悔しさがにじみ出ていた。飲みながら、森田は泣いていた。泣いてはいないが、正幸も悔しさがにじみ出ている。
「残念だったな。あと少しで勝てたのに」
「それが野球なんだよ」
正幸は森田の肩を叩いた。だが、森田は泣き止まない。
「30年前にできなかった初勝利、今年はやってくれると思ったのに」
「そうだな」
ふと、正幸は甲子園球場を思い出した。30年前と全く変わっていない。出場する球児たちの汗と涙、勝って校歌を歌う球児たち。そして、負けて土を持ち帰る球児たち。
「あの時と甲子園って、変わってませんね」
「ああ。懐かしくなりました。毎年見てるのに、どうしてでしょうか?」
正幸とは違い、森田は毎年、夏の甲子園を見ている。だけど、いつ見ても懐かしい。どうしてだろう。共に過ごした青春を思い出すから、懐かしいんだろうか?
「わからないな」
その答えは、正幸にもわからない。だけど、わからないままでいい。自然とそう思う方が、いいかもしれない。
「やっぱり、甲子園って、いいものですね。まるで筋書きのない人間ドラマのようで」
森田はつくづく思っている。甲子園は土と涙の人間ドラマだと。勝利を信じて土まみれになり、そして負けて涙を流す。まるでドラマのようだが、それはドラマではなく、筋書きはない。フィクションでもない。でも、まるでドラマのように感動する。
「いいこと言うじゃないか、大島!」
「ありがとうございます!」
涙ながらに森田は正幸の頭を撫でた。正幸はとても嬉しくなった。甲子園も友情も、あの時と変わっていない。青春の友と再会すれば、なぜか気分が明るくなる。どうしてだろう。
久しぶりに再会して、これまでの人生を語り合える。これが甲子園球場の素晴らしさだろうか?
甲子園 口羽龍 @ryo_kuchiba
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