気づいた心遣い

 控えていた騎士の手によって扉が開け放たれたその先にいる、金色こんじきの髪と真紅の瞳の、一人の少女。


 ――僕の婚約者、アビゲイル=オブ=ストラスクライドがそこにいた。


「あ……あああ……っ」


 視界がにじみ、口からこぼれる声が震える。

 間違いない……あの日・・・目の前で失った、アビゲイル皇女が確かにここにいた……っ。


「ああああああああああああ……っ!」

「っ!? ギュ、ギュスターヴ殿下!?」

「ど、どうなさったんですか!?」


 突然泣き崩れたことで、そばに控えていた聖女とマリエットが困惑しているが、そんなことはどうでもいい。


 ただ……ただ、僕は嬉しかった。


 あの日・・・の彼女に再び出逢えたことで、ここに来るまであった不安や罪悪感はどこかへ消え、今この僕の胸にあるのは、ただ彼女への想いだけだった。


「も、申し訳ありません。ギュスターヴ殿下は、婚約者となられますアビゲイル殿下の美しさに、感激してしまわれたようです」

「「「「「…………………………」」」」」


 聖女は慌てて取りつくろうが、皇国側の出席者は怪訝けげんな表情を浮かべたままだ。

 こんな女はどうでもいいが、僕がアビゲイル皇女との婚約に不満があるなんて勘違いされるわけにはいかない。


 僕は数回深呼吸をしてたかぶった気持ちを落ち着かせ、ぐい、と涙を拭うと。


「アビゲイル殿下、申し訳ありません。聖女様がおっしゃったように、僕はあなたにお逢いできた喜びで感情を抑えきれませんでした」


 胸に手を当て、ニコリ、と微笑んで謝罪した。

 皇国側の人間は何か言いたそうにしているが、アビゲイル皇女は表情を変えずただ真っ直ぐに僕を見つめている。


「コホン……ギュスターヴ、心配したよ」


 咳払いをし、声をかけてきたのは第二王子のルイだった。

 この男は、ヴァルロワ王国の外交を任されているのだから、ここにいるのも当然か。だけど、心にもないことを言われてもただ不快なだけだ。


「皆様、お騒がせしました。それでは、アビゲイル殿下とギュスターヴの婚約の調印式を執り行いましょう」


 ルイの合図で、調印式が粛々と行われる。

 といっても、婚約に関する内容……ヴァルロワ王国から僕の籍が外れ正式にストラスクライド皇国の一員となることや、婚約成立に伴う祝儀として占領されたヴァルロワの領土の一部が返還されることなどをつらつらと読み上げるだけだが。


「……ギュスターヴ殿下、こちらに署名をお願いします」


 調印式の進行役を務める聖女のセシルが、調印書を僕の前に差し出した。

 既にアビゲイル皇女のサインが記入されており、僕がサインすれば正式に婚約が成立する。


「…………………………」


 隣の様子をうかがうと、アビゲイル皇女がジッとこちらを見つめていた。

 僕がこの婚約を嫌がってサインを拒否するのではないかと、そう思っているんだろうか……。


 彼女に向けて微笑みを返して頷くと、調印書に署名する。

 その瞬間、アビゲイル皇女はほんの少し口を開いたかと思うと、視線を逸らしてしまった。


 ……やっぱり彼女も皇国の他の者達と同様、僕との婚約は望んでいなかった、ということなのかな。


 あの日・・・彼女が告げようとした言葉は、ひょっとしたら僕の考えているようなものではないのかもしれない。

 というか、どうしてそのことに考えが及ばなかったんだろう。


 いずれにせよ、王国に復讐するためには、彼女の力が必要不可欠なんだ。

 なら、僕がすべきことは、彼女に少しでも信頼してもらうだけ。やることは少しも変わらない。


 大体、一度目の人生・・・・・・であれだけ彼女のことを拒絶したくせに、虫が良すぎるんだよ。


 そのことに思い至り、僕は自虐的な笑みを浮かべた。

 心の奥底にあった、粉々に打ち砕かれた淡い期待を覆い隠して。


 ◇


「アビゲイル殿下と我が弟ギュスターヴへの祝福と、両国の平和と繁栄を記念して、今夜は盛大に祝いましょう」


 ルイの挨拶の後、僕とアビゲイル皇女の婚約記念の晩餐会が幕を開ける。

 とはいえ、調印式の出席者は限られていたため、人数は精々百名程度であり、両国の王や王族のほとんどが出席していない。


 なので、アビゲイル皇女と僕を除けばこの場にいる王族はルイだけということになり、あの男が挨拶をするのも仕方がない。

 あんな奴にこのような大役を任せること自体不満ではあるけど、これで向こう当分の間は顔も見ずに済むのだから、今日一日くらい我慢するとしよう。


 それよりも。


「ギュスターヴ殿下、お口に合いますでしょうか」


 隣に座るアビゲイル皇女が、おずおずと尋ねる。

 調印式もそうだが、今日の晩餐会は全てストラスクライド皇国が準備してくれたものだ。


 だけど……この晩餐会は二度目・・・のはずなのに、驚きを隠せないでいた。

 運ばれる料理の数々がとても豪華だということもあるけど、何より、僕の好物ばかりが用意されているのだ。


 一度目・・・の時だって、同じものを用意されていたはずなのに、こんなことにも気づかなかったなんて、本当に馬鹿だ。


「アビゲイル殿下……僕は生まれてこれまで、こんなにも嬉しい心遣いをいただいたのは初めてです。本当に、ありがとうございます」

「あ……」


 僕はアビゲイル皇女に向き直り、深々と頭を下げる。


 だけど……勘違いしてはいけない。

 これは政略結婚であり、彼女の想いが僕にはないことは、先程の調印式で思い知ったじゃないか。


 それからも、晩餐会は表面上こそ和やかに進むが、この会場には明らかに張り詰めた空気が漂っている。

 ついこの間まで百年来の天敵同士だったのだから、当然といえば当然か。


 アビゲイル皇女も、時折僕の様子をうかがうものの、料理について尋ねてきたあの一度きりで、以降は一度も目を合わせてはくれなかった。


 いずれにせよ、あの日・・・まではあと三年。

 それまでに、何としてでもアビゲイル皇女と信頼関係を気づかないと。


 僕の大好物である、鹿のグリルを口に含んで考えていると。


「ギュスターヴ、おめでとう」


 ワイングラスを片手に、ルイがにこやかな表情を浮かべてやって来た。

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