専属侍女

「この身の程知らずが!」

「うう……っ」


 第三王子のフィリップが、訓練場でうずくまる僕の顔に唾を吐きかける。

 あの騎士との立ち合いの結果を聞き、激怒したフィリップが意趣返しとして僕に立ち合いを強要したのだ。


 報告をしたのは、どうやらバラケ副団長のようだ。

 まあ、部下の一人が命を落としてしまったんだ。僕を憎むのも当然だし、かといって手出しできないんだから、さらに上の者を使って仕返しをするのも目に見えていた。


 だから、この結果も想定どおり……いや、狙っていたとおりで嬉しいよ。


「貴様のような屑が、栄えある王宮騎士団の騎士の命と釣り合うと思っているのかッッッ!」


 よく言うよ。


 釣り合っていないからこそ、オマエは僕を殺すこともできず、わざわざ服に隠れて見えない箇所ばかりを打ち据えたんだろう?

 もし僕の顔に傷をつけたりなどしたら、三か月後の婚約式が台無しになり、下手をすれば休戦協定そのものが反故にされてしまうから。


 それに、散々馬鹿にしてきた第六王子の僕よりも騎士が弱いなんて、認めたくないことも分かってるよ。

 僕という人間が無価値で害にしかならない存在であることを、オマエ達は肯定し続けなければならないんだから。


「次はないと思え!」

「あぐ……っ!?」


 僕の腹に蹴りをお見舞いし、鼻を鳴らして訓練場から立ち去るフィリップ。

 這いつくばる僕の姿に、副団長をはじめ騎士達は納得こそしないものの、これで溜飲を下げるつもりのようで、フィリップに敬礼した後、何事もなかったかのように訓練に戻った。


 だけどまあ、おかげでフィリップと手合わせできたんだから、痛みの代償としては充分だ。


「あは、は……」


 僕は嬉しくなって、思わず笑みをこぼす。

 だって、現時点のフィリップの実力は、少なくとも三年後の僕・・・・・よりも劣ることが分かったから。


 皇都襲撃のあの日・・・、総指揮官のルイが率いる王国軍の先駆けを担ったのはフィリップだった。

 王位継承争いにおいて、ルイの下につかなければならないフィリップにとっては屈辱的だっただろうが、この二度目の人生・・・・・・においてもそうなる可能性が高い。


 もちろん襲撃すらさせずに叩き潰すつもりではあるけれど、ほふる相手の実力を把握することはとても大事だからね。


 だけど安心したよ。

 今後三年間の伸びしろを加味しても、おそらくフィリップの実力は今で頭打ちだろうし、これなら僕が後れを取ることはなさそうだ。


 もちろん、あの男・・・の足元にも及ばないだろうね。


「う……く……っ」


 痛む身体を無理やり起こし、僕は足を引きずって訓練場を後にする。

 そんな僕を見て、愉快そうにわらっている者、顔をしかめて唾を吐き捨てる者、興味がないとばかりに無視を決め込む者。騎士達の反応は様々だ。


 だけど、共通しているのは僕のことが憎いということ。

 何せ、三か月後には敵になる不義の子に、仲間を殺されたのだから。


 亀のような遅さでようやく部屋にたどり着くと、僕はベッドの上に身を預ける。

 傷の手当をしたいところだけど、使用人達が手を貸してくれるとも思えない。なら、少しでも痛みが引くまで休んでおきたい。


 そう、思っていたんだけど。


「し、失礼します……って!?」


 部屋にやって来た、一人の使用人。

 ああ……そうだった。彼女が来るのは、今日だったな。


「ギュ、ギュスターヴ殿下、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……大丈夫、だよ……」


 すぐに駆け寄り、心配そうな表情を見せる彼女の名は、“マリエット=ジルー”。


 ジルー伯爵家の次女で、ウェーブのかかった栗色の髪にヘーゼルの瞳、少し幼さの残る顔立ちの彼女は、本日付で僕の専属侍女となった……はず。

 一度目の人生・・・・・・で、おどおどした様子で挨拶をしに来たっけ。


「そ、それで……君は一体……」

「あ、も、申し遅れました! 私はマリエットと申します! 本日から、ギュスターヴ殿下のお世話をさせていただくことになりました!」


 わざとらしく尋ねると、マリエットは慌ててお辞儀をした。


「だ、だけど、僕は三か月でいなくなるっていうのに、今頃なんで……」

「あ……その……実は、私も殿下と皇国にご一緒することになりました……」


 マリエットは、落ち込んだ様子でうつむく。

 そう……彼女は、僕に付き添って皇国で暮らすことになるのだ。


 これは、さすがに僕一人を皇国に送ることは体裁が悪いとして、お付きの者を王国が用意したもの。

 つまり、マリエットは人身御供ひとみごくうにされたということだ。


 もっと身分の低い者をあてがえばいいと思うかもしれないが、王族に仕えるということとなると、それなりの地位にいる者でなければ逆に疑われてしまう。

 仮に素性を偽ったところで、王国内に諜報員を放っているストラスクライド皇国なら、すぐに看破するだろう。


「そ、それより、今すぐ手当いたします!」

「あ……」


 マリエットはそそっかしく部屋を飛び出したかと思うと、包帯や消毒用のアルコールなどを持ってすぐに戻ってきた。


「痛……っ」

「し、沁みますが、我慢なさってください」


 傷口を消毒し、包帯で塞ぐマリエット。

 甲斐甲斐しく僕の世話をするその姿は……いや、僕への接し方は、他の使用人達とは明らかに違った。


「ふう……終わりました」

「あ、ありがとう……」

「い、いえ! 私はギュスターヴ殿下の侍女なのですから!」


 慣れないことをしてもらったためか、僕は少し照れながら感謝の言葉を告げると、マリエットは顔を真っ赤にしてわたわたとする。

 彼女の反応に、僕はクスリ、と笑うと。


「マリエット……これからよろしくね」

「は、はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!」


 マリエットはまた、深々とお辞儀をした。


「そ、それでは、何かございましたら、呼び鈴でいつでもお呼びくださいませ!」

「うん」


 恭しく一礼し、彼女は部屋を出て行く。


 僕は……。


「あははっ」


 マリエットの……あの女の背中を見つめ、気づかれないようにわらった。

 どうしてかって? そんなの決まっている。


 だって、今回の件でマリエットは、僕が彼女に少なからず好意を持ったと勘違いしただろうから。

 この二度目の人生・・・・・・では、そんなことは絶対にあり得ないのに。


 マリエット=ジルーという女は、三年後の皇都襲撃において重要なカギの一つであり、真の立役者だ。

 一度目の人生・・・・・・において、聖女の使いとして皇国内における唯一の味方であると信じ込ませ、この僕をいいように騙してアビゲイル皇女の夫としての権限を最大限利用し、皇都襲撃の段取りを整えたのだ。


 ちょっと優しくされたくらいで気を許した僕が馬鹿なのは百も承知が、それでも……僕にとって初めて触れた人の温もりだったんだ。

 まあ、全ては聖女が用意した偽りだけどね。


 だからこそ。


「……僕は絶対に、あの女・・・を許さない」

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