183. 救世主はいない

 少しときを戻す。


 第一王子クロノスが率いる第三軍・北神騎士団および辺境伯軍が北の砦の前で陣を構えていた。


 相対するのは、第二軍とボウレイ公爵軍。


 数としては第一王子の軍のほうが多い。


 だが砦を攻めるのはいささか物足りない。


 事実、


「さすがは北の砦。突破は簡単ではありませんね」


 丸一日に攻め続けたが、なかなか攻略の糸口を見つけることができない。


 北の砦はもともと異民が攻め入ってきた時の場合を考えて作られたもの。


 王都までの最後の砦である。


 ここを突破されれば王都までの障壁がなくなる。


 王軍は北の砦を死守する必要があった。


 しかし彼らは、ここで敵を足止めすれば良いだけの簡単な任務と楽観的に考えていた。


 そうすれば第一軍がガルム伯爵を倒し、一気に優勢になるはず。


 それまで敵を食い止めるだけの仕事。


 戦が始まっているにもかかわらず、随分と楽観的な思考である。


 だがしかし、


「だ、第一軍……ガルム伯爵に敗北……!」


 北の砦に凶報が届けられた。


 逆に第一王子にとっては吉報である。


 これによって北の砦は一気に士気が下がり、逆にクロノス王子と辺境伯が率いる軍は士気を上げた。


 士気は戦において大きな力を持つ。


 士気が低ければ、本来なら踏ん張れるところも踏ん張りがきかなくなる。


 逆に士気が高ければ、いつも以上の力を発揮することができる。


 情報一つで戦場というのは変わってしまうものだ。


 良い情報よりも悪い情報のほうが伝達速度は速く、驚くほどの速さで北の砦全体に情報が広まっていった。


 同時にアーク軍が王都に攻め入ってきているという情報も伝わった。


 これにより、北の砦は混乱に陥る。


「わっーはっは!」


 そんなとき、タイミングを見計らったかのように原作最強の人物トールが攻め入ってきた。


 巨大な岩をまるで砲台のように投げ入れる。


「な、なんだー!?」


「く、くそ――!」


「化け物めがぁ!!」


 ドゴーンと音とともに城に何度も何度も岩が落ちていく。


 一騎当千。


 この世界では、本当に一人で千を超える兵を相手できてしまう。


 トール自体が戦術となる。


 トールは敵の矢と魔法の雨を掻い潜りながら砦に攻め入った。


「うおおおおおお!」


 それに続くように、北神騎士団の騎士たちが壁をよじ登り、砦に侵入していく。


 北神騎士団が砦の門を開き、なだれ込むように第三軍と辺境伯軍が砦内に攻め込んだ。


 それから第一王子と辺境伯が北の砦を攻略するまでに、そう時間はかからなかった。


「く……私はこんなところで終わるはずが――」


 ボウレイ公爵の言葉を遮るようトールが公爵の首を斬り落とした。


 こうして第一王子は北の砦を攻略したのだった。


 さらに彼らのその後の行動もはやかった。


 北の砦を占拠した後、すぐに南に進軍。


 残るのは王都のみ。


 北の砦を突破された王都は丸裸に近い状態だった。


 加えて南西からアーク軍が物凄いスピードで王都に迫ってきていた。


 王都の守備は脆く、残っていた戦力としては極わずか。


 第一王子にとって、すべてが驚くほど順調に進んでいた。


 だが、これからまだ大きな大きな問題が残っていることを第一王子は知らない。


 原作で起こった問題。


 シュランゲが死に、王都が血の池に染まったあとに起きた鬱展開。


 その鬱展開は王都のみならず、国全土を巻き込むものだ。


 原作において国を崩壊させた問題がこの世界でも起ころうとしていた。


 果たしてこの流れを止められる者はいるのだろうか?


 原作クラッシャーであるアークはここにいない。


 救世主はいない。


◇ ◇ ◇


 それはとても遠い昔の話。


 とてもとても遠い昔の悲しい話だ。


 世界がまだ一つしかなかった頃。


 世界には一人の女と一頭の牛がいた。


 女といっても、その体は世界そのものといっても良いほど大きかった。


 巨人はユミルといい、牛はアウズンブラといった。


 生まれたのはほぼ同時。


 ユミルもアウズンブラは氷の中から生まれた。


 ユミルはアウズンブラの乳を飲んで成長し、アウズンブラは氷を舐めて成長した。


 その後、一人と一頭からアース神族とヴァン神族が生まれた。


 アース神族はユミルから魔法を教わったのに対し、ヴァン神族は自ら魔法を覚えた。


 2つの神族の対立が深まっていった。


 戦いの中で多くの神が傷ついた。


 ユミルはそれを嘆き、死の世界を作り出した。


 その世界で傷ついたものたちが安らかに眠れるようにという願いを込めて。


 そして戦いの終結を願って――。


 ユミルはヘルを生み、死の世界を統括させた。


 しかし、ユミルの願いとは裏腹にアース神族とヴァン神族の対立は激化をたどり、死の世界に来る神も増えていった。


 やがてヴァン神族をまとめる神、オーディンが一つのことを思いつく。


 それは世界を分けることだ。


 同じ世界にいるから争い合う。


 それならいっそ別の世界にしてしまおう、と。


 世界を作るには十分な大きさと十分な強度を持つ素材が必要だった。


 しかし、そんな素材はなかなか見当たらなかった。


 その条件を満たしているのはユミルの体だけだった。


 オーディンは始祖であるユミルを殺害した。


 そしてその体を使って8つの世界を作り出した。


 その一つがミズガルズ。


 人間の住まう世界だ。


 その他にもニブルヘイムやムスペルヘイムもあり、これらは氷の世界と炎の世界だ。


 こうして世界は分かれ、アース神族とヴァン神族の争いは減り、一時の平和が訪れた。


 ユミルの犠牲のもとに――。


 それからアース神族とヴァン神族との中で何度か争いが起きたものの、同じ世界にいない分被害も小さく、戦争というより小競り合いであった。


 小競り合いの一つとして、人間の世界ミズガルズで起きた代理戦争がある。


 アース神族を信ずる古代文明人とヴァン神族の力を借りた現代人との間で起きた戦争。


 人間にとっては大きな戦であるが、神たちにとっては小競り合いだ。


 小競り合いといっても、多数の死者が出る。


 神同士の争いによって死の世界の住人は増えていき、ヘルは勢力を強めていった。


 ヘルはオーディンを憎んでいた。


 ヘルは神族を憎んでいた。


 ヘルは世界を憎んでいた。


 オーディンの作ったこの国を憎んでいる。


 オーディンの作ったミズガルズを憎んでいる。


 オーディンの作った8つの世界を憎んでいる。


 8つの世界を崩壊させ、また一つの世界に戻す。


 すべてを死の世界で覆い尽くす。


 そして、ユミルを解放する。


 それがヘルの目的だった。


「――というわけです。アーク様」


 アウズンブラはこの世界の成り立ちからヘルの目的まで、すべてをアークに話した。


「私はあの子を止めたいのです」


 アウズンブラも、オーディンを含めたヴァン神族に対し良い印象を抱いていない。


 だがすべての世界を一つにするということは、8つの世界を壊し、そこに住まうものたちを皆殺しにするということ。


 それにはアウズンブラも賛同できなかった。


 アウズンブラの力ではヘルを止めることができない。


 だから、この世界の英雄・・・であるアークにお願いしたのだ。

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