三幕目

 ぽこぽこ、ぽこぽこ、と熱せられた硝子瓶フラスコから蒸気が昇る。見渡す瞳が映すのは壁の灯火に照らされた薄暗い地下工房。眼前の長机に並べられた無数の硝子瓶を眺めながら、もう何度目になるだろう、はぁ、と深く溜息をつく。


 初歩的な術式に寄るエーテルの抽出は極めて単調で実に味気なく詰まらない。が後々妙薬ポーションの精製と生産を他者の委ねる予定である事を思えば仕方ない側面は否めず、さりとてご立派な大義名分が時間を短縮してくれる筈もなく、結局は無駄に長い待ち時間こうていに辟易させられてしまう。心持ちが沈めば後悔の念とは繰り返し訪れるモノで。然りて先日の失敗が私の脳裏を廻る。


 神殿での騒動から帰路に着いて数日。今に思い返して考えて、考えて、省みてもアレは好奇心を抑えきれなかった私の大失態である。如何に店子の修道女に許可を得たからとは言っても所詮は権限を持たない者との口約束に過ぎず、他の権利者に見咎められれば部外者厳禁の私有地に軽率に踏み入った私に弁明の余地はない。加えて私があの場で目にした光景は神殿に伝わる慰霊の儀式、死者を弔い送る祭事に似て。ましてや大気に滞在するエーテルの魔素を可視化された密度の高い魔力にまで昇華させた祈祷いのりの場ともなれば、今の魔法水準に照らしてあの修道司祭の対応は無理からぬモノ。ともすれば神殿が有する門外不出の秘儀を盗み見たと捉えられかねないあの状況で只の信徒として押し通せたのはまさに僥倖。ぎりぎり踏み止まれたと言わざるを得ない。仮にも私が魔術に、魔法に携わる者であると知られていたら意図や動機に関わらず即解放、なんらお咎めなしとは行かなかっただろう。危ない危ない、好奇心は猫を殺すと言うが厳に慎むべき私の悪癖ゆえに今後の教訓と心に刻むべきである。


 が、それはそれ、である。


 ぱちんっ。


 と、軽快に指を鳴らし術式を起動させると、並べた硝子瓶が淡く発光する。それは聖水から分離したエーテルの輝き。複数の硝子瓶。発光に強弱があるのは込められた濃度の差。抽出すべき聖水に質の差があるだろう事は想定の内。寧ろ信仰などと言う不確かなモノを拠り所にしているのだから当然の結果と言えた。右から順に左へと視線を流した果て。瞳に映るソレは別格に。強く強く輝く本命の硝子瓶。


 危険を冒しただけの対価は得ていた。それを今、確信する。


 クラリス.ティリエール助祭。彼女から受け取った聖水に籠められたエーテル濃度は想像通り他に購入した聖水とは一線を画していた。希釈して扱わねば現状の妙薬ポーションの品質を大幅に向上させてしまう程に。それは同時に彼女の協力さえ得られれば当面は冒険者ギルドへの納品数を賄えてしまえる事を意味していて。是非ともお友達になって置くべき逸材であった。


 我が黄金の君。年の頃は十代後半であろうか。脳裏に思い浮かべて。見目麗しい少女は私の見姿がいそうとは趣が異なり肉感的で現実的で。マリアベルさんと並ぶ、いやっ、個人的な嗜好で言えば、と妄想すれどはっ、と蘇る過去の追憶と共に此処で思い留まる。悪癖、悪癖。省みて美しい女性とは眺めて愛でるモノ。手に触れても碌な目に合わぬのは経験から学習済みなのである。


 兎も角である。


 近々に解決すべき問題の一つである私以外の術師に依る妙薬ポーションの安定的な製造と供給。彼女がソレに欠かす事が出来ぬ欠片ピースである事は言うまでも無い。


 であるが、あの年で助祭位にあるのは治癒術師ヒーラーとしての実力ゆえか。耳にした聖女なる単語も無視出来ず。あの濃度のエーテルを術式を介せず構築出来る出鱈目さであれば、恐らく彼女の治癒魔法は人体の欠損部位の完全再生にすら至る筈。その位階に到達していたとすればまさに神殿にとっても重要人物であるのは自明の理。お近づきになるにも慎重に。まずは情報収集を徹底してから。その辺り熊さんか狐目さんに聖女様の身辺調査を頼んでも良いのだが、二つ目の目的である商会の立ち上げに関して動いて貰っている手前お願いしずら、くは全くないが、何せ熊さん一家は裏の界隈でも名の知れた悪党。こほんっ。万に一つ。万が一にでも私との繋がりを知られるのは流石に不味い。此処は正規の路線ルートを使って冒険者ギルドを利用するべきであろうか。


 最後の難題である工房の移転阻止の為。その対価として私は冒険者ギルドの正式な契約商人となった。対等な関係性の上で任せた案件に。ましてや貴族絡みの交渉事に首を突っ込む気などは毛頭ないが、別件ともなれば話は別で。私個人の都合でギルドの力を最大限利用させて貰う事に何ら罪悪感は抱かない。向こうは向こうで神殿との交渉に私の妙薬ポーションを利用する気が満々なのは言わずもがなで。冒険者の為と建前が有ろうが無かろうが、所詮は同じ穴の狢。お互い様な話である。


 商人としてのクリス.マクスウェルは世間を知らぬ才無き凡愚の類であろうと。悔しいが自覚くらいは持っている。ゆえに多くを学び得てこそ、この時代に目覚めた意味がある。旅は半ば。迷う事なく進む為、利用出来る全てを私は利用する。そう、今代においての私は魔性の女なのである。


 

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