体調が悪くとも…

うたた寝

第1話


 朝起きた時から彼女は嫌な予感がした。

 今日大事な用があるため彼女は前日早めに寝た。布団に入ったはいいものの寝付けない、ということもなく、ぐっすりと眠ることができた。

 睡眠時間は普段以上に取れているハズなのに、起きた時の体は重く、頭が痛く、どこか体が熱を持っている。

 嫌な予感がした彼女はベッドの上で自分の体温を測り始める。ピーッ! と体温計が鳴ったため脇から外して表示された体温を見る。

 何となく分かってはいたが、案の定熱があった。微熱どころではない。38度前半。立派な熱である。

 37度前半の熱くらいであれば我慢して会社に行くこともあるが、38度を超えている熱は体がかなりしんどい。普段であれば上司に連絡をして有休を貰うところなのだが、

「………………ふぅ」

 息を吐いて気合を入れると、彼女は支度を始める。

 今日、彼女にはどうしても会社に行きたい理由があった。

 大事な仕事があるから、というのも一理ありはする。本日2件ほど、彼女が担当している顧客との打ち合わせが入っている。

 ただ、これは最悪他の社員に引き継ぐこともできる。何だったらリスケすることも可能だ。打ち合わせはどちらもリモートで行われる。会社まで来てもらってリスケというわけにはいかないが、お互い自社に居る状態であれば融通も利く。特に急ぎの打ち合わせでも無い、定期的に行っている打ち合わせなので、今日絶対行わなければ困るほどではない。上司に体調不良で有休を取る、とでも伝えれば、調整してもらえるだろう。

 有休を取って休める状態にも関わらず、彼女は重たい体を引きずって洗面台へと向かう。朝食を食べる元気は無いので、身だしなみだけはちゃんと整えておく。何なら普段以上に気を遣ってメイクをする。この気温と体温では会社に着くまでに汗を掻き、お色直しは必須になるだろうが、それでも丁寧にメイクをする。

 そう。会社に『行かなければいけない』のではない。会社に『行きたい』理由が彼女にはあるのである。

 それは……。



 彼は横でグッタリしている女性社員を見つめる。

 朝会った時から体調悪そうにしているな、と思いはしたが、業務中にどんどん悪化しているらしい。さっき虚空を見つめていてヤバそうだな、と思ったが、遂には虚空を見つめる元気さえ無くなったらしく、机に突っ伏している。

 幾度となく、帰れば? と伝えてはいるのだが、頑なに首を横に振る彼女。

 失礼ながら、そんな仕事熱心だったっけなぁ? と彼は首を捻る。まぁ、仕事熱心という表現が合っているかは微妙だが。虚空を見つめたり、机に突っ伏したりと、会社来てから彼女はほとんど仕事をしていない気するし。

 普段なら有休取ってそうなものだが、何か取れない事情でもあるのだろうか? 確か打ち合わせが何件か入っていたかと思うが、どれも日程調整可能そうなものであったような気がするが。有休日数も余っていたような気がするが。

 虚空を見つめて、机に突っ伏してで彼女は午前の業務を終え、昼休憩となったわけだが、その時彼はようやく、彼女が何で有休を取らなかったのかを察した。

「よっ」

 別の部署の先輩社員が彼女に話し掛けに来た。その瞬間、さっきまでの具合の悪さを1ミリも感じさせない笑顔を彼女は浮かべる。

 盗み聞きしていたわけではないが、隣の席で会話をしているので、会話の内容が彼の耳にだって入って来る。どうやら彼女、今日退勤後、この先輩社員と食事に行く予定があるらしい。彼の認識ではまだ交際までには発展していなかった記憶だが、二人で食事に行ける程度には親密な関係性になっているらしい。

 逆に言うと、交際に発展させられるかもしれない大事な機会でもあるのだろう。それで体調不良の中、彼女は無理して体を起こして会社にやってきたわけだ。

 リスケすればいいような気もするが、好きな人との食事の日付を後ろにずらしたくなかったのだろう。実際、体調不良を一切感じさせないように彼女は先輩社員との会話を続けている。

 軽く終業後の予定の確認を終えた後、先輩社員はお昼休憩に外へと出て行った。彼女の体調不良には気付きもしないらしい。責める気は無い。隠したのは彼女の方だし、何ならよく隠しきったと彼女を褒めるべきなのだろう。

 先輩社員の姿が見えなくなった後、彼女は力尽きたように机に突っ伏す。今ので大分体力を使ったらしい。

 これ持つのか? この子。彼はふぅ……、と心の中でため息を吐いた後、外へと出て行った。



 外から帰ってきて早々、彼は買ってきた物を彼女へと押し付ける。

「ん」

「………………ん?」

 気だるげに顔を上げる彼女。さっきの先輩社員とは偉い対応の差である。買ってきた袋をそのままゴミ箱へと投げ捨ててやろうかという衝動に駆られたが、買ったのに勿体ないな、と思い直し、彼女の顔の近くに置いてやる。

「薬と飲料ゼリー、あと頭冷やすシート。ゼリーだけでも軽く食べて、薬飲んで、シート付けて大人しく仮眠室で寝てろ、お前」

「え…………? …………で、でも」

「『でも』じゃねー。そもそもお前午前中何もしてねーじゃねーか」

「うっ…………」

 痛いところを突かれた彼女は口ごもる。一応言い訳としては、打ち合わせに備えて体力を温存してた、と言えなくもないが。

「そうまでデートに行きたかったんだろ? だったらちょっとでもデートまでに体調直しておけよ。全快は難しいかもしれないが、退勤まで時間もあるし、寝てればそこそこ回復すんだろ。打ち合わせは代わりに出ておいてやるからさっさと行った行った」

 自分の仕事を押し付ける、ということに多少の抵抗は覚えたようであったが、彼女の中での優先順位はやはり、先輩社員とのデート、なのだろう。申し訳無さそうな顔はしつつも、彼女は『お言葉に甘えます……』と言って仮眠室へと去って行った。

 その背中を見送って、彼は小さくため息を吐いた。



 定時になり、先輩社員が彼女をお迎えに来た。

 全回復、とまではやはりいかなかったようだが、大分体調も良くなったのだろう。先輩社員へと向ける笑顔に無理が減った。

 そうして二人仲良く食事へと消えていく背中を見送った後、定時にも関わらず、彼はパソコンへと向かい続けていた。

 定時なので当たり前だが、周りの社員がどんどん帰り支度を始める中、上司がスッと彼の横に来た。

「手伝おう」

「はい?」

 聞き返しこそしたが、おおよそ事情がバレているんだろうな、とは思った。意外と各社員の進捗管理ができている上司である。

 今日の彼女の業務を丸々と請け負った分、当たり前だが彼自身の仕事に進捗が出ていない。そして何より、彼の持っている仕事の方が優先度が高く、納期も近いのである。

 自分の残業は厭わずに後輩の仕事の手助けをした。いい先輩と言うべきか、はてまたは、

「報われない人だなぁ……」

 上司がため息を吐きながら彼の横に座る。

「……いいんですよ」

 スマホが振動したので、彼はスマホを確認する。彼女から『ありがとうございました!』というメッセージが可愛い絵文字付きできていた。

「自己満足でやってるんですから」

 好きな人を笑顔にするのは、別に彼氏の専売特許ではないのだ。

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体調が悪くとも… うたた寝 @utatanenap

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