179. 蛇のシュランゲ
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥。
干支の一人。
魔眼の少女である。
彼女の原作での出来事は、例に漏れず残酷なものである。
原作での彼女は愛した男がいた。
愛した男というより、そういうふうに仕込まれたといったほうが正しい。
シュランゲは原作で王であるウラノスの愛人として登場した。
愚鈍なウラノスを支える役だ。
だがそれは本人が望んだものではなく、そういう役割を闇の手の指示で強制されていた。
強制されていたものの、他の干支と比べると待遇はかなり良かった。
仮にも王の愛人である。
破格の待遇といってもよかろう。
シュランゲも次第に王に対して愛情を抱くようになった。
たとえこれが仕組まれてものであっても、一緒にいる時間が長ければ情が湧く。
だが
シュランゲは王によって両目をくり抜かれた。
彼女の目は魔眼であり、その目に価値があったのだ。
王がシュランゲを側に置いていたのも、その目を新鮮なまま保管したかっただけである。
目をくり抜かれたシュランゲだが、魔眼とのつながりが消えたわけではなかった。
シュランゲの魔眼から血の涙が溢れ出すのだ。
血の涙がとめどなく流れ続け、最終的に王都を血の海に沈める。
それはただの血ではない。
猛毒だ。
大勢のもとを道連れにし、シュランゲは王都を崩壊させる。
それが原作での出来事。
ちなみに原作では、ここからさらなる絶望が起こるのだが、それはまた別の話。
しかし、この世界ではシュランゲは救われている。
王都による虐殺という悲劇は起きない。
これもアークが防いだ悲劇の一つである。
シュランゲは今もはっきりと両眼で景色を見ることができていた。
魔眼といっても種類は様々である。
シュランゲの持つ魔眼は”凝固の魔眼”だ。
もっとわかりやすい言葉で言えば、”吸収”だ。
人間生きていれば魔力を勝手に体内に吸収していく。
だが魔力の貯蓄量には限界があり、その限界値が魔力量といわれる。
魔力量の高さでいえば、やはりマーリンだろう。
アークも高いと言われている。
それに対しシュランゲの魔眼はほとんど限界がない。
つまり、生きている時間が長ければ長いほど魔力量が増えていき、魔眼に魔力が蓄積されていく。
原作ではその性質ゆえに不幸な目にあったのだ。
これだけ聞けばかなり便利な力であろう。
だが、2つ欠点がある。
1つ目。
凝固の魔眼は魔石と反発するため、シュランゲは魔石を使うことができない。
といっても、これはそれほど大きな欠点ではない。
2つ目の欠点が大きな問題だ。
魔眼の使用が一度しかできないということだ。
人間は一度魔力を使っても時間がたてば回復する。
しかし、シュランゲの魔眼は回復することはない。
イメージとして魔石に似ている。
魔石は通常一度使えば魔力が失われる。
原理は魔石と一緒である。
それゆえに、凝固の魔眼と呼ばれる。
余談だが、シュランゲには通常の魔力もあり、魔眼に頼らずとも戦うことはできる。
魔眼を使えるのは一度だけ。
これを失敗したら終わり。
「私、やります」
シュランゲは自ら名乗り出た。
今こそが魔眼を使うべきタイミングだとシュランゲは確信していた。
この戦いが最後になるだろう。
それは予感であり、確信だ。
少しでもアークの力を温存させたほうが良いのは明らかだ。
そして、シュランゲは広範囲な攻撃魔法を使うことができる。
原作で王都を血の海に沈めたほどの、広範囲な魔法だ。
「わかった。では貴様に任せよう」
アークの言葉にシュランゲは強く頷く。
マーリンがシュランゲの手を握る。
ぎょっとした顔でシュランゲがマーリンをみる。
「感覚を共有するだけじゃ」
マーリンの感覚を共有しなければ、認識阻害の影響で結界の場所がわからない。
マーリンの感覚がシュランゲに共有される。
マーリンは簡単にやってのけているが、広範囲な魔力感知を行いながら同時に感覚共有を行うのは、想像を絶するほどの魔力技術が必要になる。
その魔法技術の高さにルインが静かに感嘆する。
シュランゲの視界が広がり、魔力の綻びがみえた。
そこに認識阻害の結界がある。
シュランゲが緊張した声で詠唱を始めた。
シュランゲの最も得意とする魔法は、毒の魔法。
詠唱の長さはその威力に匹敵する。
シュランゲは一分を超える長い長い詠唱を唱えた。
いずれ必要になるだろうときのために覚えた詠唱だ。
このときのために覚えた魔法だ。
最初で最後、一発勝負だ。
失敗すれば魔眼の魔力が失われるだけでなく、魔力の暴走によって失明する可能性もある。
だが、
「――解き放て。毒牙の池」
シュランゲはやり遂げた。
空に突如として巨大な壺が出現する。
これは
魔法を増幅させ範囲を広げる。
ヴェニス公爵協力のもと作り出した魔法。
壷から結界の綻びに向かって緑の液体が流れ落ちる。
べっとりとねっとりとした液体が結界を侵食していく。
空間が歪む。
緑の液体が認知の阻害を、結界を破壊していく。
シュランゲの目には、空間にモザイクがかかったような歪な光景が映し出されていた。
見えるようで見えない結界。
しかし、液体が徐々に侵食されていき、結界の全貌が少しずつ明らかになっていく。
モザイクが剥がれていく。
あと、少し。
あと少しで結界破壊される。
だが、
「……ッ」
シュランゲの目から血の涙が流れた。
足りなかった。
シュランゲの魔力量では結界を破壊するに至らない。
問題として挙げられるのが、シュランゲの魔法は範囲が十分だが威力が劣るという点だ。
結果論であるが、アークのニブルヘイムならば結界を破壊できるだけの十分な威力があった。
このままでは無駄になる。
そう、シュランゲが思ったときだ。
「儂の力を貸してやろう」
シュランゲの中に魔力が流れ込んできた。
マーリンがシュランゲに魔力を貸し与えたのだ。
本来、他人に魔力を貸すことはできない。
だが、マーリンは魔力制御において超一流である。
乱魔で他者の魔力を乱すこともできれば、それを応用して他者に魔力を貸すこともできた。
――パリン。
何かが割れる音が響いた。
結界が破壊される音だ。
シュランゲの視界がクリアになる。
今まで見えそうで見えなかったものの全貌が明らかになった。
城が見えた。
古い城だ。
認識阻害の結界が解け、闇の手の本拠地が顕になったのだった。
「――――」
シュランゲの攻撃はまだ続いている。
結界を覆っていた緑の液体だが、結界が解けたことで城に向かって落ちていく。
それはべっとりとした緑の雨。
死の雨だ。
期せずして、シュランゲは闇の手に対して先制攻撃を成功させた。
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