グレイに好かれて

やまもと蜜香

グレイに好かれて

 わああぁぁぁぁ


 思わず声をあげてしまった。

 電灯を消しても、カーテンの無いこの部屋が真っ暗闇になることはない。磨りガラスが外からの光をぼやかしはするが、付近の外灯の明かりを受けてかろうじて壁や棚との距離感を把握できるのが、いつものこの部屋の特徴だった。そう、いつもの。

 しかし、今夜は少々状況が違った。ベッドに座る俺の目の前に立っている者がいるのだ。なんと、その者の全身は淡くぼんやりと発光している。大きな黒い目に尖った耳を持つが、髪などの体毛は無い。そして頭の大きさに見合わない小柄な身体。淡い発光のせいで判りにくいが、肌は灰色だろうか。


 グレイだ…… こいつは宇宙人の定番のグレイだ。


「な……何だよ! 来るなオイ! 何だよ!」


 人の本能として未知の相手への威嚇が口をつくも、恐怖が勝っているせいで声は上ずった。

 時は深夜、ほんの先ほどまではなんの変哲もない日常の生活だった。間違っても俺は宇宙に向けて電波を飛ばしたりしていないし、魔法陣を描いたわけでもない。点けっぱなしのテレビに流れはじめた興味のそそらないアニメを横目にスマホをいじっていただけなのだ。それが就寝のために部屋の明かりを消してベッドに上がり、掛け布団を整えはじめた途端にこの怪現象である。


 グレイは無表情に立っている。ただ、その身体はほんの少しゆらゆらと揺れているようにも見える。

 ここはマンションと呼べるのかも分からない三階建ての建物の二階。一人暮らしのワンルームである。後ろは壁で横は窓、外への出入口はグレイの背後の狭い通路の先である。

 ゆらゆらと揺れるグレイの動きは、まるで俺を外へ出さないためのディフェンスにすら見えてくる。最初から行き場がない。俺は今日はじめて、日本の家屋の狭さを恨めしいと思った。


 グレイがなぜこんなところに現れたのか、その目的は判らない。いや、そもそも異型の者が突然目の前に現れたら、目的を気にするどころではない。幽霊だろうが未確認生物だろうが違いはなく、ただただ怖いのだ。

 だが、直視はできなくても目を背けるわけにもいかない。目を背けている間に動かれる方がもっと怖いからだ。


 すると、このグレイのものと思われる声が聞こえてきた。不思議だった。グレイは口をまったく動かしていないのに、はっきりと声が聞こえてきたのだ。


『怖がらナイでクださい。ワタシはアナタに伝えたいコトがあって会いに来マシタ』


 それは知っている言語だった。そう、日本語だったのである。同じ言語なはずがないのだが、そこは宇宙人なのだから、何かしらの彼らの技術で翻訳されているのだろう。どうやら目の前のグレイとは会話が成り立つらしい。その事実が、混乱の沼に溺れていた俺を頭ひとつ引き上げてくれたが、心臓の鼓動が落ち着くことはない。たった今グレイが発した言葉の内容を理解する余裕もないため返事をすることのない俺にグレイは続けて語りかけた。


『ワタシとツキアッテクダサイ』


 今の言葉はしっかりと聞き取れた。落ち着けと自分に言い聞かせつつ、相手の言葉を分析しようと心がける。


「付き合う? 俺をどこかの星にさらっていこうってのか」


 俺は無意識に身構えた。丸腰の人間が宇宙人に抗えるものなのかは分からないが、無抵抗に蹂躙されるわけにはいかない。

 宇宙人が地球人をさらっていくなんて行為は、噂話や逸話としては定番といえるものである。ただ、わざわざ事前にことわりを入れてくるとは意外だった。地球でいう果たし状のような風習があるのだろうか。


『さらう……違いマス。コノ星の文化では、二体がトモニ暮らすよう求めるトキには、このように言って誘うものだとシラベてきました』


 共に暮らす………………告白されたのか?


「付きあう」と「共に暮す」という言葉を結び付ければ、恋愛のワードにしか聞こえない。だが、この状況でそんなことがあるのだろうか。

 危険な状況を共有した男女は恋愛に似た気持ちの高揚を覚えるため、恋愛にも発展しやすいのだという。もしそうだとしても、恋愛の対象には限界がある。

 正直なところ、それほど自分がマズい顔でもないと思っていたのに、今まで誰からも告白なんてされたことがなかった。華のないさみしい学生生活を終えた俺が、齢二十歳にしてついに告白されたのがこの謎の生命体からだとは。


「何で俺がお前と付き合わにゃならんのだ」


『ワレワレノ星ではワタシはモテます。しかし、ワタシはアナタのようなガイジンが好みなのです』


 どうやらこのグレイたちは自分の星外の人のことをガイジンと呼ぶらしい。この時点でもう地球人との間には文明のギャップがある。それにしても、モテる私に好かれてるのだから付き合うだろ?という言いぐさは、同じ地球人の女性に言われたとしてもおもしろくないだろう。

 そんな俺の考えを見透かしたように、グレイは文化について語り始める。


『コノ星の文化、とりわけアナタたちの文化にツイテハ深く理解シテイマス。アナタに告白スルニ当たって、詳しく調べてきましたカラ』


 グレイの科学力であれば、他の星の地域ごとの文化を知ることすら可能ということだ。地球という惑星の中の日本という小さな島国の文化の詳細を把握しているのだから、脅威の情報収集能力である。グレイは日本人の傾向について語る。


『コノ星には人種があり、中でもアナタたちの人種は、目がパッチリとしていて黒目の大きな子をカワイイと認識するハズなのデスガ。まさにワタシの容姿を表現スルがごとしデス』


「コワいコワい! いや、お前らのは大きいにも限度があるわ。しかも黒目がちなんてもんじゃなくて、黒目しか無いじゃないか! それにお前、さっきから全然まばたきしないしさ」


『ソレハご心配ニハおよびません。我々は時おり目の上下の部分からミスト状の体液が噴き出して目を潤すのデス。だからまばたきは不要なのデス』


「そんな仕組みになってたの!? いや、それもコワいって!」


『コレハ意外デス。マダ出会って間モナイとはいえ、ワタシの良さがあまりアナタへ伝わってイナイようデスネ』


 良さもなにも典型的な見た目のグレイが1体、ずっと目の前に立っているだけなのである。不気味さ以外に伝わるものなどない。ところがグレイ本人は、俺のこの反応がどうにも理解しがたいようなのだ。


『ワカリマセン、地球人の男性は、尖った耳を「ネコ耳」といってアイするハズなのですが。ほら、ワタシの耳を見てクダサイ』


「ネコ耳ってのは頭の上の方に付いているのが重要で、横に付いてたらただの尖った耳じゃないか」


『じゃあエルフですよ、エルフ。 ファンタジーでは耳の尖ったエルフが男性に人気なのではないのデスカ。ほら、同じデスヨ』


「コワいコワい! 横を向いて耳を見せてくるなって。百歩譲って妖精ってことにでもすればまだマシだけど、実写だとエルフでもコワいわ!」


『デワ、妖精で』


 雑な物言いになってきたグレイに少しイラッとした俺は、逆にグレイへの疑問をぶつけてみる。


「だいたいお前、さっきから口をまったく動かしていないじゃないか! ……テレパシーだな。テレパシーで直接脳に語りかけているんだな」


『ハイ、ワレワレは口から声を発しません。約五百年前からワレワレは声を捨て、脳波1本にしぼったと伝わってイマス。また、そのために、ワレワレの顎は退化シタというのが、もっぱらの見解デス』


「もっぱら って何だよ、使い方が合ってるのか分かんねーよ。じゃあお前らって、人と話したい場合と心の中で考えたい場合の使い分けはどうやってんだ?」


『使い分けなどアリマセン。考えたこと全てが、テレパシーで相手に伝わりマス』


 このグレイはどうやら口での会話の代わりにテレパシーで相手に言葉を送るのではなく、考えたことが全て自動的に相手に伝わってしまうらしい。


「不便すぎるだろ、それ」


『ワレワレと他星との対外交渉は、いつも決裂シマス』


「全部伝わるからだよ! 五百年前の奴が選択をミスったんだよ!」


 広い宇宙には様々な環境があるのだろうから、独自の進化を遂げた生命体があっても不思議ではない。このグレイのように別の生命体が暮らす星にまで移動できるほどの科学技術を持つ文明となれば、地球人など及びもしないさぞかし長い文明の歴史を持っているのだろうが……


「ん? ちょっとまて、お前さっき、声を捨てて五百年って言ったな…… けっこう最近じゃないか。五百年なら、そんなに体が退化するほどの昔じゃないだろう」


『へっ これだから地球人は。ワレワレの星の一年は、地球の暦に換算すると約千年デス』


「お前いま、馬鹿にしただろ! 全部伝わってるぞ」


 すると、ここまで表情の変化も一切なく、ただ直立していたグレイが突然両手を広げた。


「うおっ!? 何?」


『ワタシをミナサイ、無駄毛がいっさい無いデス。最近の地球人の好みともマッチしていると思われマセんか?』


「お前らには必要な毛まで無いんだよ。頭髪まで無駄と見なしている時点で、俺たちとは感性が合わないんだよ」


『どうせアナタも将来、同じようになるデハないですか……』


「何だと!」


 俺の怒声にグレイは足を動かすことなく数センチ後ずさった。目の前の宇宙人に少しだけ慣れた俺は、そんなグレイの全身を改めて確認した。

 大きな頭には黒目だけの大きな目に、有るか無いか判らないほどの鼻と口、細い胴と手足。本物のグレイを見たのは始めてだが、これまでに本やUFO特番で見てきたそのままの姿だ。


『ドウデスカ? ワタシに興味が湧いてキマシタカ』


 全く興味が無いといえば嘘になるが、それは異性や恋愛対象への興味ではない。それに、ここで興味がある素振りなんて見せてしまえば、どうつけこまれるか分かったものではない。


「そもそもさ、お前らって服も着てないじゃん。地球人は恥ずかしくて裸で外なんて歩けないよ。もうその時点で俺たちって文化が合わないだろうよ」


『勘違いシナイでくだサイ。ワレワレもフクは着マス』


「どう見たってお前、何も着てないじゃん。嘘をつくなよ」


『フクハ部屋に入るマエニ脱ぎました。アナタを喜ばそうとオモッテ』


 ──── !?


「裸で告白しに来るバカがいるか! どんなイカれた資料で地球人のことを調べてきたんだよ」


 裸だといわれても細くてツルッとしたグレイの身体からは、生物学的な性差のようなものが感じられない。見た目では男なのか女なのかも判らないのだ。


「なぁ、そもそもお前って女なのか?」


『ソレハこの星の生き物が持つタイプのコトデスネ。ワレワレはそのようなものは超越シテイマス。アナタにも理解デキルようにいうなら、オトコでもオンナでもナイ』


 ゛男であり女だ゛は聞いたことがあるような気がするが、゛男でも女でもない゛は、地球人がまだ到達していない領域かもしれない。じゃあ、コイツはいったいどんな立場から俺に告白しているのだろうか。



 しばしの沈黙となった。グレイは黙ってこちらを見つめている。先ほどからも声を発していたわけではないし、こちらを見ていたことに変わりはないはずなのだが、なぜか観察でもされているような視線を感じたのだ。

 すると、またグレイの声が直接俺の頭に届く。


『異星人との対面に慣れてイナイのは存じてイマスガ、先ほどからアナタには緊張デハナク恐怖の感情が強く出てイマス。ワタシはコワくないデス、ナゼそこまで怖れるノデスカ』


 恐怖の対象に「怖くない」と言われたところでそうそう恐怖が治まるものではない。だが、怖れる理由を問われれば、その見た目以外には、やはり何をされるか分からない得体の知れぬ恐怖があるのだと思う。


「だって、お前たちは地球人をさらうんじゃないのか。そうだ、人だけじゃない、牛もさらうって聞いたことがあるぞ!」


 もちろん情報源はテレビのUFO特番である。ただ、そう言ってはみたものの、この貧弱な体型のグレイたちが好んで牛を食すようには思えない。番組では、宇宙人にさらわれて身体にチップを埋め込まれた人の話もよく聞くが、そのチップを取り出して解析した話は聞いたことがない。そう考えると、そのテの話は地球人側の言いがかりなのではないかとも思えてきた。


『そのようなコトまでご存知トハ。少々アナタを見くびっていたノカモしれマセン』


 グレイのこの反応は意外だった。彼女らが人や牛をさらっていることをあっさり認めたのだから。

 グレイはさらに語る。


『ただ、それはワタシも資料でしか見たことのないくらいハルカ昔のことデス。資料には、地球人と牛を連れてきて、地球人のアタマを牛のアタマに付け替えたり、牛の胴の上に地球人の上半身を乗せたりして帰すというイタズラをしたと記されていました。ところが、地球人の社会にて、このことが笑っていられないほどの大騒ぎになってしまったため、そのイタズラを行った者タチハたいそう怒られたようデス』


 何だか俺が思っていた話と違う。

 グレイたちは牛の全身の血を抜いたり、地球人の身体にチップを埋め込んだりするためにさらったのではなく、イタズラ半分にミノタウロスとかケンタウロスを製造していたと言っている。


「欧米の神話とか伝承に出てくるアレか。お前らの仕業だったのか!」


『ハイ。お恥ズカシイかぎりデス』


「じゃあ、宇宙船が牛を吸い上げるのは……」


『ワレワレの船は転送は行えますが、牛を吸い上げる機能はアリマセン』


 たしかに言われてみれば、上空から光を当てて吸い上げるような特殊な仕組みを発明するより、着陸して連れ込む方が効率が良い。


 地球人類の定説を覆しかねない会話になった。人文学者ならよだれを垂らして食いつきたいであろうグレイとの対話であるが、俺にとっては彼女から一刻も早く開放されるための対話である。


「そもそもだ、宇宙人のお前が何で俺のことを知っているんだ? 俺は宇宙人に目を付けられるようなことをした憶えはないぞ」


『ワタシノ趣味デス』


「趣味?」


『ワタシノ趣味の覗きで、この惑星を覗いてイタノデス。そこで偶然にも、アナタを見つけたノデス』


 家の中を覗くようなノリで惑星を覗くと言っている。そんな壮大なスケールのものも覗きというのだろうか。しかもそれを趣味と言ってのける豪快さ。


『まさに偶然デアリ、運命だったトモ言エルデショウ』


「やかましいわ」


 いったいどのような機材や仕組みで他星を覗くのか、想像もつかない。


「で、俺を見つけて以来、俺のことを見てたってのか?」


『ハイ。このあいだも野球場で何度も手をアゲテイタのに、ビールの売り子に気付いてモラエマセンデジタネ』


「おい、何を見てんだよ、やめろ」


『あと、道に落チテイタ小銭を見つけて、拾おうと地面に伸ばした手を他人に踏まれたのも見テイマシタ』


「もうやめてくれ! いやせめて、それを見たなら俺を嫌いになってくれよ」


『ドジっ子はワタシノ許容範囲デス』


「くそっ」


 恥ずかしい失敗を目撃された上に、不本意なドジっ子認定まで受けてしまった。



 ここでグレイは口説き方を変えてきた。


『ワタシにはステキな仲間がたくさんいて楽しく生活シテイマス』


「それがどうした」


『みたところ、アナタは仲間もおらず、独り寂しく生きているとお見受けシマス』


「なんだと!」


 馬鹿にするなと言いたいが、田舎から出てきて二年、たしかに今の俺には胸を張って友達だといえる人はいない。ましてや互いに信頼できる友など、言わずもがなである。

 とつぜん心をえぐられた。宇宙人からの精神攻撃だろうか。


『ワタシとお付き合いしたら、パーティーに行キマショウ。そして、アナタを仲間に紹介シマス。そうすれば、ワタシの仲間はアナタの仲間デス』


 謎の仲間倍増理論で宇宙人の宴会に誘われた。宇宙をまたにかける生命体にはこれが自然な感覚なのだろうか。そして、そのような理論でこれまでも他所の星を侵略してきたんじゃないだろうなと、疑いたくなるのが、俺(あまり社交的ではない地球人)の感想だ。


「やっぱり俺をさらって、お前たちのパーティーの見せ物にするつもりだな」


『チガイマス。アナタとは付き合うのデスから、アナタの意思で行くのデス。では、疑り深いアナタには今日のパーティーの様子を見せてアゲマショウ』


 今日、俺がバイトに励んでいた頃にコイツはパーティーに参加していたというのか。宇宙人ってのもなかなか優雅な暮らしなんだなと、思ったそのとき、グレイの目が緑に光りだした。


 ──!?


 あまりの不気味さに声が出ない。そんな光るグレイの目と俺の目が合ったその瞬間、俺の視界はとつぜん真っ白になって何も見えなくなった。グレイの目に浮かんでいたあの緑の光が俺の目へと照射されていた。


「うわっ!? 何するんだ! やめろ!」


『ダイジョウブデス、落ちツキなさいマセ。ワタシの今日の楽シカッタ思い出を見てもらうダケデスカラ』


 とつぜん視覚を奪われ、さらなる恐怖にパニックになりそうな俺をグレイがなだめた。そして


『再生シマス』


 すると、真っ白だった俺の視界が段々と色付いてきた。そして物の形などがはっきりとしだす。

 そこは壁も床もピンク色に彩られた窓のない部屋のようだった。外の様子が見えないため、どこに存在するのかは判らないが、それなりに広い部屋だ。そこにざっと二十体のグレイが立っている。


「ひっ!?」


 異様な光景に思わず情けない声が漏れてしまった。

 見た目が似ていて個性が感じられないため、各個体を見分けることはできない。もちろん俺の部屋に現れたグレイがどれなのかも判らない。

 もっとも、動物園にはペンギンを見分けられる飼育員がいるくらいなので、慣れればグレイの違いにも気付けるのかもしれないが、もちろんそんな技能を身に付けるまでグレイに深入りする気はない。


 よく見ると、グレイたちは部屋の中をウロウロと移動しているようだった。ただし、手足は動かしておらず、床を滑るように各個が規則性もなく動いているのだ。


「お前はどれなんだよ」


『ワタシの目に映っていた記憶なので、ワタシは映ってイマセン。ワタシが仲間たちとイカニ楽しく過ごせているかが伝わればよいのです』


「楽しい……これが?」


 頭の中に直接投影されているようなこの映像には音声は無いようだった。ただただグレイたちが室内を徘徊するようにうごめく不気味な無音の動画を見せられているのだ。

 すると、一体のグレイがどこから取り出したのか、何やらリモコンのようなサイズの機械を手にしていた。次の瞬間、グレイは手を滑らせたのか、その機械を足元に落としてしまった。


 カコン・・・


 機械が床に当たった音が聞こえた。

 ここで俺は自分の勘違いに気が付いた。たまらず、現実にはまだ側にいるのであろうグレイに向けて問いかける。


「おい、この映像って音も聞こえるのか?」


『ナメテもらっては困りマス。ワタシの正確無比な記憶は、ソノ場の臨場感をも記憶シテイルと言っても過言ではアリマセン』


 臨場感なんて言葉を使いこなすところもムカつくが、無言でうごめくグレイの群れ、あれがあの場の臨場感なのだ。


「お前、俺をこんな所に連れて行こうとしてたのか! 無表情で、黙って、怖さ以外にないじゃないか」


『ちゃんとテレパシーで会話はシテイマス。とくに先ほどのシーンはパーティーも最高潮で大盛り上がりダッタのデスヨ』


「地獄か! こんなところに放り込まれたら、最短記録で気がふれるわ」


 地球人には娯楽映像というよりホラー映像にしか見えない。無音地獄という新しい地獄を発見した思いで「もういい!」と、告げると、映像が暗くなってゆき、奪われていた視覚が戻ってきた。

 俺の部屋だ。残念なことにグレイはまだいる。


「しかしこんなパーティーに興じているところを見ると、お前って金持ちの家のお嬢さま学生ってところか?」


『お金というモノも学生というモノもワレワレの星には存在シマセン』


「何言ってんだよ、さすがにそんなことはないだろ」


『まず、知識全般はまとめて脳にインストールしますノデ、学生という期間はアリマセン。憶えるべき知識量が多いタメ、学生トシテ自力で記憶してゆくと百年ホドかかってしまうノデス』


「あぁ……そう」


『また、ほとんどのモノは自動的に製造スル仕組みがアリ手に入りマスノデ、お金というモノも不要なのです』


「じゃあ、誰も働いていないのか?」


『働きたくて働く人はイマスガ、報酬が出るわけではアリマセン。ただし、労働の姿勢や成果が認められると、特別区に居住する権利を与えられます。土地だけは自動的に製造とはいきませんから』


 等しい知識の上にお金も労働もなく物が入手でき、その間有意義に生活を送れる。


「理想の社会じゃないか……」


 グレイのようにはなりたくないが、その社会なら俺の平素の悩みのほとんどは解消してしまう。


『デシタラ、やはりアナタも一緒に行きマショウ。大丈夫デス、誰かが連レテキテ、そのまま住み着いた地球人も見カケマスし、ワタシがそばにイマスカラ、淋しくはアリマセン』


「えっ!? いま聞き捨てならないことを言ったな。地球人がもう宇宙移民してるの」


 遠い未来のことと思っていたSFの世界が、すでに人知れず実現していたとは。たぶんそいつらは、さらわれたというよりついて行ったんだ。いったいどういう精神構造をしているのか。いくら理想的な社会でも、グレイがウヨウヨいる星だぞ。


 直接脳に語りかけられたからなのか、視覚に映像を送り込まれた影響なのか、それとも未知の情報を次々と告げられて混乱しているからなのか、はたまた恐怖で精神が振り切ったのか、俺は頭が痛くなってきた。


「もう勘弁してくれ、何も考えられん……」


 俺が思っていた告白はこんなのじゃない。告白されるってのは嬉しいもののはずなんだ。少くともこれほどに心身を消耗するものではない。


 そんな衰弱した俺の様子を観察するように見ていたグレイが言った。


『交渉は難航のようですネ』


「いや、決裂してるんだよ、帰れ!」


『たしかにココハ冷却期間が必要カモしれまセン。今日のところは帰りマス』


 グレイはまだこの交渉に成立する余地があると考えているらしい。能力の全てを頭脳に振ったようなこの他星の知的生命体は、まだまだ卓越した交渉技術を備えているのだろうか。それにしては、今日の交渉には悪手しかなかったような気がするが。

 とにもかくにもグレイは帰ると言い出してくれた。「帰る」のひと言がこんなに嬉しいなんて。子供の頃、人気と品薄で周囲の誰も手に入らないゲームがあった。そのとき俺は、雑誌の懸賞でそのゲームを当てたんだ。今の嬉しさは、あの時の嬉しさを越えている。


『またアシタ、会いにキマス』


 ────えっ?


 グレイは呪いの言葉を残した。ショックで言葉を失った俺にグレイはそれ以上は何も言わない。そこには数秒の沈黙があった。

 すると突然、グレイの体が上下左右に震え始めた。細やかな震えが次第に揺すぶられるような激しい揺れへと加速してゆき、ついにはゆがみ始めた。今夜見たどれよりも恐ろしい光景だった。そして断末魔のようなキシャーーーー!という音と共に、グレイの姿は目の前から消えた。


 もとの薄暗い部屋に戻った。いつもの俺の部屋だ。ハッと我に返った俺は、手のひらで全身を触った。身体に何かが埋め込まれた様子はない。

 俺はすぐさまベッドを下りて、部屋を明るくした。室内を照らすこの人工の明かりがこれほど安心感を与えてくれるなんて、考えたこともなかった。今夜はもう部屋を暗くして眠れる気がしない。


 初対面の宇宙人との間に冷却期間を要するほど心が熱した憶えはない。いや、そもそも付き合う前から冷却期間を要する二人に幸せな未来が待っているはずがないと思うのだが、これは地球人の遅れた感覚なのだろうか。

 しかし、グレイはまた明日来ると言い残した。明日の夜は留守にした方がいいかもしれない。駅前の漫画喫茶にでも泊まろうか。まさか訪ねて来たときに俺が居なかったくらいで逆上して地球を侵略したりはしないだろう。


「見た目じゃ他のグレイと見分けがつかないからな…… あいつがどういう立場の人なのかを聞いとけばよかったかな」


 もしも『地球破壊作戦司令長官』なんて肩書きだったら、地球は明日で終了である。


 ────


 次の日、グレイは俺の前に現れなかった。その翌日も、そのまた翌日も。

 グレイの言っていた覗きの技術がある限り、身を隠すのは困難だろうと観念していたのだが、俺の日常は平穏だった。

 助かった。心底そう思えた。毎日通われて、あの夜のような恐怖体験に見舞われたのでは心がもたない。きっとグレイの方も俺との交際に無理を悟ってあきらめたのだろう。

 高卒で働きだして二年、いまだ慣れない仕事の苦労や悩み、生活の悩み、将来の悩み。それを辛いと思って生きていたが、そんなものはいかにも小さな悩みだと気がついた。グレイに言い寄られる悩みに比べたら何と些細なことか。



 あのグレイの星の一年は地球の千年。ならばグレイにとっての明日は地球での千日といったところ。この先、オリンピック開催のような周期で未知との遭遇を果たすことになろうとは、このときの俺はまだ気が付いていなかった。

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グレイに好かれて やまもと蜜香 @hekichi

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