第12話

citrus side


「こんなこと、本当は言いたくないんだけど。いつまで居候する気ですか?」

 麻里奈が切り出して、高春を見る。

「俺、邪魔なの?」

「邪魔ではないよ。部屋は余ってるし、家賃も食費ももらってる。家事も手伝ってくれて、育児までやってくれて。むしろ、とても助かってる。だから、そういう意味じゃなくて、いつまで居候という身分で、ここにいるのかって聞いてるんです」

「ん? どう言う意味?」

「だから。お姉ちゃんと結婚しないの?」

「は?」

 私と高春、両方が驚いた。

「麻里奈、何言ってるの?」

「だって、もう同じ部屋で寝てるじゃん」

 麻里奈は私たちを交互に指差す。

「離婚したばかりで気まずいかもしれんけど、そろそろ考えてみたら?」

「結婚って……」

 高春がニヤニヤしてる。そうね。こっちも早く、片をつけた方がいいかもしれない。


「この映画、前から観たかったんだ」

 チケットを発券して高春の腕を持つ。少し元気のない彼が気になったけど、映画は面白くて久しぶりに大爆笑した。

 感想を話しながら街をぶらつき、いい感じの店を見つけてランチを食べる。

「高春、何か欲しい物ある?」

「え、急に何。怖いんだけど」

「どういう意味? 詩音ちゃんのことでお世話になったし、クリスマスも近いし。何かプレゼントしたいなと思って」

「……物はいらない」

「ふうん。物欲無さそうだもんね」

 彼は元応接間だった8畳ぐらいの洋室を使っているが、私物は服とカバンとパソコンぐらいでとても少ない。そして、最低限の物があればいいと、いつも言っている。

 それに引き換え、涼介は物を捨てられない人で、父の日に希菜子からもらったキャラクターのマグカップを今でも愛用している。

 面白くてニヤニヤしてたら、

「笑うなよ。じゃあ、柚ちゃんの心がほしい」とキザなことを言った。

「そういうのキモいよ」

「じゃあ何にもいらない」

 拗ねて横を向き、椅子に頬杖をついた。こうして見るとかっこいい人なんだけどな。私の前ではいつもどこか情けなく、子供みたいな甘えん坊だ。

「ちょっと散歩しよ」

 もうすぐ年の瀬。散歩するには寒い季節だけど、高春と手を繋いでゆっくり街並みを歩く。

 目的地に近づいてきたので、

「ちょっと休憩しよっか」と目で語る。やって来たのはラブホ通りで、高春は思いっきり怪訝な顔をした。

「は? 何それ。ふざけんなよ」

「ちょっと早めのクリスマスプレゼント? いや、そんなにお高い物でも豪華な品物でもないか」

 恥ずかしくて、意味のわからない言葉が口から飛び出る。

「立ち止まってるのも恥ずかしいから、とにかく入ろ」と無理やり手を引っ張り、その辺の適当なホテルに入る。

「見て、高春。ベッドが貝の形してる」

 照れくさくて無理してはしゃいだ振りをしていた私に、

「何のつもり? 別れる前に、不憫な俺を慰めてくれんの?」

 あれ? なんか誤解してる。

「俺はそういうの、いらない。体なんかじゃなくて、俺が欲しいのは柚ちゃんからの愛情」

 はあ、と大きなため息をつく。

「デートしようなんて言うし、なんか嫌な予感がしたんだよな。もう、わかったから、さっさと、棚橋さんのところに戻ればいいよ」

 ドアに向かう高春の背中に、

「……私、そういうタイプじゃないよ」

 ベッドに座り、話を聞いてと手招く。素直に隣に座った彼の手を握って、

「ほら。手震えてるでしょ。なんかね、いざあんたとって思ったら、体が勝手に震えてくんの。すごく緊張して、心臓が飛び出そう」

 まだ怪訝な顔の高春に、

「この前、家に戻ってきたらって涼介に言われて、とても嬉しかった。子供たちも私を許してくれて、また一緒に暮らしていいんだって思ったら、どうしてかな。高春のことばっかり考えちゃって。離れたくないなって、頭バグってるのかもしれないけど、愛しいなって思って」

 やっと私の方を見た彼に、

「でもね。変な性癖とかあったら困るでしょ。私、痛いのとか、変態みたいなこと苦手だから、先にちゃんと確かめたいなーっと思っただけ」

「……俺を選んでくれたの?」

「そうだよ。この世界線の私の気持ちとはまだシンクロしてないと思うけど。家族より高春を選んだこの世界線の私が、望んだ通りに生きるのも悪くないなと思ったの」

「柚ちゃん、ありがとう」

 私をぎゅっと抱きしめる。

「結婚しよ」

「……それはまた、時期を見てからね」

 キスされて、服を脱がされる。いや、ちょっと待て。

「そうそう。聞きたいことあるんだけど」

「そんなの後で」

 高春は勢いよくセーターを脱ぐ。

「ちょっと止まりなさい。詩音ちゃんの話の中で、一部気になる発言があったのを思い出した。松波さんに、詩音ちゃんと高春がキスしたと誤解されたって聞いたんだけど、どういうことか説明してくれるかな」

「え、してないよ」

「でも誤解させたんでしょ?」

 何それと、高春は腕を組んで、

「ああ。詩音ちゃんの顔に絵の具が付いてたから、ハンカチで拭いてあげたんだよ。きっとそれだと思う」

「なるほどね」

 私は高春のシャツの首をつかんで、

「今後はそういう、誤解されるような言動には注意してくださいね」と言って、自分の方に引っ張りキスをした。


and side


 俺は安堂佐助。今日で30歳になる。

 プレゼントをくれるような彼女はいないけど、今日の仕事が終わったら友達が酒を奢ってくれるらしい。まあ、そういう誕生日も悪くない。いや、決して強がりじゃないよ。

 夕暮れの街、いつもと同じルートでバスを走らせる。年の瀬も近くなると、乗客の少ないこの路線でさえ土日は人が増える。

 駅のロータリーにバスを止め、降りる人たちに声をかける。

 あの事故に遭ってから、俺の中で何かが変わった。前はもっと、色んなことが簡単に思えて、毎日つまらないと投げやりになっていた。バスの運転は、慣れてしまえばどこを走っても同じだし。毎日同じような場所を同じように走って終わり。家に帰っても、せいぜい映画を見るぐらいで、生きがいなんて見つけようがない。そう思ってた。

 それがあの事故で一変した。

 こんな大きなバスが横転したのだ。そりゃ驚くだろう。

 俺は左腕の骨折と打撲、軽い切り傷で済んだが、おばあちゃんたちが二人とも足を折って、入院することになってしまった。それでも、他の人は頭を打ったりしたものの軽傷で、あんなに大きな事故だったのに、そこまで怪我の重い人がいなくて不幸中の幸いだと同僚たちに言われた。

 会社から、半年ぐらい事務で働いてほしいと言われて仕方なく本社に通っていたが、今月からやっとまた運転士の仕事を再開した。

 あんなにどうでもいいと思っていた仕事が、今は楽しくて仕方ない。

 普通に過ごすことが当たり前じゃないこと。昨日と同じ明日があるなんて、俺はもう思わなくなった。

 バスの乗客とも一期一会。

 こんな風に、新鮮な気持ちで毎日を送っている。

 あの事故は、俺にとっては反省と気づきのきっかけになった。起こって良かったとは決して思わないけど、結果的に成長できたので、感謝の気持ちが自然と湧き起こる。

 気がつけば出発まで、あと10分。

 缶コーヒーでも飲もうとバスを降りる。

 乗客の列を何気なく見ていたら、ふと知ってる顔を発見した。

 あれは、ユーチューバーのエルちゃんじゃないか?

 最近、配信が止まって心配してたんだけど、なんだ、元気そうで良かった。コメントに整形とかめっちゃ書かれてたけど、あんなに可愛いなら整形でも全然いいじゃん。

 それから隣にいる、清楚な感じの女の子を見て、思わずあっと声が出た。

「……沢渡、詩音さん?」

 ゆっくり近づいて顔を見る。やっぱりそうだ。彼女は俺を見て、何度か瞬きをした。少し神経質そうだけど、人の良さそうな笑顔で、

「はい。そうです」と返事をした。

「ああ、覚えてないかな。安堂です。前に映画館で隣に座って、俺あなたのポップコーンを蹴飛ばしちゃって」

 俺の欠点は、大袈裟な身振りと落ち着きの無さから来る失敗の多さだ。いわゆるドジってやつ。飲み物をこぼしたり、トレイをひっくり返すのは日常茶飯事。物忘れも多くて、脳の障害を疑われるほどだ。

「……弁償しようと思ったら、ちょうど持ち合わせがなくて。それで連絡先だけ交換させてもらったんだけど。……覚えてないですか?」

「すみません。記憶にないです」

 丁寧にお辞儀をされて、ああ脈なしかとガッカリした。

 あの事故に遭った日、実は詩音さんとデートの約束をしていたのだ。いや、デートは言い過ぎた。ポップコーンのお返しにお菓子を渡そうと思って、わざわざ駅まで来てもらっただけだ。

 そこでまた俺のドジが発生。あと一本、乗務が残っていたのをすっかり忘れて、しかもプレゼントまで会社に置きっぱなしで、詩音さんには無理を言って、自分の運転するバスに乗ってもらったのだ。

 そしてあの事故。そりゃあもう、俺なんかとは会いたくないだろう。

「そうですか。お話し中に失礼しました」

 頭を下げた後で、エルさんと目が合う。

「あの、エルさんですよね?」

「あ、はい」

 愛想よくニッコリ笑ったエルちゃんは、とても可愛い。つい調子に乗って、

「良かったらサインとか……」

「あー、私もう動画辞めちゃったんですよ。でもこの子が代わりに、なんか始めるみたいで」

 詩音さんをぐいっと前に出して、

「知り合いみたいだし、良かったら推してやってください。また私のチャンネルで動画を紹介するので、その時にでも」

「あ、そうなんですね。了解です」

 俺は詩音さんを見て、何の動画ですかと尋ねた。すると、

「パラレルワールドをテーマに、短編映画を作りたいと思ってて。タイトルは」

 リスタートを違う世界線で。

「リスタート」

 何となくピンときて、

 実は半年前にバス事故を起こしてから、ちょっと人生観変わったんですよ、と言うと二人がえーっと大声を出した。


end

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ソルト&シトラス - リスタートを違う世界線で - 千花 @Chihana229

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