第4話
私はまた歩き出す。おばあちゃんがよみがえらせてくれた力はまだ私の中にある。
足取りは軽やかで、もうみっともなく滑らせたりしない。私はしっかりと地を踏みしめることができる。
歩きながら手に持った枝を目の前に突き出す。進む先に向けて腕をしならせるようにして枝を振ればシャン!という気持ちいい音がする。私は鈴を鳴らすことができる。
私のできることを天地に示したい。その欲求のままにどんどん歩く。
一歩進むごとに体から重さが消え、腕の一振りごとに、内側から世界に向かって力がほとばしっていくのがわかる。
枝の先から五色の光がたなびく。それを浴びて緑は震え、花は白々とかがやいた。
シャンシャン、シャンシャン、と私の通った後に鈴の音が満ちていく。
場違いな電子音が流れた。携帯の着信音。
歩みを止めないまま、枝を持っていない方の手で携帯を取り出す。桜の名前が表示されている。通話ボタンを押すと、焦ったような声が聞こえた。
「ミオちゃん!? 大丈夫なの?」
思わず笑い声がこぼれる。携帯の向こうで桜が息をのむ気配がする。
「私はぜんぜん大丈夫。心配しないで、桜」
「なら、いいんだけど……。ねえ、今どこ?」
今の私には桜のほうから会いたがってくる。嬉しくて、またくすくすと笑った。
「どこって、待ち合わせの木のところにまだいるけど」
えっ、という驚きの反応と、しばらくの無言。
「私がどこかわからないの? じゃあ、これならどう?」
握りしめた枝を天に向かって突き上げる。桜のもとに届くように想いを込めて、力の限りに打ち鳴らした。
鈴の音が響き渡り、余韻をひいて伸びていく。これなら桜にも聞こえただろう。私はにんまりとして言った。
「ほら、聞こえたでしょ」
「……鈴? 今の鈴の音、ミオちゃんが鳴らしたの?」
そうだよ、と答える。すごいと褒めてくれるかと思ったのに、返ってきたのはなんだか戸惑ったような声だった。
「ええっと……。音のした方にいるってことだよね。もう一回鳴らせる?」
別に大したことじゃない。私はまた力強く鈴の音を響かせた。それでもやっぱり桜は不安げな様子だった。変な子。
桜のほうからこちらに向かって来てくれるというので、通話を切ってその場で待つ。
じっとしているのがもどかしい。もっと鈴を鳴らしてあげたほうがいいんじゃないか?
道の先を見ながらそわそわしていると、近くの藪からがさがさという音がしはじめる。そこから桜が顔を出した。
どうして藪の中から出てくるんだろう。桜は道の先に歩いて行ったのに。藪から出てきた桜はなんだかさっきと違って薄汚れているような気がした。
「ミオちゃん!」
桜はほっとした顔で駆け寄ってきたけれど、何かに気づいたように急ブレーキをかけて少し手前で立ち止まった。
「怪我とかは……してないみたいだね」
無事を確認するように私の全身を見渡して言い、くすっと笑って付け足した。
「泥だらけ」
そう言われた瞬間、自分の体が発する青臭いにおいが鼻から一気に流れ込んだみたいだった。
目をまたたいて、体を見下ろす。確かに土と汗でドロドロに汚れている。正面に立つ桜を改めて見ると、私ほどではないけれど、山中を動き回ったせいで大分くたびれている。
記憶と自分が今見ているものがかみ合わなくて、なんだかめまいがする。
「ねえ、何があったの? いつの間にかいなくなるし、待ち合わせ場所にも全然こないしさ」
「えっと……、二人で走って逃げてたでしょ……いきなりすぐ近くから脅かされて、斜面に落っこちて……」
口を動かしながら、頭の中を整理しつつ記憶をたどる。目の前の桜と記憶の中の桜を頭の中で重ね合わせてみると、さきほど出会った桜はどこかおかしいことに気づく。
私が知っているのは、汗じみて、少し日に焼けた顔の表情をくるくると変えている、この桜だ。
不思議と断片的にしか思い出せないけれど、それでもさっきの光景の中の桜はあまりに綺麗で、人間離れしていたように思う。
目の前の桜は、見慣れた制服の紺のスカート姿だが、記憶の中の桜は、赤、白、金と、もっと鮮やかな恰好、まるで舞の衣装みたいな感じだった。
それに、私をじっと見つめていたあの目、あやしく微笑みかける濡れたみたいに生々しいあの唇……。
思い出すと今でも息が苦しくなって、意識を囚われそうな感覚がする。
「……待ち合わせの目印にした木が見えたから斜面を登って、そうしたら……」
なぜだか、あの桜と出会ったことは言わないほうがいいような気がした。
「そうしたら、おばあちゃんがいたの」
思わず出来事をひとつ飛ばした説明を聞いて、桜が驚きの声をあげた。
「……それで、どうなったの?」
なぜか恐々といった様子で聞いてくる彼女をいぶかしく思いながら続ける。
「おばあちゃんが、私が見ててあげるからって言ってくれて。それで、おばあちゃんの前で踊ったら、すごく上手に踊れたの」
言いながら、なんだか照れくさくなってしまった。けれどそんな私を見る桜の表情は、眉の寄ったなんとも言い難いものだった。
「……確認だけどさ、そのおばあちゃんって、小学生のときに亡くなったおばあちゃん、であってる?」
「あ、うん、そうだけど」
そう答えた途端、自分の中でじわりと違和感が湧き上がった。
そうだ、祖母がこんなところにいるわけがない。私が舞手をつとめる最後のお祭りがあるはずだった年に、祖母は亡くなっている。
じゃあ、あれは誰だ。私に踊るように促したあれは祖母ではない。それに、その前の桜だって。
「えっ、あれ、なんで」
手に持ったままだった枝が急に気持ち悪く感じて、投げ捨てるみたいに手放した。
ばさっと音を立てて花から地面に落ちた枝を見て、鋭い喪失感が心によぎった。再び拾い上げようと手を伸ばしかけて、慌てて思いとどまる。
堰き止められていた水があふれ出したみたいに、混乱と恐怖が私の頭の中を渦巻きはじめていた。
「おかしいよ」
パニックになりそうだった私を、桜の怒りを帯びた声が正気に引き戻した。
「なんなの、これ。よく考えたら、西里さん達だってこんなところにいるのおかしいでしょ」
うつむき気味の桜の顔が今まで見たことがないくらい、けわしくなっている。
「こんな山の中に大勢集まって踊れ踊れって、まともじゃない」
なんなの、マジでなんなの、と繰り返しながら、地団駄を踏んでいる。
「亡くなったおばあちゃんの振りまでするなんて。なんか、すっごいムカつく」
こんなに怒っている桜を見るのは初めてだ。
ああ、私のために怒ってるんだな、と自然と分かった。それまで満ちていた良くない感情がすうっと引いていく。
かわりに訪れた、なんだかむずがゆい気持ちに思わず苦笑が浮かんだ。
桜はずっと変わらず私に好意を持ってくれている。
それはきっと、自分や周囲と比べて優れた何かがある、というのとは違うところから来ているのだろう。
そんな桜が羨ましい。それと同時に、私の中にある彼女に対して抱えている固いしこりのようなものが緩むのを感じた。
そして緩んだところから好意がしみ込んで、内側からやさしく揺すぶられ、ほどかれていく。そんな感じがする。
まだ怒っている桜の肩に、なだめるように手をおく。
「ありがと、桜。大丈夫だよ」
桜は目をぱちくりとまたたくと少し頬を赤くして、きまりが悪そうに目をそらした。
その後、これからどうするかという話になった。
とは言っても、二人とも気持ちはさっさとこの山を抜け出して帰りたいということで一致している。問題は、またあの怪しい人たちが現れないかということだった。
「そういえば、はぐれていた間、桜の方はどうだったの?」
「あー、うん、別に。……危ないこととかも何もなかったし」
何となく腑に落ちない感じがする。私の方にだけ、しつこかったということだろうか。
なんで私にだけなの、という疑問と一緒に、答えらしきことがふと思い浮かんだ。
あの日、舞を踊りきらないままだったのは私だけだ。もし、そのせいなのだとしたら……。
「ごめん、私のせいなのかも。私がちゃんと踊ってなかったせいで、桜も巻き込んじゃったのかもしれない」
目を丸くする桜に、自分が考えたことを説明した。
「いや、うぅん……。そんなこと、ないんじゃないかなぁ」
桜は納得いかないみたいだけど、私は申し訳ない気分でいっぱいだった。自分のせいだとしたら、なおさら安全に抜け出す方法をしっかり考えるべきなのに、頭がうまく働いてくれない。
落ち込む私を励まそうとしてくれたのか、桜がことさら明るい声で言う。
「ま、まぁ、仮にそうだとしたら、もう変なことは終わりっていう可能性もあるよねっ、目的は達成したわけだし!」
確かに、この状況に理由があるのだとしたら、そうなのかもしれない。
「……自分で言い出しておいてなんだけど、なんか、そんな分かりやすい話じゃないような気がする」
「……まあ、そうだよね」
二人で渋い顔を見合わせてしまった。
結局、分からないことは考えても仕方ない、行動してみるしかない。そういうことになった。
合流する前、桜もおち合う約束だった木の前で私を待っていたらしい。そう聞いて、今いる場所が約束していた場所とは違うことに、いまさら気づいた。
木の雰囲気や、それを回り込むようになっている道といった共通の要素はある。あるけれど、そのせいで勘違いした、というには違いが大きすぎる気がする。
私はその、自分の見て感じていたものが信用できない感覚に、再度のめまいと一緒にうすら寒い思いに襲われた。
先ほど桜が抜けてきた藪をもう一度登って、元々待ち合わせていた場所にいくことにした。そこから、最初に通った道を引き返す。
異様な様子の大人達が待ち構えているかもしれないが、あてもなく山中を突破するのは最後の手段にすべきだということで同意した。
桜が顔を出したところから藪に入り込んだ。前を進む桜の背を見ながら、ひとまず一人ではなくなったという安心感からか、制服はクリーニングに出さなきゃ、親になんて説明しよう、なんていう考えが浮かぶ。
二人で黙々と藪を登る。藪の切れ目が近づいてきて、桜が進む速度を落としたのがわかった。
「は?」
立ち止まって、そろそろと藪の向こうを覗き込んだ桜が声を上げた。びくりと身を固めたかと思えば慌てたように藪を飛び出していく。
「あ、ちょっ、桜!?」
何かが待ち構えているかもしれないのに、と思いつつ私も急いで藪を出た。
「え、な、なんで……?」
私の口からも呆然とした言葉が漏れる。
藪から出て見えた景色には、白い花が満開に咲いた木があった。その木を中心にした、ちょっとした広場のような空間。
そこは、ついさっき後にしてきた場所だった。
途中で道を間違えた、ということはないと思う。人が一度通った跡があったし、そもそも大した距離ではなかった。
突然、はっとしたような顔をして桜が走り出す。
いきなりの行動に驚いて少しのあいだ固まってしまったが、慌てて私も追いかけた。
「桜、どうしたの! 置いてかないでよ!」
木を回り込むようにして駆けていく彼女の背がどんどん遠ざかっていく。私のことなんか忘れて、取り憑かれたように走る桜が木の向こうに消える。
またか、と思った。追いかけていた足から力が抜け、しだいに速度が落ちていく。
走っても走っても見えない背中の記憶がよみがえって、私の足を重くする。先を見ることが怖くて、視線が段々うつむいていった。
それでもなんとか、のろのろと進んでいた私の足は、数歩先の地面にあったものを見て完全に止まる。
目の前に、地面の土を寄せ集めた小さな山から生やしたみたいに、白い花房のついた枝が二本、立っていた。
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