第2話 エルハルト視点

2 エルハルト視点



◇◆◇◆



私の名前は、エルハルト・アーヴァイン。一応は辺境伯である。

父が引退をして、辺境伯を継いだのは良いのだが・・・。


世の中には、無駄な事が多すぎる。今日のパーティーなど、その最たるものだ。

デビュタントのダンスパーティーなど、私が出席しなくても勝手にしてくれれば良いものを・・・。


お爺様が先々代の王弟という縁もあって、王陛下が何かと口うるさい。

最近では結婚を勧めてくる始末。無理だ・・・。

そうで無くとも令嬢達のお相手をするのは、骨が折れる。黄色い声や押しつけがましい笑顔にはうんざりだ。


(さっさと王陛下に挨拶をして、帰ろう)

そう思いながら、パーティー会場を歩いていると令嬢から声を掛けられる。

(あぁ、面倒だ。)


「失礼、陛下へ挨拶に参るところですので。」そう言って令嬢を躱す事、5回目だ。


やっとの思いで陛下の元に辿り着く。

「王陛下には、ご機嫌麗しく存じます。」と挨拶をすると


「ハルト、眉間の皺が一段と凄い事になっているぞ。」王陛下が苦笑いをする。


「何故そうなるのか、考えて下さいませんか?」


「はぁ・・・女嫌いは、一生直らないのか。」と皮肉を言われた。


少しの談笑を後にパーティー会場を抜け出ようとしていた時、嫌なものを見てしまった。

多分今日がデビューであろう令嬢のドレスに、どこかの令息がワインをかけているのだ。

貴族としての品格を問いたい。


淡いクリーム色のドレスが台無しだ。

令嬢は気付かずに、ケーキを口に入れようとしている所だが・・・見るに堪えない。

私は怒りのままに、その令嬢の手を掴み庭園へと連れ出した。


ふと令嬢の方を振り返る。令嬢は、ケーキ皿に乗ったケーキのバランスを気にしながら目をパチパチと瞬いていた。


「いきなり申し訳ありません。」私は取り敢えず非礼を詫びると、令嬢はふるふると首を動かしていた。


「言いにくい事ですが、ドレスの後ろが汚れています。先程話をされていた男性が、そっとワインをかけるところを見てしまいました。」


私が状況を伝えると、令嬢は小さな身体を器用に捻って後ろを見る。


面倒事に巻き込まれる前に退散しようとした私に

「有り難う御座いました。早めに知れて助かります。父に恥をかかさずに済みます。」

少しハスキーボイスで、高すぎない声の令嬢は丁寧にお辞儀をして、立ち去ろうとした。


そんな姿で何処に行こうとするのか・・・私はアンを呼びストールを持って来させた。

「これで隠せると思いますが、挨拶を済ませ早々に退席した方が宜しいかと。」

私は令嬢の背中にストールを掛けて、立ち去った。


今まで見てきた令嬢とは違う・・・騒ぐ事なく、喚く事なく、淡々と礼を言って去ろうとした。

そんな女性は初めてだった。

私は少しの興味を持ち、一緒に来ていた侍女のアンに彼女の事を調べる様に言って、会場を後にした。



その後、3ヶ月に渡ってアンから報告を受ける。


あの日・・・皿に乗っていたイチゴのタルトを、庭園の隅っこで食べていた事。

それだけでは足りなかったのかドレスの後ろを気にしつつも、会場に戻り他のケーキも食べた事。

彼女の名前はパトリシア嬢と言う事。

子爵の令嬢だが母親が平民で、家庭内で虐められている事。

ドレスにワインをかけたのは、姉の婚約者で伯爵家の3男ジェイガンである事。

その伯爵家の3男ジェイガンが婿入りをして、子爵家を継ぐという事。


アンからの報告が入る度に、不快な気分になる。・・・と同時に、パトリシア嬢の事が気に掛る。


「この際、エルハルト様が妻に迎え入れて差し上げては?」

アンが大胆な発言をする。


「エルハルト様は、ご結婚する気は無いのでしょう?でも回りが五月蠅い筈です。ならば飾りでも妻が必要なのでは?白の結婚だとしても、パトリシア様は今の現状からは救われます。家格差はあれど、相応の待遇で迎え入れれば子爵も文句はないのでは?」


「確かにそうかも知れない・・・。だが、パトリシア嬢の気持ちを無視するのか?」


「でしたら、婚約者では?パトリシア様が、嫌がるようなら解消すれば良いし。そうで無ければ結婚をすれば良いのでは?」


アンの後押しの言葉に、喜びを隠しつつ聞いた。

「本当にそれが良いと思うか?」


「はい。勿論です。誰にも損がないじゃないですか。パトリシア様には私が付きますので。」

と言いながらアンはほくそ笑んだ。


そうと決まれば話しは早い。アンは仕事の出来る人間だ。

子爵への婚約の申し込みと了承。パトリシア嬢を迎える為の屋敷の準備。

その日を迎える時が近づくにつれ、何故か胸が苦しくなり、私の鼓動も早くなって行く・・・。



とうとうこの日が来てしまった。パトリシア嬢を迎えに行く日が・・・。

私は胸の苦しみを解決出来ないままに、その日を迎えてしまった。


馬車が到着し、子爵家を訪れる。


「ようこそいらっしゃいました。」

子爵夫人の挨拶に思う。この声が嫌なのだ。甲高い含みを持った様な声・・・。顔が険しくなる。


子爵と夫人の後ろから

「初めまして、オンズロー子爵家のパトリシアと申します。」

パトリシア嬢が、カーテシーをして顔を上げた瞬間「あっ・・・。」と声を出す。


・・・・・・可愛い。パトリシア嬢が声を上げた瞬間に思った。

(あっ・・・と声を上げた所を見るに、私の事を覚えてくれているのだと思う。)

ダメだ。顔が緩んでしまう。私は眉間に力を入れて無表情を装った。


お茶でもいかがですか?とジェイガンから誘いを受けるが、面倒な事は御免だ。鬱陶しい挨拶など受けたくはない。

私は早々にパトリシア嬢を馬車へと促した。


タウンハウスまで20分位なのだが、(しまった。会話が思い付かない。何を話せば良いのか・・・。)

と思っている内に到着してしまった。


屋敷へ到着するなり後は任せろと、アンがパトリシア嬢を部屋へと案内をする。


今日は初日だ。晩餐のメニューはこれで良いのか?パトリシア嬢は、部屋を気に入ってくれるか?

そわそわと落ち着かない様子の私に、準備が出来たのでパトリシア嬢を部屋まで迎えに行けとアンが言った。


部屋の前で呼吸を整え、扉をノックする。ガチャリと扉を開けると、ソファーに俯していたパトリシア嬢の身体がピクリと跳ねた。


「失礼。」慌てて扉を閉めた。


・・・・・・可愛い。

初日で緊張しているかと思いきや、転た寝をしていたとは・・・何と剛胆な人だ。

それにしても、寝起きの少し惚けた顔の可愛い事よ。


私は少し間を置き再びノックをし「宜しいか?」と声を掛けた。


「どうぞ。」パトリシア嬢のハスキーボイスが聞こえて、扉を開いた。


「晩餐の準備が出来たので、迎えに来ました。ご一緒致しましょう。」と腕を出した。

パトリシア嬢が私の腕に控えめに手を添えると、胸の鼓動が早まった。


私はパトリシア嬢をダイニングホールへ案内をし

「食事の好みが合えばよいのだが・・・。」と言ったきり、無言の食事が始った。


これ以上どうして良いものか分らない。取り敢えず「どうだ?」と聞いてみた。

パトリシア嬢は、「とっても美味しいです。」と笑みを浮かべて言った。


パトリシア嬢の言葉に、テーブルの下で拳を握り(やった。)と思う・・・。

またしてもパトリシア嬢の笑みを見て、胸がドクンと鳴る。


食後のお茶の時に、パトリシア嬢は意外な事を口にした。

「辺境伯様、ありがとうございます。」


私は緩みそうになった表情を引き締め

「怒ってはいないのか?勝手に婚約者を決められて、私の様な不器用な男に嫁がされる事になって・・・貴方が嫌がる事はしない様に務める。」


この屋敷で安心して過ごして欲しいと思い、そう言ったのだが後が続かない。

取り敢えずは、忙しくなるという事だけを告げて気不味い初日に終わってしまった。


パトリシア嬢が屋敷に来てからは、毎日の様にアンから報告を受ける事にした。

淑女教育の進み具合や、今日のパトリシア嬢の過ごし方まで。

気が付くと毎日の報告を楽しみに待っている自分がいる。

そして翌日の朝食の時間に、前日の報告とパトリシア嬢を重ねて見る。


そうした日々を数ヶ月過ごしたある日、

「パトリシア様が庭に花壇を作っても良いかと、ご相談が御座いました。」との報告を受ける。


私はそれを許可し、アンに協力をするようにと申しつけた。


翌日の報告では、アンは饒舌に1日を語ってくれた。


「パトリシア様は、ベゴニアとアリッサムを交互に睨んで・・・それはもう可愛らしくて。お支払いを自分でするつもりだった様です。お財布の中身と相談していたのでしょう。エルハルト様が支払うと申しますと、目をまん丸にして驚いていらしゃいました。」


「また、私の一存でワンピースなどを購入致しました。その際にサイズをきっちりと測っておりますので、ドレス等のプレゼントにお役立て下さい。」


「次に、品質管理費を預かっているので欲しいものは無いかと尋ねた時にお茶とスイーツを購入なされ、メイド達に振る舞われておりました。」


「メイド達に?」私が怪訝な顔をすると


「はい。仲良くなりたかった様ですが、メイド達が恐縮しすぎて・・・ショボンとなり、謝られていました。ショボンの姿は是非エルハルト様にも御覧頂きたかったです。因みに空気は私が打開し、楽しいティータイムを30分程過ごしました。私が思うにパトリシア様は、メイドでも良いからこの屋敷に残りたいと思っているのではないかと。」


「最後にとっておきを報告致します。パトリシア様に侍女とメイドの格差に付いてご説明を致しました。その際、私が伯爵家の娘である事も。メイドの待遇が悪い家では、体罰もあると申し上げますと・・・

何て言ったと思いますか?


『辺境伯様から、罰がありましたら私に回すようにお願いします。・・・アン様。』ですよ。


私が伯爵家の娘だと言ったからだと思いますが、上目遣いに『アン様』とは。萌えしかありません。私、爆笑してしまいました。勿論『アンで結構です。』と言っておきました。明日の午後から、花壇作りを致そうと思っております。臨時で庭師を雇っても宜しいでしょうか?」


私が承諾すると、アンは嬉々として報告を終えた。

できれば私も、上目遣いに名前を呼ばれてみたいものだと思う。


明日の朝食を楽しみに思い、自覚する。

(私はパトリシア嬢に恋をしているのだ。今まで令嬢に少しの興味も湧かなかった私が・・・私がパトリシア嬢と接する、少しの時間。朝食の時間を待ち遠しく思う。彼女の一言一句を聞き逃すまいと・・・彼女が見せる表情を胸に刻もうとする。何時からだろう・・・?初めての晩餐で『とっても美味しいです。』と言った時か?晩餐に迎えに行った時、寝起きの彼女を見た時か?子爵家に迎えに行った時に、『あっ』という声を聞いた時か?嫌、出会ったあの日ダンスパーティーの日。ケーキを落とすまいと皿のバランスをとる姿、お礼を述べるハスキーボイス。あの瞬間から私は恋に落ちていたのだろう。)


アンには、お見通しだったと言う事か・・・。


翌日から、パトリシア嬢が花壇を作り始める。

忙しい仕事の合間にも、書斎から見える庭で楽しそうに花壇に花を植える愛らしい姿に癒やされる。

そんな平和な日々を送っていたのだが・・・。


子爵家から訃報が届いた。

パトリシア嬢、唯一の肉親である子爵が亡くなった。


パトリシア嬢に同行して、オンズロー子爵の屋敷を訪れる。パトリシア嬢の姉が急いで婚姻を済ませ、子爵家を継ぐ段取りをしていた。そう・・・私の可愛いパトリシア嬢にワインを掛けた男、ジェイガンだ。

葬儀は滞りなく行われた。子爵家を去る間際、パトリシア嬢の悲痛な覚悟に満ちた顔を目にした。


タウンハウスに戻り私は成すべき事が分らず、感情をそのまま言葉に乗せた。

「大丈夫か?どうしたら良い?」


パトリシア嬢は、真一文字に閉めた口を少し緩め

「泣きたいです。」と震える声で答えた。


愛しい人の苦しむ姿に、何も出来ない自分を歯痒く思いながらも

パトリシア嬢の頭を胸に引き寄せた。声を上げて泣きじゃくる彼女に泣きつかれて眠ってしまった彼女に、胸が痛む。


あんな男・・・ジェイガンが継いだ子爵家に、私のパトリシア嬢を任せてはおけない。

パトリシア嬢をベッドへと運び、髪を撫でる。私は決意を新たに、忙しい日々を覚悟した。


翌朝早く、辺境伯の領地まで単騎で駆けると夕方には到着して両親に愛おしい人がいると報告をした。

母は涙ぐみ、「エルハルトに、こんな日が来るなんて・・・」と大げさに喜んだ。


そのまま屋敷に泊まり、翌日お爺様の元へ走る。以前より話しがあったが、断り続けていた公爵を継ぐために。


辺境伯の領地ではあるが、少し離れた場所に住まいがあり隠居暮しをしている先々代の王弟だ。


父が変わり者で辺境伯しか継がなかった為、跡継ぎがいない公爵の家。父が早々に引退をして、辺境伯のみを継いでいた私だが・・・今はパトリシア嬢を守る絶対的な権力が欲しい。


私は、お爺様に包み隠さず成り行きを話した。


「公爵を継ぐからには、しっかりと王陛下に仕えよ。」と快諾して下さった。そして・・・

「沢山子を作り、家を盤石にせよ。」と笑いながら言った。

とんでもない事を口にするお爺様に、私は顔を赤らめて頷く。


以前より発注してある、2着のドレスもそろそろ出来上がるだろう。

もちろん結婚式用のドレスと、王宮で開かれるパーティー様だ。


2日もパトリシア嬢の顔を見ていない。タウンハウスに帰り着いたのは、深夜だった。

アンから報告を受ける。昨日オンズロー子爵と夫人が、パトリシア嬢を尋ねてきたと。


このタイミングでのジェイガンの接触に、歯噛みをする。


アンは状況を事細かに説明をしてくれた。

特に、メイド達までがパトリシア嬢の事を守ろうと扉の横で待機をしていたと言った。


「パトリシア様は、愛されてますね。ナタリーとカレンの表情と言ったら・・・噛み付きそうな勢いで睨んでいましたよ。家事を一手に引き受けてくれた、アイリスも同じ気持ちだったでしょう。あんなに貴族を怖がっていたのに、流石はパトリシア様です。」


そうか・・・パトリシア嬢は、屋敷の皆にも愛されているのだな・・・って、浸っている場合ではない。

あの子爵、ジェイガンが気に入らない。やはり事を急がねばならない。


翌日、早朝から王宮へ出向いた。

王陛下に公爵の跡継ぎを公認して貰う為。そして婚姻の許可を貰う為に。


「ハルトが婚姻とか、有り得ないと思ったぞ。何度も私の見合い話を蹴っておいて・・・。パトリシア嬢か。次にある王宮主催のパーティーに連れて来い。当然私にも紹介してくれるだろう?」


王陛下の皮肉な笑顔に、私は眉間に皺を寄せて「喜んで。」と答えた。




王陛下の許可はすぐに降りたものの、公爵相続の手続きと婚姻の許可書をとるのに丸一日を要した。

今日もパトリシア嬢と会えず仕舞いか・・・夜も遅い時間だ。

屋敷へと戻り、アンの報告を受ける。


「本日は、パトリシア様が会いたいと。帰って来るまで起きて部屋で待っているそうです。何かに悩んでいるご様子でしたが、いかがなさいますか?」

アンの報告に胸が高まる。パトリシア嬢の顔が見られる。起きて待っているとは・・・何と愛おしい事か。


私は逸る気持ちを抑えながら、パトリシア嬢の部屋へ向かった。

呼吸を整え部屋の扉をノックする。


「すぐ支度をして行きますとお伝え下さい。」パトリシア嬢の声がする。


私をアンと勘違いしている様だな、と思っていると直ぐに扉が開いた。

パトリシア嬢の吃驚したような目が、私に向けられた。驚いた様子も、また可愛らしい。


私は表情に力を入れて、「宜しいか?」と尋ねた。


パトリシア嬢は、「どうぞ」と言って手を部屋のソファーへと向けた。


向かい合わせに座り沈黙が続く。パトリシア嬢の悩みとはなんであろうか?

いや、まず婚姻の話しを持ち出して、進めて行きたい。夫としてパトリシアの悩みを解決したいのだ。

自分がパトリシア嬢と結婚をしたいだけの言い訳だな。そうだプロポーズをしなければ。


エルハルトの思考の矛盾が始り、自問自答を繰り返す。

パトリシア嬢の幸せを考える自分と、パトリシア嬢を欲して止まない自分が鬩ぎ合っている。

思考の整理もつかないまま、己の気持ちが勝手に口をついて出ていた。


「パトリシア嬢には、大変申し訳なく思っているが・・・。私はもう我慢の限界だ。」


・・・・・・


「婚姻の日取りを早めたい。」

「メイドとして雇って下さい。」


パトリシア嬢と声が被ってしまった。


『えっ?!』


メイドになりたい?何故そんな事を言い出したのか、真意は分らなかったが

「取り敢えず、メイドの話は却下だ。」と伝えた。


私と結婚するのが、嫌なのだろうか?無理強いはしたくないが・・・。

私は最初にパトリシア嬢に告げた言葉を思い出した。『貴方が嫌がる事はしない様に務める。』と。

パニック状態の頭の中、喉と胸が詰まるような苦しみに言葉を出せずにいると


「何故結婚などと?私の事が我慢ならないのでしょう?」

パトリシア嬢が、眉根を寄せながら聞いてきた。少し傾けた角度の顔が、とても可愛らしい。


まずは私の雑念を払い飛ばさなければ。パトリシア嬢が何か誤解をしているようだ。


「私の話し方が、唐突過ぎた様だ。私達が婚約して8ヶ月が過ぎた。後4ヶ月近く待たなければならいのだが・・・。2ヶ月後に王宮で開かれる大規模なパーティーがある。その時には、私の夫人として出席して貰いたいのだ。」



私がパトリシア嬢の顔を覗き見ると、困っている様な・・・何やら考え込んでいる様子だ。暫くの無言が続き


「婚姻の手続きとか、面倒なことがありますが?」

実務的な事を口にした。その言葉からでは、『はい』なのか、『いいえ』なのかが分からない。


私は意を決して、改めてプロポーズの言葉を口にする。

「そこは私が何とかする。・・・私のプロポーズを受け入れてくれないだろうか?」


パトリシア嬢が少し微笑みを見せてくれた後、目を伏せて言った。

「私はお飾り妻でも、メイドでも構いません。」


違う、違う。そうじゃない。何故だか私の気持ちが伝わらない。私は渾身の勇気を振り絞り、パトリシア嬢に膝まずいた。


「違う、そうじゃない。パトリシア嬢に、私の愛を受け入れて欲しいのです。」


私が心からパトリシア嬢の事を愛おしいと思っている事が、伝わります様にと祈る気持ちでいると、パトリシア嬢が言う。


「えっ、えっ、えーっ?あっ、愛?」


「でも・・・私は美人でもなく、お金も無いし・・・これといった取柄もございません。」


パトリシア嬢は、激しく動揺して狼狽えている。

そんな彼女も愛おしい。

 

一瞬湧き上がった扇状的な気持ちを、宇宙の彼方へ蹴り飛ばし遠慮がちに彼女の頬に指先で触れる。

彼女の手を取り、懇願するような顔で見る。


「宜しくお願いします。」

消え入りそうなパトリシア嬢の声と頬を紅く染めた顔が、私の心を溶かしていく。 


心を溶かしきって、現実を受け入れられるまでに数分はかかったであろう。


現状を確認したくて、私はパトリシア嬢の肩を寄せて、微笑んだ。


「辺境伯様も、微笑んだりするのですね。」


パトリシア嬢が微笑みを返してくれて、

「あっ・・・あぁ。普段は笑わないが・・・。私の顔は笑うと幼く見えるらしく、威厳が損なわれる。社交用に笑わない事を癖付けているから。あれこれ考える内に、表情が固まってしまって・・・。」

あれこれと言い訳をしながら、恥ずかしくなり顔を晒す。



それからの私は、生まれてから1番素早く行動したと思う。

パトリシア嬢の気が変わらないうちに、結婚しなければ・・・準備は整えてある。


早く!早く!早く!

パトリシア嬢を妻に迎えたい衝動のそのままに。

(事前に教会やドレスを用意しておいて良かった。)


式には私の身内だけを呼び、行われた。

母はもっとパトリシア嬢と話をしたかったらしいが、邪魔。

2人きりにしてくれ。


落ち着いたら2人で領地に遊びに行くからと説得して、タウンハウスにいつまでも居座りそうな両親とお爺様を追い出した。

早くパトリシア嬢と2人きりになりたかった。



今から初夜を迎える緊張と、やっとパトリシア嬢を私の妻に出来ると言う喜びが交錯しあって、声が震えそうになる。


「パトリシア嬢、私達は夫婦になりました。愛称で呼んでも?」


「パティとお呼び下さい。」


「パティ、ずっと貴方を独占したかった。愛しの貴方に触れたかった。抱きしめたかった。」


私は胸の奥に溜まっていたパトリシアへの思いを口にする。


パトリシアの頬に手を当て、


初めての口付けを落として、ベッドに押し倒した。

逸る気持ちと高まる欲情を抑えつつ

髪に・・・頬に・・・耳元に・・・首筋に・・・胸元に・・・ゆっくりとパトリシアの全部を味わう様に、唇を押し付けていく。


私の腕の中で、少し震えているパトリシアを壊さない様にと、

ゆっくりと優しく愛していく。時折り聞こえるパトリシアの甘い溜息が、私の高揚を一層高めていく。その夜の私は、時間の感覚もないままに朝までパトリシアと離れる事ができなかった。


翌日からアンはパトリシアを奥様と呼んだ。

「王宮のパーティーまで、時間があまりありません。陛下やその他の貴族達にも、お披露目の場になります。奥様を磨きに磨いて皆をあっと言わせて見せます。」

アンが意気込んで言った。


私としては、パトリシアと結婚出来たと言う事実、実感が欲しかっただけなので、アンの話はピンとこなかったのだが・・・


「いち早くジェイガン様、オンズロー子爵家の牽制もしなくてはなりません。」

アンの言葉に我に返る。憎きジェイガン・・・あいつとパトリシアを決定的に引き離さなくてはならない。



「入浴の手伝いをした際には、奥様は恥ずかしがられて、モジモジとしていました。女性としての魅力が一層増した様です。」

アンの報告にあった様に、日増しにパトリシアが美しくなっていく。


パトリシアは私のものだと、知らしめなければならない。社交の場に出ても、パトリシアを誘惑しようとする男達がいつ出てくるかも分らないのだから。私は思考を巡らしながら

「あぁ。」とだけ答えた。




※※※



「アシュナード公爵夫妻、入場」


パトリシアの手を取り入場をする。緊張しているパトリシアのエスコートは、ハッキリ言って萌えだ。

先ずは両殿下に挨拶に行かねばならないのだが、王陛下のニヤニヤと笑う顔が目に浮かぶ。



「両殿下には、お初にお目にかかります。パトリシアと申します。」と言いカーテシーをする。

パトリシアが何度も練習を行っていた挨拶だ。


「ハルトを虜にした女性をこの目で見れるとは・・・ハルトは優しくしてくれるか?」


王陛下の当たり前の問いに

「はい、とても優しくして下さいます。」と答えていた。


私は、王陛下を少し睨んで余計な事を言うなよ・・・と眉間に皺を寄せた。


両陛下への挨拶が終わり、今からが重要。パトリシアに付いている害悪を取り除くのだ。


他の貴族達と挨拶をしながらも、私の視界はパトリシアを捉えていた。

そんな所へ早速の害悪が訪れた。オンズロー子爵夫妻である。


「パトリシア。久しぶりだな。」

ジェイガンが私のパトリシアに馴れ馴れしい口をきく。


「パトリシア、不相応なドレスね。」

姉のマリーも私の知る嫌な貴族令嬢の典型だ。美しいパトリシアに嫉妬しているのだ。子爵夫人になった今もその態度は変わらない。


少し様子を見ていたが、これは頂けない。ジェイガンがパトリシアに触ろうと手を伸ばして来た。

もう容赦出来そうにない。


私は慌ててパトリシアの身体を抱いて躱した。

「オンズロー子爵、私の妻に触らないで頂きたい。それと、名前を呼ぶのもやめて下さい。これからは公爵夫人と呼ぶ様に。」

私は予め用意して置いた台詞を口にした。


「公爵夫人?」オンズロー子爵夫妻は訝し気な顔をした。


「辺境伯とは別にお爺様の公爵の家を継ぎ、私の名はエルハルト・アーヴァイン・アシュナード。アシュナード公爵になりました。」


私は2人を牽制したのだが、

「パトリシア、よくやったな。流石は我等の妹だ。」

意味を理解出来ないのか・・・?ジェイガンは媚びる様な声でまたしてもパトリシアに近づく。


私はパトリシアの腰に手を回したままで言う。

「オンズロー子爵、もう一度言います。私の妻に触れるな。私が愛するパティと出会えたのは、子爵がパティのドレスにワインをかけた事がきっかけです。貴族の行いとしては、どうかと思いますが・・・。その出会いには感謝してます。ですが今後、私の愛するパティとは関わらないで下さい。夫人、義姉上であるあなたもです。」


少しの騒ぎが、他の貴族達の興味をそそる。当然社交の場では、生き残りをかけた情報収集も行われるのだ。私の目的は正にそれだ。貴族達の噂話しは、共有情報になるだろう。


「言いががりよ。濡れ衣だわ」オンズロー子爵夫人が甲高い声を上げる。

あぁこの声・・・品位の欠片も窺えない。私は侮蔑の表情で夫妻を見る。


「何の事を言っているのかわからないが?」ジェイガンが対抗する様に口にした。


その言葉を待っていた。オンズロー子爵夫妻に情けを掛けなくても済む。彼らの態度次第では、情状酌量も考えてはいたのだが・・・その必要は無さそうだ。


「そうですか、では私も子爵に感謝せずとも良いと言う事ですね。では、これで。」


これだけで良い。後は公爵家を敵に回したと、噂が彼らを苦しめる。自業自得であろう。

ジェイガンの噂は伯爵家にも、届くだろう。この先破滅するか、立ち直るかは彼ら次第。


私は満足してパトリシアに微笑んだ。

「私の可愛いパティ、今後はあんな輩に関わってはダメだよ。」


私の言葉にパトリシアはコクコクと頷いた。



全ての任務を完了させ(勝手に自分で任務を課した。)タウンハウスへ帰る。

事情を説明しようとした私に


「辺境伯様とか公爵様など関係なく、旦那様の側に居たいだけです。旦那様が何者であろうと関係ありません。」

パトリシアはそう言った。



その嬉しい言葉に、側に居たいと言ってくれたパトリシアを愛おしく思う。


「私の愛するパティは、何時になれば名前で呼んでくれるのかな?」

パトリシアのうなじを味わいながら言うと、甘美な声を漏らす。


口づけを交わし抱きしめながらパトリシアの身体に指を這わすと


「・・・エルハルト様・・・。」

潤んだ瞳で見上げてくる。

これがアンの言っていた、上目遣いに名前呼びの術か・・・念願が1つ叶い満足する。 

可愛いパトリシア・・・。



それからの日々も、私は毎晩報告をアンから受ける。

「今日のパトリシア様は・・・。」






= 完 =

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冷血感と噂の辺境伯様に嫁ぎます。旦那様はメイドになりたいと言った私を溺愛する。 七西 誠 @macott

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