150. 凪のよう

 夜が明ける。


 ニーベルンゲン平原に敷かれたアーク軍の布陣。


 中央に五千、右翼、左翼に二千の兵。


 最も猛攻を受けるであろう中央には、重装歩兵を中心に歩兵を配置。


 遊撃隊として、右翼、左翼の後方にはそれぞれ五百の兵。


 さらに本陣に千の兵。


 中央を指揮するのはランスロットだ。


 その中の重装歩兵を指揮するのがモルドレッド。


 本陣ではアークに扮した申が腰を下ろしており、その両隣にはとりがいる。


 右翼、左翼それぞれカミュラとラトゥが指揮を取る。


 軍の系統でいえば、彼女らは指揮する立場にないが、適材という意味ではこの二人に勝るものはいないだろう。


 干支のメンバーは全員揃っており、遊撃隊の中に組み込まれている。


 加えて、右翼遊撃隊にはスルトもいた。


 まさに総力戦。


 錚々たるメンバーが揃っている。


 だが今回の敵は第一軍。


 今まで戦ってきた中で最強の敵と言えるだろう。


 賊退治や魔物退治をしてきた経験など、何の役にも立たないと思わされるほどだ。


「怖いか?」


 中央で歩兵を任される若い新兵。


 名もなき青年であり、もちろん原作にも登場しないキャラだ。


 モルドレッドは恐怖で震える新兵に声をかけた。


「モルドレッド様。いえ、私はそんなこと……」


 ありません、そう新兵が答える前にモルドレッドが言う。


「……私は怖い。明日自分が生きている保証はどこにもないからな。

怖がることは悪いことではない」


 新兵の恐怖をモルドレッドは肯定する。


「なぜモルドレッド様は戦うのでしょうか?」


「それが務めだからな」


 兵士の務めとして、当然戦わなければならない。


「務め……ですか」


「お前は知らんだろうが昔の軍はそれはもう酷いものだった。

肥大化していた軍は、質を担保しきれず崩壊。

上司は無能。有能さよりも上に取り入れるやつが出世していき、組織として最悪の状態だった」


 モルドレッドは語る。


 かつてアークが改革する前の軍のことを――。


 当時、モルドレッドはどれだけ成果を残しても評価されなかった。


 命の危険があるにもかかわらず、給料は安くやりがいもない。


 仕事とは、兵士とはそういうものだ。


 と、割り切って働くこともできず、さらにモルドレッドの母が病気で体調を崩していたことで生活も困窮していた。


 薬代は当然払うことができない。


 そもそも当時のガルム領にまともな薬屋などなかった。


「昔は苦労した、なんて語るのは上司として失格だな」


 モルドレッドは昔を語った後、申し訳無さそうに力なく笑う。


「とんでもございません! 大変勉強になりました!」


 若い新兵はシャキッと背筋を伸ばし、敬礼する。


「そうかしこまらなくとも良い」


 軍という組織において、距離が近いことは珍しい。


 親密なことは一概に良いこととは言えず、特に軍のような一つの判断が致命的になりうるところでは親密さよりも上司の命令に従うことが重要となる。


 だがアーク軍の場合は、もともと劣悪な環境で歪な縦社会だったため、本来なら軍で良しとされるものが悪く働いていた。


 その反動で今のアーク軍は縦の関係が比較的に緩いものとなっており、それが功を奏し、トップダウンとボトムアップをうまく組み合わせた組織となっていた。


 若い新兵の表情から緊張が少しだけ抜ける。


「私はアーク様に感謝している。今のこの領地の発展はアーク様のおかげである。

私はこの仕事に誇りを持っている。だからどれだけ怖かろうと、この役割を全うしたいと考えている」


 中央の歩兵を指揮するモルドレッド。


 最も危険な役割なのは間違いない。


 それを任されることは名誉なことでもあり、同時にプレッシャーでもある。


 しかし、モルドレッドはかつての自分を救ってくれたアークのためなら、死地に赴く覚悟ができていた。


「それに私には守るべきもがある。

元気にしている母に胸張って「ただいま帰りました」と言うために私は戦うのさ」


 モルドレッドは戦場にいるとは思えないほど爽やかな顔で言うのだった。


「私にも……母がおります。村で待っている恋人も……」


「そうか……。それなら勝たねばならぬな」


「はい! ありがとうございました!」


 若い新兵が胸にあるロケットを握りしめながら力強く応える。


 それぞれがそれぞれの思いを胸に、この場に臨んでいる。


 戦いが、戦争が始まろうとしていた。


◇ ◇ ◇


 騎士の中の騎士、ランスロット。


 原作でもランスロットは周囲からの評価が異常に高かった。


 主人公スルトたちがランスロットを頼ったのも、ランスロットの評判があってこそだ。


 だが、原作でのランスロットも別に本人が活躍したわけではない。


 優秀な部下とともに行動してたら、部下たちが勝手に功績を立て、それがなぜかランスロットの評価にされていただけである。


 そしてランスロットはノーヤダーマ城に向かう羽目になってしまったのだ。


 ちなみに原作では、ランスロットは諦めの境地に入っていた。


 それが周りからは『どんな絶望的な状況でも屈しない強い精神力』と勘違いされていたのだが……。


 自身の無能を隠すことに長けたランスロットは、この世界でも周囲から無駄に評価されていた。


 その結果、今の能力に釣り合っていない地位を得てしまった。


 ランスロットは第一軍との戦でも、原作同様、諦めの境地に達していた。


 自分が何をやったとしても結果に大きな影響はない。


 それならばいっそ何もやらないでおこう。


 無感情で戦場を眺めていたランスロットだが、それがかえって『どっしりと構える豪傑』と周りからの評判を高めている結果になっていた。


 アーク軍でこれほどの規模の戦いをしたことは一度もない。


 浮足立って当たり前の状況だ。


 そんな中でもランスロットは泰然自若な様子で佇んでいるのだから、周囲から信頼を獲得していても何ら不思議ではない。


――ああ、私は雲になりたい。


 彼は空を見つめながら、現実逃避をしていた。


――どうせ、私などいてもいなくても変わりはないのだ。それなら雲のように流されながら生きていこう。


 まるで大軍を任される指揮官とは思えないことを考えるランスロット。


 そう思わなければ、やってられないくらいの責任が彼にのしかかっていた。


 しかし、ランスロットは一つだけ大きく認識を誤っていることがある。


 それはランスロットの影響力だ。


 彼の影響力はすでにこの国でアークに次ぐものとなっていた。


 そのランスロットが慌てふためけば、軍も浮足立ってしまう。


 つまり、ランスロットの行動一つ一つが大きな意味を持っていたのだ。


 それを知らないランスロットは、凪のような平静な心で戦場を見つめていた。


 その様子がアーク軍の指揮を上げていることを、彼は知らない。

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