188. 王の間にて

 ヘルの住まう古城。


 マギサとルインは城の頂上に向かって歩みを進めていた。


 二人の間に会話はない。


 言い争いをしたから、というのが理由ではない。


 もちろん、マギサは先程のルインのことについて思うことがある。


 しかし、今はそのことに言及する時間ときではない。


 緊張感が漂っている。


 上に行けばいくほど濃密な気配を感じた。


 背筋が粟立つような、心臓をぎゅっと掴まれるような、そんな気配。


 逃げ出したくなるような、死の気配。


 そしてそれはフラッと現れた。


「スルト……ではないですね」


 スルトの顔をした青年。


 だがマギサは知っている。


 この男こそが、諸悪の根源。


 目の前の男から放たれる死に気配は尋常ではなく、今までで最も死を近く感じていた。


 ルインも同様に察していた。


 この男がすべての元凶。


 ヘルが二人の前に現れたのだった。


 ルインはすぐさま魔法を放とうとする。


 だが、マギサが手で制する。


「あなたの目的はなんですか?」


 ここにきて、この状況下でマギサは対話を望んだ。


 もう戦うことしか残されていないというのに会話を望んだ。


 ルインがマギサを睨みつけるが、それでもマギサの意思は変わらない。


「目的を教えてやれば満足するのか? 私が世界を滅ぼそうとするのを許容するのか? オーディンの子よ」


「いいえ」


「ならば意味などなかろう?」


「せめて、死んでいった者たちの意味を知りたいだけです」


 この戦いは何なのだろう?


 なぜこんなにも多くの者達が死ななくてはならなかったのだろうか?


 マギサは、救えなかった命の答えを知りたかった。


 知ったところでどうしようもないというのに。


 しかし、それがマギサだった。


 今まで何度も考え、甘さを指摘され、それでも考え続ける。


 未熟であっても考えることを放棄したくなかった。


「ふんっ。くだらん。実にくだらんな」


 ヘルは一蹴する。


 ヘルにとって死とは嫌悪されるものではない。


「死とは祝福だ。母がもたらした安息の地。それが死の世界よ。

オーディンは我らを否定し、母を殺した。ゆえに私はオーディンを憎む」


 ヘルが異なる世界線で、あえてマギサ・・・・の体をのっとったことには2つの理由がある。


 1つ目はヘルの力に耐えられるのは、神の子だけということ。


 オーディンの子がマギサの体は最適だったのだ。


 そしてもう一つの理由。


 マギサがオーディンの子であるからだ。


 オーディンの子を使ってオーディンの国を、世界を滅ぼせば愉快な気分になれるだろう。


 そうヘルは考えた。


 しかし、マギサでは力不足であり、世界を滅ぼすに至らなかったのが異なる世界線の話。


 だからこうして、英雄であるスルトの体を奪った。


「この国がオーディンの支配下というだけで私にとって滅ぼす理由は十分だ」


 ヘルはそういって両手を大きく広げる。


「さあ話は終わりだ。オーディンの子よ。お主に死を与えてやろう。

祝福ではない、地獄のような死を――」


浄土の水ニライカナイ


 仰々しく手を広げているヘルに向かってルインが容赦なく魔法を放った。


「無駄話は嫌い」


 ルインの先制攻撃とともに戦いの火蓋が切られたのだった。


◇ ◇ ◇


 王の間。


 扉から王座まで赤い絨毯が敷かれている。


 普段なら窓からの光を存分にいれることができる部屋だが、曇天の為に部屋の中は薄暗い。


 二人の人物が相対している。


 片方は憎しみを含んだ眼光、もう片方が諦念を含んだ眼光。


 否――諦念を含んだ眼光というのは些か表現に語弊があるだろう。


 しかし、強い諦念の感情は相手を竦ませるほどの鋭さを持っていた。


 第一王子が口を開く。


「陛下」


 ひとこと。


 クロノスは父であるウラノスのことを、今まで父と呼んだことはない。


 ウラノスは”王”以外の何物でもなく、そして同時にこの落ちぶれた老人を”王”と呼ぶことで憤りを忘れないようにしてきた。


 朽ちた老害を王座から引き下ろすため、クロノス王子は戦ってきた。


 第一王子には昔の鮮烈な記憶が残っている。


 父であるウラノスが母を殺したという記憶。


 そのときの記憶は何時いつでも鮮烈に蘇り、今でも鮮明に思い出すことができる。


 ウラノスが第一王子を恐れ、殺害しようとしていたこと。


 それを止めるために母親が犠牲になったこと。


 なぜウラノスはそこまでクロノスを恐れたのか?


 予言だ。


 予言では「いずれ子がお前を殺すだろう」と告げられていた。


 その予言から逃れるべく、ウラノスはクロノスを殺そうとした。


 しかし、王妃を殺してしまったことでウラノスはクロノス殺害を諦めた。


 人生を諦めるようになった。


 だが、クロノスは諦めていなかった。


 ウラノスをいつか殺し、自分が王となる。


 この国のために、そして復讐のために――。


 その願いが今まさに叶う。


 クロノスの人生は常に憎しみとともにあった。


 それがようやく終わる。


「終わらせに来ました」


 骸骨のような表情とくぼんだ目で、死を間近にした老人のようなしゃがれた声で、ウラノスは語りはじめた。


「長かった。今まで非常に長く苦しい時間だった」


 それはクロノスのほうが言いたい言葉セリフだった。


 ウラノスが不気味な笑みを浮かべる。


「余の人生に意味があったとは到底思えん。だが、歴史に名を刻むことはできよう」


 ウラノスの目はクロノスを見ているようで、その実、何もうつしていなかった。


 目の前にクロノスがいることにまるで気がついていないようだ。


 手を伸ばせば触れられる距離にいるというのに――。


「どうすることもできなかった。運命に抗うことも、国の流れに抗うこともできなかった。余は果たして何を成したというだろうか?

飾りにしてはみすぼらしく、傀儡にしては見るに耐えない」 


 無能というレッテルを貼られ、言われるがままに政策を決めてきた。


 罪のない大勢の人を殺してきた。


 怠惰という言葉では済まされない愚行だ。


 愚王という言葉では言い表せない醜さだ。


 王としての責務を何一つこなさず生きてきた。


「陛下」


 クロノスはウラノスをみて哀れみを覚えた。


 そして悲しみを覚えた。


 なぜ今まで、自分はこんな老人ものに縛られてきたのだろうか?


 憎しみを抱いていたことに、人生を支配されていたことに、悲しみを覚えた。


 まだ40代というのに、まるで死人のようなウラノスを見て、殺すほどの価値もないと考えてしまう。


 もちろん、殺さなければ何も始まらない。


 クロノスはもうこれ以上、言葉は不要とばかりに剣を抜いた。


 しかし――。


「余はガイアを愛していた」


 クロノスの手が止まる。


 ガイアというのはクロノスの母であり、ウラノスの妻である。


 そしてこの国の王妃であった人物だ。


「ガイアだけが余の生きる希望だった」


「ならばなぜ母上を殺した?」


 静かに、しかし怒気と殺意を向けてクロノスは尋ねる。


「そうするしかなかったのだ。あやつは余を裏切った! 余は……余は、ガイアしかおらぬのに。

なぜだ! なぜ裏切りおった!」


 ウラノスは、ガイアと同じ目を持つ、クロノスの目を見てガイアを感じていた。


 視線が交錯したと思いきや、ウラノスの焦点がまたもや不安定に揺れる。


「余は……最やくの王として後世に語り継がれるだろう。しかし、それがなんだ。

悪名であろうと、余の存在に意味が出るのだ。生きた証が刻まれるなら本望と思わんか? なあ、クロノスよ」


 ここで初めてウラノスはクロノス・・・・・・を見た。


 視線がたしかに交錯する。


「残念だが、陛下はただの愚王として刻まれる。名も残らぬだろう。

代わりに私がこの国を変える。私の名が歴史に刻まれる」


「この国は変わらんよ。余ともに潰える。余は最後の王として――」


――スパッ。

 

 一閃。


 クロノスはウラノスの首を胴体から斬り・・・離した。


 これ以上の会話は不要と言わんばかりに――。


 だが、


「くっくっく……。はははははははっ! 終わりのはじまりだ! 国の滅亡が始まる!

余の代ですべてを終わらせるのだ!」


 落ちたはずの首がケタケタと笑い始めた。


 クロノスは驚愕のあまり目を見開く。


 首から下をなくしたはずだというのに、ウラノスは生き生き・・・・・・としていた。


 死んだあとのほうが生き生きするとは皮肉なことだが――。


 と、そこでクロノスはすぐに思い当たる。


 死んだ後にも人間が動くことができる方法。


 それは――。


「――――」


 突如として、地面が大きく揺れた。


 クロノスは立っていることもままならず、地面に手と膝をつく。


 しばらくして地面の揺れが収まる。


 膝の痛みを抑えながら彼は顔を上げた。


「……っ」


 クロノスは絶句する。


 そこには顔がない人間が立っていた。


 いいや、違う。


 顔はあった。


 ある場所になかっただけである。


 ではどこに顔があるのか?


 胴体だ。


 腹の真ん中に空洞があり、そこから顔が出ている。


 これはもう人間ではない。


 魔物だ。


 胴体からウラノスの顔が生えた魔物が立っていた。

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