婚約者との面会

「ふう……」


 車窓から外の景色を眺め、僕は深く息を吐く。

 馬車は、ヴァルロワ王国の北西の国境のその先にある、港湾都市“ノルマンド”へと向かっていた。


 そう……いよいよ僕は、アビゲイル皇女と面会し、婚約の調印式を行う。


 なお、ノルマンドはかつてヴァルロワ王国の領土の一部だったけど、先の戦によってストラスクライド皇国に奪われてしまった。

 それどころか、その周辺にある都市カレスも占領され。このままでは更なる被害が出ることを危惧し、五度目の休戦協定を結び、僕とアビゲイル皇女の婚約を行うことが成立したのだ。


 王国からすれば、要らない王子の身体一つで王国への不可侵の約定を取り付けることができたんだから、万々歳だよね。

 逆に言えば、この婚約に失敗すれば再び攻め入られ、下手をすれば王都にまで被害が及ぶかもしれない。


 だからこそ、僕の乗るこの馬車は、フィリップと王宮騎士団によって厳重に守られていた。

 僕からすれば、最後の最後までアイツ等の顔を見ないといけないんだから、嫌がらせにしか思えないけど。


「ギュスターヴ殿下……王国の未来は、全てあなた様にかかっております。どうか、よろしくお願いします」


 僕の向かい側に座る聖女のセシルが、アクアマリンの瞳を潤ませて僕の手をそっと握り、懇願する。

 聖女は、リアンノン聖教会の代表として調印式に立ち会うことになっており、そのために同行しているのだ。


「聖女様……ですが、僕にそのような大役が務まりますでしょうか……」


 僕はわざと、不安を隠しきれない様子で顔を伏せた。

 王都を発ってからここまでの間、セシルは馬車の中で僕に二つ指示をした。


 一つは、王国の諜報員が入手困難な皇宮の内情について、つぶさに報告を行うこと。


 もちろん、その連絡役は僕と一緒に皇国に移ることになる、専属侍女のマリエットが務める。

 同じく馬車に同乗していたマリエットは、まるで何も知らないといったていで、渋々受け入れるという演技を見せた。


 もう一つは、アビゲイル皇女の夫としての権限……特に、皇国内の各都市に独断で命令を下せる権限を早急に手に入れること。


 そのためには、アビゲイル皇女を籠絡ろうらくして利用するようにとのことだけど、はっきり言ってかなりの無理難題だ。

 でも、セシルは『王国のために、やっていただくほかありません』と、聞く耳を持たない。

 マリエットも『自分も協力するから』と、打って変わってやる気を見せている。


「大丈夫です。ギュスターヴ殿下なら、きっと果たすことができます」

「そうです! 殿下なら、必ず!」


 聖女とマリエットがずい、と身を乗り出した。

 そういえば、一度目の人生・・・・・・の時は、この二人の顔が近くて照れつつ、受け入れたんだよね。二人共、顔面だけはいいから。穴があったら入りたい。


「……分かりました。必ず成し遂げるとお約束はできませんが、自分にできる精一杯のことをします」

「はい……はい……っ」


 手を握る力を強め、セシルは感極まって涙をこぼす。

 よくもまあ、器用にこんなことができるもんだよ。


「むう……ギュスターヴ殿下、到着しましたよ!」


 僕とセシルのやり取りに、口を尖らせたマリエットがそう言うと、セシルは恥ずかしそうに慌てて手を離した。

 まるで、僕に気があるような素振りを見せて。


 早くこの女共を地獄に突き落としてやりたいけど、まだ我慢。コイツ等が絶望するのは、全ての準備が整ってからだ。

 そのためには、セシルの指示ではないけどアビゲイル皇女の信頼を得ないと。


 僕は馬車から降りると、ギュ、と拳を握った


 ◇


「それでは、時間までこちらでしばらくお待ちください」


 皇国の者に案内された応接室で、僕はアビゲイル皇女との面会の時を待つ。

 いよいよ彼女と会うことになるのかと思うと、僕は緊張と不安、それに罪悪感で胸が苦しくなる。


「……すみません。ちょっと席を外します」


 聖女とマリエットの断りを入れ、僕は席を立って応接室を出た。


「ハア……」


 彼女に会ったら、どんな顔をすればいいのだろう。

 会いたい気持ちと会いたくない気持ちがぶつかり合い、どうしていいか分からなくなる。


 でも……こんな言い方をしたら悪いけど、王国に復讐するためには、アビゲイル皇女の力を借りるしかないのも事実。

 だから、一度目の人生・・・・・・と同様、なんとしても彼女との結婚を取り付けないといけないんだ。


 すると。


「失礼いたします。ギュスターヴ殿下、でよろしいでしょうか?」


 声をかけてきたのは、藍色の髪と藍色の瞳をした、一人の女性使用人。

 僕は、彼女のことを知っている。


 アビゲイル皇女に仕える侍女、“クレア=コルベット”だ。


 一度目の人生・・・・・・において、彼女はいつもアビゲイル皇女に付き従い、そのとして支えてきた姿を今でも覚えている。

 まあ……僕はクレアにはことほか嫌われていたけど。


 今から思えば、一度目の人生・・・・・・で僕が受けた暗殺未遂事件のうち、いくつかはクレアが関与しているかも。

 今回・・は、彼女から狙われないようにしないと。


「……私の顔に、何かついておりますでしょうか」

「え? ……あ、ああいえ、なんでもありません」


 いけない。物思いにふけってしまい、不審がられている。

 ただ、クレアには初対面から僕は嫌われていたんだな。取りつくろってはいるものの、彼女の隠しきれていない不機嫌なまなざしから、それがよく分かるよ。


「それで、僕はギュスターヴに間違いありませんが……」

「婚約の調印式の準備が整いましたので、ご案内します」


 クレアはうやうやしく一礼すると、応接室にいたセシルとマリエットと共に僕達を案内した。


「こちらが、本日の調印式を執り行う部屋となっております」


 扉を見つめ、僕はゴクリ、と唾を飲み込む。

 この向こう側には、アビゲイル皇女がいるんだ。


 そして。


「あ……」


 控えていた騎士の手によって扉が開け放たれたその先にいる、金色こんじきの髪と真紅の瞳の、一人の少女。


 ――僕の婚約者、アビゲイル=オブ=ストラスクライドがそこにいた。

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