141. 恨んで、そして

「――愛してるわ」


 ジークの琥珀の瞳に訴えかけた。


 想いをぶつけた。


 ここから救って、という願いの言葉は出ず、代わりに溢れ出た言葉は愛の言葉だった。


 愛。


 愛してる。


 その想いはなんて複雑なものであろうか。


 なんて欲深いものであろうか。


 その気持ちはブリュンヒルデが必死に隠してきたモノ。


 決して気づかれてはならない。


 言ってしまえば関係が壊れてしまう――。


 今が続けば良いと、そう願っていたブリュンヒルデ。


 変わることなど望まなかった。


 その愛は異質で、異常で、歪だ。


 貴族なら尚更だ。


 異端であることを理解していた彼女は、その事実をひた隠しにしてきた。


 溢れ出るそれを、愛を、ブリュンヒルデは抑えることができなかった。


 彼女は縋るようにジークに向けて手を伸ばした。


「――――」


 ジークは、ブリュンヒルデの気持ちは薄々気づいていた。


 自分に対して、親愛以上の想いを抱かれているのを理解していた。


 だが、


「……」


 ジークは答えない。


 答えられない。


 ブリュンヒルデの気持ちに答える術を持っていない。


「ねえ、ジーク。ねえ……なにか言って頂戴。ねえ、ジーク」


 ブリュンヒルデはジークの服をぎゅっと握った。


 ジークの瞳が揺れる。


「私を連れて行って。ここから救い出して。私にはジークしかいないの」


「お嬢様。それは――」


 できません、と喉に出かかった言葉をぐっと飲み込む。


「息苦しいの」


「私が側におります」


 ジークはそっとブリュンヒルデの手を握る。


 ジークにはそれしかできない。


 側にいることがジークにできる精一杯だ。


「――あなたはズルいのね」


 ブリュンヒルデが冷たく言い放つ。


 彼女の顔には諦観と絶望が現れていた。


 最後の希望が絶たれた気分だった。


 ブリュンヒルデには、ジーク以外に頼れる者はいなかった。


 そのジークに手を振り払われた。


「お嬢様――!」


 ブリュンヒルデは部屋を抜け出し、ジークからも逃げた。


 そしてファバニールのもとに行った。


 ファバニールならブリュンヒルデのことを肯定してくれる。


 ファバニールは裏切らない。


 すでに自身の背を大きく超えたファバニールに、ブリュンヒルデは抱きつく。


 そして泣いた。


 涙がとめどなく溢れていった。


 この世界で彼女は異端だ。


 生きていくにはあまりにも困難が多すぎた。


 生きていくことに意味を見いだせなくなっていた。


 ファバニールは無言でブリュンヒルデを包み込んだ。


「ねえ……ファバニール。貴方だけは私を裏切らないわよね?」


 くぅんと肯定するようにファバニールが頷いた。


「ああ。こんなところにいたのか。まったく、随分と探したぞ」


 彼女は出会った。


 出会ってしまった。


 ヘルと名乗る赤髪の男がブリュンヒルデとファバニールの前に現れたのだった。


「世界を憎む者よ。異端者よ。この世を変えるには手段は2つしかない。

己を殺すか、世界を壊すかだ」


 ヘルはあまりにも極端な手段を述べた。


 ブリュンヒルデは、本当なら警戒すべき相手なのに耳を傾けてしまっている。


 代わりにファバニールがヘルを警戒する。


「大丈夫よ。ファバニール」


 ブリュンヒルデは不思議と男であるはずのヘルに対して嫌悪感を抱かなかった。


 ヘルが、男とか女とかそういう次元を超えている存在に見えた。


 それがブリュンヒルデにとっては心地よかった。


 感情を押し殺し、想いは永遠に実らず、クズと結婚し、ただ侯爵家を存続させるための人生。


 そんな人生を生きるならいっそのこと死んでしまったほうが良い。


 眼の前の男に殺されるのもありだと思った。


 でも、死ぬための人生とは一体何なのだろう?


 その人生に果たして価値はあるのだろうか?


 そもそも人生に意味などない。


 そう割り切れたなら、彼女の気持ちは楽だっただろう。


 しかし、死を簡単に受け入れられるほどブリュンヒルデは達観してはいなかった。


 それもそのはずで、彼女はまだ13歳。


 成人にもなってない、子供だ。


 そして子供であるがゆえに間違った判断を下しやすい。


「私の手を取れ。さすればお前の世界を変えてみせよう」


 ヘルがブリュンヒルデに手を差し出す。


 あまりにも危険すぎる誘い。


「どんな世界?」


「破壊と終焉の世界だ」


「ふふ。それはなんとも素敵な世界ね」


 ブリュンヒルデはヘルの手を取った。


 絶望の先に現れた男が破滅の導き手であろうと、絶望を生きるよりは幾分かマシに思えた。




 その後、ブリュンヒルデは父と兄を殺した。


 父の盲目な目をくり抜き、兄の傲慢な口を真横に斬り裂いた。


 残酷な行為を何の感情もなく行った。


 想像以上にあっけないものだった。


 殺したところで気分が晴れるわけではない。


 それでも殺さないよりは殺したほうが少しだけマシだった。


 それだけだ。


「お嬢様……」


 血塗られたブリュンヒルデを見て、ジークは唖然とする。


「うふふ。人ってこんな簡単に死ぬのよね。ねえ、知ってた? ジーク」


 血塗られた顔でブリュンヒルデは笑った。


「ねえ、ジーク。貴方が悪いのよ。こうなったのも全部貴方のせい」


 もしもジークがブリュンヒルデを連れ出してくれたら、こんなことにはならなかった。


 彼女が伸ばした手をジークが掴んでくれたら、こんなことにはならなかった。


 代わりにブリュンヒルデに手を差し伸べたのは、ヘルだった。


 もうすべてが遅い。


 動き出してしまった歯車は止まらない。


「貴方を信じていたの。愛していたの」


 ブリュンヒルデは口元を歪ませ、笑う。


「ねえ、ジーク。愛って残酷ね」


 この気持ちを理解して欲しかった。


 理解されないことを知っていた。


 ジークに愛してるだなんて言えない。


 言ってはいけない。


 許されない。


 この世の中では彼女の想いは異端で許されない。


 貴族なら尚更だ。


 価値観にあわないものは排除される。


 彼女の居場所は存在しなかった。


 最初から、どこにも居場所などなかったのだ。


 それなら――


「叶わないならもう、壊すしかないじゃない」


 ヘルが提供した究極の二択。


 己を殺すか、世界を滅ぼすか。


 彼女は後者を選択した。


「貴方を壊してあげるわ」


 ブリュンヒルデはジークに襲いかかった。


 その後、戦いを拒むジークをブリュンヒルデは一方的に攻撃した。


 そして、彼女は気を失ったジークをハゲノー子爵に売り飛ばした。


 自分の結婚の代わりとして。


 実験体として――。


 ハゲノー子爵は喜んだ。


 どうやってジークを手に入れようか策を巡らせていたほどであった。


 ブリュンヒルデも捨てがたいが、ジークを得られただけで十分満足だった。


 ハゲノー子爵に渡せば、ジークがその後どうなってしまうか……。


 ブリュンヒルデは理解していた。


 理解しながら、あえてハゲノー子爵に売った。


「ねえ、ジーク。私のこと恨んで。ずっと、ずっと、ずーっと私を恨んで」


 愛してくれなくても構わない。


 ずっと自分のことを・・ってくれるなら、愛などいらなかった。


「ねえ、ジーク。いつか私を――」


 愛よりももっと重い思いをブリュンヒルデは望んだのだった。


 こうしてブリュンヒルデはファバニールとともに竜の住む地に消えていったのだった。

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