最終話

 道の先から、桜の叫ぶ声が近づいてくる。

「ミオちゃん、ループしてる! ここ、ループしてる!」

 そう言いながら、興奮した様子で駆け戻ってくる彼女の姿が見えた。

 また桜が消えてしまわなかったことに安心するのと同時に、やっぱりそういうことなんだ、と思う。


 半笑いで足元を見つめる私を見て、桜も不審な枝に気づいたのだろう。

「……何これ?私が通った時、こんなのなかったと思うけど……」


 おっかなびっくり近づいてくる彼女に私は訊ねた。

「ループって何?」

 ちらちらと枝に目をやりながら、桜は自分が見たものを説明してくれる。

「あのね、この先に、さっき私たちが入った藪の入り口があったの。なんかそんな気がして、確かめに行ったら、ほんとにそうだった!」

 話しているうちに興奮が戻ってきたのか、最後は飛び跳ねかねない勢いだった。


 先ほど私たちが通ってきた藪の斜面への入り口がこの先にあり、出口は後ろにある。入り口と出口が同じ場所に繋がっているからループ。つまり、ここから出られないということ。

 普通なら信じられないような話だが、自分の目で確かめに行く気にもならなかった。


「向こうにもこんな枝、落ちてなかった?」

「え? ……どうかなあ、気づかなかったけど。見にいく?」

 覚えてないなら別にいい、と首を振ると、桜は納得がいかないような表情で、こちらの顔を伺うようにする。

「……なんか、驚いてないね?」

「驚いてるよ。でもなんかもう、うんざりって感じのほうが強いのかも」

 ふうん、といって桜はなぜだかつまらなそうな顔をしている。


 うんざりしているのも嘘ではないけれど、本当はそれより、足元に刺さった枝のほうに気をとられていた。それが指し示していることについて考えると、なんだか頭の中がぐるぐるしてくる。

 触れたくないのに、主張の圧が強くて頭から追い出せずにいる。そんな状態のせいで、態度がおざなりになっていたかもしれない。


「……閉じ込められちゃったね」

 段々、不安のほうが強くなってきたのか落ち着かない様子で桜が言う。

 こんなのあり得ない、とは言わないんだなと、ふと思った。空間がおかしくなってどこにも行けないというこの異常な状況を、すんなり受け入れているみたいな口ぶりに違和感がわいた。


 正直なところ、私自身がもう受け入れてしまってはいる。けれど、他人が簡単に受け入れているのを見ると、またそう信じ込まされているだけなんじゃないか、と思ってしまう。

 実際には閉じ込められてなんかいなくて、まだ他にできることが何かあるのではないだろうか? 逃げたり、助けを呼んだりするための……。


 はっと気づいて、急いで携帯を取り出した。

 起動しようとディスプレイに触れたりボタンを押したりするが、画面は暗いまま変わってくれない。

「嘘でしょ!? さっきは使えたのに……」

 まさかバッテリー切れだろうか。さっき使ったときの充電状態がどうだったか、まったく記憶にない。

 桜をみれば彼女も慌てて自分の携帯を取り出していた。

「……だめ、つかない」

 必死に操作していた手を下ろして桜が言う。思わず見合わせた顔のどちらにも浮かんだ苦笑は、同じように引きつっていた。


 頭を振って、心を落ち着けるように長く息を吐き出した。もうこれ以上、遠回りしていても仕方ない。


 私が話し出すのを、緊張した様子で待っている彼女に向かって口を開いた。

「この花さ、稚児舞の鈴みたいだって話したでしょ。私がさっき踊ったときも、これと同じのを持たされてたんだ」

 目を丸くする桜に向かって、そっと唇を湿らせてから私は続ける。

「これ持って、二人で一緒に踊れ、ってことだと思うんだよね」


 こんなふうに、一方的に要求を押し付けらるのは気持ち悪い。それに、要求するやり方がこれまでと違う雰囲気なのも不気味だ。

 従えば解決するのか、それとも罠か、考えれば考えるほど頭の中で不安が芽吹く。

 だけど他に思いつくことといえば、知っている場所に辿り着くことを願って、あてもなく藪の中に踏み入ることくらいだ。


 目の前に突き立つ枝が、諦めろと言っているみたいに感じる。こんな枝、蹴っ飛ばしてやりたい。

 それでも、いつかはどうするかを決めなくちゃならない。結局のところ、行動してみるしかない状況は変わっていないのだ。

 選択肢を奪われて無理やり従わされる、ただその悔しさで足踏みしているだけなのは自分でも分かっていた。


「ミオちゃんと、踊る……」

 ぽつりと桜がつぶやいた。足元の枝に向けていた視線をちらりと私に向けたのがわかった。

 視線はすぐにそれて、うつむいた顔は眉根が寄っていた。

 桜もためらっている。でも、なんとなく彼女のためらいは、私とは違うもののような気がした。


「桜……?」

 どう訊ねていいかわからず、ただ名前を呼ぶと、桜はうつむいたままで口を開いた。

「踊らなくていいよ。ミオちゃんがこんな、力づくのやり方、言うこと聞く必要なんかない」

 どこか自分に言い聞かせているみたいなその口調を聞いて、私は思い出していた。彼女はずっと、私と踊りたいと言ってくれていた。


「……でも、じゃあどうしたらいいのか……考えてるんだけど……」

 そう言ってくしゃっと歪む桜の顔を見て、私の中の怒りは溶けるみたいに消えてしまった。


 二人で踊ることは、桜の願いだった。そして今は私の願いでもある。それをここで叶えよう。


 誰だか知らないが、この状況はお膳立てしてもらったと思えばいいじゃないか。

 こんなのは、どうにもできない状況を受け入れるための、取りつくろった言い訳でしかないかもしれない。

 それでも私は、桜のためなら踏み出せると思えた。


「桜、踊ろっか」

 そう言うと、彼女はのろのろと顔をあげた。

「でも……」

「私、踊れるよ。桜のために踊る」

 なぜだか申し訳なさそうな顔をしている桜を見て、笑ってしまった。そんな顔、する必要ないのに。

「桜も私のために踊ってよ。あの時できなかったことを果たそう」


 地面の小山から枝を拾い上げる。小道具まで用意してくれてご苦労様、だ。

 手を高く、空に突きつけるように持ち上げる。握った枝の先を睨みつけるようにして言った。

「見たければ、見ててもいいよ。お好きにどうぞ」


 おずおずとした様子で枝を拾い上げた桜が、横に並んで手を掲げた。

 まだどこかためらっているのを見て、思わず彼女の腰をピシャっと叩く。

「ひゃっ!?」

「ほら、背筋伸ばさなきゃ。堂々と」

 そう言うと、目を見開いてこちらをマジマジと見た桜は、すぐに吹き出すように笑った。

「昔のミオちゃんみたい。懐かしい」

 そうか、こんなやりとりも長いことしていなかった。それは世の中の状況のせいでもあり、私が勝手に桜との距離を開けたせいでもある。


 今ので彼女も落ち着いたようで、立ち姿からためらいが消えて、すっと美しく背筋が伸びた。

 私も、桜との間に昔からあったものがよみがえったようで、無駄な力みがとれたみたいに感じる。


「いくよ」

 目を合わせて言う。振りを覚えているかとは聞かなかった。

「うん」

 頷いた桜に、頭で軽く拍子をとるようにして見せる。いち、にの。

 彼女から外した視線を掲げた手の先へ向け、振る。


 ふたつの鈴の音が、いっせいに天地に響いた。


 体の内側でも鈴が反響したみたいだった。ぶるぶるっと、体の芯が震えたのが分かった。

 花を目の高さまで下ろして、腕をしならせる。また、鈴が鳴る。

 体を外側へ向けてすっと開いて、一歩進んではシャン、また進んではシャンと鳴らした。


 鈴の音が背後でも鳴っているのが分かる。桜の発する震えと、私の発する震えが、重なって交じり合いながら互いへ届き、また跳ね返っていく。

 共鳴する震えは一本の線みたいに、あるいは一枚の膜のように、私たちを繋げ、包んでいた。


 ふわりと体が半回転する。正面に桜の姿が見える。

 鏡に映したように踊る彼女の姿に、ああ、これは二人の舞だと実感する。

 私が頑なにならなければ踊れていたはずだったもの。

 その後悔が伝わったのだろうか。互いに向かって伸ばした腕の先で、励ますみたいに微笑む桜が見えた。


 また、鈴がなる。私たちは近づき離れ、向かい合ってはすれ違いながら、腕を振り足踏みをした。

 二人の間をつなぐものを、あらゆる震えが行き交っている。


 最後の鈴の音が響いたとき、再び私たちは横に並んで立っていた。

 まだ目を見交わす必要はない。二人分の呼吸の音だけが聞こえている。


 どこを見るともなく、あたりを見回してみる。

 舞が終わっても、周囲の様子に変化はなかった。

「何も変わんないね」

「うん……」

「まだ満足してないってことなのかな?」

「えぇー、欲張り!」

 そう言って笑いあった声は弾んでいる。二人ともガッカリはしていない。むしろワクワクしてさえいる。


「仕方ないなー」

 私はまた背筋をピンと伸ばしてつま先を大きく外に開き、かかとをつけるようにして立つ。

 そのまま滑らかに重心を移動させ、片足を後ろに伸ばして軽く浮かせると、桜が歓声をあげた。

「わっ、すごい、見たい見たい!」

 体に染みついたバレエの動作を次々と披露する。もう勝手に卑屈になったりはしない。

 得意げに手足を掲げる私を、桜が目を輝かせて見ている。


 ポーズを維持したまま顔を向けて、誘うように顎をしゃくった。

 桜が驚きながらも見よう見まねで同じポーズをとる。案の定、手も足もまるでちぐはぐ。だけど、やっぱり彼女は美しい。

 私はいったん体を縮めてから、ぴょんと跳ねる。それを見た桜も、すぐ横でぴょんと跳ねた。

 そうしてまた二人で笑いあった。


 それからも、私たちが無我夢中で踊りまくっていたことだけは覚えている。

 バレエだけでなく、桜が部活で練習しているダンスも一緒に踊った。飛んだり跳ねたり、勢いにまかせてそこら中を駆けまわっていたような気がする。

 一体どれだけのあいだ踊っていたのか、楽しさと興奮に漂白されて、細かいことはほとんど記憶にない。


 正気にかえったのは、片足立ちでぐるぐる回転する私と、その回りを飛び跳ねながら声援を送る桜の姿に、ぎょっとして足をとめたらしき人と目があったときだった。

 ハイキング客らしい年のいった二人連れで、山道で出くわした異常な興奮状態にある私たちを見て心底たまげた様子だった。


 数秒のあいだ真顔で見つめ合った後、どちらも目をそらして無言ですれ違う。

 距離が離れるのをしばらく待つ間に改めて周囲を見回すと、いつの間にか、なんだか見覚えがある感じの登山道みたいな場所にいることに気が付いた。どことは言えないが、昔に通ったことがある、という感覚がする。


 まだ赤い顔を見合わせると、早口で喋った。

「い、今の、普通の人だったよね?」

「うん、まっまともっぽかった。それに、ここ、なんか知ってる感じしない?」

 口を閉じると、二人の頭に共通の期待が浮かんだことがわかる沈黙がよぎった。


 どの方向に進むか考えた結果、さっきの人達が去っていった下り方向にむかうことに渋々決めた。

 今すぐ駆けだしたい気持ちを抑えて、追いついてしまわないようにゆっくり歩く。

 道に埋め込んである半分に割られた丸太と所どころに設けられた手すりに、知っているという感じが強くなっていく。


 道の先に看板が立っているのが見えて、思わず駆け寄った。この先展望スペース、という文字と距離が書かれている。

 二人で一瞬見合って、すぐさま転がるように駆け下りた。


 木々が切れて明るく開けた先にあったのは、私たちの住む町を一望する景色だった。

 この展望スペースは知っている。私たちの通った小学校で、低学年の子が毎年遠足で来るところだ。


 帰ってこれた、と思った。




 私たちが辿り着いたあの展望スペースは、二人が自転車を止めて藪に入り込んだ場所とは神社を挟んで反対側にある、ハイキング用の観光向け登山道を登った先にある。

 どれだけ山中で過ごしたのか、時間の感覚は曖昧だ。少なくとも結構な距離を移動したらしいのに、時計の上ではほとんど時間が経っていなかった。

 体感ではだいぶ日が傾いていてもおかしくないのに、まだ夏の午後の日差しが明るいことにも困惑させられた。

 それでも、山を下り終えたときにはもう辺りは暗くなっていた。


 登山道を下りながら、上川さんちのアイちゃんがどうなったのか確かめないと、という話になった。

 展望スペースで携帯はあっさり起動してくれていたが、歩きながら連絡をとった西里さんとはぜんぜん話がかみ合わず、納得がいかないながらもやっぱりという気がする。


 舞手を務めていた時のメッセージアプリのグループが残っていることを思い出して、そこからメッセージを送ってみたのだが、アイちゃんがいなくなったことも私たちに会ったことも記憶にないようだった。

 すぐに勘違いということにしたが、かなり不審がられたと思う。


 その後、登山道の入り口近くの休憩所で手足の泥だけでも落とし、二人でとぼとぼと自転車を回収しに行ったり、帰ったらやっぱり親に盛大に心配されたりした。

 お風呂に入って遅い夕食を食べ、くたくたの体をベッドに横たえる。今にも瞼が落ちてきそうだ。


 今日のあれは一体なんだったのだろう。出会った人や起きた出来事は本当のことだったのか。

 自転車を回収しに、境内の脇道を携帯のライトで照らしながらまた通ったときには、あの山中へ続く藪の切れ目はどこにも見当たらなかった。

 夢や幻のようなものだったとして、それを体験した何らかの原因や、あるいは何者かの意図のようなものはあったのだろうか。

 そんなことを考えたけれど、手がかりの欠片も浮かばないまま、いつの間にか眠りに落ちていた。


 結局それからも、あの出来事が何なのかわからないまま、以前と変わらない日々が過ぎている。

 桜は相変わらずダンス部に勧誘し、私もそれを断っている。


「あの時は一緒に踊ってくれたじゃん! なんでダメなの!?」

 と、桜は憤慨しているが、ダンス部にもバレエにも、やっぱり熱意は感じられそうにない。

 無意味に卑屈になることはもうないと思うけれど、それでも私の居場所だという感じは持てなさそうな予感がある。


 それでも、あの日から変わったこともいくつかある。


 桜がどうして私に好意を持っているのか、気になるようになった。

 自分でも不思議だけれど、そのことはあまり考えたことがなかった。彼女が勝手に美化しているだけだと決めつけていたのかもしれない。

 でも今は、桜に誘われる度になんでだろうと思いつつ、直接たずねることもできずにもどかしい思いをしている。


 もうひとつは、あの山中で出会った桜のような何かの姿がときどき頭をよぎること。

 本物ではないと分かってはいるけれど、あの姿が頭に浮かぶと、いまだに体の奥を掴まれたような感じになる。あるいはふと、本物の桜にあの姿の面影を見てしまったりもする。

 あの妖しい桜との出会いは、今でも秘密にしたままだ。


 それと、そのうちダンス部の様子を覗きにだけは行ってみようかと考えている。

 自分が踊るためではなくて、桜が部活で踊る姿をちゃんと見てみたい。

 あの日の記憶は美しいが曖昧で、現実離れしたものだ。だけど、日常の中で踊る桜もきっとステキだろう。

 動画の中で舞う姿だけしか知らないのは、もったないと思うようになっていた。


 久しぶりのお祭りの日が、もうすぐやってくる。

 誘ったら、一緒に行ってくれるだろうか。


 桜が鳴らす鈴の音はまだ、私の世界に響いている。

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鈴鳴りの舞 浜鳴木 @hamanaruki

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